◆東京スポーツ転載スレッド Part19◆

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791お前名無しだろ
『3月21日付け 東京スポーツ24面』

最後の最後までプロレスラーだった。冬木さんの容体が急変したのは腸閉塞が発覚した2月28日。
尿がまったく出ず、膀胱と腸に管を通さなければ48時間の命と宣告された。だが、5・5川崎で
橋本真也と戦うことを宣言していた冬木さんは「管を通したら試合ができない」と頑なに拒否した。
これを何とか説得したのがノアの三沢光晴社長だった。

手術を受けた14日。通常は20分で終るという手術は2時間に及んだ。目を覚ました冬木さんの
第一声は「ベルトはどこだ?」。さらにこう続けた。「橋本の蹴りは痛かったよ。試合どうだった?
お客さんは満員だったの?」。夢の中で5・5川崎決戦に挑んでいたのだ。ベルトにこだわっている
通り、破壊王には勝ったらしい。この都合のよさもまさに理不尽大王の真骨頂。薫夫人や医者は
「やっぱりプロレスラーなんだ」と驚いたという。

昏睡状態となった16日からは三沢社長をはじめ、天龍源一郎、小川良成、橋本真也、神取忍、
風間ルミら戦友"が続々と見舞いに訪れた。「川崎で試合があるんだから頑張れ」という
師匠・天龍の励ましに子供のような笑顔を見せ、帰り際には立ち上がって送ろうとしたという。
18日には袂を分かったWMFのハヤブサも車イスで冬木さんのもとに駆けつけた。
792お前名無しだろ:03/03/20 18:48 ID:???
そしてこの日、すでに危篤となったが、昼過ぎにやってきた橋本が声をかけると"奇跡"が起きた。
「冬木さん」という宿敵のゲキに目をパッと開けたという。

それから1時間後。冬木さんが亡くなる3時間前だった。薫夫人が「闘っている姿を記念に撮って
ください」と突然、記者に言った。「リングで戦っているより、格好いい」と、がんと真っ向勝負
を挑む冬木さんの姿に感動した橋本の進言だったらしい。

「パパ、お仕事よ。格好いい姿を撮ってもらってね」。薫夫人の明るい声の中で、震える手でシャッター
を押した。その時、冬木さんの息遣いが激しくなったような気がした。「東スポ、テメエ〜、オレの
カッチョイイ写真を使わなかったら許さねえからな!」。冬木さんはきっとこう吠えていたはずだ。

最高の家族、仲間、そしてプロレスに囲まれて旅立った冬木さん。42年の短い生涯だったが、幸せだったに
違いない。これまで悪口しか書かなかったが、最後はこう締めざるを得ない。
あなたは本当にレスラーの中のレスラーだった、と―。
793お前名無しだろ:03/03/20 18:48 ID:???
『3月21日付け 東京スポーツ24面』

■三沢絶句・・・無言の対面

冬木さんが亡くなった直後から、病院には冬木さんとつながりの深かったレスラーが続々と
弔問に駆けつけた。

1時間後には後輩の小川良成が病院に到着。その30分後には親友の三沢社長が硬い表情で現れた。

三沢社長は両手を組んだ冬木さんの遺体と対面。無言のまま、しばらく動けなかった。三沢社長は
冬木さんが霊安室に移動されるのを見届けるとノーコメントのまま、病院を後にした。三沢社長と
入れ替わる形で、GHC王者・小橋建太、さらに冬木軍の部下だった邪道、外道、全日プロから
WARまで冬木さんと行動をともにした北原光騎、海野レフェリーも弔問に訪れた。

その後、冬木さんは徹夜で病院に詰めていたWEWの金村キンタロー、黒田哲弘、チョコボール向井、
新宿鮫らに見送られ、横浜市内の自宅に搬送された。

なお、冬木さんの通夜は22日午後5時、告別式は23日午前11時から、
横浜市戸塚区戸塚町461 新緑寺テンプル斎場で行なわれる。喪主は妻・薫さん。