ジャンボ鶴田の”うぉーー”言おうぜみんなでよー

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554AWA世界チャンピオン
http://www004.upp.so-net.ne.jp/weekly-daimajin/jumbo/bestmatch/bm-02.html
怪物10番勝負 第2位:1983.08.31 蔵前国技館 インタヘビー戦
 挑戦者 □鶴田(リングアウト勝ち)王者 ■ブロディ
 当時筆者は高校3年だった。時は新日本プロレス黄金時代。2ヶ月前の「ホーガン、猪
木を撃破、IWGP決勝で猪木失神事件」はプロレス界の話題を独占し、同時期に行われ
たジャンボのNWA戦もさしたる話題とはならず、唯一この日メーンで行われたテリー・
ファンク引退試合のみが新日本と伍せるだけの話題を提供していた感が強い。しかも、引
退試合の相手はハンセン・ブロディの超獣コンビではなく、初来日のゴディとハンセンの
タッグ。ブロディはジャンボとのインタ戦という、つまりは前座に追いやられていたのだ。
何が言いたいかというと、ジャンボインタ初戴冠の舞台装置はこの程度にお粗末なものだ
ったのだ。
 しかし、今考えればこれはプロレス的アングルとしては申し分ない舞台装置。ジャンボ
タイトル奪取の瞬間をウルトラ超満員の国技館のファンの前で実現する。いやぁ、我なが
ら未熟だったと今にして思う。
 ジャンボはこの年に入って、立て続けにインタに挑戦。この試合前にはUNも返上し、
狙いはインタ1本に絞っていた。ジャンボ初戴冠の予感は当然膨らみ、この日ジャンボの
タイトル奪取は既成事実のように思われていた。
 しかし、試合はブロディが圧倒。ジャンボは最後に帳尻を合わせてリングアウト勝ちと
いう印象が強い。が、ビデオを見るとわかるように個々の技のグレードはメチャクチャ高
い。なぜこの試合を見ていながら新日本の方がストロングだと信じ込んでいたのか、自分
の感性を疑いたくなる。全日本の懐の深いプロレスは18の少年にはまだ難しすぎたのか
もしれない。
 そして、ジャンボも大舞台で緊張していたのであろう。後年ドームの舞台でもビクとも
しなかった怪物ジャンボにも、そういう時代があったのである。