>>287 個人サイトだから転載
レスラーになぜレスラーになったかと訪ねると、
家族の中にプロレスに関係してるものがいるので自然にレスラーになったとか、
元々運動選手で故障などで転向してきとか、
名声を得られるからとかなどの理由がほとんどだが、
ブッカーさんの場合はすこし特殊なケースである。
ヒューストンの倉庫会社で働く、若き日のブッカーさんはシングル・ファーザーであった。
ブッカーさんは幼い息子のために、よりよい生活をするための手段を求めモンモンとしていた。
当時を振り返ってブッカーさんは「息子を育てるのは大変だったとは言わないが、
何かしなければならないと思っていた。それで父親として何ができるか考えてみたんだ。」と語っている。
会社で毎日コンピューターの前に座り倉庫の管理をして収入を得ることにブッカーさんは満足してたが、
将来を考えると不安であった。
実の兄のスティービー・レイに将来の不安を相談すると、
レイは「元WWFレスラーで地元でレスラー学校を経営しているイワン・ポトスキーを知っているので、
レスラーにでもなるか?」と提案しました。
しかしブッカーさんは、いままで運動といえば公園でフットボールするぐらいで、
高校時代もスポーツよりもドラム叩いてるほうが好きだった。プロレスなんかできるかと思ったが、
プロレスラーは運動選手というかパーフォーマーにみたいなモンだと解釈して、
レイと学校に通おうとしたが、ひとつ問題があった、
シングルファ-ザーのために高価なコーチ代を払う余裕がなかったのだ。
当時のコーチ代は3000ドルであった。息子の養育費もあり3000ドルの出費はできなかったので、
学校に通うのを諦めたが、その話を聞いた会社の上司がブッカーさんに
「オマエが成功するのを見てみたい。」とコーチ代を出してくれたのである。
晴れてレスラー学校に通うことになったブッカーさんは、
レスラー学校のコーチにリズム感があり素質があるのを見込まれて個人的に念入りにコーチされた。
のみ込みが早いブッカーさんは、8週間後にはレスラーとしてリングに登っていた。
ブッカーさんは「GI.BROS」という軍人キャラとしてデビューして、当時、
湾岸戦争が行われてた事もあり、軍人キャラの「GI.BROS」はブレイクした。
しかしWWFの人気レスラーサージェントスローターとキャラがかぶってた事もあり、
ブッカーさんはこのままでいいのかと悩んだりもした。
そこでブッカーさんは
「オレは息子や子供達のためにブラックアメリカンヒーローを演じるんだ。
スポーツ界の黒人スター選手としての良い例となるんだ。」とフッきれました。
それからブッカーさんは偉大な黒人レスラー、ジャッキー・ロビンソンとかを
お手本にステレオタイプな黒人を演じるようになり、リングの上でクルクル回ったり、
足腰のバネを生かした攻撃をするようになりました。
ブッカーさんが開花して人気も出て来た時にポトスキーの団体は潰れてしまった。
仕事を求め1回の出演料が100ドルのテリー・ファンクが主催する
インディ・ショーに出ることになったブッカーさんとレイは、ここでマネージャーのアクバーに出会い、
彼の口ききでダラスの団体であるGWFに移籍した。
GWFのマネージャーであるエディ・ギルバートはブッカーさんとレイにタッグチームを組むように命令。
ギルバートはベビーの黒人タッグチームをテレビ放送向けに欲しがっていて、
ブッカーさんとレはエボニーエクスペリエンスをいうチーム名でGWFマットに登場することになった。
ブッカーさんとレイのチームはオールドスタイル主流のGWFマットに
新しいアプローチを持ち込んで観客にすぐに受けいられた。
ブッカーさんたちがGWFに登場してから、それまで120〜200程度の動員数だったのが、
エボニーエクスペリエンスを見るために黒人達が会場に訪れるようになり、
2年後には3500人を動員するまでになった。
これでブッカーさんは商品価値のあるレスラーとして認められるようになった。
そんなある日、当時WCWのフロントとしての仕事もしていたサイコ・シッドから
電話があった。WCWへの引き抜きである。シッドは会社内での自分の地位を強くするために、
強いタッグチームを獲得したがっていたためにブッカーさんとレイに目をつけたのである。
WCWに移籍し、チーム名をハーレムヒートに変更したブッカーさんとレイは
WCWの歴史に残る名タッグチームとして何度もタッグ王者に君臨した。
ブッカーさんはレイについて「もしレイがいなかったら、いまのオレはなかった。
デカイ家もゴージャスな車もレイがいなかったら手にいれる事はできなかった。
もしかしたら刑務所にはいっていたかもしれないし、死んでいたかもしれない。
オレは得たものは全てを分けあう事にしている。まずは家族を第一に考えるんだ。」と語っている。
シングルプレイヤーとしてもWCWでの地位を確立したブッカーさんはこう語る、
「オレの自分自信の脚ですべてを運んできた。
オレはファンから与えられたモノをすべてに多く感謝し、それを誇りに思っている」
そんで、現在、引退後の将来と地域のため(雇用)
ゲーム、ヒップホップギア等を置いたショップをオープンしたらしい。
ゲームっつうのがブックタンらしい。