「ウソだろ・・・!?」そう言葉を発すると同時に、その男は長髪をなびかせ、
階段を猛スピードで降りていった。身長は170cm、顔を伺うと年齢は50歳位だろう、
しかし、まぶたの奥の眼光はまるで20代の青年の力強さを放っている。
パンプアップされた肉体は日焼けで黒光り、見る者だれもがハッとさせられる。
男の名は長州力。伝家の宝刀リキラリアットを武器に、マット界を席巻した
革命戦士、天下の長州力その人である。
ここは大田区にあるWJの道場。「新日本には夢がない。」そう言って業界の盟主、
新日本プロレスを飛び出し、一人旅立った末に見つけた最後の革命の地、
それがWJプロレスだ。長州は道場の階段を駆け下りながら、一階にあるリング上から
視線をはずさない。「なぜだ、なぜだ、」とくり返しながら降りていく。リング上には
一人の男が倒れていた。リングに上がり、真っ青な男の顔を見つめながら、長州は
旗揚げ戦からのwjの道のりを振り返っていた。
”ど真ん中”を掲げた旗揚げから5ヶ月、wjの道のりは困難を極めた。
「招待券は撒かない」そう公言したものの、チケットが売れず、
結局招待券を撒いたにもかかわらず客入りは惨敗。健想や大森といった、
団体を引っ張っていくべきエースもまだ十分な実力がない。「自分の遺伝子を残したい」、
と獲得した若手も思うように成長しない。何よりも、自ら思い描いていた以上に動かない
自分の身体。リングで満足のいくものを見せられない。それでは客が満足するわけが
ない。次第に興行成績は落ち込んで行き、プロモーターからも何度も怒鳴られた。
スポンサーの福田社長ですら撤退をちらつかせている。集客の頼みの綱だった
大仁田にも見切りをつけられた。何度頭を下げたか分からない。新日本時代には
決して人に頭を下げることなく、相手に頭を下げさせてきた、天下の長州力が、だ。
「ちくしょう、ちくしょう、こんなはずでは・・・」
現状は厳しい、だが若手達も長州の危機感を感じ取るようになったのか、最近の
練習はかなり熱が入っている。長州が怒鳴りつける回数もずいぶん減った。
先の両国では、健介が団体のエースとしてのすばらしい戦いを見せて初代マグマになった。
「こいつらをもっともっと輝かせてやりたい」今の長州を動かしているのはこんな思いだ。
その日はいつものように、道場の2階でトレーニングを始めていた。一階にはいつもの
長州の遺伝子達と見慣れない、アフロヘアーの大男が一人いる。
彼の名はジャイアント落合。元プロ野球選手、落合満の甥であり、総合格闘技のリングを
主戦場にしている。x−1に参戦させるために、道場を貸して5日ほど前から
合同練習をやっている。長州は落合に対してあまりいいイメージを持っていなかった。
それは練習初日、落合がリングに上がる靴を持ってこなかったからだ。だがオレも
若いときはずいぶん礼儀知らずだった。”神様”カール・ゴッチに対してさんざん悪態を
ついたものだ。だから落合も、この道場で練習することで心身共に鍛えられれば、と思っていた。
落合はプロレスの経験が多少あったようだが、受け身を見ると、これは1から教えなければ、
という程度のものだった。この日も、準備運動から軽い受け身の練習だった。長州は
2階からその風景を見ていた。落合は後ろ受け身のあと、コーナーにへたれこんで、
立ち上がった。前方回転受け身をするのか、と思ったら、フラフラと回り転げた。
おきあがると、ヒザが笑っていて、前のめりにヨタヨタ、と倒れ込んだのだ。
落合はイビキをかいていた。「おい、健想、シャツを脱げ!」健想のシャツを脱がせて
落合の口に突っ込んだ。舌を噛ないようにするためだ。そして救急車を手配の指示した。
迅速な対応である。なぜこのような対応ができたのかは理由がある。
落合を乗せた救急車はすでに病院に向かい、長州自らはタクシーに乗り込んでいた。
長州はなにやら不吉に点滅する信号を車窓から眺めながら、不安と絶望で、
心臓を万力でねじられるような心の痛みを感じている。
「おれはまた同じ過ちをくりかえすのか・・・」新日本時代、2人のレスラーが亡くなっている。
一人は練習生で、練習中、突然倒れてそのまま帰らぬ人となり、もう一人は
wjのスポンサー福田社長の息子で、試合中、技の当たり所が悪く、亡くなった。
プロレスは危険がつきものだ。肉体を極限まで駆使した格闘芸術。だからこそ人々を
熱くさせることができる。だが、プロレスに夢を託した若者が、プロレスで命を落とす。
プロレスを誰よりも愛する長州にとって、これほどの悲しみがあるだろうか。
選手の健康管理、トレーニング方法、これらに細心の注意を払うことがこのような
を起こさない防止策だ。だが、今日のオレはどうだったのか・・・?選手達の熱に安心
しきっていたのか?福田のことを忘れてしまっていたのか?もう起こらない甘く見ていたのか?
油断。レスラーとして、団体の責任者として、油断していたのだ。衰えていたのは
肉体だけではなかったのか?そう思うと、悔しさがいっぱいになってこみ上げてきた。
だがすぐ思い直した。「オレのことなんてどうでもいいんだ、それよりも大事なのは
落合自身の命なんだ!頼む、無事でいてくれ・・・頼む・・・!」
病院に着き、手術室のランプが消えた。
連絡を入れていた落合の事務所”怪獣王国”の女性スタッフも到着した。
女性は青ざめた顔で落ち着かない様子だ。健想ら若手と長州が状況説明をするも、
病院だということもお構いなしに激しく長州達を責め立てた。それも当然だ。
落合の活躍の場としてWJに送り出したのだ。その練習中に倒れた、ということであれば、
いかなる責任も免れない。長州も黙ってうつむいているだけだった。
医師からの診断は”急性硬膜下血腫”。意識が回復しても障害が残る可能性が高い重体だ。
「ああ・・・」若手達は大きく肩を落とした。怪獣王国の女性スタッフは
「当然しかるべき処置をとらさせて頂きます!」とさらに激しく詰め寄った。そのときである。
「チョシュさん・・・!?」若手達が声を上げた。長州はおもむろにひざまずいた。土下座である。
若手達が驚くのも無理がない、長州のこんな姿を見たことなんてあるはずがない。
天下の長州力、革命戦士が頭を下げる。女性スタッフも格闘技界に身を置く人間、
これがどれほどありえない光景か分かっている。やがて長州は声を絞り出した。
「正直・・・すいませんでした・・・!」嗚咽混じりだった。「全ての責任は私にあります・・・!
私たちにできる償いはなんでもします・・・しかし・・・!」長州は顔を上げた。涙と鼻水で
くしゃくしゃになっていた。「落合は・・プロレスラーです!レスラーは最後の最後まで
戦い抜くんです!私は落合の生命力を信じます!落合のレスラー魂を信じます!
お願いします・・・最後まで信じさせてください・・・!」しばらくの沈黙のあと、
女性スタッフは長州にそっと手をさしのべた。
「わかりました。私はレスラーではありませんが、長州さんの思い、伝わりました。
そして長州さんの清廉な態度に心を打たれました。私も落合の強さを信じます。」
女性スタッフの目にもうっすらと涙が浮かんでいた。
「・・・ありがとうございます!ありがとうございます・・!」
それはもはや嗚咽で聞き取れなかったが、長州はさらに何度も何度も頭を下げた。
その光景を眺めていた若手もいっしょにクシャクシャになっていた。
「おれはこの人についてきてよかった・・・!やっぱり長州さんは・・・”ど真ん中”だ!」
長州は若手に向かって「オイ、お前等はもう帰れ!おれが病院に残る!」
と言った。若手のリーダー健想は「「何言ってるんですか!俺たちも残ります!」
と抵抗する。「いいから帰れ!」「帰りません!」大きな声で言い争いを始めた。
「バチーン!」大きな音が病院内に響いた。張り手の音だ。言って聞かない健想に
長州が手を挙げた。しかし、ほおを押さえているのは長州のほうだった。
健想が長州に張り手を見舞ったのだ。健想が試合を通しても初めて長州に張り手をした瞬間だった。
「おれはなあ、あんたについていくと決めたんだよ!」
「馬鹿野郎・・・帰れ!」バチーン!今度は長州が張り手を返した。「帰らねえ!」
すると健想がまた張り手で返した。バチン!バチン!、と張り手の音が何度も響き渡った。
23発目、長州が渾身の張り手をしてから言った。
「馬鹿野郎・・・オマエ達の気持ちは十分すぎるほどオレに伝わったよ。だからお前等は
帰って練習してくれ・・・!お前等が強くなることが落合と一緒に戦ってるってことなんだ!」
「チョシュさん・・・!」2人は強く抱き合った。他の若手もそこに加わった。
大男達が号泣しながら抱き合った。それは異様な光景かも知れない。だが
そこには確かに”ど真ん中”が存在していた。
長州は医師のほうを向き、ハチマキをふりほどいた。
ハチマキは長州力の何よりのトレードマークだ。
「これを病室に・・・落合と一緒に戦わせてください!」医師はそっと受け取ると、
「わかりました。」としか言わなかった。医師も涙がこぼれ落ちそうだったからだ。
若手達も怪獣王国の女性スタッフもすでに帰っていたが、
長州は一人病室の前に残っていた。そしておもむろに右手を挙げた。
静かな病院内。だが長州の心の中には「長州力」のコールが響いていた。
「落合よ、試合はまだ始まったばかりだぞ、オレがついている!おまえのマグマを爆発させろ!!」
終り