【ドリー・ファンク・Jr.】

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53お前名無しだろ
ハンセンやブロディ、もしくはロードウォリア-ズなんかは60年代タイプと
言われてよくブルクラあたりと比較されてたな。
馬場さんはハンセン好きで何度も試合してたけどブロディとは意外にやって
ないし名勝負もない。ブロディは鶴田のほうと好勝負を演じていた。
あの二人は微妙に違ってたみたいですね。
猪木も、ハンセンとはかみ合ったけどブロディとはイマイチだったな…

でも結局、ハンセンやブロディのような豊富な技も持ち合わせたブルファイト
が80年代の主流になったと思うし、それがホーガン、日本では長州や天龍に
代表されるスタイルだったと思う。
54委員長:02/09/14 00:45 ID:???
>>50 鋭いご意見だと思いますし、基本的に同意です。ファンクスをコーチにしたり、
   鶴田という「猪木・ドリー型」のファイターを時期エースに据えたところに馬場さんの
   70年代スタイルへのコンプレックスというか複雑な感情を見てしまいます。馬場さんは晩年に
   「レスラーとしての猪木は、皆さんご存知の通り素晴らしい選手ですよ!」と認めたことがあり
   鶴田というのは馬場さんにとって「自分に牙を向かない猪木」だったのではないか、と。馬場さんは
   「野心のない猪木」なら配下に欲しかっただろうし、トップを快く譲っていたのではないかという
   勝手な妄想すら抱いてしまいます。

   後半の国プロ論も、漠然とは感じていましたが貴殿が明確な言葉にしてくれたおかげで
   目からウロコが落ちた気がします。凄く面白い観点だと思いますね。また、そのミスマッチ感が
   国プロの独特味わいだったのだな、とも思います。こうして1つの仮説から様々な論考ができるのが
   昭和プロレスの奥深いところですな。
55委員長:02/09/14 00:58 ID:???
>>51 そうですね、なんというかテクニシャンであり溌剌としたファイトはしてましたが
   今のような凄みとかカリスマ性は無かったですね。今で言うと、数年前の秋山みたいな感じ?
   ちょっと違うかなあ・・・・。
>>52 馬場さんがハンセンやブロディを嫌いなのは、60年代スタイル、70年代スタイルの違い以前の
   根本的な「プロレスの基本」を無視したところが多かったからだと思われます。ちょっとケーフェイ
   っぽい話ですけど、例えば相手がダウンしたときの助け起こし方とか、技をしかけるタイミング
  (いち、にい、さんのスリーアクションで仕掛けるのがプロレスの基本。これで相手は受身のタイミングを
   図れるし、観客にも技が分かり易い)とかでハンセンはかなり変則的でしたから(たとえばエルボードロップ
   ひとつとっても、ハンセンは いち、にい のタイミングで落としてくる)。馬場さんにしてみれば
   こういう仕掛けはケガにつながることが多いので認めがたい部分はあったんでしょうな。ただ晩年の馬場が
   ハンセンの変則性によってオーソドキシーの変化を余儀なくされ、妙に面白かったのは確か。>>53さんの言う
   馬場さんがハンセン戦を好んだのは、自分の新しい部分を引き出せる相手だったからでしょう。ただ、馬場さんが
   理想とするプロレスではなかった、ということ。ブロディはまたちょっと違いますよね。彼のスタイルは60年代型ですが
   彼の個性(というか変すぎる人間性)が独特のリズムをかもし出していた。これは鶴田のような色の無い人間とは
   別に問題なく試合できる(古臭〜いスタイルになりますけどね)が、猪木や天龍のような野心的なタイプ、「仕掛け」を狙う
   タイプとはスイングしないんですな。馬場さんに対しては、妙な敬老精神があったせいかブロディが一歩も二歩も譲って
   あのエゴイズムを出してこなかった。だから淡白な試合になったと思います。ブロディにエゴを出させなかったのは
   馬場さんの凄いところですな。
56委員長:02/09/14 01:06 ID:???
>>55の自分のレスをフォローします。
  上で「ブロディは猪木や天龍のようなタイプとはスイングしない」と書きましたが
  スイングしない=つまらない、ではないです。馬場や鶴田とは淡白で古臭い試合になりましたが
  天龍戦ではスイングしないものをムリヤリ「侵入」しようとする天龍と激しく拒絶する
  ブロディで独特の緊迫感があったと思います。特に大阪での両リンになった試合などは
  ブロディが日本で見せた白眉の試合だったと思います。

   また猪木戦は名勝負でもないし、スッキリしない試合ばかりでしたが、強烈なエゴ(エゴの
   出方は逆ベクトルですが)を持つ二人、しかもお互いを全く信用してない二人の心理戦は、
   日本プロレス史のなかでも異彩を放っていたと思います。いや〜な緊張感がえんえんと続くのに、
   試合自体はマターリとえんえんと続く、という。

   でも、やっぱり「スイング」はしてないんですよね(w
57委員長:02/09/14 01:08 ID:???
>>53 80年代のスタイルの旗手が
   日本では長州・天龍
   アメリカではホーガン(とその原型であるハンセン)というのは
   同感ですな。
58お前名無しだろ:02/09/14 01:42 ID:mSdM4yyr
>>54
>鶴田というのは馬場さんにとって「自分に牙を向かない猪木」だったのではないか、と。馬場さんは
 「野心のない猪木」なら配下に欲しかっただろうし、トップを快く譲っていたのではないかという
  勝手な妄想すら抱いてしまいます。

はぁ〜、なるほど。確かに馬場さん自身は早い時期に引退してハワイでゴルフと絵を書く
生活に入りたかったとある記事で言ってましたが、日プロでのクーデターが起こらず猪木が
野心を見せなかったら日プロがそのまま存続し馬場さんがあっさり引退して猪木が後を引き継ぐ展開もありえた訳ですね。
あの二人、新人時代は凄く仲が良かったそうだし。