◆昭和40年代生まれでプロレスを語ろう!PART4◆
1 :
ブルーザー :
02/01/23 00:48 ID:XWkz+7eN 引き続き、まったりと語り合いましょう。 昭和30年代生まれの方も歓迎いたします。
誰からもレスがつかない
>>1 最初は自作自演で乗り切れ
30台の中年には無理か?
4 :
お前名無しだろ :02/01/23 00:51 ID:+3xjnyOD
ザ・シークが一番強かったときと、今のドン・フライが本気でケンカ したらどっちが勝つ??
オレ、昭和20年代生まれだぜ! 昭和29年生まれさ。 今年48だ! 文句あんのか!? コゾウ!
6 :
キューバンアサシン :02/01/23 00:54 ID:Ela7IWrm
改めましてよろしくお願いします。>ブルーザーさん。 それにしても新日本と全日本は揺れているようですね。
考えてみれば、「昭和40年代生まれ」って括りでも 昭和40年生まれと49年生まれとじゃプロレス観とか全然違うんだろうな
8 :
ブルーザー :02/01/23 01:12 ID:???
>>6 キューバンアサシンさん、こちらこそ宜しくお願いします。
どういう結末になるのか、予想も出来ませんね。
PART3でブロディの話が出ているのですが、新日?に来日した選手でシューズ
からファイトスタイルまで、ブロディをパクっていたレスラーを覚えていますか?
9 :
佐藤優樹 :02/01/23 01:19 ID:???
>>8 リップ・モーガン。
ノード・ザ・バーバリアン(a.k.a.バーザーカー)も
ブロディのスタイルを真似してたが、こいつはブロディと
タッグを組んだこともあるので公認(?)らしい
ハリス兄弟もブロディのコピーだったんですが マイナーチェンジしてだいぶ印象が変わってしまいましたね。
関係ないけど、今は亡きAWAのサイトを発見。
http://www.awawrestling.com/ イントロからベンチュラ、アドニス、バション、ホーガン、ハイフライヤーズ
(G・ガニア&ブランゼル)、ラリー”ジ・アックス”ヘニングと懐かしい面々
が登場します。アウトローズVSロビンソン&ムラコの動画もあります。
12 :
佐藤優樹 :02/01/23 01:35 ID:???
>>9 自レスだが、モーガンはブッシュワッカーズ(シープハーダーズ)の
ブッチ・ミラーの甥っ子。アメリカでは叔父に合わせて迷彩服を着ていた。
あのブロディファッションは日本仕様のギミックと思われる。
>>10 「ダブル超獣」とか言われてたよね。
この兄弟も山男になったりバイカーになったり用心棒になったり、
何回もキャラクターチェンジを繰り返してたけど、
一度もブレイクしたことがなかったな。
>>9 ありがとうございます。
ノード・ザ・バーバリアンは何となく覚えているけど、モーガンは忘れてしまいました。
ノードの方は、ブロディのようにギロチンドロップを使っていましたね。
>>11 おー懐かしいロゴ(T-T)
いったい誰がこのHPやってるんすか?
ワシ英語読めんので、、、、
>>12 スキンヘッドにスーツのクリエイティブ・コントロールがカコヨカータ>ハリスボーイズ
こっちで改めて質問。 サスケは金髪と結婚してました?
>>14 俺も英語苦手なんで分りません。
オーナーだったガニアは破産したので、管財人が運営しているのかも知れませんね。
ここでクイズ。
動画の中に4人の殿堂入りレスラーが登場しているのがあります。
向かって左からガニア、テーズ、ホッジですが、右端の元選手は誰でしょう?
<ハリス兄弟の軌跡> ブルーズ・ブラザーズ(ロン&ドン)→グリム・ツインズ(イーライ&ジェイコブ)→ →DOA(スカル&8ボール)→クリエイティブ・コントロール(パトリック&ジェラルド) →ハリス・ボーイズ(ビッグ・ロン&ヘヴィーD)
>>8 >>9 そんなやつ、いたんですね。ハンセン風のやつはいっぱいいますけどね。
>>17 会社のパソコンで、動画が見られないので答えられない(見たとしても
答えられないと思うが)です。このサイトで「人間空母」ではなく、
Country Boy の Haystacks Calhoun や「魔術師」じゃなく、
"The Flying Frenchman" の Edouard Carpentier の写真が載ってます。
ニックネームもおもしろいです。
20 :
佐藤優樹 :02/01/23 12:46 ID:???
>>19 来日したのは昭和末期。でもまぁ、ブロディのギミックも
ザ・ビーストとかパンピロ・フィルポとか先駆者がいたけどね。
>>15 あいつら長髪にヒゲ面のときは見分けつかなかったけど、
髪とヒゲを剃ったら顔の太り具合で判別できたな(w
21 :
マリオミラノ :02/01/23 13:35 ID:X9f8ABi7
>>20 ★ブロディのギミックは仰るとおりパンピロ・フィルポのパクリだし、
ファイトスタイルはキング・カーチス・イヤウケアの多大な影響を受けてますな。
特にブロディ得意のあの口元を歪めて写真を撮らせる表情は、イヤウケアそのまま。
ところで全日本の太陽ケアってイヤウケアの親戚でしたよね。
甥っ子かなんかでしたっけ?
22 :
若獅子 ◆cNv6TQ/M :02/01/23 14:46 ID:XqTTV7nO
>>22 若獅子さん、ありがとうございます。
急いでいたのでリンク貼るのを忘れてしまいました、お手数かけました。
俺もPART2の途中から”乱入”したのでPART1については分りません。
>>21 現役時代のフィルポというと、コンビクトの鎖を引っ張っているシーンしか
印象にないですね(w 実は5ヵ国語を話せるインテリだったそうです。
カリフラワーにも出席したようですが、その時の写真を見ると、現役時代の面影は
全くありませんでした(当たり前かも)
24 :
若獅子 ◆cNv6TQ/M :02/01/23 16:18 ID:+BrPUEfq
>>16 パツキンです。メキシコでモデルのような仕事をやっていた
サスケより2つ年上。長男は奥さんの連れ子です。
25 :
お前名無しだろ :02/01/23 16:30 ID:utR81mLa
新スレおめでとうございます。ブルーザーさんお疲れさまです。
>>26 ティムウッズってダン・スバーンの大学の先輩らしいですね。
キューバンさん、ブルーザーさん、どーオレさん、掲示板新しくなりました。URLのhopeをroopに代えてみてください。
失礼しました。
>>26 正解です、よく分りましたね。俺は最初見た時は分りませんでした。
ウッズ(MRレスリング)は、デビュー当時、テーズのタッグパートナーを務めていた
そうです。
>>27 差し出がましいことをして失礼しました。
新しい掲示板の方へは、その内寄らせて頂きます。
29 :
キューバンアサシン :02/01/24 00:04 ID:bQhzSOvv
>>4 ザシークがいちばん強かった頃って、いつ頃ですか。
ブッチャーと組んでいたときは、すでにロートルだったように思いますが。
ドンフライと喧嘩したら、火炎殺法が炸裂してシークの圧勝だと思います。
>>28 いえいえ。
MRレスリングといえば、2号が"ラバーメン"ジョニー・ウォーカーですよね。
ゴードン・ネルソンもMレスリングに変身したことあるってどこかで読んだことあるのですが。
>>29 シークの全盛期といったら、1960年代ではないかと思います。
デトロイトの興行権を買い取った’64年頃がピークだったのではないでしょうか?
70年代になると火炎殺法や凶器攻撃ばかりが目立ちましたが、若い頃はリープフロッグ
も出来たし、関節技を使っていたのもビデオで見たことがあります。
32 :
佐藤優樹 :02/01/24 00:24 ID:???
>>21 モスマンとイヤウケアって血縁関係あったんだ? それは初耳。
あとブロディはもう一人、キラー・コワルスキーの影響も受けてるね。
>>30 ネルソン版のミスター・レスリングはヒールだったらしい。
日本にも最末期の日プロに来日してる。
>>30 ネルソンはシュートとしても有名だったそうですね。イギリスではロビンソンの好敵手
として戦い、他のイギリス選手と同じ様にジョイントプロを飛び出して、アメリカに渡って
MRレスリングを名乗って活躍したようです。素顔で国プロに初来日しています。
>>32 ブロディのフィニッシュのニードロップは、もろコワルスキーの影響でしょう。
猪木のデビュー当時の憧れもコワルスキーだったそうです。
日プロ時代(第2回タッグリーグ戦)にセメントを仕掛けられて、怖くて逃げ出した
そうです>猪木
>>29 ★まったく同感。シークにかかったらフライだろうとノゲイラだろうと火炎に
まかれてKOですなマキマキ(笑
>>30 ★カーター元大統領の母上がレスリング2号の大ファンだったんですよね。
>>31 ★昔のプロレス雑誌にシークが道具を使ってプッシュアップをしている写真が
載ってて(隠し撮り)、「へえ、シークも練習するんだ・・・」と失礼なことを
思った記憶がありますな。
>>32 ★どっかで聞いたことあったんですが(ケアとイヤウケア)、その縁で全日本が
あずかることになった、と。本当のとこどうなんですかね?
ブロディとコワルスキーはおっしゃる通り。ブロディは「史上最高の
レスラー・・・それはコワルスキーだ」と明言してましたな。
35 :
佐藤優樹 :02/01/24 02:05 ID:???
イヤウケアっていえば90年代半ばにWCWで異色キャラを演じてた。 ケビン・サリバンのパパの魔法使いとかいう役どころで、 息子サリバンのためにヒマラヤから雪男のレスラーを連れてきたり、 魔法の指輪だかを授けたりしてたな(w)ドラクエじゃねえっての
>>35 昔、「LORDS OF THE RING」っていうビデオありましたね。
>>36 補足不足すいません。
アメリカンプロレスのビデオです。
日本のプロレス話は無しっすか?
39 :
42 :02/01/24 03:12 ID:???
いや、いいと思うのですが 私なんかが知らない話が一杯出てきて楽しいかと
>>35 ウィザード(イヤウケア)とタスクマスター(サリバン)の
悪の軍団、ダンジョン・オブ・ドゥームね。
あの雪男だかミイラ男の正体は後のビッグショーともいわれている。
しかしあの時代にあんなことやってたWCWって・・・・・・
>>39 夜は深い…ですね42さん。こちらでもどうかよろしくお願いします。
>>36 邦題「ザ・アメリカン・プロレス」!!
レイスのNWA初奪取の試合(リングが異様に狭い!!)
ケリーのNWA奪取試合(デビッド追悼興行)
ケリーがフレアーに奪還される試合(横須賀)
のダイジェストが入ってて嬉しかったっす。
エリックとかシークは実際はユダヤ人だったと聞くけど、ユダヤ人社会 (ユダヤ人はそういう結束が強固だとも聞くし)から反発は無かったの? 言わば仇敵に扮するわけだけど。 ブロディはイエス・キリストの風貌を意識しているとも聞いたことあるけど ユダヤ人にとってイエスは偽予言者じゃないの?
何言われても俺にとって最高のレスラーはブロディなのさ。。。。。
>>31 >>34 ミラノさん、ブルーザーさん、シークが強かったことがわかりました。
ありがとうございます。
>>41 ループさん、異様に狭いリングで試合するレイス・・・ブレンバスター
をやるとロープに足がぶつからないかと心配です。
>>32 >>33 ニードロップで思い出すのはキラーカーンとジブシージョー(と鶴田と猪木
と坂口)です。
見比べてみると猪木とコワルスキーのニードロップは似てる。影響受けたのは明らかでんな。
46 :
ロドルフォ・グスマン・ウエルタ :02/01/24 15:43 ID:CSind5j/
ニードロップといえば藤波も。 ところで、上の名前は誰でしょう。
>>44 古いところだと、ジョン・トロスとかデストロイヤー(正確にはダブル・ニースタンプ)
なんかが有名でしたね。コワルスキーと猪木は、両腕を大きく広げて飛び降りる飛行姿勢が
抜群にカッコよかったです。カーンのダブル・ニードロップも迫力がありましたね。
ジョーのは独特で、ジャンプしてから捻りを加えてました。金網のてっぺんから敢行したのを
覚えています。セコンドが金網を揺さぶって、落下したこともままありましたが、何しろタフ
なのでケロッとしていました。
>>46 マスカラスの本名ですか?
48 :
ロドルフォ・グスマン・ウエルタ :02/01/24 16:52 ID:CSind5j/
もっと上です。もう、わかったかな。
>>48 マスカラスより上の世代のマスクマンというと、49さんの言うサント以外だと、
ウラカン・ラミレス、ブルー・ディモン、ボビー・リーぐらいしか知りません。
正直、ルチャに詳しくないので…
51 :
飛龍生ソーメン :02/01/24 18:10 ID:S5cVxSR/
マスカラスの本名は「アラン・ロドゲリス」では?
では、これは誰でしょう。
55 :
53 :02/01/24 21:15 ID:???
エル・ハルコンでした。 マスカラスと日本で覆面剥ぎマッチをやった選手。 実は海外ではその前に既に剥がされてたんだけど。
>>55 マスカラスにジャーマンで投げられたのって誰だっけ?
>>55 マスカラ・コントラ・マスカラが日本で初めて行われた試合じゃなかったですかね?
>マスカラスVSハルコン(直訳すれば”鷲仮面”になるのかな?)
>>56 マスカラスがジャーマンを使ったのは見たこと無いですね。
「ローリング・スープレックス」というクラッチホールド風の技は、使っていました。
エル・ハルコンって、ハルコン78とかスペル・ハルコンとか結構リングネーム変えてるよね。
59 :
0 :02/01/25 00:19 ID:???
ハルコン78は別人だと思ったけど
60 :
ブルーザー :02/01/25 00:26 ID:wdv6Neyf
>>58 エル・ハルコン(全日に来日)とハルコン78(新日に来日)は別人です。
前者はヘビー級で後者はJR、ライトヘビーの選手でした。
名前をパクられて、本家はかなり怒ったそうです。
スペル・ハルコンについては分りません。
61 :
佐藤優樹 :02/01/25 00:43 ID:???
エル・ハルコン(正確にはアルコン)とスペル・ハルコンは別人だよ。 ハルコンは日本遠征前にマスカラスに敗れて素顔になった後、 ハルコン・オルティスの名前でファイトしていたけど、 80年代半ばに再びマスクを被ってスペル・ハルコンと名乗っていた。
63 :
佐藤優樹 :02/01/25 00:46 ID:???
↑ごめん、別人じゃなくて「同一人物」ね
>>62 すごい写真!
懐かしいなBランディル、田上のデビュー戦の相手なんすよね。
エルアルコン78、タイガー時代に来てましたね。
>>タイガー時代 ビジャノとか懐かしいわな。
>>56 保永だったか新倉だったか忘れましたが軽量のジャパン系のレスラーだったかと。
ただ、あのマスカラスがフロント、ダブルアーム、ジャーマンの三大スープレックスを
どれも強引に投げたのに完璧なフォームで決めてビックリした記憶が。
やっぱ体重差ってスゴいんだなと思いました。
>>66 ジャパンの選手にやったのなら、マスカラスの全日本時代の末期だね。確実に40過ぎてる。。。
全日本時代の末期って、三沢タイガーと噛み合わない試合したことくらいしか記憶に無いんだよね。
そういやマスカラスって東京オリンピックのアマレス代表候補選手だったってどこかで読んだことある。本当かどうか知らんけど。
ジャーマンぐらい出来て当然か。しかも軽量級相手なら。
おはよう。 答えは、49、52、正解。 エル・サント
>>67 そういえば、猪木、マスカラス、モラレスは同い年だったですね。
この中では、モラレスが一番早く引退したと思いましたが(その分、デビューも早かった)、
マスカラスはまだ現役なのでしょうか?何年か前には、インディに来てたようですが・・・
>>69 ブルーザーさん、どうも。
マスカラスは現役?でしょうね一応(笑)
1年前、全日本のドーム大会にサントの息子と組んで出場してましたよ。観に行きました。
日本のインディー団体でで何回か引退ツアーやっておきながら往生際悪いなと思いつつ、観に行っては喜んでしまう自分もかなり節操がないですが(笑)
71 :
タムライス :02/01/25 13:30 ID:x3/OSAfR
ペドロ・モラレスといえば馬場にドロップキックを教えたというかコーチしたんですよね。 新日に来た時は昭和51年のワールドリーグでは猪木がアリ戦に備えて欠場したので シングルはなかったと思いますが昭和53年にシングルやってますよね。 でも自分は全日で馬場とやったシングルマッチが面白かったと思います。
>>70 ボブループさん
情報ありがとうございます、マスカラスも”テリー状態”なんですかね?(w
>>71 この頃のモラレスは強かったですね、WWWF王者時代よりも技の切れ、スタミナが
あったと思います。NWF戦でも猪木を押し捲っていたそうですね、何故かTV中継
されなかったようですが(あまりにモラレスの一方的だったからという説あり)
>>69-71 ★マスカラスは昨年暮れの大日本プロレスの横浜アリーナ大会でカンフー・リー(笑
とタッグを結成。テリー・ファンクとテリー・ファック(笑 のザ・テリーズと試合
してますよ。インディ音痴の私ですが、さすがにマスカラスとテリーが対戦するとあって
横アリまで出かけました。試合の方はさすがにマスターズリーグという感じですが、
マスカラスとテリーは相変わらずの存在感。私はなんとかバックステージに
入って、マスカラスと2ショット撮影に成功しました(←おまえいくつだ?)。
>>69-72 ★『ジャイアント台風』でのモラレスと馬場さんの「32文ロケット砲」開発特訓は
涙なくしては読めないものでしたな(笑
この人、新日本がWWFと提携してからは新日本にばっかり来日してましたが、
あんまり本領発揮とは行きませんでしたな。新日本はモラレスとかローデス(一時期
日本側につきましたが)とか、どう考えてもベビーでやらせた方が生きる選手でも
無理やり猪木のライバルに仕立てあげちゃいますからね。
75 :
タムライス :02/01/25 15:21 ID:x3/OSAfR
そういえば馬場とモラレスは日プロ時代の第8回ワールドリーグで対戦してたんでしたね。 決勝は馬場対ウィルバー・シュナイダーだったそうですが。 モラレスはこの時が確か初来日で、若くてハンサム(ラテン系)だったが故、女性ファンが 多かった、という話が昔のゴングかなんかに載ってました。 でもブッチャーが日プロ時代まだバリバリの悪役だった頃の雑誌インタビューで 「プエリトリコの豚みたいなモラレス」とかコメントしたのに思わず同意した俺って・・(w このインタビューではブッチャーの毒舌全開で当時チャンプだったドリーとかガニアとか WWWF王者のモラレスなんかをコテンコテンにこき下ろしてましたねえ(笑)
>>69 マスカラスの年齢については、最近では馬場と同じという説が濃厚なようです。
さんまはモラレスファン(Wスナイダーも好きと言ってたな)。
>>75 当時の格としては、スナイダーの方がモラレスより上だったですから仕方がなかったのでしょう。
馬場はスナイダーのようなテクニシャンタイプは以前から苦手にしてましたね。
>>76 そうなんですか。サントも60過ぎまでリングに上がっていましたが・・・
力道山も大木も年齢については、だいぶ鯖をよんでいたようですね。
79 :
タムライス :02/01/25 16:59 ID:Ulqmsx4W
スナイダーで思い出しましたが、ダニー・ホッジとのコンビで馬場・猪木のBI砲からインタ・タッグ奪取したんですよね。 再戦しても中々手強かったと聞いております。 猪木はアメリカ武者修行時代にスナイダーからコブラツイストで負けたりして技を自分のモノにした、というのが定説ですね。 BI砲を破ったコンビは他はブルクラとファンクスですか。 でも個人的には馬場、猪木対マスカラス、スパイロス・アリオンが印象に残ってます。
親日第1回Wリーグにマスカラスが来日候補に上がったのは本当? モラレス自身は坂口とのワールド決勝が印象深いとインタビュー語ってた記憶が。
>>80 一応、候補として挙がっていたのが、マスカラス、ホフマン、ラシク・・・
実際に来たのはクラップ、バシリ(アイアン・シーク)、ベポ・モンゴル(M・スーパースター)・・・
結局、猪木VS坂口が一番の見所でした。
82 :
タムライス :02/01/25 18:31 ID:Ulqmsx4W
猪木対坂口の初対決ですね。 でも坂口、何故かクラップを苦手としてましたね。
82年の元旦決戦のビデオ見てたら、藤波の飛龍十番勝負にマスカラスを出場させたいなんて、堂々と実況で言ってました。 新間さんはいつだかのインタビューで全日本のマスカラス人気がうらやましくて、引き抜きたくて仕方なかったと語ってました(何度か引き抜きを試みたとも)。 佐山をタイガーに変身させたのも、マスカラスのような空中殺法できる正統派マスクマンを新日本に誕生させたかったんでしょうね。
新日は昔から「第2のマスカラス」になるのを期待して ヘビー級のメキシカンをよく呼んでました。 シェン・カラス、ティニエプラス・・・ どれも日本では期待外れでしたが、唯一当たりと言われたのがカネックでした。しかし例の敵前逃亡。 結局、ジュニアヘビーが確立してから、はじめて新日に来る メキシカン達も評価されましたね。
ウラカン・ラミレスもなー >84 でもUWAと提携して、来日したルチャ達の本場のエキサイティングな試合は 忘れられない。 フランシスコ・フローレンスなんて紛らわしい名のレスラーも親日に来ていた。
86 :
85 :02/01/25 19:00 ID:???
あ、ラミレスってウェルター級ダターネ チョトスマソ
87 :
ハンター159 ◆AAkYIt/g :02/01/25 19:08 ID:ZN/uk5QR
プロモーターでは?> フランシスコ・フローレンス 違ったらすみません。 >でもUWAと提携して、来日したルチャ達の本場のエキサイティングな試合は 忘れられない。 同意です。今でこそ専門の団体ができましたが、あの頃は ルチャといえば、マスカラスを除いて新日の独壇場でした。 やはり、藤波とタイガーの功績ですね。 アニバル、フィッシュマン、ソリタリオあたりが印象にあります。 風車式バックブリーカー。カコヨカッタ
>>87 フランシスコ・フローレンスという名前の選手もいたのです、つまり同名異人。
日プロ、新日(マスクマンのゴールデン・ファルコンとして)に来日しました。
タイガーの風車式バックブリーカーは迫力がありましたね、元祖のアニバルより
上手だったかも?
89 :
ブルーザー :02/01/25 23:16 ID:DVY0kF42
えっと、フランシスコ・フローレスです。
タイガーのケフドーラ・コンヒーロカッコよかったっすね。 タイガーが日本でソリタリオとタッグ組んだことありましたね。
>>89 柔道と空手って道着着てるから、扱い同じにしちゃうんすかね(笑)
7年ほど前、「戦後50年」のプロレス特集番組にデストが出た時、空手チョップのことを「ジュードーチョップ」と言ってました。
字幕では「空手チョップ」と表記されてましたが、明らかに「ジュードーチョップ」と言ってました。
現在はそうでもないらしいけど以前は米国人の認識として 「日本人と言うのは全員空手を教わっている」 というのがあったそうです。(ホント) 『世界丸見えテレビ特捜部』(日本テレビ)という番組で 米国で放送された日本人の生活を紹介する番組が放送されてたんですが お寺の境内みたいなところで集団で正拳突きを繰り返す映像が 『一般的』日本人の姿として説明されていて苦笑しました。
>>94 沢木耕太郎の本でタイに旅行した時に、「お前日本人だから柔道知ってるだろ」と言われたので「知っている」と答えたら、
町のムエタイやってる奴と対決させられそうになって焦ったと本に書いてました。
日本人のイメージってやっぱりこういうものなんですかね。
流智美さんがテーズ、ニック、ロビンソンの三氏がUインターの立会人として来日した際、映画「寅さん」に連れていったそうです。
三氏とも満足したそうな。
柔道でバックドロップを決めれば一本とれるのでしょうか。
(なんとか落としという技があったような?)
>>93 >>94 >>95 遠い異国のことなんで、どこでもそんなものではないでしょうか。
アメリカ人はハンバーガー大好きで、ブラジル人はみんなサッカーが
うまいのではないかと今でも思っています。
97 :
ブルーザー :02/01/26 13:14 ID:9A7TVRpU
>>96 ”裏投げ”ですね。チョチョシビリが猪木戦で見せたのが最初でしょうか?
馳も使ってましたね。
98 :
飛龍生ソーメン :02/01/26 13:42 ID:hLjKbBEW
>>97 佐山は柔道をやっていた頃、いつも裏投げで一本取っていたらしいですね。
僕は一応柔道経験者なんですが、「裏投げ」よく使ってました。相手が払い腰なんかに来る時の返し技にしてました。 あとマグナムTA好きだったんでフロント(ベリートゥベリー)スープレックスも何度かやりました(笑) 有効しかとれなかったですが。
全然違う話になるけども 俺柔道部のころ、団体戦で打ちの中量級の奴が背負いに来た軽量級をジャーマンで 投げたよ。綺麗なブリッジで。 場内沸いたけども、軽量選手白目向いて気絶しおった。
>>102 ジャーマンは一本になったのですか?
12の三四郎では一本になってましたね。
>>97 >>98 佐山はタイガーマスクだったころ試合で裏投げを
繰り出しています。相手はビジャノVだったかな?
>>99 いえいえ、テーズのバックドロップは、講道館に他流試合を申し込んで好試合を見せた
アド・サンテルと沖識名のアドバイスで完成したらしいですから、柔道の裏投げと
何らかの関連があったのではないかと推測しています。
>>100 ループさんに聞きたいのですが、柔道の当て身とプロレスのチョップは関係ないのでしょうか?
グレート東郷が使っていた「ジュードーチョップ」は、力道山や馬場が使っていた
チョップとは明らかに打ち方が違っていたので、以前から気になってました。
>>103 懐かしい、
面白かったですが、いつのまにか柔道→プロレスに移行した訳わからん話でしたね。
>>105 僕はよく知識は無いのですが、当て身を取り入れた柔道を、昔、某大学の柔道部で研究していたという話は聞いたことあります。
それが「ジュードーチョップ」と関係があるかどうかちょっとわかりませんね〜。すいません。
ただ今は競技性が強くなってきているので、打撃はすぐ反則とられるでしょうね。
ただ以前警察の道場に練習にいったとき、機動隊の人に審判の目を盗んで一発パンチを入れてから衿をとる方法を伝授してもらいました。
って話が脱線してしまいました。 ジャーマンの話が出たので。 みなさんにとって印象に残ってるジャーマンの使い手って誰ですか? 僕は腰悪くする前の藤波のフォームが綺麗で好きでした。
いまでもアメプロでは「ジュードーチョップ」って言われてるね
>>96 でもブラジルでサッカーが他のスポーツ寄せ付けない人気であるのは事実だけど、
日本で柔道や空手はそうじゃないですからね。アメリカ人でハンバーガー好きか
どうかはともかく、大半のアメリカ人はハンバーガー食べるし(自分は在米4年です)。
サッカー、ハンバーガーがブラジル・アメリカを象徴するものと考えるのは
おかしくはないと思うけど、柔道・空手は日本ではどっちかというと「特殊な」
ジャンルですよね、相撲も。
どう考えても、東洋人の西洋に対するそれよりも、西洋人の東洋に対する無知
ぶりのほうが凄いと思います。
ちょっと前、アメリカのあるクイズ番組にWWFの選手達が出演していて
トリッシュが「日本の首都は?」という問いに「香港?」と答えていたし・・・
110 :
お前名無しだろ :02/01/26 19:12 ID:+sZTPdSl
僕は佐山タイガーのジャーマンが好きです。。
猪木がS小林にきめた流血ジャーマンの印象が強いですね。
>>109 ビッグショーがカイエンタイに
「今夜買ったらハルマキとシューマイをおごってやるよ」
とかいうスキットもあったな(w
113 :
42 :02/01/26 20:14 ID:???
鶴田のジャーマン好きだったな〜
バックドロップとジャーマンはキャラクターが出ますよね。 鶴田はテーズ直伝って触れ込みになってからジャーマンを封印したし 長州はバックドロップを得意にしていたのでジャーマンを滅多に出さなかった。 (ゴッチが嫌いだから?ちなみに鶴田にジャーマン決めてましたね) 猪木は小林戦で首がいかれてすっかりジャーマンの迫力がなくなったと言うけど 蔵前ラストマッチで長州に決めたジャーマンはわりと好きでした。 ちなみに私はゴッチスタイルの踵を上げないベタ足ジャーマンが好きです。 淵や前田、チャボ・ゲレロはベタ足でしたね。
マスクド・スーパースターに決めた猪木のジャーマン良かった。
>>112 まあ春巻もシューマイもごくごく一般的な日本の食事になってるから
それはそれでいいけどね。
サッカーはイギリス発祥だけど現在ではブラジルの象徴みたいに
なってるのと同じで。
少なくとも日本の象徴としてゲイシャだカブキだ出されるよりいいと思う。
>>106 ボブ・ループさん、ありがとうございました。
グレート東郷と講道館の鬼と云われた木村政彦は、嘗て一緒にアメリカをサーキット
したことがあったので、もしかしたらジュードーチョップは木村が得意にしていた
当て身を東郷が盗んだのでは?と以前から感じておりました。
個人的に素晴らしかったジャーマンの使い手といえば、スティーブ・カーンですね。
叩きつけるスピードと反りは、俺が見た中では一番でした。
米マットではジュードー・チョップ=ヒールという図式なんでしょうね。 日本で力道山からカラテ・チョップを叩き込まれたジノ・マレラが帰国後に 自分の得意技としたという話もあったようです。
119 :
ブルーザー :02/01/27 00:55 ID:DYJmOtt+
>>119 ブルーザーさん「ジュードーチョップ」の件お役に立てず申し訳ないです。
それにしてもアニマルの「恥ずかしい」写真凄いっすねー。さぞかし本人は思い出したくないでしょう。
ウォリアーズもメイクするようになる前は、ハードゲイみたいでしたよね?
>>118 フレアーのなんかはどう思われてたのかな?
Wooooooooooooooooooo!!!!!!!!!
>速達ジョーンズさん たまには「一度は見たいビデオ」スレにも顔出して下さいな。 最近スレのレベルの低下が激しくて見てられません・・・
佐山さとるって、いまプロレス(猪木)と どう繋がってるんでしょう?小川戦のみなんですかね、 ちょっと、ミスターエックスぽいなと思ってるんですけどね
>>124 ヒマしてそうだし有り得るかも。しかしいったいどんなこと仕掛けんのかね。
それはそうと全女の植田コミッショナー亡くなってたんだね。ちょっとショック。
>>121 やっぱりヒール・チャンプってことを意識してたんだと思います。
フレアーのジュードー・チョップは鶴田が舌を巻いたって言いますから
威力もそうとうなものだったと思います。
>>123 いや、盛り上がってるみたいではないですか?
以前は手に入らなかった映像が簡単にダウンロードして見れるんで
有り難味が失せたってのはあるかもしれませんけど…。
個人的には無理してテープやディスクに保存する必要はもうないと思います。
でもアンドレ×ボックは未だに出回りませんねえ…見てみたいっす。
フレアーの(バックハンド)・チョップは、ミッド・アトランティック地区でライバル だったR・スティムボートから盗んだか、あるいは全日に初来日した時(昭和53年) に習得したのではないかと推測しています。
128 :
ブルーザー :02/01/27 11:55 ID:C2WpZGMN
フレアー肥えてましたよね…。 何でもバレンタインと一緒に小型飛行機に乗ったときに飛行機事故 にあったのがきっかけで現在の体型に近くなったとか? ちなみにバレンタインが若いフレアーに「窓側の席に来るかい?」と 気を利かせてあげたら重体に、フレアーは比較的軽傷になったそうです。
フレアーってその飛行機事故で膝ケガして、 医者に膝に負担かけないように体重を落とせと言われたので、減量したとどこかで読んだことあります。
Wooooooooooooooooooo!!!!!!!!!
横アリに来るってホント?>フレアー Woooooooooooo!!!!!!!!!を叫ぶためだけに行きたくなってきたな
133 :
ブルーザー :02/01/27 21:01 ID:MWivVSp7
乗り遅れましたが、ブルーザーさんと同じで、ジャーマンといえば スティーブカーンです。前スレでも書きましたが、カーンにはもっと がんばってほしかったです。
134 スティー・ブカーン。 良かったですね。この間、新日に久々に来日してました。 いまだにインディのタッグチャンピオンだそうです。 あの頃のフロリダには二他に。スタンリー・レイン、ブライアン・セントジョン など有望な選手が多かったですね。 ファビュファスワンズで日本に来て欲しかったです。
>>136 これがブロディだとは全然分かりませんね。
今、テレ朝のベスポジで新日本名勝負ベスト10やってて、1位が88年8月8日の藤波ー猪木戦でした。本当にいい試合でしたよね……。
>>114 ★ジャーマンといえば、ベタ足か爪先立ちかという足の形以外にも
個人差が出るのはグリップですね。これは昔『質問箱』でも書きましたが
インディアン・グリップ(掌と掌を逆さ合わせにして互いの指先をグリップする)と
ワンハンドオン・グリップ(どちらかの掌でもう一方の手首を握ってグリップする)
最近はインディアアン・グリップが多いせいか、亡くなった福田選手がワンハンドオンを
使っていたことに週プロあたりが、「独特のグリップ」「珍しいジャーマン」などと書いて
いたのには苦笑してしまいました。
なにせ元祖カール・ゴッチがワンハンドオンを使っていましたからねえ。ゴッチいわく、
「ジャーマンのグリップはどちらでもいいのだが、相手の胴回りに合わせて微調整ができるから
ワンハンドオンのほうが少しベターかな」
ゴッチの弟子筋である猪木、前田、佐山はみんなワンハンドオンでしたな。
超遅レス失礼
>>94 ★私も以前、米国で暮らしてたことがあるのですが、「おまえは日本人だからカンフー
できるんだろ?」とかしょっちゅう聞かれてましたな。めんどくさいから最後は
「アイアム ア カラテマスター」とか適当かこといって、中国拳法(これは習ってた)の
型をやってアメ公どもを惑わしてましたな・・・ちなみに行ってたのはカンザス州だったので
「カンザスの英雄、ハーリー・レイスは日本でも有名だぜ!」と言ったところ、
下宿先の医者一家に「誰だそれ?」と言われてショックでしたな。ダウンタウンの
ピザ屋の兄ちゃんはさすがに知ってましたけど・・・。
141 :
ブルーザー :02/01/28 14:22 ID:MvgXHSqG
>>139 初心者質問で恐縮ですが、グリップはマリオミラノさんが挙げられた2つの他に
親指と人差し指でつくった輪でグリップするやり方もありませんでしたっけ?
名称等忘れてしまいましたが。。
WWF派はすっかり締め出されちゃったね。
>>141 >>142 おおっすごい写真すね!!!! ループと名乗っていながら初めて見ました。
しかしいくら昔とは言えリングサイドが4$とは安い。
ループが全日本に来日した際の映像見た時、おおっ強いなと思いました。馬場の巨体を軽々とショルダーバスターで叩きつける様は豪快!
>>140 昔、アメリカでプロレスは本当にマイナーでしたね。
空港の職員がレイスのことを誰も知らなかった、っていう有名な逸話が
ありますね。でも現在なら日本国内の空港の職員が一人として永田を知らない
とか十分ありえそう・・・
でもその一方で、テーズは当時のアメリカのスポーツ界で二位の稼ぎを誇っていた、
とかいう話も聞くんですがどうなんですか?
自分はそれは流氏あたりのテーズ絶賛の法螺じゃないかと思うんですが。
>>146 テーズの収入云々は1950年代の話で、
他のプロスポーツが産業として巨大化する前。
別にホラ話ではない。
148 :
某団体ヲタ :02/01/28 20:05 ID:0N65xJ24
>143 正確には「親指と人差し指でつくった輪に小指を入れる」 ですよね? 私はこれが正式なインディアン・グリップだと思ってましたが。
>>147 でも他のプロスポーツが巨大な産業になる前って言っても
ベーブ・ルースとかジョー・ルイスはそれ以前の人なんだけど。
テーズってアメリカで全く知られてないね。サンマルチノはそこそこ
知られてるけど。
>>139 遅レス&初歩的質問ですいません。
インディアン・グリップというのは、左右の指を交互に組み合わせて握るものだったと
思っていたのですが、そうすると、こちらの名称は何というのでしょう? 知ってる方
いますか?
むかし、高田が越中とのタッグで、前田をドラゴンで投げたときに指を骨折しちゃった
ときのグリップです。
あと、俺も「親指と人差し指でつくった輪でグリップするやり方」の名前を知りたいです。
ループと一緒だったパワーズは散々だったな。 虎の子のNWF北米シングルも坂口に獲られ丸腰。 あの頃すでにクリーブランドで試合なんかやってなかったんじゃないの? ベルトもなんかダッサダサなローカルっぽいデザインだった。
152 :
飛龍生ソーメン :02/01/28 20:56 ID:St34hRUl
>>150 名称は知りませんが、そのグリップは体重がかかったときに骨折しやす
いということで余り推奨されないようです。一方インデアングリップはその
ような事故が起こらないということで、レスリングでは基本のグリップとな
っています(アマレスの本を見れば必ず載っている)。
153 :
147 :02/01/28 21:28 ID:???
>>149 流氏の「やっぱりプロレスが最強である」って本に50年代の新聞記事のことが載ってた。
「テッド・ウイリアムスが当時プロ野球界唯一の10万ドル超の選手で、テーズやロッカも10万ドルを超えてる」
てな記字。
あの人がテーズを持ち上げすぎなのは承知してます。
プロレスは興行収入からパーセンテージで支払われるから多くなるんじゃないの?
ボクシングは試合数自体が少ないし。
>>153 っていうか当時の大リーガーってそんなに年収少なかったの?
貨幣価値が違うとは言え今よりも大リーグの(アメリカスポーツ全体に置ける)
地位が高かった時代に。
日本ですら六十年代に王が10万ドル以上(当時1ドル=300円だったとしても)
取ってたでしょう?
155 :
お前名無しだろ :02/01/29 01:31 ID:D+8SGb8/
>>154 昭和40年代の日本プロ野球では1000万が大台と言われてた。
アメリカでも大リーガーの年俸が高騰し始めたのはFA制が導入された
ここ20年くらい。
レスラーの方が多かったというのも不思議じゃ無いと思う。
>>153 テーズの自伝に、
「NWAへ納めるボンド金(保証金)25,000jを稼ぐには1ヶ月はかかる」という記述
がありました。単純計算すると、一年で300,000j近くになりますね。
NWA王者は興行収益(税引きの後)の10%がギャラになるとも何かで読みました。
客の入り具合にもよりますが、最低ワンマッチ2,000j以上は貰っていたと思います。
40年代後半から全米をネットしたプロレス放送が始まり、テーズが全盛期にあったことも
あり、かなり人気が普及しました。(テーズやガニアがTVガイドの表紙になる程)
今でも業界では、50年代はGOLDEN AGEと呼ばれています。
>>156 てことは大リーグとか他のメジャースポーツに比肩するくらいの
人気があったの? 今のWWFみたいに
馬場が'64年にMSGでサンマルチノに挑戦した時のギャラは3,800jだったそうです。 これは多分パーセンテイジで支払われたのでしょうが、それにしても高額ですね。 一試合800j以下では契約しなかったそうですから、年間150,000jぐらいは稼いでいた かも知れません。 NBAも20年くらい前にマジック・ジョンソンやラリー・バードが出てくるまでは 決して年棒は高くなかったし、NFLもFAが導入されたのもほんの10年程前だった と思います。フットボールでは稼げないということで、プロレス入りする選手もかなり いました。マクダニエル(ドルフィンズ)やラッド(ジェッツ)などもそんなケースでした。
>>155 王貞治は昭和50年代には7000万円貰ってたよ。
なら王は当時の大リーガーより貰ってたってわけ?
なことないと思うけどなあ。
>>159 おまえはばかか 意味わからんこというなよ(W
>>160 お前のほうが意味わからん。
お前流信者か?
プロレスの社会的地位が低下した理由としては、 1.1960年にNWAが独占禁止法の疑いをかけられ、組織の基盤が揺らいだ。 2.全米ネットのTV中継が’56年に終了し、各地のみの番組に変更になる。 3.’57年のテーズVSカーペンティア戦の結末で揉めて、AWA、WWAが発足する。 などが挙げられます。 2の理由によって、ファンに対する情報操作がし易くなり、新設の王座をでっち上げる ことが簡単に出来るようになりました。こうしてWWWFなどの団体が結成されました。
>>162 当時はプロレスに対する偏見は無かったんですか?
八百長論みたいな。
>>159 1950年代と昭和50年代(1975-1984)を混同しているのでは?
165 :
159 :02/01/29 02:59 ID:???
>>164 してねーよ。
>>155 はここ20年ぐらいで大リーグの年俸が上がったって
書いてあるだろ。それだったら昭和50年代は大リーグの年俸低かった、
レスラーよりも低かったって取れるぞ。
でテーズの年俸30万ドルなら当時一ドル=250円として7500万円、
王の年俸7000万円ならそれに匹敵してるだろ。なら王は同時代の大リーガー
より貰ってたのか?って思うぞ。
>>158 僕はそんなに詳しくはないのですが、70年代ぐらいまではアメフトってプロより、カレッジのスポーツとしての方がイメージが強かったみたいですね。
日本のプロ野球の創世期も六大学野球の方が人気あったて聞いたことあるので、そういう感じなんすかね。
だからコンスタントに稼げるレスラー転向が多かったのかも。元々アメフトの1シーズンが短いってのもあるでしょうけど。
今やスーパーボウルのCM1本の広告料が1億円て時代ですからね〜。
>>163 当然、あったでしょうね。
1952年頃まで、プロレスはボクシングと同じように”賭け”の対象に
なっていました。つまり”プロレスはスポーツである”ことが建前でした。
いろいろ事件があって、”エンターテイメント”になりましたが…
>>141 ボブ・ループは確かにシュートに強かったけど、別にUWF的な思想の持ち主
だったわけじゃなくて、例のICWにしてもオートン同様に素行の悪さが原因で
メジャー団体からホサれ、仕方なしに旗揚げしたというのが真相らしい
(フロリダ地区の興行権を巡るトラブルが原因ともいわれている)。
ICWの映像を観てもクラッシャー・ブルームフィールド(ワンマン・ギャング)や
ランディ・サベージとかがタイトルを争ってたりで、フツーのアメプロだった。
崩壊後、ループは南部でマッカン・シンとかいうペイントレスラーになったり、
オートンはWWFでロディ・パイパーのボディガードになったりで、
日本のファンの幻想と違って意外とスマートな人達だったみたいだね。
>>165 おまえは妄想しすぎだ!
きみは、どうやったら ここ20年ぐらいで大リーグの年俸が上がったってとこから、昭和50年代は大リーグの年俸が レスラーよりも低かったって取れるんだよ。
159くん、君は計算ドリルからやり直した方がいいのでは?
>>168 そうなんですか・・・
どうも猪木戦の印象が強烈で、アメリカでもあんな試合をしているのかと思いました。
全日にも新日にも一回しか呼ばれませんでしたね。
171 :
:02/01/29 03:21 ID:???
>>170 それもギャラが不満で文句言ったとか、そういう理由じゃないの?
猪木はループが苦手だから呼ぼうとしなかったとか言われてたけど(w
いい時代だったね。
>>168 そのループを名乗ってるんですが、素行不良のないように気をつけますm(_ _)m
ループって凶器攻撃でDホッジ負傷欠場させて出場停止くらったりしたらしいですね。
>>172 当時のフロリダは、エディ・グラハムとマツダががっちり抑えていたでしょうから、
ループが付け入る余地は無かったのかも知れませんね。
しかしロビンソンVSループ戦は見てみたかった。
デビュー当時のブロディとループのデスマッチもテキサスで行われたようです。
>>159 大リーグの平均年俸って2億ぐらい。
松井選手6億3000万円。
よって、松井よりも年俸が低い大リーグ選手はたくさんいる。
以上です、DQNさん!!わかるかなぁ?わかんねぇだろなぁ!
>>175 >>わかるかなぁ?わかんねぇだろなぁ!
このスレにふさわしいオールドギャグですな(W
>>165 「テーズが30万ドル〜」は1950〜60年代の話
あなたの言う「王が7千万円〜」は昭和50年代(1975〜1985)の話
比べてはいけません。
えーと、ドルショック前の1ドルは360円です。 てか、そーいう問題以前ですな。
日本のサラリーマンの月収が1万円とかそーいう時代のお話だよね。
180 :
タムライス :02/01/29 11:30 ID:MXBefVqn
ペドロ・モラレスがWWWFチャンプになった頃(1971年)彼が親しい記者にコメントしてましたね。 「今日のワンマッチでいくらもらったと思う?5000$だぜ、5000$!」と嬉しそうに。 当時はドル・ショックの只中でしたが1$=280¥ぐらいですか? MSG定期戦は月一回でしたから一年で60,000$(1,680万円) 他の試合も含めるとやはり100,000$前後だったんですかねえ>モラレスの年俸
>>181 サンマルチノの話が出ましたが、私にとってのWWF(WWWF)王者といえば
バックランドであり(NWAはレイス、AWAはニック)サンマルチノの試合は
見たことありません(モラレスは1回見た)。
怪力、アルゼンチンバックブリーカーが得意?というくらいの知識なのですが、
今で言うと中西みたいなタイプだったのでしょうか?
>>182 CSの「熱き名勝負集」で馬場VSサンマルチノのインター戦(昭和43年)、
全日10周年記念の馬場&サンマルチノVSシン&上田(昭和56年)は観ました。
得意技はカナディアン・バックブリーカーとベア八ッグで、グラハムのような怪力だけ
が売り物の選手ではなく、スピードもありました。ベア八ッグVS脳天唐竹割りの
攻防が馬場との戦いの見せ場でしたね。
責任感とガッツがあったことも見逃せません。’76年にハンセンに重症を負わされた
際も試合を捨てなかったし、わずか2ヶ月で退院し復帰戦を敢行しました。
この早急な復帰が引退を早めてしまいましたが・・・
>>183 ブルーザーさん、いつもありがとうございます。
シン上田×馬場サンマルチノは私は見逃したようです。そういえば
シンが全日本に移籍した頃はプロレス、あんまり見てなかったような。
ベアハッグ対脳天唐竹割の攻防・・・目に浮かんできます。
185 :
タムライス :02/01/29 13:58 ID:MXBefVqn
>181 モラレスがWWWFチャンプになった時の各レスラーのコメントがゴング等に載ってました。 馬場は「おめでとうと祝福したい。でもサンマルチノも親友だし正直言って複雑な気持ちだ」 あとジン・キニスキーだったかどうかウロ覚えなんですが 「モラレスの天下はあと数年持つだろう。弱小チャンプという声もあるが俺はそうは思わない。 なんといっても今ニューヨークで一番人口が多いのはプエリトリカンだしな」 当時、小学生だった自分には人口割合とチャンピオンがどういう関係にあるのかピンと来なかったんですが 次第に年を重ねるにつれ、理解出来るようになっていきました(笑) あとWWWF王座をイワン・コロフに奪われたサンマルチノのちょっとドラマ風のリポート記事も載っていて なんか悲しいような寂しいような読後感があったのを記憶してます。 無理な怪力殺法を続けたが故に腰を痛め、それでもチャンプとして激戦を繰り広げたサンマルチノ・・。 彼の気持ちとは裏腹にもはや身体は限界であった。 彼は王座を明渡した後、親しい記者にこう言った 「これでグッドバイだ・・・」
159=低能虫(ワラ
<WWF(WWWF)の変遷> ●NYマイノリティ路線(63〜76年):サンマルチノ、モラレス ●都会派パワーファイト路線(77〜83年):グラハム、バックランド ●ファミリーエンターテイメント路線(84〜92年):ホーガン、マッチョマン ●ニュージェネレーション路線(93〜97年):ヒットマン、HBK ●アティテュード路線(98〜):ストーンコールド、ロック、HHH 今思うとバックランド時代は本当に“Boring”だった。 挑戦者も2線級ばかりだったし。WWFって昔の方がずっと大味だと思う。
バックランドがヒットマンからWWFをとった時は、 なかなかワクワクしました。 バックランドが勝ったこともありますが、リングサイドに スチュ・ハートが来ていたことにも感激しました。
NY地区はWWWFが結成される前から、本格派は好まれず、派手好みのテリトリー
でした。テーズ、オコーナー、ガニア等が’50年代にMSGのマットに上がりましたが
悉く不入り(キャパの半分も埋まらない程)でした。
>>181 参照
その傾向は現在に至るまで変わっていないでしょう。
NWA王者最短距離のミズーリ州王者だった本格派のバックランドが、何故WWWFへ
行ったのか?まぁ引き抜かれたのでしょうが、本人にとっても良い選択だったとは
思えませんね。
バックランド政権下の挑戦者群を三つに分けてみました。 グッド・・・レイス(ダブルタイトル戦)、猪木、バレンタイン、ニック(ダブルタイトル戦) ハンセン、キラー・カーン、藤波、アドニス、スヌーカ フレアー(ダブルタイトル戦)、オートンjr、スーパースター ノーマル・・・パターソン、パイパー、ブランゼル、 ソルティ・・・コロフ、グラハム、パテラ、アリオン、スティール、ラッド メイビア、ブラワー、ハッサン(I・シーク)、スウェード・ハンセン ダンカン、アファ、シカのサモアンズ、ローデス、ロン・スター、スローター モスカ、ムラコ、ベンチュラ知事、ローズ、スタッド やはりどちらかというと、ソルティなレスラーの方が多いですね。
>>189-190 ★う〜〜む、かねがねブルーザーさんの慧眼と深い知識に関しては敬服しておりますが、
WWFに関しては意見が異なりますな。私はChainsaw Charieさんに近いというか。
バックランド時代のWWFが大味だったのは同感ですが、それは挑戦者がソルティゆえ
というよりはボブ自身がソルティだったから、という印象がありますな。バックランドは
本格派というよりは「かなり不器用なパワーファイター」という見立てをしております。
本当の技巧派というのは猪木、ドリー、ニックのように塩あいてでもそれなりの試合ができる
選手のことだと思ってますので・・・・・。
ランキングの方はグッドに関しては藤波とグレッグを除けばおおむね同感ですな。
でもパイパーとパターソンはかなりグッドに近いのでは?
またソルティもおおむね同感ですが、ローデスとスローターは塩からははずして
ほしいですなあ・・・評価が激しく分かれるタイプなのは分かりますけど。
>>191 の続き
★ @プロレスは本来がスポーツ(に近いもの)であり、それが諸事情で年々ショーアップ
されていき、現在の形になった。
Aプロレスは誕生したときからエンターテインメント。ストロングスタイルとか
ショーマンスタイルとかは表層に過ぎず、本質は不変。
という二つの歴史観があるとしたら(本当はそんなに単純なものじゃないでしょうけど)、
私はAの立場をとりますな。でもこれも主観ですから、ほかの人に押し付けるつもりは
ありません。ブルーザーさん、今後とも宜しくご指導ください。
で、上のほうで私が書いたジャーマンのグリップについての質問なんですが、
>>143 >>148 >>150 のお三方、すみませんが、あれ以上のことは私も知りません。
エラそうなことは言えませんな、まったく・・・・・。
>>193 こちらこそ重箱な質問して申し訳ないです。
自分でも機会があれば調べてみますので、わかったら報告します。
>>191-192 重鎮マリオミラノ氏に指導など、とんでもありません。こちらこそ宜しくお願い致します。
>「かなり不器用なパワーファイター」
その通りだと思います、だからこそ、NYへ行くべきではなかったと考えております。
バックランドやゴッチは「本格派パワーファイター」とでもいうようなタイプで、相手に
応じて戦い方を変えるような器用さは持ち合わせてなかったと個人的には感じております。
スタイルを変える努力をしたようにも見受けられましたが、やはり噛み合わなかったですね。
日本での防衛戦が一番良かったのではないでしょうか?(猪木、ハンセン戦)
レイスの後継をフレアーと争う形であれば、面白い展開になったと妄想しているのですが…
あとローデスは昔から好きになれません。相棒のマードックは大好きなレスラーでしたが。
別にショーマンが嫌いという訳ではなく、単に好みの問題です。申し訳ありません。
>>191 ああ、俺も大味と書いたのはバックランド自身が大味だったからだよ。
バックランドはドクター・デスにセンスのない男だと思う。
>>188 俺はヒットマンの大ファンだったけど、バックランドが返り咲いたときは
なんか嬉しかった。あのヒール路線も面白かったな(w
あの頃の大ピンチのビンスが旧友のバックランドと寄りを戻したのは、
あれはやっぱり、寂しかったからかな?
★ブルーザーさん、Chainsaw Charieさん、ありがとうございます。 でも、まあ昔の「大味WWF」にもそれなりの意味はあったのかもしれませんねえ。 ガレアやマーテルのようなハンサムがご婦人やゲイの人気を集め、NYに多い各移民 向けのヒーローがいて、そしてMSGの3階席にまで届くモーションの大きいパワー ファイトがあって、と。プロレスはそれがある土地の影響を必ず受けるものですから、 あの時代のNYはあれで良かったのかも・・・・・ボブ×パテラなんかを 何度も見せ付けられるのはやっぱり苦痛ですけど(笑)
>>196 ★これは貴重ですね! みんな若い!
ところでディック“ザ・ブルーザー”アフィルスと“クラッシャー”レジー・リソワスキーのコンビ。
古のハンセン・ブロディ組といった感じですが、あくまで同格扱いだった超獣コンビに比べると、
日本ではややブルーザーが格上という扱いでしたよねえ。アメリカでもそうだったんですかね?
そうそう話は変わりますがブルーザーといえば、笑ったのが国プロに来日したスパイク・ヒューバーの
キャッチフレーズ。「ブルーザーの女婿(じょせい=娘婿)」・・・・・・女婿が
キャッチになったのは彼とミスター空中(ゴッチの女婿)くらいじゃないですか(笑
キャッチにはならなかったけど
ダニー・スパイビーも、一時期デストロイヤーの女婿でしたし(後に離婚)、
デイビーボーイ・スミスやナイドハートは「スチュ・ハートの女婿」ともいえますな。
>>198 http://geocities.com/Colosseum/Court/8214/ トップページも貼っておきます。なかなか充実したコンテンツです。
レスラーのHPもいろいろ見てきましたが、クラッシャーのはトップクラスですね。
まぁ、こういう武闘派「プロレスは喧嘩だ」も個人的に好きなせいもありますが(苦笑
ブルーザーのHPもずっと探しているのですが、見つかりませんね。
レスラーの格というか、ランキング上ではブルーザーの方がクラッシャーよりやや上だった
と思います。
200 :
200 :02/01/30 02:42 ID:???
>>195 >バックランドのヒール路線
今のカート・アングルとウィリアム・リーガルを足して割ったような
キャラだったよね
(日本での)人気は高いが実は大塩レスラー バックランド、ドクターデス、カールゴッチ
>>190 分類基準が「日本での評価」に片寄りすぎでは?
マリオ氏が言うように、スローターは全然ソルティじゃないと思う。
少なくともバレンタインよりはずっといいレスラー。
パイパーにしても、試合運びとかはスヌーカより上なのでは
203 :
ブルーザー :02/01/30 16:53 ID:PlGJVNtf
>>202 >「日本の評価」に偏りすぎ・・・
その通りです、反論出来ません。
主観と独断が入り混じっていますので、あまり突っ込まないで下さい。
グレッグは初来日の頃から見ていますが、思い切りの良さとガッツ剥き出しなところ
が好きでした。親父さんの故ジョニ―を彷彿させましたね。
スローターはどうも売れなかった頃(S・デストロイヤーMARKU)のイメージが
強くて…。パイパー、パターソン、スヌーカ、スーパースターについては、正直評価
に迷いました。前二人をグッド、後二人をノーマルにした方が良かったかも?
204 :
202 :02/01/30 17:58 ID:???
>>203 いえいえ、お気になさらないでください。
でもマスクド・スーパースターは文句無しにグッドでしょう。
むしろ藤波をノーマルにすべき(笑)
ところでブラックジャック・マリガンも挑戦してませんでしたっけ(82年頃)
>>190 マッチョ系に偏見を持っているのでは?
パワーファイターを軽視しすぎ。
藤波なんかNYで知名度ゼロなのでは
206 :
202 :02/01/30 17:59 ID:???
い
>>205 >藤波なんかNYで知名度ゼロなのでは
これには反論しましょう。知名度はそれなりにあったと思いますよ。
JRタイトルを奪取したのもMSGだったし、NYエリアで何度も防衛戦を
行っています。人気があったかどうかは別問題ですが…
>>207 ★辰っつあんはなんと婚約発表までMSGのリングでしたからな。
「ジュニアヘビーチャンプのドラゴンフジナ〜ミがみなさんにフィアンセを
紹介しま〜す」てなリングアナのコールにかおりさんがMSGのリングに登場。
彼女の肩を抱きながら「アイ ネバー ギブアップ」のポーズ。
でも、観客はポカ〜ンとしてましたな(苦笑)
たしかに猪木や藤波や坂口は何度もボブ時代のMSGに登場してますが、
あくまでも扱いは「ゲスト」。知名度はゼロではないものの(猪木はやっぱ
アリ戦でのバリューがでかい)、やはり定着してサーキットしたカーンや
サイトーらよりは知名度は低いんじゃないでしょうか?
ただ初代タイガーは本当に試合でセンセーションを起こしかけましたな。
あのままWWFに定着していたら・・・・かえすがえすも残念ですな。
>藤波なんかNYで知名度ゼロなのでは そもそもジュニアの王座自体が新間氏の肝いりで誕生したんですから。 旧UWFの前田もWWFのコンチネンタルだかインターの王座についたでしょう。 ドラゴンはWWFエリアをサーキットしたことも無いし、MSGで防衛戦をやったのも1回か2回。 やはり知名度は低いでしょうね。 マリオミラノさんの書かれてるとおり初代タイガーに関しては、いまだにブルース・リーの 再来だと語り草になっているくらいセンセーショナルなものでした。
バックランド挑戦者の分類を、事の発端である私も独断と偏見で(w <A級> レイス、猪木、ニック、ハンセン、K・カーン、アドニス、スヌーカ、 フレアー、オートン、スーパースター、ローデス <A級半> パイパー、パターソン、スローター、マリガン、スチーブンス <B級> コロフ、グラハム、バレンタイン、パテラ、ラッド、メイビア、ハッサン、 ダンカン、モスカ、ムラコ、ベンチュラ、スタッド、ブランゼル、藤波 <C級> アリオン、スティール、ブラワー、SW・ハンセン、R・スター、 サモアンズ(タッグなら別)、ローズ、ベーカー、クラップ <不明> ザ・シーク
204氏のおっしゃる通り、バックランドはWWFエリア(not MSG)で マリガンの他レイ・スチーブンス、ミズーリでベ−カーとクラップ、 デトロイトでザ・シークの挑戦をそれぞれ受けてますので追加しました (WWFエリアではラリー・ズビスコやハングマン、トーア・カマタとも 防衛戦をやってたと思うけどノンタイトルかもしれないので却下)。 マリガンみたいに強いけど塩い選手は評価に迷うよねー。 モスカやラッドにしても同じ。ムラコも試合のつくり方とか上手いけど ここら辺はいかんせんB級っぽいからなあ。 パイパーは今となっては問答無用のスーパーA級レスラーだけど、 挑戦当時(78年)はまだオーバーしてなかったので。 マリガンとスチーブンスはその逆で、すでにロートルだったから。 スヌーカは今までにないチャレンジャーということで高ランク。 藤波は…上手さではA級だけど、総合的にみればこうだと思いますよ。 シーク翁はどう分類したらいいかわからんので、こうなりました(w にしてもC級チャレンジャーが多すぎる! バディ・ローズなんて、 ホーガン時代ならシングル戦すら組まれなかったはず。
ホーガンで思い出したけど、81年に愛知でバックランドに 挑戦してましたよね。この人は…パイパーと同じ理由でA級半? いや、やっぱA級でしょうな。
213 :
ブルーザー :02/01/31 00:24 ID:PMw7rY9M
>>210-212 Chainsaw Charie 氏、補足ありがとうございました。
肝心なお人を忘れてしまいました>ホーガン
マリガン、スティーブンス、クラップ、ベーカー、シークについては、全く挑戦の
事実を知りませんでした。ズビスコは’80年6月にMSGでボブと対戦していますが、
これがタイトル戦がどうかは不明です。マリガンは’82年春頃にNY入りして、アンドレ
やSDジョーンズと対戦していますが、いつ、どこで挑戦したかは不明。スティーブンスは
’82年暮にNY入りして翌年にかけて、C・J・ストロンボーと抗争していたようですが
これまたタイトル戦に関しては、いつ、どこで行われたか不明でした。シークについては、
デトロイト地区が崩壊したのが’80年10月でしたから、当然それより前ということに
なりますね。
レイスVSグラハムのダブルタイトル戦が行われた、’78年頃からNWAとWWWF の交流が盛んになり、’80年になるとボブもNWAの総本山だったキールに頻繁に 登場しています。1月、T・アンドリュース、4月、L・ブラウン、5月、R・カービー、 6月、L・A・ヘイズ、11月、B・スウィータンと俺が調べた中では5回もリングに 上がっています。対戦相手からみてタイトル戦ではなく、只の特別試合だと思いますが。 あとロスでブッチャ―・ブラニガンなる選手とも対戦していますが、これもタイトル戦か どうかは不明です。
「藤波は上手いけど弱い」
>>200 “ミスター”ボブ・バックランド。
「最近の若者は年長者を敬わない」とか言ってリングネームに敬称を付けさせてた(笑)
ホーガン(当時ヒール)とアメリカで対戦していないのも意外ですね。後年の侵略を 見越しての戦略だったのでしょうか? レイスはMSGで3回、防衛戦をしました。’78年12月T・ガレア、翌年4月 S・トラビス、12月、ローデス、最初の二人は塩気がきつ過ぎる(w レイスのヒール王者振りをアピールしたかったのでしょうか? ローデスの大記録 ’78年3・31、アトランタでニックに挑戦、4・1昼、メリーランドでグラハム に挑戦、夜、ニューオリンズでレイスに挑戦。2日間で3大王座に挑戦しました。 全米を股にかけた人気者だったことは認めます(苦笑
改めてボブへの挑戦者を眺めてみて、独断で大塩は誰かというと、
SW・ハンソン…元々タッグの専門家、しかもかなりロートル、MSGタッグリーグ
でアンドレの足を大いに引っ張ったのことのみが印象的。
ローズ…
>>211 でChainsaw Charie 氏が書き込まれた通り。メインに出るような選手
ではない。当時ロスマットは既に崩壊していたし、何かコネがあったのかも?
べーカー…スローモーション・プロレスの元祖、風貌のみ超一流。
アリオン、スティール…この二人がメインをとれること自体が不思議としか言いようがない。
アリオンはブラッシ―のマネージメント、スティールはやはりあの
特異なルックスが原因か?
マッチメーカー(当時はモンスーン?)にも問題があると思いますが、ブルーノの意向も
無視できなかったことにも原因があったでしょうね。ラッドやアリオンはブルーノと
仲が良かったですから。
>>218 スチール(どうしてもこう表記してしまう/w)はホーガンの時にも
挑戦してますね。やっぱ、あのルックスでしょうねえ。
キャラクター的にも元祖サイコパスといえるかもしれない。
最近でもWWFの番組にゲストで登場したりするんで、ビンスとの仲もあるのかも。
ビンスの娘のステファニーは子供の頃スチールが怖くて、
彼が近寄ってくるとビンスに抱きついて脅えていたそうです(w
あとブッチャー・ブラニガンも、確かタイトルマッチだったような‥‥
逆にクラップはノンタイトルだったかも…まぁこのクラスはどーでもいいか(w
マリガンは今は無きビッグレスラーのインタビューで、
ボブとのタイトル戦がMSGで組まれなかったことに不満をもらして、
「ビンス(Sr)は俺がデカすぎるから、ボブといい試合ができないと
思ってやがる」とか言ってた。スタッドにしてもそうだったけど、
超大型の選手はバックランドよりアンドレ用に使われてた感がありますね。
ホーガンがバックランドと絡まなかったのも、そういう理由かも。
>>210 >>217 ★ちょっと横レスですが・・・Chainsaw Charlieさん、ローデスをA級に入れて
下さってありがとうございます。別にダスティの関係者じゃないけど(笑
ブルーザーさん、ローデスのスーパースターぶりの資料をありがとうございます。
私、好きなんですよね〜この人が。当時、全米のテリトリーが分断されている状況下で、
どこのテリトリーでもトップを取れたのはアンドレとローデスだけだったと思います。
NWAチャンプだってNYにくれば外様扱いでしたから。
〜つづく〜
221 :
タムライス :02/01/31 14:08 ID:kyg3FX9+
日本ではパワーファイターというのはいまいちブレイクしませんよね。なんでだろ? ラフファイターで人気あったレスラーは多いのにねえ。 やはり技巧派が日本人受けする、という事でしょうか?
>>220 のつづき
★ダスティ人気の源は、もちろん過剰なショーマンシップ。華麗なコスチュームをまとって登場し、
表情どころか指の動かし方まで神経の行き届いたパフォーマンスを展開しましたよね。
それでいてファイトスタイルはエルボー一本やりの単純なもので、ナルシシズムあふれる
キャラなのに顔は不細工で体はブヨブヨというアンバランス・・・この人のたたずまいにプロレスという
不可思議なジャンルの魅力が集約されていたと思うんですな。プロレスのカリスマとは、決してハンサム
でマッチョで凄い試合をしなくてもいい・・観客を酔わせればいいという。
80年大阪でのバックランド戦は「WRESTLING ILLUSTRATED」誌の表紙を飾りましたし、青森でのアンドレ戦も
「WRESTLING NEWS」誌に取り上げられました。当時、日本での試合が米国誌に載るのは大変珍しかったので、
この一事をとってもいかにダスティがスーパースターであったかが分かるというものです。
〜つづく〜
>>222 のつづき
★あの外人に厳しい猪木でさえ、最初は「腰フリ野郎」などと蔑んでいたものの、
すぐに彼を認めてタッグ結成(好きでしたねえ日米カリスマコンビ)。ダスティを
認める発言しかしなくなりましたな。それに彼のスタイルは後にビンス親子が推し進める
ファミリーエンターテインメント路線にも影響を与えてますしね。
もちろんブルーザーさんのいうように純粋にレスラーとしての体力とか技術に限って
いえば、相棒マードックの方が全然上です。が、プロレス史を俯瞰した場合、
ローデスの名前の方が後世への影響や社会への影響という点で大きく記されるべきだと
思っております。マードックも大好きですけど。
プロレスが20世紀の初頭ぐらいから ショー化したことは常識だと思うのだが。 関節を決めるレスリングというのはちゃんと存在したわけだし。 (それを除いたのが今のフリースタイル)
雑誌に載ってたビリーグラハム対マスカラスのタイトル戦のグラビアが印象深い。 ライティングの陰影でギリシャ神話のような肉体美の競演。バックランドが マスカラスのセコンドに付いてなんか物議をかもす結果だったような。のちに そのバックランドが高々とグラハムをアトミックドロップで斬って落とし 王者になった。グラハムって実際動いてるより静止画で絵になる。 ホーガン、ベンチュラ、エラリングら皆フォロワー。 しかしユダヤのグラハムと ラシクがコンビ組んでたってケッサク。
226 :
タムライス :02/01/31 15:52 ID:kyg3FX9+
IWAチャンプのマスカラス対アーニー・ラッドの雑誌写真も自分は印象深いです。 特にマスカラスがフィニッシュでラッドに決めたコブラツイストの写真は絵的にも 実に美しい、と思いましたよ。 マスカラスは静止画でも動いてても絵になるレスラーだったと思います。
>>220 >>225 ダスティ・ローデスとスーパースター・ビリー・グラハムは、
テリー・ファンクやロディ・パイパーと並んで
プロレス史を語る上で欠かせない重要なアイコンだろうね。
ホーガンやフレアーほど大きな存在じゃないけど、
この4人が近代アメプロに与えた影響は図り知れない。
あとローデスはクリエイティブ・スタッフとしても有能で、
レスラーのキャラクター設定も素晴らしかった。
WCWのウェスト・テキサス・レッドネックスなんて、
死滅寸前のカウボーイレスラーの新しい在り方を提示したと思う(w
>>225 ★マスカラスがコーナーポストから美しい肉体でグラハムにボディアタック!
下で待ち受けるグラハムの後姿もまた、アポロ彫刻のような肉体・・・
↑
この写真はワニブックスの豆本「プロレス必殺技」の表紙でも使われてましたな。
余談ですが、ハンセンが尊敬している人物を質問されて。
「そうだなあ・・・ビリー・グラハムかな」
「ええっ?」
「おいおい、レスラーの“スーパースター”ビリー・グラハムじゃないぜ。
誰があんなヤツ尊敬するもんか(笑) 同名で有名な牧師がいるんだよ」
てなやり取りがあったもんです。
>>225-227 ★ローデス×グラハムという、肉体とムーブとファッションがサイケデリックに交錯する
対決もMSGでありましたな〜。これはグラビアで見ただけなんですが、本当に
カッコ良かった! ま、実際の試合内容はどうかわかりませんけど(笑
Chainsaw Charlie さんのご意見には激しく同意しますな(ただ少数派を認めますが
私はダスティをフレアーより上においてますけど)。
テキサス・レッドネックスは時代の遺物となったカウボーイレスラーを見事に(?)
再生させましたもんね。コメディロールとしてですけど。彼らのテーマソング
“ラップ イズ クラップ”は永遠の名曲として忘れられませんな(笑
>>228 あれは画像としては最高の一枚でしたね。よく覚えております。
試合の結末は、マスカラスのセコンド、ボブの乱入による反則負けでした。
当時の人気トリオ、ボブ、ローデス、マスカラスの3ショット写真も見た記憶が
あります。(マスカラスの代わりにアンドレが入っているバージョンもあった)
グラハムのアメリカでの評価はどうだったんですかね?マッチョレスラーの元祖で
あり、ステロイドを業界に初めて持ち込んだ人物としても有名ですが・・・
ホーガンのスタイルは明らかにグラハムのパクリだと思います。
http://www.superstarbillygraham.com/ デビュー当時の貴重な画像(偽兄弟のジェリー、エディ、ルーク等)もあります。
>>230 ベンチュラ知事は
「スーパースターの勇姿を見て、人生でやりたいことを見つけた」
と自伝の中で書いてます。アメリカでは言葉やポーズで
ファンをヒートさせて試合を盛り上げていくタイプだった。
観客を酔わせるという意味で、カリスマ性のある人だったと思う。
少なくともバックランドよりかプロレスラーとしては上では。
私生活では真面目な人だったらしいね。
グラハムはヒール王者だったから、それ以前と比べてベビーフェイスの
挑戦機会が増えたよね。とはいえゲストのマスカラスやローデス以外は
ストロンボー、ガレア、プトスキー、カルホーン、ズビスコとか
これまた2線級の中堅どころが多かったけど(凄ぇつまらなそう…)。
当時のNYの一流フェイスは、サンマルチノを除くとモンスーンくらいしか
いなかったからな。アンドレも挑戦させれば良かったのに。
他地区に遠征してカーペンティアやブラジル、ブリスコとかと
タイトルマッチを行なったこともあった(レイスとのWタイトル戦も)
日本では坂口が挑戦してるけど、なんで猪木じゃなかったんだろ?
>>230 画像Thanxです。ワフーとの一連の抗争はAWAのドル箱カードだったそう。
国プロあたりで並行輸入してやってもらいたかった(w
米マット界は兄弟といっても殆どビジネス上で名乗ってるチームばかり。
賢兄愚弟と揶揄されてはいるが、バション兄弟やブラジル&ハンクジェームスらも
あやしいな。
>>231 親日にめずらしく武道館興行だった。>坂口VSグラハム
猪木は上田とネイルデスマッチでダブルメイン。
当時、猪木は格闘技戦にご執心でタイトルには食指を動かさなかったのか? 謎。
猪木VSグラハムじゃなんか噛み合わないからとか(w ボブとはやってるし。
age
235 :
ブルーザー :02/02/01 00:28 ID:NB/jBh2B
>>231 >少なくともバックランドよりかプロレスラーとしては上では。
>私生活では真面目な人だったらしいね。
手厳しいですなぁ(苦笑)、アメリカでの総合的な評価としてはそうなるかも?
日本では全く逆になるでしょうが・・・
グラハムのスタイルは”長兄”の「催眠博士」ジェリーとマネのウイザード
(かつてシークのマネをしており、ロジャースとも親交があった)の影響を受けて
いると思います。オリジナリティという点では、もっと評価されていいレスラー
かも知れません。実生活では謙虚で、試合の批評を素直に聞くタイプだったようですね。
俺もずっと騙されてきた口です(w
グラハムの防衛戦の相手は、確かに酷かった。Chainsaw Charlie 氏の書き込み の通り、NYに使えるベビーが少なかったのが一番の原因。 A級と呼べるのは、バックランド、ブリスコ、モラレス、マスカラス、レイス、 ローデス(グラハムとの試合は面白かった)ぐらい。ブラジルやカーペンティア は完全にロートルだったし、坂口との試合は凡戦だった。 意外なところでは、ミズーリでスローターやジミー・バリアント、マイアミで R・ジョンソン、カンサスでブラック・アンガス(ワイルド・アンガス?)等 とも対戦していました。当時(’77年)からNWAとは頻繁に交流があった ようです。ベストバウトは、やはりレイス戦かな?
A級にサンマルチノとチャボ(ロスで挑戦)を追加。
>>232 74年頃のAWA地区で、ローデスとタッグを組んでいた時の画像もありましたね。
実生活でも仲が良かったのかも知れません。
当時は、クラッシャー&ロビンソン、ラシク&ホフマン等のユニークなチームもありました。
WWWFとAWAは、モラレスが王者の時代から頻繁に選手の入れ替えをしていたようで、
その縁でグラハムはNYへ転出したのでしょう。(ブラックジャックス等も同じ)
皆さんに質問です。 確か80年前後だと思うんですが、ワールドプロレスリングの中で アンドレ、マスカラス、A VS ケンパテラ、B,C というカードが放送されたと記憶してるのですが、 A,B,Cの選手が思い出せません。 結果はアンドレ組が勝ち、試合後アンドレに抱きついたマスカラスの 小ささ(?)が印象に残りました。 憶えておられる方、よろしくお願いします。
239 :
ブルーザー :02/02/01 09:22 ID:nrdvw4OD
>>238 TV放映は未見ですが、’78年3月のMSGのセミで、
アンドレ・ザ・ジャイアント、ミル・マスカラス、ダスティ・ローデス VS
ケン・パテラ、プロフェッサー・タナカ、ミスター・フジ
の6人タッグが行われました。因みにメインがバックランドVSグラハムで
藤波のJR防衛戦、坂口とルスカの柔道ジャケットマッチもあったようです。
この2試合のためにTV放送されたのでしょう。
とりわけ日本ではしょっぱい試合しかしていない日系レスラーの 得意技は塩攻撃とはこれいかに。
>>229 あのテーマ曲はジミー・ハートの作曲で、実際にカート・ヘニングが歌ってる(w
ローデスといえば、息子のダスティンもスマートですよね。
親父と比較されるというセカンド・ジェネレーションの宿命を
逆手に取って、“ゴールダスト”というキャラクターを
オポジションのWWFに売り込んで成功したんだから。
賛否両論あったけど、プロ意識は親父さんにヒケを取らないと思う。
まぁ親父とガチで仲が悪かったというのもあるんだろうけど(w
ゴールダストが凄かったのはキャラクターだけでなく、
あのコスチューム(金髪のカツラとローブ)がNWAへの
痛烈なアイロニーでもあること。元NWA世界王者の息子が、
当時のNWA/WCWの象徴(フレアー)を極限まで歪ましたわけだ。
そのゴールダストが復活してWWFでフレアーと邂逅しようとはねえ。
>>235-236 >>日本では全く逆になるでしょうが・・・
まあそうなるでしょうね。
しかしバックランドって日本で過大評価されすぎだと思う(w
猪木も「センスのない男だった」とか言ってた。
ブラック・アンガスはアメリカでのワイルド・アンガスのリングネーム。
アメリカではセントラル・ステーツ地区(懐かしい響き…)が主戦場だった。
あとグラハムって確かケン・パテラの挑戦も受けてたよね。
これは夢の対決! でも本当に試合中に眠って夢を見そう。
>>241 ★ダスティンのママととっとと別れたダスティは、その後、息子と歳の違わないような
嫁をもらったりしてましたからな(笑 私も必死に父のカリスマと戦うダスティンは
頑張ってたと思います。ゴールダストのルックスに限らず、WWFのNWA/WCW
揶揄はいろいろありましたな。笑ったのがミリオンダラーマン(デビアス)の
召使黒人の名前がバージル(ローデスの本名はバージル・ラネルズ)だったこと。
こいつが後にWCWに移ったら名前がビンセント(言うまでもなくビンスへの揶揄)
に変わったのにも実に低レベルな意趣返しで楽しかったですな。
ビンスはどうにも大量引き抜きで崩壊寸前まで追い込まれた恨みが残ってるようで
フレアーに続いてホーガンとアウトサイダーズまで復帰させて、「WCWに勝った」
という確認をしたいみたいですけど、あんまりしつこいと自爆しそうな予感・・・。
そういえばバージルはレッドネックスにもくっついてましたな。
♪ア〜〜イ ヘイト ザ ラップ!!
>>242 ★でもバックランド夫人のコーキーさんは歴代チャンプ夫人のなかでも
とりわけ地味(笑)で、逆に好感が持てたもんです。ボブも娘のキャリーちゃんの
顔をプリントしたシャツなんか着て・・・・垢抜けないのがいいとこなのかも。
猪木ファンは、ロビンソン戦以来ずっと猪木といい試合のできるテクニシャンタイプの
外人の登場を願ってた。ドリーをはじめ、猪木と名勝負ができそうな選手はみんな全日本が
おさえてましたからね。そこへ、久々の本格派(に見えた)バックランドが現れてくれたので
舞い上がってしまったところはありましたな。確かにいい試合もありましたが・・・
猪木はタイプとしては間違いなくブリスコやドリーと同系なのですが、こういった技巧派
との試合を封じ込められたからこそ、シン、ハンセンとの過激な試合、異種格闘技戦、日本人対決、
数々の破天荒なアイデアに走って、他に類を見ないカリスマに育っていった面もあると
思いますな。恵まれなければ、それを逆手に取る発想が昭和の新日本の面白さでした。
>>242 ★しつこく余談ですが15年くらいまえのWRESTLING ILLUSTRATED誌(だったと思う)が、
過大評価(OVER RATED)されているレスラー
過少評価(UNDER RATED)されちるレスラー
という業界のタブーに踏み込むランキングを掲載して一部で話題を呼びましたな。
過大の方はさしさわりがあるので書きませんが、過小評価されているレスラーの
一位がブライアン・ブレアー(キラー・ビー)だった辺りにアメリカのマニアの
良心を見た思いがしましたな(笑)
このスレだから言えるけど、平成の日本人選手はほとんどが過・・・
246 :
ブルーザー :02/02/01 14:36 ID:dIpVwStG
>>242 やはりワイルド・アンガスでしたか、ありがとうございました。
アンガスはドリーにも挑戦したことがあったようですね。
グラハムVSパテラ戦は2回ほど行われていたようですね、ヒール同士のstrange
matchmakeですが、まぁ見たいような、見たくないような・・・
ポージングが一番の見せ場だったりして(w
あとグラハムは、ロードアイランドでカーロス・ロチャなる選手と防衛戦を行って
いますが、正体をご存知ですか?>Chainsaw Charlie 氏
247 :
ブルーザー :02/02/01 15:24 ID:Wy5/qmlk
>>244 創世期から52年頃まで、新日に来た外人勢は悲惨でしたね。馬場が「ゴッチ一人
で3年持たせた」と皮肉ってましたが。単発ではJ・バレンタイン、シーク、テーズ、
ロビンソン等は来ましたが、レギュラーだとシン、アンドレ、パワーズぐらいしか
呼べませんでした。トロスやブラッシーはロートルだったし、マクガイヤー兄弟が
目玉のシリーズもありましたね。猪木や新間にとっては不本意だったでしょうが、
小林や大木との対決、ルスカ、モンスターマンとの異種格闘技戦は文句なく面白かった。
>>243-244 バージルはレッドネックス解散後(なんでこいつがカウボーイ?)、
例のビンス・ルッソ政権になってから今度は“シェイン”に改名してた(w
で、その“ビンス”ルッソのボディガードのハリス・ボーイズの名前が
“パトリック”と“ジェラルド”。言うまでもなくビンスの側近の
パターソンとブリスコへの揶揄。しょうがねえなあとか思った(w
パターソンといえば、当時の新日では猪木に対抗し得る数少ない
ヘビー級のテクニシャンだったよね。NWFにも挑戦してるし。
でもいかんせん2流っぽいイメージが払拭できなくて、
猪木のライバルとしては役不足だった。
そういう意味でボブ・ループの新日登場は嬉しかったが
常連にならなかったのが残念。しかしこの人はホント強かったな。
猪木が真剣に押されてた試合としてはボック戦と双璧なのでは?
マレンコが乱入したり、基本的にはワークなんだろうけど
その後ループが二度と来日しなかったことを考えると‥‥
やっぱギャラとかが不満で、つい「やっちゃった」のかな(w
>>246 誰だろう? ロードアイランドというとWWWF圏だけど‥‥
プエルトリコ系の中堅選手なんだろうけど、ちょっとわかりません。
WWWFに挑戦できたことを考えると、かなりの大物‥‥
とは限らないんですよね(w
>>245 気になる(w)あとで教えて下さい。
もう時効でしょうし、引退している外人レスラーなら問題ないでしょう。
評価が分かれるといえば、古いところだとロジャース、ゴッチ、エリス、15年程前なら
グラハム、プトスキー、テリ―、ホーガン、バックランド、レイス、ウオリア―ズと
いったところでしょうか。
ここは「昭和40年代生まれで語ろう」ではないのか。。。
>>251 「昭和20年代生まれ」がはばをきかせているようだね。。。
253 :
Chainsaw Charlie :02/02/01 17:00 ID:jvoqEMwn
うりゃーおしっこすんぞー(w
>>248 パターソンは、昭和52年に一度だけNWF王座に挑戦していますね。本人も
「日本でのベストバウト」と語っていたようです。残念ながら俺は未見ですが。
54年頃に長州と戦ったTV中継を見ましたが、試合の組み立てが上手かったですね。
当時のフィニッシュには4の字を使っていました。
ループの件はどうだったんでしょうね?マレンコの乱入は、不穏な雰囲気を察知して
(このままだと‘事故’が起こる)自身の判断でやったような気もしますが・・・
個人的には、猪木の試合の中でもあの結末は、最も不可解な内の一つです。
>>247 春にブリスコが特参してフロリダともパイプがつながり、
S54年の闘魂シリーズあたりからグッと外人勢の顔ぶれが充実。
ローデスやモラレス、パターソン、ボルコフ、後半にシンやバックランドも参加。
前年の闘魂SってCマルコフやクラップ、バーナードら華もクソもない連中ばっか
だったな。
かわってパワーズやクラップはお役御免で国プロに払い下げ、Hブロンドスも
さっぱり来なくなった。タッグリーグ戦は参加してほしかったが。
>>254 ★パターソンは本当に「組み立て」の上手い選手でしたね。強烈な強さとか個性は
無いものの、試合を見終わったあとにじっくりと「プロのレスリングを見たな〜」
という気分にさせてくれる選手でしたな。やたら激しくせせこましく、危険な技を
出せば客が沸くと勘違いしている最近の選手には見習ってほしいもの。
ループ×猪木の試合は確かに不可解でしたな。それもボックのように「猪木が破壊される!」
という緊迫感や衝撃じゃなく、じわじわとアナコンダに小動物が飲み込まれていくような
息苦しさを感じさせる展開でしたな。猪木に抵抗の術が無いという・・・
観客席が沸きに沸く、みたいな試合では当然無かったので、その辺もプロフェッショナルで
あるマレンコには耐えがたかったんじゃないでしょうか。
>>255 ★この頃から新日本のブッキングルートに大きな柱ができて、毎シリーズそれなりに
豪華なメンバーを呼べるようになっていきましたな。協力プロモーターは
@ビンス・マクマホン(WWF) Aエディ・グラハム(フロリダ)
Bマイク・ラベール(ロサンゼルス) Cスチュ・ハート(カルガリー)
Dフランク・タニー(トロント) Dフランシスコ・フローレス(メヒコUWA)
この頃、NWAがちょうど主流派(ガイゲル、バーネット、クロケットJr、馬場ら)と
反主流派の反目が激しくなりつつあり、新日本は完全に反主流派の勢力と結びついた
わけですな。新日本はガニアのAWAとのルートも欲しかったようですが、
マクマホン(親父)から「ガニアと商売するのだけはやめろ。ヨシハラがケツの毛まで
抜かれたのを知ってるだろう!?」と言われた、なんてエピソードが紹介されましたが、
書いていたのが流さんなので真偽のほどはかなり不明ですな(笑)
258 :
255 :02/02/01 20:05 ID:???
>>256 >>257 しかしながら親日って猪木を頂点にしたゆるぎないピラミッドを形成した
団体だったので外人が豪華に成っても、あまり有効には生かせなかったね・・・。
あくまで主役は猪木。そういう意味で全日は天国だったはず。
猪木(と新間)とガニアじゃ水と油か、むしろ似たような「タヌキ」だったでしょう
から提携もスグ破談になったかも。アドニスはWWFに転戦したおかげで親日ルートに
乗れました。彼の気性、ファイトぶりは親日向き。
流星仮面と組んでたマレンコも良かった(2人とも)。葉巻を猪木の眼に押し付け
シナリオもばっちり。最後はリングに上げさせコテンパンにやられてた(w
今日発売の「週プロ別冊アメリカーナ」に ジャック・ブリスコのインタビューが載ってる。
ジャック・ブリスコのHP
http://www.wrestlingclassics.com/brisco/index.html ’74年に日本で行われたドリーとのNWA戦の動画もあります(30秒ほどですが)
倉持アナの実況と故山田氏の解説が懐かしい。
この時の全日の来日メンバー:ブリスコ(現王者=当時)、レイス(前王者)、
ドリー(元王者)に加えてテリー、ジェリー・ブリスコ、プロフェッサー田中・・・
新日に同時期来日したメンバー:マクガイヤー兄弟、トロス兄弟、T・チャールズ、
P・ロバーツ、M・カランバ。
これでは勝負になりません(w
でも、この時のトロスって猪木とシングルで2−0とかで勝ったりして 結構怖かったと思う(われも子供だったが・・) 豪華さでは全日に到底かなわなかったけど、当時の新日の暗さ(地味さ) がすきだったな。
仮面ライダーアギトに出てきた中年仮面ライダー役の方が、 ジョー樋口の息子さんなんだってさ。
263 :
麒麟児 :02/02/02 05:18 ID:???
結局ガチなら北天佑最強ってコトだろ。
>>262 マジ!? 戦ってる途中に失神したりしないだろうな。
265 :
お前名無しだろ :02/02/02 06:43 ID:vmBZYBjV
>264 決して巨大な悪(NWA)の味方ではありませんでした。
>>265 NWAはショッカー
AWAはゲルショッカー
WWFはデストロン
って感じすか。
ゾル大佐はレイスで、ドクトルG(ゲー)はビンス、
立花藤兵衛は誰だ?(止まりそうにないので以下自粛)
267 :
ブルーザー :02/02/02 12:03 ID:9jHXMcsU
>ブルーザーさん パワーズの写真、なかなか格好いいじゃないですか?晩年のMSGタッグリーグ に来たときのガリガリにやせたひ弱そうなパワーズをみて、ガッカリしたもの ですが・・・ ジョン・トロスの全盛期って、猪木にUN取られたあたりですか?
269 :
キューバンアサシン :02/02/02 19:23 ID:z6QXj3yc
>>267 このにのってる"Gypsy Goe"ってジプシージョーですね。
チョビ髭をはやしたりしてイメージがちがうのですが、別人でしょうか?
>>267 Page4のクラッシャーコワルスキー&タ二ーミルズは初代AWAタッグ王者チーム
はっぴ姿は来日時?
271 :
お前名無しだろ :02/02/03 00:56 ID:cUzJc+7M
いまJスカイのWWFクラシック観てるのだが、 ミスター・フジとキム・ドク(タイガー・チャン・リー)が出て来る。 しかしキラー・カーン痩せたな‥‥
サムライのグローリーにもフジ出て来たよ。今日はフジ祭り?
274 :
ブルーザー :02/02/03 02:25 ID:pH43aI7V
>>268 確かジョン・トロスは、キニスキーと同い年でした。年齢で考慮すれば、ロスで
活躍していた’60年代から’70年代にかけてが、やはりトロスの全盛期では
ないでしょうか?
>>269 画像のジョーは、椅子パフォーマンスのジョーとは別人です。
俺が調べたところジプシー・ジョーを名乗っていたレスラーは少なくとも3人いました。
画像のジョー(1950年代)は、元祖といって良いと思います。
275 :
お前名無しだろ :02/02/03 11:39 ID:Rp1XD434
>273 それはヤス・フジイでは?
>>272 きょうはジョニー・バリアント、トニー・ガレアとかが出てる。
ドリーも。80年代の映像だけど
パイパー&オートン! 対訳付きで見れるとは・・・・・ しかしオートンって喋り下手だな(ワラ
解説のバカライター小島がマイク・シャープと マイク・ジョージを勘違いしてたな(笑) シャープは国際末期のエースで、国プロ崩壊後は 国際軍団の助っ人で新日に登場したがパッとしなかったんだと(笑)
>>258 ★実は・・・もっと外人に関して寂しい思いをしていた人も・・・。
ちょうど昭和55年(1980年)の年末、新日本と全日本のタッグリーグ戦争が
始まった年のことです。開幕を前にして、両団体の豪華メンバーが次々と発表
されていきます。新日本はハンセン、ホーガン、アンドレ、シン、バックランド、
ローデス(特別参加)。全日本はファンクス、ブッチャ−、シーク、スレーター、
スティムボート、ロビンソン、ニック。そんななかである人物が専門誌に語った。
「盛り上がってますなあ・・・」
「は?」
「全日本と新日本(のタッグ戦争)ですよ。悔しいけど、勝負になりませんわ、ハハ」
↑と力なく笑ったのは国際プロレスの実況担当だった杉浦アナでした(涙)
やっぱオートン強ぇ・・・・・
WWFクラシック観て思ったんだが、ブラッシー、ヒーナン、 ジミー・ハート、ジョニー・バリアント、ミスター・フジとか、 こういう男のマネジャーって今はほとんどいないな。 昔は女のマネジャーの方が珍しかったのに。
日本語解説は相変わらず痛いが、今回のは面白かったね 伝説のパイパーズ・ピットが字幕入りで観れるなんて、 ホントいい時代になった
>>261 ★トロスはなぜか猪木×スピンクス戦のジャッジとして来日。「猪木はまだ元気だな〜」
「前田は相手の距離で戦うから打撃をもらうんだよ」などと、呑気かつ幻想の膨らむ
コメントを残していきましたな。
>>262 ★最新の『宇宙船』(特撮ヲタ雑誌)に彼のインタビューが載ってますな。それにしても
坂口憲二といい、プロレス関係者二世は芸能方面に行くやつが多いですな。
>>266 ★あくまでも私の見立てですが
ショッカー:首領=ガイゲル、ゾル大佐=エリック、死神博士=シーク、地獄大元帥=レイス
怪人をレスラーとすると、大幹部はやはりプロモーター的な権力を持ってるヤツでないと。
ゲルショッカーとデストロンは時系列的にやはり同時には存在し得ないということで(笑)
>>278 ★週プロ関係者のプロレス知識の無さってのは呆れ返るものがありますな。もちろん
今の平成記者ではゴングも同じようなもんでしょうけど、昔のゴングは素晴らしく
マニアックでした・・・。
>>279 杉浦さんや清水さん(日テレ)の実況は堅実で良かったですね。
絶叫型も嫌いではありませんが、あの二人には何とも言えぬ味がありました。
杉浦さんは、何故かいつもカマタに絡まれていましたね。
絶対にマイクを離さないところにプロ根性を感じました。
>>283 揚げ足を取るようで申し訳ありませんが、
地獄大元帥→グレートマジンガー、地獄大使→仮面ライダー
でございます。
>>284 ★うう、そうでした。地獄大使と書いたつもりが・・・。
さっきまで岩佐陽一(←悪友です)著『カルト怪獣コレクション』(同文書院)の
光波獣ピクドロンのページを読んでいたので頭がグレートモードになってしまった。
正直、スマン。
杉浦氏、専門誌のコラムページで「悪党レスラーの乱入反対!」なる論陣を張った
ことがありましたな。昭和54年の年末の出来事について-------
「先日の木村×ストンパー戦にスミルノフが乱入。時をほぼ同じくして新日本プロレス
でも猪木×バックランド戦にシンが乱入して、それまでの日本プロレス史に残るような
名勝負を台無しにしてしまった。団体を問わず、こうした悪党レスラーの“暴挙”に
なんらかの歯止めが必要ではないか・・・・」
人柄からして本気で書いてたんでしょうな。実に、実にイイ人でした。
>>285 猪木の最初の異種格闘技戦の時(対ルスカ戦)セミで試合を終えたシンが
乱入して来るのではないかとヒヤヒヤして観てました。
>>278 他の業界じゃ、あんなミス許されないよ。
あんなんでジャーナリスト面できるなんて、
プロレスマスコミってのはホント気楽な世界だよな。
ここを読んでいて、なかなか長縄跳びに入れなかった消防時代の苦い経験を思い出したオレ。 そんなオレも一応昭和40年代生まれ、、、、、しかもジャンボ好き。
>>281 女性マネージャーの走りといえば、ジム・カービンに付いていたサンシャイン
でしたか(TV東京の世界のプロレスで見た)・・・エリザベスっていうマネージャー
もいましたね、G・スティールに付いていたような(うろ覚え)
WWFには、スコーラン、アルバーノ、ウィザード、ブラッシーと名物マネージャー
が大勢いましたね、マネージャー同士の試合なんかもありました。
>>287 あの間違いは実況の松崎氏もわかってたみたいだね。
「ハァ‥‥」とか、どう対処していいかわからない様子だった。
結局突っ込まなかったけど、あれはジャーナリスト(笑)としての
小島の立場を尊重してあげたのでわ
>289 サンシャインは、ダラス地区でカブキについていたでしょ。 ジムガービンはプレシャスね。で全日にも来日したでしょ。 ミッシーハイアットは、誰についていたんだっけかな。 さらに古い女子マネといったらジ・エフォンサーについていたような…。 なんて女子マネネタに食いついてしまう俺(笑) っていうかやっぱり世代の違いを感じてしまう。
>>291 そうでしたか、どうもこのへんの記憶が曖昧で(汗
80年代前半頃から流行りだしたんでしょうか?
亡くなったクリス・アダムスにもワールドクラスで女子マネが付いていたような…
エンフォーサーについては、全く分りません。
国プロの最後のシリーズのエースでした(涙
>>286 シンも元々は乱入で売り出しました(小鉄VSスティーブ・リッカ―ド戦)。
猪木VSバックランドのWWF戦にも乱入しましたね。
あれはかなり興ざめでした、実にチープなストーリーで。
>>288 鶴田に関しては、殆どこのスレ(過去ログも含めて)では扱ってなかったので
やりましょう。
エイドリアン・ストリートの女子マネの名前なんだっけ?
>>291-292 ★昭和56年の国プロ最後のシリーズにエンフォーサーが帯同した
女性マネが、日本マット初の女子マネ。名前はバニー・ラブ。
エンフォーサーの実の女房でした(笑 そういえば対戦相手にスタンガンを
つきつけるギミックも彼女が日本で初めてやってましたな。
で、女子マネの起源については「シークの侍女」説など諸説ありますが、
以前『質問箱』で詳細に教えてくださった方がいましたので、手持ちの
過去ログを探してみます。
★ありました。米国における女子マネの起源ですが、 1937年の2月に旧MSGに女子マネが登場したという記録があります。 40年代にはトシ東郷選手の妻?チェリー・ブロッサム、ゴージャス・ジョージの ドープレッツ、ザ・シークのサロメが登場。 そして女子プロレスの始祖、ムーラ女史がレスラーではなく エレファント・ボーイについて登場し、当時の写真が残っています。
>291 自己レスだけど、思い出したんで・・・ ミッシーハイアットは、ジョンテータムのマネージャーだったんだ。 >294 Aストリートの女子マネ・・・リンダじゃなかったけ? >295-296 >バニーラブ エフォンサーが活躍していた頃はプロレス見てないので、 書籍でみた程度のにわか知識なんですけどね。 >米国における女子マネの起源 ゴングだかでサニーちゃん(タミーフィッチ)が人気あったときに、 女子マネの特集号を別冊で出していて、その女子マネの歴史みたいな、 コーナーがあったと思いました。
>297 かぶったね(笑)
A・ストリート・・・いましたなぁ(w 「世界のプロレス」でよく流れてました。たけし、所の「世界丸見え」にゲストで 呼ばれましたが、ついにプロレス団体には呼ばれませんでした。 後年、似たようなキャラのリップ・ロジャースは全日に来日しましたが、ストリート の出現はいささか早すぎましたかね。 マクマホンがアドニスに「エイドリアン」の名前をつけようとして、本家から訴え られたこともありました。
>>300 アドニスはもともとエイドリアン(Adrian)でしょ。
日本でのみアドリアンとか発音&表記されてるだけ。
>>292 最初サンシャインはガービンのマネで、その後フェイスに転向して
アダムスとくっついた。ガービンはプレシャスを新マネにした。
現在ガービンは小型飛行機のパイロット。ストーンコールドの師匠の
アダムスは愛人殺害の容疑をかけられた挙げ句、友人に射殺されたね。
ちなみにミス・リンダは後のWCWのウーマン。
前ケビン・サリバン夫人で現クリス・ベノワ夫人。
>>288 ジャンボですか、日本人レスラーでは1、2を争うほどの身体能力ありましたね。
対戦相手も猪木の千倍は恵まれてたと思うんですけど何故か印象に残る試合、
名勝負は少ないですね。
これは新日の坂口もおんなじなんですけど、試合中もみょーに冷めていた部分が
あったからではないでしょうか。選手が冷めてるのに観客が感情移入できるわけが
ありません。その点もう少し猪木を見習えばよかったんじゃないかな?って思います。
>>293 蔵前(両国だっけ)国技館でのWWF戦は福田赳夫氏も観戦していた大一番だったのに
妙な試合でしたね。その後すぐバックランドはMSGでのWWF戦があるんで
どういう形で猪木がバックランドにタイトルを渡すのかを注目してたんですけど
試合はノーコンテストで何故か猪木はベルトを返上。
>>301 間違えました(汗)、訂正します。
ストリートの「エキゾティック」をそのまま、アドニスにつけようとしたら本家に
訴えられて、結局「アドラブル」にしたようです。
>>302 ありがとうございます。なんとなく思い出してきました。
>>297 若い頃のはまるで「薔○族」の表紙ね(はぁと
Aストリートはロスのアメリカスかなんかの王者だったな。
オリンピックオーデトリアムのバタンバタンとベニヤで作ったんかと
思わせるマットの音が懐かしい。
>>304 >ストリートの「エキゾティック」をそのままアドニスにつけようとしたら本家に
>訴えられて、結局「アドラブル」にしたようです。
ハーリー・レイスのキングギミックを
ジェリー・ローラーが訴えようとした話と混同されているのでは?
>ハーリー・レイスのキングギミックを ハンサム・ハリー・レイスのことです↑
>>303 私見ですが鶴田と佐山は、日本マット史上の天才だと以前から思っています。
佐山は数限りなく名勝負を残していますが(キッドというライバルの存在も大きい)、
鶴田に関しては、天龍、ブロディ、馬場、ドリー、ニック戦ぐらいしか浮かんで来ませんね。
本気を出して(天龍に引き出されて)、パワーボムでKOした試合が個人的には
ベストバウトだと思います。
相手の良さを引き出す天才、猪木と一度でいいから戦って欲しかったですね。
>>306 いいえ、ソースは「超一流になれなかった男たち」−ベースボールマガジン社−で
その中で’84年に流氏がストリートにインタビューした時に、本人が語っていたことです。
ローラーの件は知りませんでした。
310 :
お前名無しだろ :02/02/04 18:37 ID:Ot7AYI8A
>>288 わかるわかる、縄跳びに入れない感じ。
俺もずっとここ見てるけど、書き込むチャンスがなかなか無くて。
昭和47年生まれだからここに出てくる話題は理解できても、
当時は情報収集能力の無いガキだったから提供するネタが無い。
>>310 いやいやガキの時に観た感想でいいんだよ。
どの試合が好きだったとか、どのレスラーが強いと思ったかとか。
俺も昔のことだから結構間違いも多く書いてると思うよ。
縄をひっかけてもいいから気楽に書き込んでちょうだい。
渋谷に巨大な“俊輔人形”
W杯に向けたサッカー日本代表の新しいユニホームが発表された4日、東京・渋谷
のハチ公前広場に、日本代表候補のMF中村俊輔(23=横浜)をモデルにした巨大
な人形が、新デザインのユニホームを着て登場した。
ユニホームを製作したメーカーの広告で縦25メートル、幅20メートル。上半身
裸の“俊輔人形”が、デパート外壁に固定された後、本物と同じ素材の大きなユニ
ホームを、クレーン車に乗った作業員が6人がかりでゆっくりと着せた。
珍しそうに作業を見上げていた東京都目黒区の女性(65)は「シンプルなデ
ザイン。試合も楽しみ」と話していた。15日まで展示される。
http://www.nikkansports.com/news/flash/f-sc-tp0-020204-29.html
最近は縄に入れないキューバンアサシンです。
ブルーザーさん、ジブシージョーの説明ありがとうございました。
>>301 エイドリアンといえば、ロッキーを思い出します。
>>288 バックドロップを使う前の鶴田の必殺技って、ジャンピングニーパット
と、他は何がありましたっけ???思い出せない。
>>313 鶴田はなんでもできたけど、バックドロップ以前は
これといったのがなかったですね。
思い浮かぶのは、一度潰れるジャーマンとか。
>>313 4種類のスープレックス(決め技だったかどうかは?)。
フロント初めて見たのは鶴田のだった。
レイスからボディスラム喰らった後、体をピクピク痙攣させるのが唯一の
彼のショーマンシップ。 俺の鶴田のイメージは未だ星のトランクス、エナメルの
赤いシューズにUNのベルトを巻き「チャイニーズカンフ」で入場。
鶴田のフロントはカンヌキ式じゃなかったかな?
317 :
306 :02/02/04 19:52 ID:???
>>309 ありがとうございます。そういう話は初耳でしたので、興味がありました。
しかし流氏のインタビューってのが、ちょっと気になりますね(笑
>>315 そうそう、鶴田といえば星のトランクス。ぴくぴくしてましたね。
ジャーマン、見たことありません。
>>316 いいえ、かんぬきではなく、ベア八ッグの状態からのスープレックスを得意にして
いました。デビュー間もない頃にドリー戦で、昭和51年のブリスコとのUN王座
決定戦でこの技で一本取っています。いつの間にか使わなくなりましたが、切れ味
抜群の技でした。フィニッシュには、ダブルアームを多用していたと思います。
ジャーマンはインタータッグ挑戦でテリ−に、チャンカン決勝でスレーターに決めた
のが印象に残っています。あの巨体でミサイルキックなども器用にこなしていました。
320 :
:02/02/04 20:22 ID:???
鶴田といえばボストンクラブ、コブラツイスト
★鶴田が凱旋帰国してきた時のキャッチフレーズが、「4種類のスープレックスを 使いこなす男」でしたからな。ジャーマン、サイド、フロント、ダブルアーム。 ブルーザーさんも書かれていたインタタッグ戦で全部見せてますな(記憶では)。 どれもブリッジが効いた見事なものでした。この試合は後の鶴田が見せる気の抜けた ショーマンシップ(これはこれで味あるけど)がなく、あの巨体を俊敏に動かして、 ズバ抜けた身体能力を見せ付けてます。 カンヌキ式のフロントは鶴田もやったことはありますが、むしろ鶴田初期のライバル だったキム・ドク(戸口)が得意にしてましたな。この二人の延長含む65分の死闘は 今も鶴田のベストバウトと思っております。鶴田の身体能力に対抗できるのって、 日本人(?)では戸口くらいじゃないかな。あとは坂口と前田くらい? 正直、天龍でも キツかったと思う。ましてや対戦を迫ってたけど辰っつあん論外(笑)
★で、ちょっと話はそれるかもしれませんが、その鶴田が引退後に「闘ってみたかった」 と指名した男が前田日明。彼はなんと鶴田の三倍の12種類のスープレックスを引っさげて 凱旋帰国してますな。ちなみにそれらは @サルト Aリバースサルト Bウンターグリフ CダブルアームロックサルトDハーフハッチ Eリバースアームサルト Fダブルリストサルト Gフルネルソンサルト Hジャーマンスープレックス Iデアポートスロイダー Jスロイダー Kクォーターネルソンサルト ですな。いや忘れないうちに書いときたかっただけ(笑) ちなみにキャプチュードは含まれません。
>>321 確かにドクとのUN戦も良かったですね。キウイロールなんて珍しい技も見れましたし。
どうも鶴田は相手のペースに合わせる試合が多くて、その点が物足りなかったですね。
解説していた馬場さんも野村前監督並によくぼやいていましたが(w
それも期待の表れだったのでしょう。
前田は旧UWF崩壊後に全日入りする可能性があったそうですが、是非鶴田と戦わせて
みたかったですね。
久々です。 鶴田のピクピクはテリー譲り、エルボーはドリー譲りという感じがしました。 高山や福田のスピードよりブリッジ重視のジャーマンを見て鶴田を思い出した私。 晩年はあまりやりませんでしたが、ドロップキックの打点も結構高かったですね。 バックドロップ以前はダブルアームとジャンピングニーというイメージがあります。
★鶴田のナゾ なぜ、ジャンボ鶴田のあだ名はトミーなのか? 名付け親はテリー・ファンク。ジャンボが米国のファンク道場に 入門した際、テリーがみんなに紹介して、 「日本からきたトモ・・・・トモーミ・・・ツルタだ。なんか 言いにくいな。今日からお前はトミーだ。いいな?」 となったのですな(本当)。 この頃の同期には有名ですがハンセンとバックランドがいた。 「日本から送られてくるインスタントラーメンを、ハンセンがボクに 黙ってボリボリ食っちゃったんですよ」 と、よく笑いながら話してました。
>>322 な、懐かし! 当時、名前は全部覚えた。
けど、どんな技かいまだに判らないのがある!
ちなみに、キャプチュードは暫定名称が「アキラ・スペシャル」で、
その前に長与千種が控え室に応援にきたときにシモネタ交じりに
「チグサ・スペシャル」と名付けた云々というのがビッグレスラー誌に
載ってたという記憶があります。、
詳しい方教えてください。 コロニッシュ&エルボースタイル カンバーランドスタイル ランカシャースタイル、この違いは何ですか?
皆様、お久し振りであります。
今日仕事で大失敗(洒落にならん…)をして失意のズンドコにおります。
ここで懐かしさに癒されようと思いやってきました…。
あ、前田のスープレックス懐かしいですね。
当時の資料がありますのでアップします。
暇な方は見て下さい。
(注 本当は見開き2ページだけど借り物のHPの関係で
バラバラになってます。スイマセンデス)
http://fox.zero.ad.jp/~zan80170/
鶴田のジャーマンといえば・・・ 既に話題になっている、デビュー当時の対テリー、Cカーニバル決勝の対スレーター のほかに、好勝負と名高い対ドクのUN線(愛知)、試練の十番勝負第一戦の対ガニア、 それとダブルフォールになった対フレアー(NWA戦)などが思い浮かびます。 フロントについては、晩年のころは、天龍、ドリーなど特定の相手にしか出してなかった ような気がします。
>>327 非常におおまかに
間違ってたらゴメン
コーニッシュ=デボンジャーとカラー&エルボーは柔道
カンバーランド=ウェストモアは四つ相撲
のような感じで相手を倒せば勝ちのレスリング
ランカシャーは詳細不明だが後のキャッチの原型らしい
>>327 俺も自信はありませんが・・・
ランカシャー
別名、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン、今日のフリースタイルの原型。
イギリスのランカシャー地方で始まり、ここからの移民がアメリカの中西部に住み着いて
広まる。ゴッチ、ロビンソン、キッドがいたことで有名なスネークピッド=蛇の穴も
このスタイル。
カラーアンドエルボー
アメリカで始まる。胴着をつけて組み手から戦い始める柔道と似たスタイル。
投げたり押さえ込んだりするのは他のスタイルと同じだが、異なるのは数秒
押さえ込まねばならなかったところ?
カンバーランド
イギリスに無数にあったローカルレスリングの一つだと思われるが、詳細について
は不明。フリースタイルの一種だと思われる。現在のレスリングのもう一つのスタイル
であるグレコローマンはフランスで発展した。
>>323 旧UWFが崩壊するとき、やっぱり新日には戻りたくないから
馬場に相談しに行ったら、全日もジャパンプロレスが入って来てて
大所帯になってるから前田と高田だけなら引き受けると言われ、
全員で行けないからと破談になったのね。
もし前田と高田が行ってても藤原と木戸は普通に新日に戻れた
ような気がするな。山ちゃんは佐山にくっついてプロレス界から
離れちゃってたかな?
> 山ちゃんは佐山にくっついて 例の橋本対小川の後の乱闘時に山崎が佐山に 凄い形相で詰めよってましたね。 時代が変れば人間関係も変るか。
>333 本人は「手を出さなかったのは恩人の佐山さんがいたから」 みたいなこと言ってましたけどね。
>>332 そのプロレス界離れてる間に整体だか針だかの勉強したと聞いたことあります。
中野が不満を述べてたな。 「みんながUWFを崩壊させまいと頑張ってるときに、あの人は さっさと将来のこと考えて整体とか針とかの学校行っちゃっててさ」 みたいな。
中野、安生、宮戸しかUWFに若手がいなかったときは こんな連中が未来のプロレスを背負うのかと考えると鬱だったよ。 そりゃプロレスラーは顔だけじゃないが、幾らなんでも不細工すぎだと
338 :
お前名無しだろ :02/02/05 04:16 ID:CifPYxR5
安生がその後売れるとは思わなかったな。 ましてブレイクした時点で終わっちゃうとも思わなかったな。
現地時間の3日、ネルソン・ロイヤルがハート・アタック(心臓発作) で亡くなったそうです。謹んでご冥福をお祈りいたします。
>>335 残念ですね。ご冥福をお祈りします。
輪島やシャムロックはどう思ってるでしょう…。
日本プロレスなどで活躍したネルソン・ロイヤルさんが3日、心臓発作のため 自宅のある米ノースカロライナ州で死亡した。70歳だった。教会で朝の礼拝 中に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。ロイヤルさんは通算9度来日。ア ントニオ猪木らと名勝負を演じた。一線を退いた後は、大相撲から転向した輪 島大士やケン・シャムロックの指導にあたるなどプロレス界の発展に尽力した。 (デーブ・レイブル通信員)
342 :
お前名無しだろ :02/02/05 09:54 ID:zqUleqk4
合掌。
元気を出しましょう。 > 速達ジョーンズさん ところで、前田とえいば、コーナーの藤波に対して回転キック?で 大流血したシーンと、ボストンクラブ?を決めた藤波(長州だった?) に対して背後から顔にキックで怪我をさせたシーンが思い浮かびます。 物忘れが激しい中年ですので、?ばっかりですみません。 藤波って、よく大流血してましたね?
>>343 背後から顔面キックを叩き込んだ相手は長州でしたね。
私はけっこう前田のファンだったりするんですが、それでもボストン・クラブで
どっしりと腰を落とし無防備な長州に対し背後からおもいっきり顔面に回し蹴りを
ぶち込み眼底骨折(だっけ?)させた前田に対しては嫌悪感を感じましたね。
安生が暗闇からいきなり前田をブン殴った時も「それ」を感じました。
>>322 そん中でアキラ兄さんが試合で実際使ったのは9個だけだよね。
Wアーム・ロック・サルトとクォーターネルソン・サルトは
マレンコ兄弟が使ったりしてたけどデアポートスロイダーは兄さんが
道場でやったのしか見た事ないッス。
あの技は危険すぎて試合では使えないかねぇ
前田のスープレックスについては、殆ど忘れてしまいました。スロイダーとキャプチュード
ぐらいしか記憶にありません。
>>343 藤波を大流血させたのは、「フライング・ニールキック」だったと思います。
前田のキックでジョージは鼻骨骨折、平田は唇がとれかかったそうです。
あと、猪木VS藤原戦で、猪木のスリーパーが決まって藤原が失神した後に
前田が乱入して猪木に一発決めたのも印象に残ってます。
「猪木だったら、何をやっても許されるのか!」でしたっけ?
(確か猪木はこの試合で、故意?に藤原の下腹部にキックした)
この台詞は今でも通用しますね(w
>>344 えー、あの試合の裏ビデオ持ってます。(w
会場撮りなんでアップではありませんが、当時前田がマスコミで主張したとおり
長州の肩に手を置いてから蹴ってます。
ので、私の感想としては、後ろからいきなりって感じではありませんでした。
天龍・輪島のからみを見てあれぐらいガンガンやらなきゃ、と思い
思いっきり蹴ったら怪我させてしまったみたいなことを後日前田は語ってたと
思います。
>>347 そーですか。合図はしてたのですか。。
でも
「長州の肩に手を置いてから蹴ってます」
というのも別の意味で寂しい話っす。
>>347 前田が天龍と輪島のような試合をしたかったと言っていたのは確かだし、肩叩いてから蹴ったのも事実。
でも前田に悪意が無かったとは思えないな。サソリ、リバースする前の体勢だし、ロープ際だし。いくら合図したからってあれはやり過ぎだと思いますよ。
試合中長州バカにするようなことやってたし(ホレ殴ってみろと頬を突き出したり)。
あの頃の長州はかなり身勝手な行動ばかりしてたから、前田が頭にくるのもわかるんだけど、あれはほめられるようなことではなかったと私は思ってます。
>長州の肩に手を置いてから蹴ってます。 嘘ばっか言うな素人
351 :
お前名無しだろ :02/02/05 16:09 ID:vGfvYk1+
>>350 それはマジだと思うぞ。
ビデオ見てみ。
そうやって最終的にヤヲだって方向に持っていきたいだけだろ。
牧童(でしたっけ?)ネルソン・ロイヤルに合掌
>>343-348 ★実は5〜6年前に前田と1時間ほどじっくりと話し合う機会がありました。
そのときの印象では、「子供がそのまま大人になったような男」。子供ゆえの
視野の狭さやわがままでトラブルは多いようですが、根は悪い男じゃないと
思います。その点、高田や船木はねェ・・・・。
ただ、そのときの話合いが原因で、前田は私(本名のマリオミラノ)に対して
お怒りが芽生えたようで、「今度会ったら許さん」と仰ってたと人づてに聞きました。
ですから昨年末のあるパーティで遠くに彼の姿を見つけたときは、一目散に逃げましたよ(恥
それでも、私は前田という男が大好きですけどね。
354 :
正直 :02/02/05 16:27 ID:???
本人とじっくり話したことあるとか言われると何も言えなくなるな。
ただ、前田位になれば、どこまでやれば怪我しないか 判るはず。 長州はあれで眼底骨折を負ったのですから、 どちらにしろ前田の行為は褒められたものではない。 天龍うんぬんは、後から考えた、大義名分としか想えません
>>353 すすすげー。あなたいったい何者ですか?(煽りじゃないよ)
事件後暫くしてから週刊プレイボーイに、長州と前田の対談が載っていましたが、 どんな内容でしたっけ?これも殆ど忘れてしまいました。 長州「○○さんが心配していたぞ」…等、どうでもいいことしか覚えていません(w 鶴田の名勝負に関しては、なかなか意見が出ませんね。今までのまとめとして、 1、キム・ドクとのUN戦 2、馬場とのタッグでファンクスのインターに挑戦 3、S55,チャンカン決勝のスレーター戦、4、ガニアとの試練の十番勝負 5、フレアーとのNWA戦(ダブルフォール) ぐらいですか。 あとニックからAWA王座を奪取した試合、S52、チャンカン決勝の馬場戦 S63、ブロディとのインター2連戦、長州との60分時間切れの試合、 ロビンソンとのUN戦、天龍をパワーボムで失神させた試合、こんなところでしょうか。
>>358 ありがとうございます、コロッと忘れていました(w
あの試合は面白かったですね。鶴田のジャイアント・スイング、カナディアン・
バックブリーカー、マスカラスのポストからのダイビング・ボディアタック、
変形の背骨折り等、珍しい技も出ました。
>>358 私が嫌いなK持アナが「華麗な空中戦が期待できます」みたいなことを
言ってましたが、いかんせん体格差がありすぎ名勝負とは思えなかったです。
しかしその年の猪木の格闘技戦(たしかモンスターマンでしたっけ)を押さえ
東スポの年間最高試合賞を受賞したので評価はされた試合みたいですね。
>>357 「お前は俺達が道場でやってたようなことやりたっかんだろ?アキラ」
みたいなこと言ってたことくらいしか私も記憶にありません。
鶴田の名勝負は三沢をバックドロップ三連発でKOしたとき。
鶴田の試合ですっきりした数少ない例の一つ。
新しくてスンマセン。こんな私も一応40年代生れなのよん。
名勝負かどうかは分からないけど鶴田の試合で覚えてるのは対長州戦。 試合は長州はドロップキックは使うわジャーマンは使うわで本当にもう 必死だったが鶴田は余裕が感じられた。 「どういう組み立てで試合をしようかなぁ、、」みたいな。 結果はフルタイムの引き分けだったけど改めて鶴田の化け物ぶりを認識したな。
>>362 その試合は覚えています、あの頃の鶴田は”ヒール”で、憎たらしいほど強かった
ですね。三沢が乗り越えなければならない大きな壁でした。
>>363 余裕がありすぎるのも、爆発的な人気が出なかった原因だったと思っています。
確かに身体能力とスタミナは脅威的でしたが、ガムシャラなところは無かったですね。
そこが鶴田らしいところではありますが。
>>353 のつづき
★前田はレスラーとしてはスティッフで、はっきり言ってヘタクソ。しかし、
藤波×長州戦以来、新日本のレスラーが小型化、ハイスパート化していくなかで
彼のスケールの大きさというのは魅力でした。IWGPでのアンドレ戦など、
とてもよかったですからな。アンドレを朽木倒しにするなんて、他の日本人選手には
できない芸当ですからね(セメント試合の方はまた別の凄みがありましたけど)。
UWFもいいんですが、彼にはオートンやブロディなどとド迫力のプロレスを
展開して欲しかったですな。ブロディ戦は直前でドタキャン、オートンが来てるときは
前田が顔面蹴撃で欠場中と、ことごとく肩透かしでしたからな。
ジャンボといえば三冠を統一したハンセン戦 最後はハンセンがウエスタンラリアートを空振りして ロープに跳ね返って自滅。 「なんじゃー!!いいのかよゥこれで!!」 みたいなトホホな結末。
>>357 >>362 ★あの対談は衝撃的でしたな。ま、この前に新日本の創立記念パーティとかで二人が
事件以来初の顔合わせして談笑はしていたんですけど。対談のしょっぱなに、
前田「プレイボーイの連中は、オレと長州さんが乱闘始めるんじゃないかと心配して
ましたよ」
長州「ハハハ」
というフリがあり、なごやかな雰囲気で進みました。前田はこのプレイボーイ対談で
×天龍、×長州、×猪木と異色というか「よくできたな」という対談を繰り広げてますな。
でも、まあ猪木や長州とは一時期の最悪の関係からは抜け出したようですけど、
基本的にはソリは合わないみたいですな。
>>359 ★メフィスト氏はパソコンの調子が悪くて2Chは覗けないそうです(笑
ボクシング始まるぞ!6時50分から! 今日の試合は凄いぞ! スゲ〜ドツキアイが見れるよ。
>>361 ★そうですねえ。ジャンボって身体能力ゆえに楽々と空中技を使えたから
マスカラスとやらされたり、藤波と組まされたりしてましたけど、よく考えたら
「超」大型レスラーですからね。馬場さんと肩を組んでキックするなんて、
三沢じゃ無理ですもんね。
こんばんは。 > 皆さん 鶴田の凄さと、前田の無茶苦茶さがよくわかりました。 しかし、315さんと同じで、鶴田といえばチャイニーズ カンフーの(少し間の抜けた)メロディを思い出します。
>>371 ★ジャンボのテーマはどれも好きです。
チャイニーズ・カンフー(赤青に星パンツ時代ですな。ウッ、ハッというかけ声がカコよかた)
ローリング・ドリーマー(途中から黒パンツ。鶴田人気が最低の時代ですな。このテーマ曲
にはなんとジャンボの歌入りバージョンもあり。みなみらんぼう氏と
ジョイントコンサートなどをやっていたのもこの時期。え?
ジャンボの歌のできですか? 聞かないほうがよろし(笑)
J (ジャンボの恐るべき強さが徐々に認知されていき、このテーマも凄く
カッコよく、頼もしく聞こえるようになりましたな。引退特番でジャンボの
インタビューのバックでかかってたのを聞いたときは泣けました)
“To be the man, You have to beat the man! ”
>>357 >>長州「○○さんが心配していたぞ」…等、どうでもいいことしか覚えていません(w
★しつこく前田ネタで正直、スマン。↑この○○さんは、星野勘太郎ですな。
まあ星野、長州、前田というラインはあるわけで・・・。
377 :
375 :02/02/05 21:27 ID:???
379 :
ハンター159 ◆AAkYIt/g :02/02/05 21:32 ID:oYF/o7oz
そう言えば「つーるーた、オー」って言うコールも 最初は鶴田を馬鹿にする感じだったんですが、 鶴田が凄みを増すにつれ、応援コールに変身しましたね。 ところでヤクルトスワローズの古田捕手が打席に入ると ジャンボ鶴田のテーマ『J』が演奏され、それに合わせて スワローズファンが「ふーるーた、オー」と コールしていた時期がありました。 あれにはニヤリとさせられました。
フレアーだっての! でもアメリカ人って韻を踏んだ語呂合わせ的な言葉が好きだね。
鶴田の名セリフって何だ? やっぱ「プロレスに就職しました」か?
>>379 千葉ロッテの誰だかが健介の「TAKE THE DREAM」使ってるの聴いてちょっとさぶいぼ立ちました僕は。
前田の蹴撃事件で思い出したのですが、あの時ってタッグリーグでしたよね?
最初は猪木・藤原組だったのに藤原が負傷し、猪木・マードック組に。
で長州・マサ組だったのに蹴撃事件で長州が負傷。パートナーを失ったマサが藤原と組んでリーグ戦に継続参加したという、
ややこしい展開でしたよね確か。
383 :
ハンター159 ◆AAkYIt/g :02/02/05 22:00 ID:oYF/o7oz
>>382 で、スコット・ホールがマードックと組む予定で、
タイツの色まで合わせたのに、チーム変更になって
少しかわいそうだったのを覚えています。
結局ホールは坂口と組んだように記憶してます。
まったく脈絡のない質問で恐縮ですけど、 ブラックタイガーは3代目までいますよね。 初代はマーク・ロコ。 2代目はエディ・ゲレロ。 3代目は○○○ー・○○○。(一応自主規制) で、2代目なんですが、エディ・ゲレロが2代目になる前に、 亡くなったオーエン・ハートがブラックタイガーになったことってありますか? なんでも初代タイガーの引退後、コブラの時代に一時期やっていたと 聞いたことがあるんですが。ご存知の方は教えてください。
385 :
お前名無しだろ :02/02/05 22:29 ID:jFqT3UAA
>>382 千葉ロッテの平井光親選手が「TAKE THE DREAM」を使ってます。
佐々木健介と同級生だったからだそうで。
首位打者を取ったこともある選手だけど、最近は実力はあるものの
しょっぱい選手になっちゃいました。
386 :
ハンター159 ◆AAkYIt/g :02/02/05 22:30 ID:oYF/o7oz
>>384 コブラの時代はまだオーエンは来日していないのではないかと思いますが。
全然違う話ですが、初代のブラックタイガーが「2メートル、200キロ
を超すもう一人のブラックタイガーをヨーロッパから連れてくる」
と宣言したものの結局実現しなかった、というのは覚えていますが。
(その当時のヨーロッパを考えると多分ジャイアント・ヘイスタック
だったのではないかと)
>>385 平井でしたか。ありがとうございます。そういや首位打者になりましたもんね10年位前。
平井ってもうベテランというイメージありますが、健介ってベテランという感じしないのは私だけでしょうか。
プロレスの選手のピークって明らかに他のスポーツと違いますね。
>>384 そんな噂あったんすね。知りませんでした。もし本当だったらオーエンは二十歳くらいでしょうか? ブルーブレイザーになったのは憶えてますが。
↑の話を覆すみたいですが、カルガリー出身の選手は二十代前半くらいから頭角あらわす選手多かったですね。キッドにしろ、ブレットにしろ。
返す返すもオーエンの死は悔やまれます。本当彼は天才だったと思います。
>>386 ですよね・・。
ブレッドのほうは初代タイガーと何回かやっていますけど。
ただこの噂を聞いた事がある、という人が何人かいるんですよ。
私はつい最近まで全然知らなかったんですが。
389 :
ハンター159 ◆AAkYIt/g :02/02/05 23:06 ID:oYF/o7oz
相撲の貴闘力も 健介と同期で、しかも両方とも柔道部。 健介と 貴闘力がいたチームですから、団体戦、強かったでしょうね。
>>388 ブレッドじゃなくてブレット(Bret)ね
パンじゃないんだから
391 :
お前名無しだろ :02/02/05 23:27 ID:acgAgurA
鶴田がNWA世界ジュニアに挑戦したことがありましたね。 相手はケン・マンテル。あのときのジュニアの体重制限って 何キロだったんでしょう? 全日と新日でリミット体重は違いましたよね。あのころは 両団体ともジュニアの制限なんて決めてなかったとも思うが。。 藤波、凱旋前ですからね。
ケン・マンテルとダッチ・マンテルって親子ですか?
>>392 他人。ケン・マンテルとジョニー・マンテルは兄弟
寝る前に1つ質問です。 昔ミスターフジという弱いレスラーがいたと思うのですが、 記憶は正しいでしょうか。
395 :
ハンター159 ◆AAkYIt/g :02/02/05 23:40 ID:oYF/o7oz
>>391 鶴田は105キロまで減量したと記憶しています。
試合は、リアルタイムで観てませんが、
全日の中継の中で、そういうコメントがあったのを記憶しています。
>>394 アメリカで試合をしていた日系の小悪党ですね。
覚えてますよ。
プロフェッサー・タナカをタッグを組んでいました。
昔の新日のテレビ中継で、MSGの試合を放送した事があって、
その中でアンドレ、マスカラス、ローデス組対タナカ、フジ、ケン・パテラ
という6人タッグをやっていました。
マスカラスがワープロに登場したのはこれが最初で最後だと思います。
>>391 鶴田はその試合のために105kgまで減量したと何かで読んだことあります。後の全日本も105kgがリミットだったような。
新日本は100kgがリミットだったみたいですがIWGPJRのトーナメントやる時の計量で
102.5kgになったと聞いたことあります。
何でも参加選手中最重量のヒロ斎藤に合わせたらしいです(w
>>394 過去ログに名前出てるじゃん。
タロー・タナカやマサさんと組んでWWFタッグ王者にもなってるよ
>>397 晩年はデモリッションやヨコズナのマネジャーやってたね>フジ
体重制限なんてあるの?
確かに減量に失敗とかあまり聞いたことないな。
401 :
:02/02/06 00:21 ID:???
>>384 カルガリーでは森村方則がタイガーマスクをやっていたそうです。
しかし連敗が続いたため、ブラックキャットに改名したとか。
マジで北天佑つよいって。
新日がジュニアで体重制限を意識し始めたころ、試合前の計量 とかっていって、普通のヘルスメーター使って量ってた・・ワラタ
>>0 間垣若乃花が朝汐に土俵下まで突き飛ばされて引退したのが
印象的。
その瞬間、実況も「若乃花引退ーーーーっ!!」って叫んでた。
>>1050 木村・浜口・寺西初登場の頃、若松市政さんは新日でレフェリー
やってたな。
結局ガチで北天佑に勝てるプロレスラーおらんでしょ。
>>1645 糞ケロの前の新日のリングアナウンサー下手クソだよな。
名前は知らんが、あいつは出世しなそう。一生ヒラだな。
今何してるんだろう。
>>407 アタシの弟だよ!!!顔洗って出直しといで!!!
それにアタシの娘はアニーにも出てんだよ!!!
ア・シーク・・・じゃなくてネルソン・ロイヤルが亡くなった。 合掌・・・。
ゴールデンとは思えないくらいスポンサーが弱かったな>ワープロ
国際の「プロレスアワー」も酷かった。 山桜名刺とかホテルニュー塩原とか、深夜番組じゃないっての
関係ないけど、あのバル・ヴィーナスが ラッシャーの国プロ時代の秘技「裏4の字固め」を使ってるらしい。
有るっつったら有るんだよー。 つうか体重なんか測っとらん。 一時期、新日が計ってた気もするが、ファンが気にしてないんだもん、 別にいいじゃん。
414 :
413 :02/02/06 05:38 ID:???
シマツタ。400までしか読んでなかったYO。 逝って来る・・・
>>410 TOYOTAとかついてた時期無かったけ?
鶴田がマンテルのNWAjrに挑戦した時(S49)は、リミット105キロまで減量した 覚えがありますね。10キロぐらいは落としたのではないでしょうか? 現役王者だったホッジが来日した時は、タイトル戦でもないのに必ずサウナなどを 使って律儀にリミットを守っていたそうです。これを沖識名に「まだアマの癖が抜けない」と 笑われると、「このぐらいのハンデをつけないと、相手のレスラーが可哀想だ」と 返したそうです。猪木も日プロ時代、ホッジのjr王座に挑戦する計画があったと 何かで読んだ記憶があります。
藤波のWWWF王座にロスでエル・ゴリアス(ゴマの蝿コンビの片割れ)が挑戦した ことがありましたが、ゴリアスの体重はどうみてもリミットを越えていましたね。 キューバン・アサシンさん、ミスター・フジについて ハワイ出身の日系人、殆ど日本語は話せなかったらしい。最初のリングネームはハリー 藤原。ハワイ、SF、NY、最後はプエルトリコで活動。SFではパターソンを破って US王者に、NYでは既出の通り、タナカや斎藤と組んでWWFタッグ王者に就いています。 日本にも全日に3回来日していますが、俺は未見です。NY入りしたのは’72年頃ですが、 MSGでガニアとシングルで対戦したこともあったようです。当時はWWWFとAWAが 正式に業務提携を始めたと記憶しています。(アンドレのトレードがきっかけかも?)
>>391 ★ジャンボがマンテルに挑戦したときのNWA規定のジュニアヘビー級リミットは
105`でした。まあ、例によって厳密なものじゃなくて「だいたいそんくらい」
って感じですけど。亡くなったロイヤルとかホッジなんかは105`でも「大丈夫か?」
ってくらいの体格でしたな。
で、全日本はずっとこのNWA基準をジュニアの体重リミットとして採用。
新日本は国プロと組んで勝手に作った日本プロレスリングコミッション(
二階堂進コミッショナー)の規定で、98.8`をリミットにしてました。
が、上でも皆さんかかれてますが、長州たちが出戻った頃にリミットを
102.5`まで引き上げたのです。おそらくヒロ斎藤への対策ではないかと(笑
ハンターさん、397さん、398さん、ブルーザーさん、
フジ情報ありがとうございます。このスレ、すべて
目を通しているのですが、忘れっぽいものですみません。>397さん
>>410 ワープロって、小松がスポンサーではなかったでしょうか(関西)。
>>416 猪木だったらJrでいけそうですね。
プロレスを毛嫌いするボクシングファンって多かったけど、 何が一番イヤかって、減量とか体重制限とか、ガチでシビアなものを フェークに利用してるかららしい。
ミスター・フジってヨコズナのマネージャーも やってたよね?
>>419 そそ、「小松製作所」。でも関西だけって・・・!?
リングのエプロン下のたれ幕(何つーの)にも「KOMATSU」って書いてた。
♪地球はァ〜虹いろコマツゥ〜♪、んで中継開始。
話は変わるがMSGタッグリーグ戦の参加メンバーって「?」なの多かった。
アンドレ&ハングマン、べーカー&パワーズ、アレン&パターソン、
マードック&スーパースター、アドニス&ブラボーetc。
猪木&バックランドとか猪木&ホーガンってアンタ、優勝すんの当然ちゃうの・・。
コテハン使ってるくせに過去ログ読まない奴が多いね
>424 おまえみたいにヒマじゃねーんだよ。 ヴォケが
423=424だろ 自作自演すんな
>>422 マードック&スーパースターはいいコンビのような気がするが。
ブロディ&スヌーカと対戦したときなんかけっこういい試合だった。
>424 そういう2ちゃんらしからぬこのスレの雰囲気が私は好きだったりします。
MSGタッグリーグですか、見てない時期もあってうろ覚えですが、思いついたまま… 第一回、S55年 猪木&バックランドの帝王コンビがハンセン&ホーガンを抑えて優勝。キラー・カーン M・スーパースターも当初メンバーに入っていたがキャンセル。パワーズ&べーカーは あまりに衰え振りが酷く、強制帰国させられた? 第二回 猪木&藤波、アンドレ&グレイ、ハンセン&マードックの三つ巴の争い。結局大巨人組 が優勝。サモアンズ、カネック&マキナは白星配給係、アレンはパターソンが途中棄権 してしまい気の毒だった。ご承知の通り、ハンセンはこの直後全日へ移籍。 第三回 前年度優勝の大巨人組は、グレイが狙われて脱落、猪木&ホーガン、カーン&戸口、坂口 &藤波、マードック&スーパースターの争い。ホーガンのお陰で猪木組の優勝。カーンは この頃がピークだった。アドニス&ブラボー、カネック&アグアヨ、ブリッジ&サムソン は参加賞。 続く・・・
第四回 猪木&ホーガン、アンドレ&SW・ハンソン、マードック&アドニスの三つ巴の争い。首位 を独走していた大巨人組だったが、ハンソンがマードック組にツープラトンのパイル ドライバーを喰らって欠場。猪木組が連続優勝。藤波&前田、長州&浜口組が大健闘。 ダンカン&へニング(Mr.パーフェクト)、ワンツ&ブリッジは参加賞。 第五回 この年は全く見ておりません。何方かご存知の方はフォローして下さい。一応外人 メンバーは、ホーガン、アンドレ、マードック、ワイルド・サモアン、ジェリー・モロー ケリー・ブラウン(タッグ戦には不出場?)でした。 次年度よりWWFとの提携を打ち切り、IWGPタッグリーグになりました。
>>438 84年のMSGタッグ、これまたガイシュツですな。
ホーガンが頭割って途中帰国。キッド・スミスがドタキャンして全日に移籍。
しかしマードック・アドニスが大活躍。猪木・藤波が優勝。
全日本の豪華さに比べると地味だったかもしれません。
しかし、自分の中でマードック・アドニス組の印象が強いのはこの年のリーグ戦での活躍が影響してると思います。
あと猪木・藤波の師弟コンビってタイトルなどに無縁だっただけに、このリーグ戦制覇は嬉しかったですね。
>431 438って?
>>431 ありがとうございます。430はアドニスが抜けていましたね。キッド&スミスが電撃
移籍して、マクマホン&坂口が激怒したらしいですね(マクマホンの場合はポーズ
だけだったかも?)アンドレのパートナーはモローだったのでしょうか?
>>429 >第一回MSGタッグ
最初はパワーズ&スーパースター、アンドレ&イワン・プトスキー、
長州&カーンが予定されていた。
ベ−カーはギャラが不満で途中帰国したらしい。
435 :
ハンター159 ◆AAkYIt/g :02/02/06 17:57 ID:CxFKdkxo
>>433 キッド・スミスがドタキャンして全日に行った時は本当に
がっかりでした。開幕戦で組まれていたアドニス・マードック組との
試合を楽しみにしていたもので・・・。
で、キッド・スミスはWWFの侵攻に反発しての移籍という事を
言ってましたが、その数ヵ月後に本人達が WWFに移籍。
結局、大義名分だった訳ですね。
>>433 ありゃ完全なポーズだろう(w
その後、ビンスは馬場との会談で、ブルドッグス(キッド&スミス)は
日本ではオールジャパン、アメリカではWWFという取り決めを交わした。
事実、その後のブルドッグスはそういう棲み分けで仕事をしていたし。
坂口としては神にすがるような思いでビンスに託したのに、
結局ビンスは新日本のことなんか気にも止めず、
自分の団体だけのメリットを考え、馬場との相互不可侵条約を交わしたわけだ(w
キッドとスミスは、ギャラがメチャクチャ安かったらしいからな。 ハンセンの移籍にしてもそうだが、新日本ってそんなのばっかり。
ゴールデンで放映料もガッポリ入り興行はどこも超満員。 金はぜーーんぶハイセル逝きだったから。クーデター起こるのも無理はない。
>>437 その反面全日本は身内が安かったのでは?
結局「MSG」の名に相応しいメンバーにこだわったのかせっかく引き抜いた ブッチャーをエントリーさせなかったな。>タッグリーグ 逆に「最強」でのハンセンの活躍ぶりは充分、元を取った感じ。 アンドレ&パターソン ローデス&マードック ホーガン&ムラコか? アドニス&オートン スーパースター&BスタッドかSスローター ・・・外人はこんなようなメンツが理想だったな。員数チームなしの少数精鋭。
★昭和56年末ならできたであろう理想のMSGタッグ(のちに来日する選手も 前倒しで呼べたと仮定して) ○ハンセン・ホーガン ○アンドレ・ブラボー ○バックランド・モラレス ○ローデス・マードック ○アドニス・オートン ○スーパースター・スローター ○ブッチャー・アレン ○ボック・ディートリッヒ ○ワフー・STリバース
★時代を無視して、参加したことあるチームを無差別に抽出した理想の 最強タッグ ○ファンクス ○ブッチャー・シーク ○ハンセン・ブロディ ○レイス・ニック ○マスカラス兄弟 ○スレーター・スティムボート ○ウィリアムス・ゴーディ ○キッド・スミス ○ロード・ウォーリアーズ(こいつらだけ参加経験なし)
>最強タッグ 参加したことありませんが、スヌーカ・リッキー組が見たかったです。
>>443 ★その感じわかります。
実は個人的にはブロディのベストパートナーはハンセンではなくスヌーカ(
ハンセンはホーガン)という感覚もあるのですが、まあハンセン・ブロディ組
って外せないかな・・・と思いまして。
数年後はともかく、横手でのリッキー戦からブロディと組んで最強タッグに
優勝するまでのスヌーカは、本当にいい選手でしたな。
もし可能なら、スレーターはオートンとのタッグが観たかった。 日本でパイパーと組んたことはあったけど。
スレーターは日本ではテリーの弟分ってことでフェイスだったけど アメリカではレッドネック系のヒールだったんだよね。 だからオートンとかT・ブランチャード、P・タナカとも組んでた。 まぁテリーも向こうでは大ヒールだったけど。
2団体の夢のタッグリーグ戦にはさまれた国プロの ささやかな年末デビりッシュファイト参加レスラー・・・ KKクラップ Gジョー Kブルックス ジ・アンダーテーカー(・・・藁) ヤスフジイ
>>444 いや、ハンセンのパートナーはデビアスが一番です。これだけは譲れません(w
このネタ、パート2にもありましたね、やはりその時も収拾がつかなくなりました。
>>447 S55年のことでしょうか?確かその時は、クラップ、スミルノフ、G・ムルンバ
E・ドーベルマン、C・プラタだったと思います。前年は、スミルノフ、ストンパー
ジョー、キューバンアサシン1号、バーン・ガニア(特別参加)でした。
S54年の方がまだ良かったですが、どちらにせよ勝ち目はありませんでしたね・・・
>>448 スミルノフ、ストンパー、ジョーって、外人エースが勢揃いですね。
国プロにしては超豪華!
450 :
447 :02/02/06 22:12 ID:???
いえいえネタで書き込んだだけッス(w タッグリーグのレスが続いてたので。 こんなもんか、と。 >ブルーザー氏 S56年早々に国プロはテーズ杯開催とかしたけど、万策尽きちゃうんすよねェ(涙
ハンセンのパートナーはマリガン、ブロディはボルコフかモスカだろ
>>446 ドリーもテリーも’76年頃からアメリカではヒールでしたね。’79年にアマリロ
の興行権をマードックとマリガンに売却してからは余計に拍車がかかったと思います。
ドリーなんかどこかでマスクまで被っていたそうですから。
>>449-450 実際、吉原さんも相当無理したと思いますよ、ガニアまで呼んじゃって。
しかし全日は、ファンクス、ブッチャー、シーク、マスカラス兄弟、ワフー、Mr・レスリング
カマタ・・・、新日は、ハンセン、バックランド、アンドレ、ホーガン、ローデス、チャボ・・・
でした。これではねぇ・・・
>>452 79年の闘魂シリーズってそういうメンバーだったっけ?
>>453 間違えました(汗)、452はS55年のMSGシリーズのメンバーでした。
S54年の闘魂シリーズに参加したのは、モラレス、ローデス、パターソン、シン
バックランド、バレンタイン、パワーズ、ボルコフでした。
>>451 ★それも実によくわかる(笑
私はボルコフよりモスカとのキングコングスの方がキャラも合ってて好きでしたな
マリガンは知る人ぞ知る(てことはこのスレの住人は皆さんご存知でしょうが)
全米ケンカ番長(のちに本当に犯罪者となるw)ですが、ハンセンと一緒になった
ときは理解のある先輩としてハンセンを立ててくれたようですな。
でもマリガンはランザとのブラックジャックスがありますしねえ・・・
それでも国プロはさまざまなアイデアを提案した「パイオニア精神」みなぎる 団体だった。 金網デスマッチ、欧州ルート開拓、外人留学生、移動体育館(要はテントw)、 他団体対抗戦(これは両巨頭と軋轢の無い国プロの利点)、SBグラハムが来た時 リングで腕相撲やベンチプレスやってたっけ? あとワフーVS草津のインデアン ストラップマッチ、日本人のマスクマン等々。 ちなみに初めてのプロレス生観戦も国プロ。S55年ダイナマイトシリーズ。 コテハン諸氏よりずっと後かも。
>>456 ★おっしゃる通り。
あと国プロが初めてやって、後の日本のプロレスシーンを変えたのは
○日本マットで初めてレスラー個人のテーマ曲を流した
(1974年9月のビリー・グラハム来日時に、ミュージカルナンバーの
「ジーザスクライスト・スーパースター」を入場曲にした)
○日本マットで初めて顔面ペイントしたレスラーをリングに上げた
(1980年2月スーパーファイトシリーズのジェーク(後のスネーク)
・ロバーツとマイク・ボイエッティ)
そのパイオニア精神には改めて感心しますな。
>>446 アメリカでのスレーターのニックネームは“Dirty Dick”。
汚いチ○コって意味じゃないだろうけど(w
テリーは“Terry Punk”とか“Terry Junk”とかファンに揶揄されてたな。
>>455 ランザといえば78年最強タッグのニックとのAWAコンビが渋かった。
ヒーナンがいなかったのが寂しかったな。
>>416 亀レス失敬。
ホッジってウェイトが90kgそこそこだったと思ってたんですが、
Jrのリミット近くまであったんでしょうか?
>>459 416の挿話は、どこかで読んだのを思い出して書き込んだので、多少ニュアンスは
違っているかも知れませんが…。ホッジの身長は188センチで体重98キロぐらい
だったと思います。(こういうのはあてにはなりませんが、特に身長)
リミットを気にするというよりも、100キロを越えるのを何故か過度に気にしていた
ようです。テーズの証言にもホッジに関して、同じ様なことがありました。
ミッドヘビー級も国際プロだけ。
462 :
-+ :02/02/07 22:13 ID:vxsNz9Of
キラーカーンの世界最強の危ないばっくドロップ。。。 アトミックドロップの失敗か?
サンボ特訓なんてのもやってましたね、国プロ… 佐山によってプロレスファンに注目されるはるか前に。
>>463 やってましたね、ビクトル古賀をコーチに招いたと記憶してます。
他には、外人同士の世界戦(テーズVSホッジ)、ワールドシリーズでのアマレス式
裁定(バッドマーク・システム、減点方式)、日本人同士の世界戦(小林VS木村)
等も国際プロが最初に行いましたね。
>>464 実は二番煎じも企んでいたことが有ったらしいんですよ。
それがナント『新宿伊勢丹襲撃事件』だった。(苦笑)
猪木が木村、シンがベーカー、新宿伊勢丹前が札幌ススキノってことで再現しようとしたら
当日ベーカーが迷子になってしまい木村は待ちぼうけを喰らってしまったそうです。
う〜ん…先進的なんだかずれてるのか?
>>465 その話も聞いたことがあります。
なんでもべーカーが通りを一本間違えたらしく、木村は空しく待ちぼうけだったとか(w
薄野は街中が完全に格子状になっているので、分りやすい筈なんですけど。
あと末期の’80年に外人不参加の日本人だけのシリーズもあったようです。
しかもマスコミには、全くこのことを知らせなかったらしいです。
かなり経営状態が厳しかったんでしょうね。
<国プロが初来日させた人達> ロビンソン、ロシモフ(アンドレ)、ゴーディエンコ、ホフマン、ラシク、 メイビア、ウィンダム(マリガン)、マクダニエル、ローデス、フレアー、 B・グラハム、ヒーナン、ムラコ、J・ロバーツ、マーテル、シュルツ、 カマタ、ジョー、ビッグダディ・リッター(JYD)、キッド、エラリング
>>467 さらに…
J・ロバーツの親父(スミス)、ビリー・ジョイス、V・ガニア、
E・カーベンティア、K・パテラ、S・スローター…
なんかホンマかいな?って位の面子ですね。
469 :
467 :02/02/07 23:52 ID:???
>>468 肝心な人を忘れてた>ガニア
カーペンティアもそうだったね。パテラとサージも‥‥
あと来たのは別々だけどハイフライヤーズの2人もか。
ホッジも国際が初来日でしたね(マツダがブッカー) 地味めだけど、B・ブラワー、M・モロウスキー、O・ベーカー、G・ネルソン、 J・ポーツなんかも。 欧州勢は殆ど国際が初来日でしたが、ジム・ハジー(マーク・ロコの父親)なども 初期に来日しています。
<久々の昭和プロレスカルトQ> 1.74年、鶴田がMSGに初出場した時の対戦相手は? 2.MSGではバディ・ロジャースともタッグを結成、 猪木とも対戦したことのある欧州の貴族系ヒールは? 3.ミサイルキックを日本で初公開した人は? 4.初期新日のエース外人として活躍した南アフリカの強豪は? 5.恐れ多くも伝説のボクシング世界ヘビー級チャンプ、ジョン・L・サリバンと 同じリングネームで来日したことのある2流レスラーは?
>>471 1.ジョニー・ロッズ(ジャバ・ルーク)
2.ジャック・デ・ラサルテス
3.昭和50年に来日したリッキー・ギブソン(R・エキスプレスのロバートの兄)
鶴田相手に初公開
4.ジャン・ウィルキンス
5.ブギウギ・ジョニー・バリアント
>>472 やっぱあなた凄いわ(藁) 全問正解。
ただ細かいとこだけ、ブギウギはジミー・バリアントのニックネーム。
ジョニーは“ルーシャス”ジョニー・バリアント。
<おやすみ前にカルトQ> 1.ルー・アルバーノが現役時代に組んでいたタッグチームは? 2.末期AWAでスミルノフと組んでいたロシア系ユーリ・ゴーディエンコの正体は? 3.ハルク・ホーガンのMSGデビュー戦の相手は? 4.スタニスラウス・ズビスコの甥と称し、デビュー当時ビリー・ズビスコと 名乗っていた、わりと日本マットの縁の深かった男は? 5.80年代前半、ミッドアトランティック地区でサージェント・スローターの パートナーだった「二等兵」は?
>>474 472は、ジョニーとジミーがごっちゃになってましたね。
1.トニー・アルチモアとの”ジ・シシリアンズ”
2.ポール・デマルコ
3.テッド・デビアス
4.ビル・ドロモ
5.これ前スレで既出の問題なんだけど、dat落ちした上、答えを忘れました(w
カーネル・ムスタフ?(ロン・フラー)、弟のロバートは、コローネル・パーカー
だったような…後年ロバートはミック・フォーリー(カクタスジャック、マンカインド)
のマネージャーをしていたようです。
>>474 1.シシリアンズ
2.ポール・デマルコ
3.テッド・デビアス
4.ビル・ドロモ
5.ドン・カヌードル(後にジム・ネルソンも加入)
うわ重なっちゃった。ブルーザー氏、失礼。 あとで私もカルトクイズ出そうかな・・・
カルトクイズか、萎えるな、、、、詳しくないだけに。ひたすら 傍観者に徹するしかなさそう。
★<昭和プロレスカルトQ・国際プロレスエピソード編> 1.国際プロレス公認で崩壊後も会報を出しつづけたファンクラブは? 2.昭和55年に大宮の合宿所が火事に見舞われますが、原因は? 3.メヒコから国プロに来日した“風林火山”仮面の名前は? 4.テーズが町田のデパートの一日店長をしたときの「爆弾発言」とは? 5.ブルーザーが来日したとき、空港に出迎えた人が驚いたエピソードとは?
レベルが高すぎて全くわからん。 マリオさんもう質問箱はやらないんですか?
>>475-476 マリオ氏は全問正解。さすがです。
ブルーザー氏は5が惜しかった。でも凄ぇ
>>479 1.バイオレット
2.車が突っ込んだ
3.ティエラ・ビエント・イ・フェゴ
4.?
5.リングネームのままチェックインしてた
>>481 ★いや・・・貴殿こそ凄いですな。
全部正解です。
で、4.ですが、これも私が勝手に「爆弾発言」と捉えたから無理もないです。
実はこのときテーズは「馬場、猪木、R木村のなかで最強なのはR木村だ」
と断言しているんですな(笑) 通訳を務めていたのは例によって流智美氏でした。
流氏とテーズと私でメシを食いながら話したこともあるのですが、このときの
エピソードはまた後ほど。
>482 カルトクイズは全問正解。前田と話したとかテーズと話したとかなんか自慢っぽくないか?
>>475 カーネル・ムスタファはアイアン・シークで、これは湾岸戦争時のギミック。
パーカー(ロバート・フラー)はテリー、スレーター、ハーレム・ヒート、
シド・ヴィシャス、ミング(ハク)、ジェフ・ジャレットらを
コントロールしていた辣腕。
>>483 ★うえ〜んゴメンなさい。別に自慢しているわけじゃなくて、
ここのスレの方々なら楽しんで頂ける話かな、と思いまして。
ご不快ならやめときます。
>>479 さすがにこれは一問も解りませんでした。
5は、「信じられないほど背が低かった」・・・かと思いました(w
>>482 当然、リップサービスですね。この年は頻繁に国際に呼ばれていましたから。
>>484 ありがとうございます、完全に俺の勘違いでしたね。
はて、前スレの出題者と同じ方でしょうか?
487 :
483 :02/02/08 15:03 ID:???
>>485 いや不愉快ではない。
流氏とテーズと私(すげーメンバーだ!)でメシを食いながら話したこともあるということは中身もかなり濃いはず。
「エピソードはまた後ほど」など出し惜しみせず早く聞かせてくれ。という意味です。
>>486 テーズはリップサービスばかりやってる。
WWFにはずっと否定的だったのに、オールドタイマーズ・バトルロイヤルに
出場させてもらったら、今度は「WWFはグッドカンパニーだ」とか(w
全日本だったり、Uインターだったり、とにかくその時点で
自分に仕事をくれる会社であれば褒めるんだろうな。スマートなジイさんだ。
>前スレの出題者と同じ方でしょうか?
違います。でも以前お世話になってます。お久しぶりです。
以前は別のHN(テリーがWWFで単発で使ってたキャラクター)を
用いてました。そういえば超遅レスになって申し訳ありませんけど(汗)
ベーカーとクラップのWWF挑戦の件は80年代のことです。
でもクラップに関してはタイトル戦がどうかはうろ覚え。
資料が手元にないんで‥‥。詳しいデータわかったら報告しますよ。
あと、82年頃バッファローでデストロイヤーの挑戦も受けてるはず。
当時の別ゴンにグラビアで掲載されてました。
正直、某所の防衛戦全記録はMSG以外は不完全だから、
まだ他にも意外なチャレンジャーがいるのでは。
>>488 お久しぶりですね、心配しておりました。また宜しくお願いします。
以前のHNの由来がやっと分りました(聞くのも野暮なので控えてました)
何せ、’90年代については殆ど知らないので…テリーのキャラ名だったんですか。
バックランドの王者時代は結構長かったので、マンネリを防ぐためもいろんな相手と
防衛戦を行っていた可能性はありますね。当時はNWA,AWAと関係も良好でしたし。
特に’80年は意外な挑戦者がいたかも知れません。あのキールへの出場の多さは
NWA王者並みに多かったですね。
そういえばUインターのテーズベルトってどうなったのかな?
あっちこっち渡り歩いて節操がないなあの爺さんは
「昭和30年代生まれでプロレスのカルトクイズをしよう」とスレ名が変わりました
NWAインタージュニアのベルトって今どこにあるんだろう チャボが流出させたあの新日製のやつ
また古い話になるけど、テーズは悪名高きグレート東郷とも組んだことがありました。 トーゴー&テーズエンタープライズという会社まで作っています。テーズは利用された だけ…という説が一般的ですが、俺はそうは思いません。「力道山亡き後の日本を 盛り立てる」…東郷のこんな甘言に引っ掛かるほどの、お人好しとは到底考えられません。 話は変わりますが、全日は’87年頃には既にNWAを脱会していたという噂を聞いた ことがあります。確かにこの頃になると、NWAはクロケットJrが王者のフレアーを 独占して取り仕切っており、以前のようなプロモーションの集合体という形態は崩れて いたでしょうが・・・マリオミラノ氏、この件に関して何かご存知ですか?
>>494 ★うぃ〜〜連休前なので酔っ払ってます。正直、スマン。
ブルーザーさん、全日本のNWA脱退についてですけど。正確な日時とか
きっかけは忘れてしまいましたが、おっしゃる通りで、プロモーター会員の
アライアンスであるべきNWAが、ある時点からクロケットJrの私物になって
しまった。NWA=クロケット・プロに。それ以前からダラスのエリックランド、
ミッドサウスのMSWA、WWFなどもNWAを脱退しており、NWAがNWAで
無くなってしまっていた。馬場さんとしては最後までNWAの権威を守りたかったん
でしょうが、クロケットJrの横暴な態度に激怒。とうとうあれだけ崇め奉っていた
NWAから脱退しました。
〜つづく〜
>>495 の続き
★ですからその後はインタやPWFのタイトル戦まえの「NWAが認可し」という項目は消え、
すべてが名目上も全日本管理になっていくのですな。ちなみに全日本最後のNWA世界戦は、
平成元年3月6日。リッキー×タイガー(三沢)という気合の入らない対決に加え、この前の
NWA戦(昭和62年3月12日のフレアー×輪島)から2年以上を経ているなど、馬場さんの
NWAに対する冷めっぷりがわかろうというものですな。うぃ〜(笑
★なんか私のテーズ発言に対する書き込みからテーズ批判レスがいくつかついてしまい、
鉄人、スマン。でも皆さんのおっしゃる通り(笑) あの方は本当に、そのときに金を
くれるプロモーションだけを絶賛するという、ある意味律儀な方ですな。まあ、実績に
関していえばあれ以上の人はいないわけで。新興団体がとりあえずテーズを王者に認定
しといて、自分の秘蔵っ子に破らせてハクをつけるというケースもままありましたな
(例:UWAテーズ→カネック)。栄光を老後の年金に使ったって別に構わんといえば構わんの
ですが、鉄人らしい矜持だけは保持して頂きたいですな。
>>494 でブルーザーさんが仰ってる件にしても、テーズは確かに野心アリアリでしたからな。
まあ、この件でトーゴーがユスフ・トルコにボコボコにされた、というのは梶原一騎の手で
何度も何度もアピールされてますから皆さんご存知ですよね。
〜つづく〜
>>497 のつづき
★で、そんなテーズの大ファンが流智美氏で、氏にとってテーズの言うことは「絶対」。
80年頃、村松友視氏がちょろっとテーズ批判を書いたらムキになって反論したこともある。
好きなのはイイんですが、テーズのリップサービスに乗って特定団体を擁護・他団体を
攻撃する時期があったのは頂けないですけどね。まあ基本的にはいい人なんですが。
で、この鉄人・流コンビと私が会ったときの話ですけど・・・↑こんなこと書いておいて
なんですが流さんは大変親切でした。時期については内緒にさせていただきたいのですが、
話題は主に力道山の話と、ヴァーリトゥードにレスラーはどう対処するか、といった
ものでしたな。
★なんか酔っ払って書いてるせいか、失礼な文になってるかも。読んで不快に
なった方がいたらゴメンなさい。え〜〜と、
>>480 さん、『質問箱』覚えててくれてどうもありがとうございます。でも、もう
あれをやるだけの情熱は無いですね。雑談が楽しい(笑) ここには私なんかより
凄い碩学が揃ってらっしゃいますから、質問はここで聞いてみればいかがですか?
ただ、『質問箱』はもしかするとネットとは違った形でお目にかけられるかも
知れません。勿体ぶった言い方ですが、未定の予定みたいな話なので・・・。
それでは皆さん、本日はこれにてお休みなさい。三連休中はあまり来られません。
そーいえば、テーズの自伝みたいなのありましたよね?(読んでないけど。) 日本語版では危ない部分を省いた奴。 今なら、完全版みたいな形で出せるんじゃないかな?
>>500 それも流智美の仕事だよね?
対訳だか監修だか。
俺持ってたけど、先週ブックオフに売りに行ったら
値段付かなくて置いてきちゃった。
中身は取り立てて面白い話もなかったけど、
昔の写真がかっこいいのいっぱいだったなあ。
502 :
俺は名無しだ :02/02/09 03:47 ID:PpXrGGWb
初めまして。興味ある話題なので参加します。テーズの本は持っていますが、 ほとんどデビュー直後の話で、日本マットには関係ない話が多いのですが、 われわれの年代では懐かしい、プロレス大百科に出てくるレスラーと、流知美の 好きな“シュートレスラー”の逸話が大半。個人的には楽しめたけど。
速達か
>>503 はい???
マリオさんが詳しく説明してますので蛇足になりますが
馬場がNWAに見切りを付けたのはNWA側がタイガー×リッキーの
世界戦しか認めなかったことが大きかったようです。
総会において鶴田、天龍の挑戦をアピールしたのに「ミサワなら良い」という
ワケのわからない拒否のされ方をされたため温厚な馬場さんが逆上して
「それはNWAチャンピオンより鶴田、天龍の方が上と言うことで良いのだな?」と
迫る一幕があったとか。
実際リッキーと鶴龍では体格的にもかなりの差が有って、かみ合いそうにもないってのは
分るしその点三沢とだったら体格的にも釣り合うから一応理屈は合うんですよね。
だったらリッキーをヘビー級チャンピオンにするなよってのが馬場さんの考えだったのかも。
>>495-499 マリオミラノ氏、ありがとうございました。
>>504 速達ジョーンズ氏、
ご存知かも知れませんが、’89年にフレアーが日本へ行くのを嫌がり、わざと
タイトル戦でスティムボートに負けた…という話も聞いたことがあります。
理由の一つは馬場夫人とフレアー夫人の確執、フレアー夫人のチケット代を払うのを
渋った…らしいですね。馬場夫人はドリー夫人とも揉めて、結局ドリーは馬場御大の
葬儀にも呼ばれなかったですね。全て噂の域を脱していない話ではありますが。
どちらがいい、悪いは関係なく、ありうる話だとは感じております。
’90年のWWFの初めての日本ツアーの時も、ホーガンが直前にU・ウォリアーに
敗れてタイトルを失っています。御大はこれにも激怒したようですね。
興行を考えれば、怒るのも当然だと思いますが。
タイガー×リッキーのNWA戦の試合中、解説席にすわっている馬場さんに 向かって「馬場さ〜ん、こんなんでいいんですか〜?」って野次忘れられない・・ それほど、内容がしょっぱかった・・
>>506 この時期の三沢はかなり膝を痛めていて、この試合の後は休養することが決まって
いました。「使い走り(スティムボート)」と「お休みモード(三沢)」の試合
では、名勝負など期待出来ませんでしたね、後で当時の状況が分ったから言える
ことではありますが。全日最後のNWA戦&馬場がNWAを完全に見限った…
だけがこの試合の意義だったと思います。
NWA‥‥懐かしいなあ。今のWWFも面白いけど、昔のNWA健在時の、 各地に独自のプロモーションが展開されてた米マット界も良かった。 そういえば昨年のWCW崩壊時、 新団体を旗揚げしたローデスがこんなこと言ってた。 「俺が理想とする興行スタイルってのは、各地のプロモーターが互いに 協力し合って、それぞれのテリトリーを発展させていくことだ。フロリダ、 ジョージア、テキサス、カンザス。“今ジョージアに凄い奴がいるぜ。 来月から、あんたのところで使ってみるかい?”みたいな」 要するに、70年代方式を再現したかったんだろうけど、 結局この新団体も、エース候補だったダスティンがWWFに復帰したりで、 事実上の活動停止状態。ファンタジーにすぎないってのはわかってたけどね。 でもビンスの全米侵攻(Invasion'84)がなくても、 いずれNWAは自滅してたでしょうね。身勝手な連中の集まりだったし。 クロケットはビンスみたいになりたかったんだろうけど 頭脳も才能もセンスも、ビンスの足元にも及ばなかった。
509 :
お前名無しだろ :02/02/09 14:53 ID:Kz10NAbF
>>494 話戻らせてスマソですが国プロの初期のころ東郷が窓口になってテーズら
一流選手がやって来たシリーズと関係あるんでしょうか? >トーゴー&テーズ
テーズも副業をやってたけど(家具屋さんか?)あまり成功はしませんでした。
ジョナサンが潜水業(どんなの?)がバッチリ儲かってプロレスの方が副業。
ビルミラーは獣医、コワルスキーは保険の営業とレスリング学校。出身者に
「あの」ケビンヒューズ!
>>509 力道山の死後の日プロ新体制から外された東郷は、
トロントにTWWAなる団体をつくったんだけど、
当時の国プロ(というか当時はTBSプロ)にブッカ−を委託され、
テーズ、ホッジ、シュミットらをTWWAから来日させた(1968年)。
でも例によって金銭トラブルで、わずか2シリーズで絶縁。
んでもって翌69年にトーゴー&テーズ(T&T)エンタープライズを設立。
日本マット界進出を図ったが、阻止されている。
そういうわけで、T&Tは国プロでのブッカー以降の話。
東郷と別れた国プロは、欧州マットと提携するようになる。
コワルスキーのスクールは名門(迷門?)校として有名。
ヒューズみたいなのもいるけど(w)、1期生のビッグ・ジョン・スタッドを始め、
トリプルH、チャイナ、プリンス・アルバート、ペリー・サターンとかを輩出してる。
>>509 この経緯を書くと長くなるので、かいつまんで・・・
元々国プロは、日プロを飛び出した吉原氏とマツダ氏が組んで興した団体でした。
最初から苦戦続きで、猪木等がいた旧東京プロと合同興行をしても上手く行かず、
結局TBSに援助を依頼して「TBSプロレス」と名前も変わり、吉原氏は実権
を失いました。新しい執行部がブッカーに指名したのが、あまりのがめつさに
日プロから絶縁された東郷でした。マツダはこの状況に嫌気がさして、アメリカ
へ帰っていきました。TBSから金をせしめた東郷は、トロントのタニーと協力
してTWWAなる団体を設立しました。シングル王者にはテーズ、タッグ王者には
カンガルーズを認定し、他にも多くの一流選手をつれて日本へ乗り込んできました。
(続く)
>>510 被りました、すいません。一応続き
トーゴー&テーズとは、日本のマーケットを制圧するために興した会社だったと
思います、いかにテーズが奇麗事を言おうと。日プロの時と同じ様に、あまりの
ブッキング料の高さ(通常の5倍だったといわれる)にTBSと東郷が揉めて、
外人勢が試合をボイコットする騒ぎになりました。これで日本との縁が切れたかに
見えましたが、東郷とテーズはNWAに加盟申請したり(結果は却下)、NET
(現TV朝日)に売り込んだりしましたが失敗し、東郷は間もなく病没しました。
>>508 >でもビンスの全米侵攻(Invasion'84)がなくても、
>いずれNWAは自滅してたでしょうね。身勝手な連中の集まりだったし。
ほぼ同意します、AWAはどうだったか分りませんが。ホーガン人気が爆発した頃
のAWA地区は全米屈指のマーケットだったと思います。プロモーション自体は
決して大きくはなかったですが、商売人のガニアが仕切ってましたから(w
「ほぼ」…と書いたのは、”プロモーターのエゴ”は勿論その通りでしょうが、プロレス
自体の人気も低下していた事実も否めないと思うからです。調べてみると侵攻前の80年
にアマリロ(ファンクス)、デトロイト(シーク)、ハワイ、ナッシュビル、81年
にSF、82年にLA、オクラホマの各地区が崩壊しています。エンターテイメント
として存在価値はかなり危うかった、それを敏感に感じ取ったWWFが侵攻を開始した
…と言えるかも知れません。
514 :
509 :02/02/09 16:36 ID:???
>>510-512 コリンズ氏ならびにブルーザー氏、ご返答ありがとうございマス。
そういえば金銭問題で東郷が外人たちを宿泊先かで足止めさせて
会場入りを阻んで、日本人だけのマッチメイクでお茶を濁すエピソードを
耳にしたことがあります。
※WWWFタッグ王者チームだったエクスキューショナーズって師弟コンビだった
訳ね。
>>513 AWAが潰れたのは、ガニアの人望のなさにもよるだろうね(w
ベンチュラにしろヒーナンにしろ、ボロクソ言ってる。
「人をまともに扱わなかった」とか「人の忠誠心をふみにじる」とか。
ギャラのピンハネとかも茶飯事だったから、WWFに誘われた時は
渡りに船と感じたらしい。致命的だったのは、そんなAWAを影で支えてた
エージェントのブラックジャック・ランザがヘッドハンティングされたこと。
選手の大量離脱以上に、人望の厚いブレインに去られたことが決定打だったみたい。
ちなみに当時、AWAからWWFに引き抜かれた連中は <選手> ホーガン、ベンチュラ、シュルツ、バション、ブランゼル、アドニス、パテラ <スタッフ> ヒーナン、オークランド、ランザ、ニック、ロード・アル・ヘイズ 末期にはカート・ヘニングやロッカーズ、シェリー・マーテルも移籍したり、 とにかく被害が尋常じゃなかったな(リック・マーテルもか)。 ニックはランザの招きでエージェントとしてWWFに入閣したけど、 PPVイベントの打ち上げパーティーの場でクビを宣告されたらしい(w
>>505 元子未亡人はそんな話ばっかりですね。
越中が全日本から新日本へ移籍した(正確にはアジア・プロレスへの移籍)のは
三沢が先に出世街道に乗ったからではなく元子さんが嫌だったからとも言われてますね。
すこ〜し心温まるエピソードもあるにはあります。
ドリーの長男のディンク氏が少年時代になついたのが元子さんだけだった…というもの。
実はディンク氏は軽い精神障害で所謂ヒッキーだったらしい。
人見知りが激しかったのに元子さんとだけは仲良しになったそうです。
理由は元子さん曰く「ゲームを一緒にやったんだけど私は本気でやったわ。
もうコテンパンにやっつけちゃったわよ。そうしたら彼嬉しそうにしてたわ。
子供って自分に対して本気になってくれてるかどうか分るのよ。」(笑
つまり元子さんはスティッフなんじゃないかな…?と、妙に感心しました。
518 :
お前名無しだろ :02/02/09 20:50 ID:yWjL4Nw1
ガニアは二年連続バトルロイヤルに優勝したサージャント・スローターに二年連続 賞金を払わなかった。
>>518 それは初耳ですね、ありそうな話ですが(w
スローター(当時はS・デストロイヤーU)があまりのギャラの安さに腹をたて、
WWWFへ転出したのは有名な話ですね。
AWAの2リング・バトルロイヤルは、高額の賞金で有名でしたが、こういう話を
聞くと実際にはきちんと払われてなかったかも?
てか、あの手の賞金ってホントに払ってるのでしょうか?
521 :
お前名無しだろ :02/02/10 00:50 ID:bSN5k1Bk
レトロネタあり、アメプロネタあり、マジためになるスレだ
522 :
お前名無しだろ :02/02/10 00:57 ID:bckKcNtn
>>515 私、去年のレッスルマニア観戦ツアーに行ったのですけど
前日にファン向けのイベントがあって、選手がサイン会をやってました。
どこも長蛇の列だったもんで空いていたブースに行ったのですが、
そこでサインしてたのがランザとトニーガレアのフロント勢(笑)。
ランザ氏はマニアツアーのとき日本に同行してましたね。
>>520 中川家はM1のときの賞金貰ってないってサ
スローターは今何やってるの?
RRのフレアー対ビンス観た? 掛け値なしにすばらしい試合だった。 フレアーみたいなレスラーは、もう現れないんだろうな
>>527 同じようなレスラーは出るだろうけど
フレアータイプでフレアー以上ってのは出ないでしょう
それが超一流の証かも知れない
フレアー初来日の印象を知る人にとって、誰が今日(こんにち)の彼の姿を 想像したといえようか・・・。(2度目の来日で随分変わってたけどね)
つうか、フレアーが日本に頻繁に来てたときは、全然評価されてなかったんだよな。
馬場vsフレアーのNWA戦とか今考えると見てみたかった。 降参ポーズのフレアーにニヤリとする馬場とか。
>>530 俺はフレアーが来日するの楽しみにしてたけどね。憎たらしいとは思ってたけど。
To be the man, you have to beat the man.
534 :
ブルーザー :02/02/11 23:35 ID:wBcJtHnZ
フレアーの全日本初登場(’78、エキサイト・シリーズ) キム・ドクと組んでの馬場・鶴田とのタッグマッチ、60分3本勝負 フレアーが両方からフォールを奪って、ストレート勝ち。 フィニッシュの一つはアトミックドロップ、もう一つは失念。 鶴田のUNにも挑戦(1−2で敗退)、何故か最後の試合は、小鹿にフォール負け。 当時の日本ではオーバーアクションの選手は、あまり好まれなかったと思います。 テリー・ファンクなんかも、そういう点では毛嫌いしてる人も多かったような…
535 :
お前名無しだろ :02/02/12 14:26 ID:vVUODHuz
NWAやAWAっていつの間に無くなっちゃったのか、WWFスレ とかで聞いても明確な答えは得られなかったがこのスレを 読むとわかりやすいな。 疑問が解けてスッキリしたよ。
ワフー・マクダニエルはまだ生きてるの?
>>523 マジ? 俺はロックやストンコよりあの人達のサインの方がほしい(w
ビンスは選手にしろ裏方にしろ使えない人間は容赦なく切るけど、
パターソンとかガレアとか昔からいる人は別にして、
あの頃からずっとWWFで生き残ってるのはランザだけですね。
>>525-526 スローターはNYエリアでは未だに根強い人気があって、
今でもMSGで行なわれるショーに出場することがある。
この前もダッドリーズと試合してた(舞台裏のスキットもあった)
去年のレッスルマニアのギミックバトルロイヤルでも大活躍してたね。
>>527 真面目な昭和ファンから見れば許せないようなマッチメイクなんだろうけど、
ホントにいい試合だったね。フレアーがグッドシェイプを保ってたのには驚いた。
しかしあの2人の対決が観られるなんて、ちょっと前までは想像もつかなかったな。
今の選手でフレアーと同タイプっていうと、ジェフ・ジャレットくらいかな。
あとシェーン・ダグラスとか‥‥ダメだ。格が違いすぎる(w
大物クラスでは、トリプルHもフレアーの影響下にあると思う。
ショーン・マイケルズもフレアーを現代風にアレンジしたような選手だった。
受けが巧いし、2人とも名勝負メーカーだし。
>>536 まだ健在。現在はフットボール時代の功労金で悠々自適の生活らしい。
ワフーも日本とアメリカでは評価がだいぶ違ったように思う。 フランク・ヒルは今ごろどうしてるんだろう。。。。
540 :
お前名無しだろ :02/02/12 17:00 ID:dcVcld2m
>>537 巨漢のババレイを軽々とスラムしたり、パワーは衰えてなかったね>スローター
動きも良かった。フレアーといい、この時代の人達がまだ元気一杯なのは嬉しい。
世界のプロレスでスローターVSハンセン見て、 スローターって結構やるじゃんって思った。
スローターは日本では塩扱いされてるけど、実際はものすごい試合巧者だよ。 だから今でもWWFで選手のアドバイザーを任されてる。
スローターのような一見、大味なファイトスタイルの少々悪い意味での ラフファイターって、一皮向けるといい仕事するレスラーいるね。 ジムドゥーガン、バグジーマグロー、ジムナイドハートあたり。
★いや〜スローターの良さを分かっている方が多いってだけで、このスレの素晴らしさを
痛感しますな。 でも
>>543 さん、その辺より全然いいレスラーだと私は思ってます。
ボブ・レムスじゃなくてサージ名で初めて来たのが第四回MSGで、このときは
員数扱いでしたが、その翌年のブラディ・ファイトシリーズではMスーパースター
とヒール陣営のトップを張って本領発揮。猪木・ホーガン・藤波というベビーたちの相手
を、その相手ごとに変えたテイストの試合(ホーガンとは彼の巨体やパワーが生きる試合、
藤波とは体格差が気にならないような組み立て)で展開したのには目を見張りました。
たしかにMSGでボブに挑戦したときは日本のマスコミに塩扱いされて報じられましたが、
自分の目て見てみないと分かりませんな。というか王者の方がよほど塩(笑)だった。
〜つづく〜
>>544 のつづき
★この人がスーパー・デストロイヤーMK2として馬場さんに挑戦したことが
あるのは皆さんご存知でしょうが、ご本人いわく、
「ババとイノキ・・・どっちがいいとか強いとかいう意味じゃなくて、オレは
ババの方がやりやすい。イノキはタイプが違うんで気を使うんだ」
↑こういうセリフを吐ける選手が、塩のはずありませんな。あとスーパースターが
ちゃんと彼に敬意を表して「サージ(軍曹)」と呼んでいたのも微笑ましい。
今もWWFで乱闘を止めにサージが現れたりすると、とても嬉しくなりますな。
>>539 ★ワフー・ヒル組×ブッチャー・シーク組@79年最強タッグ開幕戦は、私にとって
最強タッグベスト5に入る名勝負でした。どうなんでしょう、全日本登場時はそれ
なりにファンにリスペクトされてたと思いますけど・・・・新日本移籍は明らかに
失敗でしたな。アメリカでは仰る通り、長くトップの座に君臨してましたな。それだけの
価値のある選手だったと個人的には思ってます。
546 :
お前名無しだろ :02/02/12 18:36 ID:6818vdAI
>>545 80年のアメリカ遠征っすよね?シーク主催のタッグトーナメントも参加してたかな。
誰かマネジャーもいたっけ?ヒーナン?
アメリカのファンにとってインデアンレスラーってある種「ルーツ」としての
誇りやリスペクトを禁じえない存在なのかも。
ブリスコもインディアンの血筋じゃなかったっけ?(なんか?ばっかね)
>>544 いやあ、激しく同感。とくに「王者の方がよほど塩」という見解(w
ちなみにスローターはインタビューでも試合中でもトークが上手くて、
軍曹が新兵をしごくノリで“Get up, Punk(ゲス野郎、起きやがれ)”とか
当時(80年代初頭)としてはやたら口汚い言葉をまくしたててた。
NY出身のタズは子供の頃、この人のインタビューでスラングを学んだらしい(w
こういうレスラーをキチンと評価しなかったことは、
当時(今でもそうだけど)の日本のジャーナリズムの貧困さを象徴してますね。
>>546 そうそう。マネジャーはボビー・ヒーナン(食道ガンの噂あり)。
で、マーク2のパートナーだったマーク3はハングマンことネイル・グアイ。
おっしゃる通り、ブリスコはネイティブ・アメリカンの血を引いてます。
最近のインタビューで、ルーキー時代のアマリロ遠征のことに触れて、
ファンクスについて「あまり会話は交わさなかった。彼らはテキサンで、
私はオーキー(オクラホマ人)。彼らはカウボーイで、私はネイティブ・
アメリカン。人種の違いを感じたね。私はそのとき、プロモーターの
息子と闘うことがどういうことなのかを学んだ」と語ってました。
スローターを別に塩とも思わなかったオレ。多分「世界のプロレス」の印象が強く、しかもガキだったからかも。 ただ湾岸戦争時のキャラ変身はやっぱり寂しかった。典型的なアメリカ軍人みたいなイメージ持ってたので。 今でも戦争映画で「軍曹」という言葉を目にするとスローターを思い出してしまう。
良スレage
>>547 日本のファンに受けないファイトしかできないのならば
アメリカで人気があっても塩でしょう、やっぱり。
>>551 その理論でいくと、反対にアメリカで受けなかった猪木やハンセンも塩ということになる。
日本とアメリカでは観客のニーズが違ってたように思うから、評価が違っても仕方無いと思うけど。 今はわからんが。
>>551 ★う〜ん、プロレスってたしかに土地土地でウケるスタイルが違ったりは
するんだけど、それらを超えた「絶対的なレベル」ってあると思うんですよね。
例えばレイス、ニック、フレアーらはどこに行ってもトップ取れる選手でしょう?
私の個人的意見ですけど、80年代あたりから唱えられはじめた、
「日本のプロレスは海外とは違う独特なもの」っていう“日本のプロレス特殊論”
にはあんまりくみしたくないですなあ。こういう考え方ってプロレス視野を狭く
してしまう気がする。おナマに聞こえたら正直、スマン。
>>547 ★ご同意サンクス。でも、当時って活字は月刊誌だったじゃないですか。速報性が
ないぶん、ごくマレに面白い企画やインタビューもありましたよね。シリーズ参加
選手の3〜4番手あたりの外人をクローズアップするとか。S.D.ジョーンズとか
リック・マグロー、グラップラー(レーン・デントン)のインタビューなんてのもあって(笑)
こういうトップエベンターじゃない選手の「プロレス流し」的雰囲気というか「旅芸人の記録」
というか、ペーソスに溢れた談話ってのはかなり好きだった。プロレスのもう一つの
味わいを教えてくれましたな。こういうセンスは今の専門誌には
まず望めませんな。というか、記者自身が全然プロレスのこと知らないんですから(ハァ・・
逆に今、アメリカンプロレス中心に取り扱った月刊誌出ないかな。WWFに限らず独立系団体やレトロネタも豊富に取り上げて。 駄目か・・・・採算取れねーか。 AMERICANAとかいうの出てっけど、あれは月刊誌じゃないよね? 最近までプロレス離れてたからよく知らねーんだ。
>>555 あったあった(w)。別ゴンのピラニアインタビューとか、
デラプロでも流さんがコラム持ってましたよね。
あの頃は各シリーズにB級、C級も含めてさまざまな外人が参加して、
シリーズごとのカラーをつくってましたね。だから、あんな企画も可能だった。
それができなくなったのは、やはり日本人対決が主流になり出したからでしょうね。
ほぼ同時期にアメリカの勢力分布図が一変して、それ以前のように
外人が呼べなくなったこともあるんだろうけど、ちょうど維新軍団あたりから
「日本のプロレス特殊論」みたいなのが出てきて、それがやがて
「日本のプロレス至上論」「外人レスラー不要論」にまで発展してしまった。
外人レスラーがシリーズの主役から外され出した80年代半ば、
本当の「昭和プロレス」ってのは、あの時点で終わったような気がします。
(極論すれば、ハンセンが全日本に引き抜かれた時点で終わってたのかも)
昔は次のシリーズにどんな外人が来るか、楽しみにしてたけどなあ
俺は維新軍も天龍革命も楽しんでた。日本のプロレス特殊論じゃなかったけど。
>>557 藤波と長州が良くも悪くもプロレスの歴史を変えたってことかな
>>554 今みたいにWWFの試合をきちんとみれるならともかく
日本でのこっちのスターとの試合で評価を下す時代だったんだから
評価が違うの当然かと。
あと映画なんかは向こうでヒット=日本でも高評価ですが
ゲームなんかだとアメリカで受けても別に意味はないです。
プロレスに関しても
アメリカを無条件に上と考える必要は無いと思っているのは
私が昭和40年代後半の生まれだからかもしれませんね。
日本プロレス特殊論が生まれたのも
アメリカに対する尊敬が薄れたのが最大の理由だと思いますし。
561 :
ブルーザー :02/02/13 15:06 ID:yypdM7H6
ランザがそんなに有能だとは知らなかったですね。パターソンと同じ役職、ロード マネージャーだったのかな? ピラニアインタビュー・・・懐かしい。ブッチャー、カマタ、ジョー、S・デストロイヤー そしてブロディなどが出てましたね。お約束でリフトアップされる竹内さん(w ウォーリー山口(MR・トヨタ)のインタビューも後から始まりました。 メンバーは殆ど覚えていませんが、ブッチャー軍団のビッグレッドとかがいたような。 確か脇役が多かったと思います。
日本人選手の小型化が著しいのも、スケールの大きな外人選手を迎え撃つという 従来の日本のプロレスの図式が崩れたからかもね。 ピーターは例の本で、日本のレスラーがハイスパート主流になって シュートができなくなったのは日本人対決が中心になったからと書いてたが。
563 :
46年生まれ :02/02/13 16:16 ID:ww0wXIZK
たまにやってくるNWA王者は、問答無用気味にステータスの塊だったと記憶してます。
>>560 ★おっしゃることは分かります。でも私も「無条件でアメリカが上」と考えてるわけ
ではないですよ(笑)ただプロレスを長年見ているとベースにあるものは結局、
変わらないんだな〜という感想を持ってます。ですから日本だけが特別に違った
プロレスをしているとは思えない、と。あとは好みの問題でしょうけど、やはり
昭和ファンは強豪外人がシリーズごとに来襲するスタイルを愛していた人が多い
とは思ってます。外人不要論には「ノー」と言いたいですな。
>>557 ★そうそう(笑 次期シリーズのエース級外人が誰なのかってのももちろん気になった
けど、実は脇役も楽しみにしてたんですよね。私は新日本にピート・ロバーツとか
ジョニー・ロンドスとかスティーブ・ライトとか欧州系のわき役が来るとわくわくしま
したな。で、団体側もわかってて、後楽園ホールあたりで藤原とか木戸との試合を組んで
くれたりして。全日本だったらジェリー・オーツとかの70年代型スタイルのわき役が
佐藤昭雄あたりとシブい試合をしてくれるのが嬉しかったですな。
話は変わりますが、「ハンセン移籍が昭和プロレスの終わり」というニュアンスは
ひそかに、しかし激しく分かりますなあ。おっしゃる通り、あくまでも我々の感覚による
極論ではありますけど。
ウーン、どうでしょ!? 昭プロ創世記の頃の力道山VS木村政彦とか そういう時代に還ったかも(極論かな?)
>>556 ★そんな雑誌あったら、ぜひ読みたいですなあ。でもおっしゃる通り、採算が取れない
でしょうし、WWFを多くフィーチャーしたらビンスからとんでもない金を請求され
そうな気も(笑) アメリカーナは・・・なにがやりたいのかよく分からんです。
>>561 ★ピラニアインタビューとかは、向こうで確立されたインタビューのスタイルを
日本に持ち込み、レスラーはあくまでもキャラで答えるという感じでしたな。
ですからリアリティは無いんですが、「芸」が感じられて素晴らしかった。
でも、時にはやりすぎもありましたな。カーンが凱旋帰国したとき、外人扱いで
ピラ・インに出たことがあるんですよ。そのときのカーンの談話には
「シンとは組まないよ、ドスコーイ」
「でも猪木さんとは試合してみたいね、ドスコーイ」
「ウチの女房はシンディっていうんですよ、ドスコーイ」
とほとんどの語尾にドスコーイがついていたんですよ(苦笑)
「いくら相撲出身でも、そんなヤツはいねえだろ!」と誌面に突っ込みました。
>>565 80年代のいい仕事してくる外人トニー・セントクレアー
俺の中では、ジャーマンできる(ブリッジ)=一流選手って思ってた。 外人は必要、時期シリーズの来日外人を古舘が紹介するの 興奮してみてた。
>>561 揚げ足とるようですが。。。
竹内さんのは「デスマッチインタビュー」、山口さんのが「ピラニア
インタビュー」ではなかったでしょうか?
現物を目の前にして言っているわけではないので、間違っていたらごめんなさい。
>>561 >>ランザがそんなに有能だとは知らなかったですね。
でも外した企画も多くて、バリー・ウィンダムとブラッドショーを
「ニューブラックジャックス」として売ろうとしたけど見事に失敗。
マリガンも中身に入ってたWWF版マシーンズもこの人の仕事でした。
>>561 >>お約束でリフトアップされる竹内さん(w
わはは。ヒール連中に襲われながらもペンを話さない竹内氏にプロ根性を感じました。
>>570 氏のおっしゃる通り、竹内氏が「デスマッチインタビュー」として悪役レスラーを、
後を受けた山口氏が「ピラニア〜」として若手や中堅レスラーをインタビューしてました。
「デスマッチ〜」では他にもラシク、クラップ、スミルノフとかも登場してましたが、
個人的にはスーパー・デストロイヤー(ドン・ジャーディン)の
ほとんどインタビューになっていないインタビューが記憶に残ってます。
「ピラニア〜」は初来日のロディ・パイパーやオースチン・アイドル、
マイク・ジョージやスパイク・ヒューバーら国プロ期待の新鋭、
アメリカ出張編でベンチュラとアドニスのイースト・ウエスト・コネクションとか
まだ見ぬ強豪のインタビューもやってくれたのが嬉しかった。
確かジ・エンフォーサーのインタビューもあったはず(w
573 :
ブルーザー :02/02/14 04:22 ID:gILv6o7y
>>570 そうでしたね、ごっちゃになっていました。何せ現物が一冊も無いので(汗
デスマッチ…の方は、その名の通り、全部悪役相手でしたね。
>>571 バリー・ウインダムとカート・へニングが何処かでタッグを組んでいたと思いましたが、
これも記憶違いかな?国際でIWAタッグ王者になったBJ・マリガンとラリー・ヘニング
の2世タッグということで話題になった気がするのですが・・・
>>572 S・デストロイヤーは、覆面十番勝負の最終戦の相手として来日した時に、竹内さんが
インタビューした記憶があります。なんでも疲れていたそうで‘取材拒否’(w
しかしあの十番勝負も急造マスクマンばかりでしたね。‘本職’はマスカラス、Mrレスリング
C・ハリケーン、S・デストロイヤーぐらいしかいませんでした。
ベンチュラは、AWAでマサ斎藤とも組んでたことがあったようですね。
斎藤が「喋りが上手い」と誉めてました。ファイト内容については…でしたが(w
574 :
デトマソパンテーラー :02/02/14 10:27 ID:u4uPa2yv
幼いボンヤリとした記憶ですが、一番怖かったレスラーは ボボ・ブラジル 。 試合前の花束贈呈の時、その場でその花食っちゃうのが怖かった。
>574 アババ、アババアブアブウウ、、 とか言いながら花束を唇の両端からこぼしてましたよね。 あれみると食欲が落ちましたよ、ホント。
>>573 >>バリー・ウインダムとカート・へニングが何処かでタッグを
3年くらい前にWCWでウェスト・テキサス・レッドネックスという
カウボーイユニットを結成してました。この軍団にはバリーの弟の
ケンドール、そしてボビー・ダンカンJrも参加してました。
なにゆえミネソタ出身の北部人ヘニングがカウボーイになったのか不明(w
>>ベンチュラは、AWAでマサ斎藤とも組んでた
ファーイースト・ウエスト・コネクション。斎藤もベンチュラに合わせて、
着物にサングラスかけたりシュールな格好してた(w
>>572 ★当時のゴングは来日前からエンフォーサーをわりとプッシュしていて、来日前から
正体探りの特集(!)まで組んでたんですな。そして出たのは
「エンフォーサーの正体はスティーブ・ストロングに違いない!」という自信に
満ちた結論。ところが実際にエンフォーサーが来日してのピラ・インではいきなり
ウォーリーが「あなたの正体はギロチン・ゴードンかスティーブ・ストロングと見てますが・・・」
などと前回の特集ではまったく出てなかったゴードンの名前を挙げるというナゾの行動(笑)に
出ました。もちろんエンフォーサーの答えは「その通り、オレ様はギロチン・ゴードンだった」と
いうもの。
間違いは間違いと認める潔さが欲しかったですなあ。
>>577 スティーブ・ストロングはもっと小柄だから、わかりそうなものなのにね(笑)
ネルソン・ロイヤル死んだのね。
>>573 それも厳密に言えば、ハリケーンはサイクロン・ネグロの日本専用のギミックだし、
Sデストロイヤーも十番勝負用にあつらえたリングネーム(その後、米マットでも
このリングネームを地区によってスポイラーと使い分けてたけど)。
つまり、日本仕様にアレンジしなかった正式なマスクマンはマスカラスと
ミスターレスリングの2人だけということになる(笑)
>>580 >ハリケーンはサイクロン・ネグロの日本専用のギミック
確かにアメリカ本土では、殆ど素顔で戦っていたようです。フロリダ地区で一時的に
マスクを被っていたことがあって、その名はMR・ウガンダ(w
全日の最強タッグにきたことがあるフィル・ヒッカーソンは、テネシー地区で
PY・CHU-HI(チューハイ)なるふざけたリングネームを使ってました。
ドリー・ファンクJr.は、NCで、マスクド・アウトローなるマスクマンに変身した
ことがあったようです。元NWA王者の名前だけでは食べていけなかったでしょうか?
>>577 井上元ファイト編集長によると、
エンフォーサーはマスカラスと対戦の際、火炎放射でマスクを焼いた、
本当に危険な男だったって言ってたなあ。
ザ・プロフッショナルってレイスでしたっけ?
>>583 全日旗揚げ前の馬場が、渡米して戦ったプロフェッショナルは仰る通り
レイスです。一応NWAメンバーだった日プロに気を使ったとのことです。
新日デ猪木と戦ったプロフェッショナルは、ダグ・ギルバートでした。
日プロ来日時、マスカラスと組んでアジア・タッグに挑戦したことも
ありました。
>>577 僕の記憶ではロスに最初に出現したエンフォーサーは覆面レスラー。
ギロチンゴードンのエンフォーサーとは体型がちがっていたので、
そっちはスティーブストロングの可能性もあったかと。
>>585 ブルーザーさん、お答えいただきありがとうございます。
>>576 >3年くらい前にWCWでウェスト・テキサス・レッドネックスという
>カウボーイユニットを結成してました。
そういえば、このスレで話題になってましたね。何のことやらさっぱり分らない
のでレス出来ませんでしたが(w
親父のラリーは、若手時代のレイスやラーズ・アンダーソンを一人前に育てた
実績がありました。レスリング・スクールでもやっているのでしょうか?
>>585 ギルバートはガスハウス・ギルバートの名前で76年後半のWWWF、
つまりハンセンやブロディがサーキットしていた頃のNYマットに登場したことが
ありますよね。翌77年には猪木の2度目のMSG出場が予定されていて(結局実現せず)
その対戦相手候補として名前があがっていたのが、このギルバートとハンセン、
そしてブロディ。場合によっては猪木×ブロディが77年のMSGで実現してたかも。
猪木も「まだ見ぬ強豪」ブロディとの対戦には乗り気だったようで、
別冊ゴング昭和51年12月号に「スタン・ハンセンが強いと言われているが、
ハンセンがサンマルチノの首を折ったのは偶発的なもので、実力ではないと思う。
どうもブルーザー・ブロディという男が一番骨がありそうなのだが‥‥」という
コメントが載っています(しかしこういうのってホントに談話とか取ってたのかな?)
(続き) しかしゴングは「ハンセンやブロディはパワーはあるが猪木のインサイドワークに 翻弄されかねない。ベテランのギルバートの方が怖い相手」とか書いてました(w にしても、あの頃すでに新日とWWWF(WWF)の提携ルートは確立したのに、 なぜブロディは新日本に初来日しなかったんだろ? サンマルチノの横槍とか?(当時は猪木×サンマルチノを心待ちにしていた)
592 :
ブルーザー :02/02/15 14:23 ID:7RsTp1N5
>>591 >なぜブロディは新日本に初来日しなかったんだろ?
ハンセンのNY行きは、パドーシス→サンマルチノのラインで決まったようですが、
ブロディに関しては分りません。フロリダのエディ・グラハムがマクマホンに推薦
した可能性はあります。NYへいく前のブロディは、フロリダ地区の王者だったので。
ブロディが新日へ行かなかったのは、マクマホンと揉めたか、あるいは馬場シンパの
エリックに止められたかのかも知れません。
初来日の頃のブロディはキングコングそのもので、一番迫力あった
>>590-592 ★ブロディを全日本にブッキングしたのはエリックと聞いたことがあります。
初来日時(昭和54年新春ジャイアントシリーズ)にもエリックが帯同して
ますし、ありうる話かと。エリックとマクマホン(親父)ではブロディに
対する影響力が違ったということでは? 推測ですが。
>>590-592 ★サンマルチノはマクマホン(親父)から再三、再四「新日本へ行って、猪木と
試合してくれ」というオファーを受けてます。が、ブルーノとしては「日本に
行くならババのところ以外は行かない」と断り続けた。マクマホン一族とブルーノの
犬猿ぶりは有名ですが、この件もやや影響しているのかも。人間として友情に厚い
のは素晴らしいですが、プロとしてはどうでしょうかね。まあ猪木×ブルーノなんて
いい試合になりそうもないですけど。そうそう、ブルーノは猪木×アリ戦が盛り上がった際、
アメリカの一般マスコミから「猪木って日本一強いらしいけど、どんなレスラーなんですか?」
と聞かれたことがあった。そのときの答えが
「日本bPのレスラーはジャイアント・ババです」。
これには猪木と新間が激怒したそうですな(笑)
ブロディの初来日が新日だったら、も少し客の呼べるレスラーになってたような気がする
>>596 そうだね。それにブロディってシンやパワーズ同様、陰のイメージの
ヒールだと思う。ハンセンやブッチャーは陽かな(ま、主観だけど)。
だからブロディは親日マットの方が似つかわしかったのかも。
マジつすか!? ブロディは全日本の方が断然合ってたように思うんですがね。 じゃあ「来る日も来る日もブロディのニードロップの餌食になっていたからこそ、 リキ・ニードロップは完成された」とかなってたのかな(w さすがの猪木&新間コンビでもブロディをうまくしかも長く使えなかったように思 いますけどね。
>>598 当時(70年代後半)全日本は他にもスター選手が大勢いて、
しかもほとんどが陽性のキャラクターだったから、
ブロディの存在がかすんでしまったような気がする。
実際、80年代に入ってからも本当の意味でシリーズのエースを
務めることができなかったし。新日本ならエース外人になれたはず。
600 :
お前名無しだろ :02/02/15 16:32 ID:ntVwXtSS
客が呼べないって意味じゃ、ブロディがメインのシリーズの開幕戦@後楽園なんかは、結構ガラガラのことが多かったですね。 この辺はハンセンがメインのシリーズと比較すると分かるんだけど。 そういうこともあってかブロディが新日に引き抜かれたときも、ブロディは集客力もないし・・・云々と、若干本音の入った負け惜しみを馬場が言ってましたね。
プロモーターからも「ブロディがエースだと客が入らない」 とか不評だったらしい
外人の持ち駒不足の親日なら、それなりに活躍の場はもてたかも。 クラップやバーナード、Vリベラのような2流でもエースに仕立て、 猪木のカリスマとしての存在が保てれば興行も成り立ってた。 ただやはり性格上、衝突は避けられなかったかも?
もし新日だとしたら、レスラーとしての資質はともかく人間的な問題で1,2シリーズ呼ばれたら終わりだと思いますよ。 それ考えると馬場っていうプロモーターの懐の深さは大したもんだと思いますけどね。
70年代後半の全日本はマスカラスだとかファンクスが日本側以上にエースみたいでしたしね。NWA王者も来てたし。 ハンセンと組むまでブロディのポジションは置き方は案外難しかったかも。
こちらの詳しい皆さん、教えてください。 猪木がアンドレ、ボディスラムで投げたのっていつ? アンドレって新日本の時、ハンセンとタッグ組んだことあるん? の2つです。気になって仕方ないので教えてください。
606 :
ブルーザー :02/02/16 10:39 ID:kgrhZ17C
アンドレを投げた(投げることを許された)レスラーは、 ハンセン、猪木、レイス、カネック、ボック(未確認だがジャーマンで投げたらしい) アンドレとハンセンといえば、伝説の’81年、田コロでの大一番。 この戦いには布石があった、直前のタッグ戦で仲間割れ→一騎打ち…勿論この一戦も 田コロの大一番を盛り上げるためにTV放送された。
ゴッチもジャーマンでアンドレ投げてませんでしたっけ?
アンドレと言えばフランク・バロア、アーノルド・スコーラン
609 :
お前名無しだろ :02/02/16 11:52 ID:ldQFtXCW
>>607 それは、モンスター・ロシモフ時代。S46年国際プロレスの
「ワールドシリーズ」公式戦でのことと記憶してます。
残念ながら阿部レフェリーがその前にノビていてノーカウント。
>>607 >ゴッチもジャーマンでアンドレ投げてませんでしたっけ?
そうです、忘れてました。(汗
S46年、国プロのワールド・シリーズでの対戦でジャーマンを決めました。
レフリーが巻き込まれて、フォールは取れませんでしたが。
ただ当時のアンドレはまだ細く(といっても170キロぐらいはあったと思う)、
ハンセン達が投げた頃とは比較にならないでしょう。
猪木は、カナディアン・バックブリーカーを切り返してからのリバース・スープレックス
でもアンドレを投げていました。
611 :
お前名無しだろ :02/02/16 12:20 ID:HePwlUUe
猪木はアンドレをバックドロップやショルダースルーでも 投げてますね。
'80年のシェアスタジアムでの試合でホーガンがアンドレをボディスラムで 投げてる。このイベントではバックランド&モラレスVSサモアンズのWWFタッグ戦、 猪木VSラリーシャープのNWF戦なんかも行われた。
613 :
お前名無しだろ :02/02/16 15:07 ID:WqU5bxPe
あと長州ね。<アンドレ投げたやつ ボックはダブルアームで投げた説があるけど、実際どうなんだろ? 私的に、アンドレを投げたレスラーっていうのはガチでも強いと思ってます(笑)
>>613 カネックもVTで勝ったわけだしね(w
相手の話はさておき。
ガイシュツだろけど「高橋本」の中で、ハンセンと坂口の血ヘド試合の一節で ロッキージョンソンの名前が出てくるが、あの試合は第2回MSGだったはずで、 Rジョンソンは来日してなかった(来たのは翌年正月)。 チョト腑に落ちないね。
>>615 記憶に頼って確認の作業をしてないから事実誤認が多い
>>615 ロックの親父(ロッキー・ジョンソン)じゃなくて
爺さん(ピーター・メイビア)なら第2回MSGに来てたけどね
アンドレも晩年はアルティメット・ウォリアーあたりにポンポン投げられてたな
ボックはアンドレをバックドロップで投げています。 (ボディスラムやダブルアームスープレックスはこのことが 誤認されて広まっていると思われます。) 時期は'79.12.16で試合は4分10ラウンドのシングルマッチでした。 アンドレのバックを取ったボックはアンドレを投げました。 ボックとしてはスープレックスを狙ったのは明白ですが反り返ることが できずに横に流れてしまいました。(しかもアンドレが左手をマットに 伸ばしてデフェンスしている→受けたがっていない。) ブリッジにいたらない投げ(オースイ・スープレックスみたいな感じ)ですので ジャーマンと言うよりはバックドロップと呼んだほうが正確だと思います。 ちなみにこの試合でアンドレのセコンドにスチーブ・ライトが付いたそうです。
私はアンドレがキラー・カーンをサルトみたいな形で投げたのが印象に残ってます(MSGの優勝戦)。
アンドレの第1回MSGでのボルコフ戦やマグロー戦の裏ビデオってないのか?
622 :
お前名無しだろ :02/02/17 07:54 ID:aHGWMdFN
ボックはその年の夏、交通事故を起こして来日が中止になってます。
623 :
お前名無しだろ :02/02/17 12:02 ID:ateMploZ
全日に移籍したシンに対してブロディが「客席を暴れまわるのは俺のスタイル。 あれをやるな。」と脅し、びびったシンはブロディをトリニダード・トバコに 呼んで機嫌を取った・・・というのを読んだことあるのですが、それは本当 ですか?あとトリニダード・トバコに呼んだというのは、そこにはシンの 別荘でもあるんですか?
↑ワラタ
こいつらが一番イカレている・・・ その歳になってプロヲタとは・・・ もう救済できないかもしれないが・・・ 「八百長」だろ、認めろや・・・
>>623 全日創立10周年のジャイアントシリーズでそんなことがあった
のは聞いています。
遠征の件は初耳ですが、いずれにしてもシンのほうから折れたらしい。
翌年同じような毛皮ブーツを履いていたモンゴリアン・ストンパーに
ついても脅そうとしたのだが、危険を察知したストンパーが自ら
毛皮をはずしたらしいね。
627 :
ブルーザー :02/02/17 22:37 ID:P4+tXKSG
>>619 速達ジョーンズ氏
ボックとマスカラスがドイツで対戦して、ボックがスープレックスで圧勝したとの
話を聞いた覚えがあるのですが、何時頃のことかご存知でしょうか?
>>627 恐縮ですが割り込ませてレスします。
うろ覚えでスイマセンが1973年前後のことだったと
思います。
流氏の話では、試合がかみ合いそうもないと思ったマスカラスは
ほとんど攻撃を出さずに相手の攻撃を受けまくり、無抵抗のまま
敗れ去ったとか・・・
>>627 '74.10.25、ミュンヘンで行われボックがダブルアームスープレックスで勝っているようです。
この年の8.31にはマンスターでゴーディエンコ×ボック(ダブルリストロックでゴーディエンコの勝ち)が、
また10.23では吉田(現場監督ね)×マスカラス(回転エビ固めでマスカラスの勝ち)なんてのが実現してます。
これ、特別リングサイド3万円でも高くないですよ、今からすれば。
ちなみにボック×吉田も数回行われています。実は長州のプロ初敗戦はボック戦だったりします。
>>628-629 ありがとうございました。’74年10月だと、全日でデストロイヤーと戦った後
(PWF,US戦)にドイツに遠征したことになりますね。
何かのトーナメントでも行われていたのかも?
長州とマスカラスは、メキシコでも対戦したことが無さそうな気もします。
ボックvsマスカラスについては、私の記憶によると 流智美氏が週プロ誌上で15年程前から昨年の間に3度記述しています。 1度目は受身の取れないスープレックスで肩から落とし90秒でマスカラス失神KO負け。 2度目はダブルアームスープレックスで3ラウンド目にマスカラスのフォール負け。 3度目はお互いが技を受けることなく体格差で勝てないと観念したマスカラスのフォール負け。 どれも同一試合のはずですが・・・ ドイツのマニア、シェーファー氏という方がソースだったかと。
>>630 この時のトーナメントはボック主催ではなくグストル・カイザーによるもののようです。
流氏もボック×マスカラスは偶然が産んだ顔合わせと書いています。
>>631 多分三度目が正しいと思います。
三度目には9分45秒と明記されていたと思いますが、これは月刊プロレス誌'82.5号に
掲載された山口治男氏の記事と一致するからです。
ちなみにこの時一緒にD・ザ・ブルーザー×C・リソワスキー(ブルーザーの2勝1敗)、
バディ・ロジャーズ×A・ザ・ブッチャー(ロジャーズの勝ち)のふたつが紹介されていました。
age
>>632 情報ありがとうございます。詳しくは知りませんが、西ドイツでの”キャッチ”トーナメント
に出場した日本人選手は結構いたと思います。ラッシャー、藤波、スモウ・ハラ(阿修羅)、
ヒト、鶴見、健吾、最近だと西村が参加していたようです。今はワンツのところしか存在
していないかも?
リッパ−・コリンズ氏、 ’80.11.21、キールのラインアップを見つけたので紹介します。 結果不明 1.ロジャー・カービー&マイク・ジョージvsエディ・ギルバート&アキオ・サトウ 2.アート・クルーズvsボブ・ブラウン 3.ルーファス・ジョーンズ&パット・オコーナーvsバズ・タイラー&タカチホ 4.ディック・マードックvsキングコング・ブロディ 5.ボブ・バックランドvsボブ・スィータン(WWF戦) 6.リック・フレアーvsディック・ザ・ブルーザー(ランバージャック・デスマッチ) 7.ケン・パテラvsテッド・デビアス(ミズーリ戦、デビアスがタイトル奪取) 当時としては、なかなか豪華なラインアップです。
>>634 さすがブルーザーさんは渋いところを押さえてられますね。
西独といえば『ハノーバー・トーナメント』が有名ですがマイティ井上選手が活躍してますよね。
井上選手はプライドが武藤並だそうで…。
(例…全日本で寺西選手と同じポジションで前座のタッグマッチに起用されたらあからさまに
手抜きをして馬場社長のの顰蹙を買った。元国際ののエースとしては我慢できなかったのか?)
何か井上選手のプライドの高さを物語るエピソードはご存知ありませんか?
637 :
お前名無しだろ :02/02/20 00:03 ID:REXqgnR0
でも全部八百長だろ?
>>636 そうだったですね、井上円蔵(初期のリングネーム)もハノーバーに出場していた
のを忘れていました。何故か登場の際のBGMが「四つのお願いbyちあきなおみ」(w
>何か井上選手のプライドの高さを物語るエピソードはご存知ありませんか?
これついては知りません、マリオミラノ氏ならご存知かも?
あと’80年のハノーバーに大仁田、石川、キム・ドクも参加していたようです。
ここはスレッド名変えた方が良いよ。知識の豊富さは尊敬に値するけど、気軽に「語ろう」という雰囲気ではなくなったな。 コテハン諸氏ほど詳しくなくても、色々と書き込みたい人もいると思う。
>>639 モチョコタとかハンターなんとかとか、なんとかソーメンだとか、
以前いたつまらんコテハン連中が消えたのもそういう理由かもな(藁
昔、ドイツにブルーザー・ブロディというレスラーがいました。もちろん全くの別人。船木が修行してたころ。
>西独といえば『ハノーバー・トーナメント』が有名ですが ほとんどの人は知らないと思うよ。 なにか古いゴングから、わざわざ細かいネタを掘り起こして書いているような気がしてならない。 >モチョコタとかハンターなんとかとか、なんとかソーメンだとか、 つまらん連中だったけど、あの頃の方が楽しかったな。
>>642 あなたが知らないだけだと思うけど(笑)
でも以前にも話が出たが昭和40年代前半生まれと後半生まれにスレ分けした方がいいと思う。
後半生まれの人達はほとんど平成ファンと被ってるから、
確かにここで話題になってることはチンプンカンプンだろうな。
同じ昭和生まれでも馬場と猪木の健在時を知る前半生まれと
タイガーマスクや維新軍世代の後半生まれじゃプロレス観も全然違うし。
>>643 だからそんなことを知ってると自慢してるお前みたいなバカがウザいんだよ。氏ね
つーか「昭和生まれ〜」じゃなく「昭和プロレスを語ろう」ですよ、このスレは (勝手に決めてっけどw)。80年代までとかでもいいし。 とりあえず語る対象を限定させましょ。それを踏まえて意見交換なり何なりしる。 まー、タイムリーな話題でも臨機応変、柔軟に。オトナっすから。
つーか純粋に昭和40年代生まれが昔の思い出を語るスレと、 資料で覚えた活字だけのプロレス知識を語るスレを分けるべし。
とりあえず「ワープロの後はハングマン!!」ということで。
ていうか自分が話題についていけないだけで
>>642 のようなことを言うのは
あまりにも失礼だと思う。これじゃ平成厨房と変わらないよ。
だったら「マニアック編」と「スタンダード編」に分けるとかすればいい。
最近は古すぎるカキコばっかりで全然おもろない。 30代以上は30代スレにカキコすりゃいいのに。 礼儀知らずの中年が多いな(恥
★まあまあ。分からないことはお互いに質問しあったりして、 まったり雑談できればいいと私は考えていたんですが。 データも、データだけをポンっと出すんじゃなくてそこから話題が 広がるようにすれば楽しいじゃないですか。 データが偉くて感想が偉くないってわけでもないし。 両方あるから良スレなわけで。
プロレス板でプロレスの話して 偉そうだとか何だとか因縁つけられちゃ かなわないよね(藁
まあ。ここはプ板の中でもマニアックな人達が集まってくるところだから 大切にしてあげて下さいな。 僕は、自分のキャパシティーに見合った話題だったら今でも参加させてもらってますよ。 レスにあった通り本当にマニアックな人から見たら、僕なんぞは「つまらん連中」 の一人かもしれませんが、書き込みをさせてもらった暁にはまたご指導下さい。 あ、でもハノーバートナメントくらいは知ってますよ(藁
ビッグジョンクイン ミスターヒト クラウスカーロフ(メッサーシュミット)らが 参加してたな。>ハノーバー
あ、ついでに質問です。 少し前に、新日に来たブロディそっくりなレスラーという事で リップ・モーガンとジョン・ノードの名前があがっていましたが、 もう一人いましたね。どうしても名前が思い出せない。 覚えているのは、以前にWWFにいたアダム・ボムというレスラーが ナイト・ストーカーというリングネームで出ていたアメリカの 独立団体にいたという事だけです。日本には一度きりしか来てないので 覚えている方は少ないと思いますが・・・
657 :
ハンター159 ◆AAkYIt/g :02/02/20 20:52 ID:gTuWRYru
ちなみに、ノートンのライバルという触れ込みで ドームで一試合だけ試合をしたイコライザーという ショッパイレスラーもブロディもどきのペイントレスラー でしたが、それとはまた別人です。
>>635 おお、貴重な情報ありがとうです。スイータンもWWFに挑戦してんすね。
しかしこの中で、ブロディ、マードック、ルーファス、ギルバート、ブルーザーの
5人がすでに故人とは。唯一プロレス界で健在なのがフレアー1人というのも寂しい。
>>656 それ俺が以前のHNで書き込んだやつだ(w
ナイトストーカーのいた団体はSMWだけど、ブロディ系のレスラー?
“プライムタイム”ブライアン・リーじゃないですよね?
>>658 レスありがとうございます。
>“プライムタイム”ブライアン・リーじゃないですよね?
うーん。ピンとこないので違うのではないかと・・・
来日前の写真では確か髭がなかったのが、来日してみたら
プロディ風の風貌になっていて、特に後ろから観るとソックリ
だったのですが・・・
ブライアン・リーって偽アンダーテイカーの正体だよね
>659 ロン・パワーズ?
653みたいな奴はクソでも食って寝てりゃいいんだよ。
>>658 SMWなつかしい。昔ガオラで中継やってたよね。
ロックンロール・エクスプレスとかゴーディとか出てた。現ケインも(藁
70年代を語ったとしても、 40年代前半生まれは消防か、よくて厨房、 40年代後半生まれは妖恥艶か、よくて消防、 曖昧な記憶や資料を参考にしてても不思議じゃない。 プロレス観を年齢だけで区別するのは悲しい。
SMWといえばジム・コルネットは何してるの?
コルネット懐かしいな。俺も近況知りたい。テニスラケット攻撃とか最高だった。 昔ゴングの現地情報員だったんでしょ?
>>643 馬場、猪木の健在時って(w
エラソーなこと言ってるけど、実は猪木ー国際軍団とかタイガー、名勝負数え歌、超獣コンビとかに燃えてたりしたんだろうな。
ビッグレスラーによく載ってた欧州マットでラサルテス?とかいたよね。 あのころの欧州選手思い出せないので、2、3教えて。 なんか未知の強豪って感じがして好きだったな。
>>662 ああ、ロン・パワーズっていたなあ。そういえばブロディ系だったよね。
>>666-667 OVW(オハイオ・ヴァレイ・レスリング)というWWFのファーム団体のオーナーやってるよ。
この団体にはリック・フレアーやボブ・オートンの息子達も出場してます。
>>669 ジャック・デ・ラサルテス。今のウィリアム・リーガルの源流ともいえる
元祖貴族系キャラクターだったらしい(観たことないけど)。
あの頃の欧州選手ねえ。ウルフガン・サトルスキーとかいなかったっけ。
名前が面白かったんで妙に記憶に残ってる(w
IWGPに参加予定だったクラウス・カーロフって強かったのかな?
>>662 そう!ロン・パワーズ!
ありがとう! あー、スッキリ
>>670 オートンの息子ってジュニアの他にバリー・Oとかいうのが
いませんでしたっけ?
ヨーロッパを主戦場とするレスラー達は最近来ませんね。
一時期は、ランボーとかアバランチャ、クラウス・ワラス、
途中帰国してしまったウィン・ブリッジともう一人(名前忘れた)等。
ルールの違い(倒れた相手に攻撃をしてはいけない等)もあってか、
あまりパッとしませんでしたネ。
比較的いい味を出していたのはジュニアの髭の選手
(またまた名前をど忘れ、スマソ、最近こういうのが多い)
あと僕が一押しだったのが、フランツ・シューマン。日本では
評価されませんでしたが、向こうでのライガーとの試合は
凄かったんですよお(何度か書いてますので、クドイですが)。
672 :
お前名無しだろ :02/02/21 19:55 ID:5C/0IOuy
age, age
クラウス・ワラスはいい選手だったね。初来日は全日だったと思うけど、新日での 試合の方が印象に残ってる。
674 :
お前名無しだろ :02/02/21 20:31 ID:HOAgOBXC
>>670 コルネットはレッスルマニアのファンフェスに参加するらしいね。
>>671 厳密に言えばランボーもアバランチャもカナダ人だけどね。
欧州を主戦場にしてたけど。ランボーはスナイパーという軍人キャラ、
アバランチャはマンターとかいう怪奇派キャラでWWF入りしたことも
あったけど、2人とも全然受けなくてすぐクビになった。
ジュニアの鬚の選手とはデーブ・フィンレイのことでは?
あと、リッパー氏のいうオートンの息子とはオートン・ジュニアの息子の
ランディ・オートンだと思われ。バリーOはジュニアの弟だよね
80年代中後半から90年代前半までプロレスから遠ざかっていて思い出も少ない。 「ギブ待て」「ソ連軍」「TPG」「藤波VS前田」・・・それぐらいか!?(元々親日派)。 TVも無かったよね? 鶴田が親日マットに上がったのも知らんかった。
ゲーセンでよくプロレスゲームやった。 タイガーマスクが最強だった。
>676 セガ製のアッポーかな
>>675 「ギブ待て」は、ある意味でアメリカのプロレス・トーク番組
(現在のWWFサタデーナイトヒートとか)の日本版だったとも言えるけど
いかんせんセンスが無さすぎたな。もっと有能な作家を起用しなきゃ。
バラエティ路線の是非はともかく、あの程度で良しとする制作姿勢に
プロレス番組というソフトがいかに甘く見られてるかを痛感した。
679 :
678 :02/02/21 20:55 ID:???
訂正 ×サタデーナイトヒート→○サンデーナイトヒート
「ギブ待て」、録画中継なのに「残念ですが、お時間の都合により〜」と途中で終わった時があって腹立ちました。
>>678 今も昔も、しょせん日本の糞団体がWWFの猿真似したところで結果は無惨ってことだ
>>681 というか「ギブ待て」はテレ朝が悪いように思うけど。試合そのものは番組の路線変更と関係なかっただろ。
あの頃のWWFの番組に山田邦子的な司会者とか男闘呼組的アシスタントでも出てたら猿真似だろうけど。
WWF至上論はもういいよ。
WWFはテレビ局に番組制作の主導権を取られてないのが強み 87年の春から秋にかけてなぜかワープロほとんど見てなかったオレ… なんてもったいないことを(w
試合中にスタジオにいるタレントの顔が急に映ったりしてウザかったな。>「ギブ待て」 志村香は今何処に。
686 :
666 :02/02/21 23:13 ID:???
ブルーザー氏 速達氏 書き込み再開を希望します 安芸
志村香あげ
>>687 674=ブルーザーさんだよ。
名前書いてなくても文章読めば分かるだろ
ついでにモチョコタ、お前も書き込んでいいぞ。 ただし一日一回限定。
>>689 違うだろ。氏が最近のアメプロのことなんか知ってるはずない。
いや、いずれにしろ「名無し」を名乗る形で(?)ミスターパートナーつーか ミスターXが暗躍している。それが昭和プロレス。
>>693 なめてはいけない。氏はオールマイティ井上だから。
しかし本人に聞くのが一番早いだろう。
ていうか、そろそろ書きたくてウズウズしてるんではないかな。
>>669 670のコリンズ氏の説明に少し補足すると、
国プロに初来日して、初戦はカーペンティアとのシングルマッチでした。
凄く息の長い選手で、若い頃はMSGに出場したりしていました。
実際に観たことはないですが、カブキの凱旋帰国戦の相手だったジム・デュランに
風貌が似ていました。
>>674 ジム・コルネットって、ミッドナイト・エクスプレス(D・コンドリー&B・イートン)
のマネージャーでしたね。一介のファンから関係者になったと記憶しています。
TV東京の「世界のプロレス」に毎週のように出ていました。
好敵手だったファンタスティックスは全日にきましたが、ミッドナイトの方は来日
しなかったと思います。
ブルーザーさん気にしないでまた書き込んでくださいな。
妬み厨の戯れ言なんか気にすることないよ あまりの「自称」昭和ファン達の馬鹿さかげんに呆れたのなら仕方ないけど。 大体、単純に思い出を語るスレならタイガースレとかハンセンスレとか 他にあるんだから、このスレはもっとマニアックにしても構わないのでは。
「語ろう」なんだから、マニアックでも思い出でもどちらでも構わないはず。
>>696 ミッドナイトExp来ませんでしたね〜イートンなんか見たかったですよ!
全日が気張って呼んでた頃に来そうなもんでしたが…問題アリだったのかな?
コルネットはマスコミ関係からじゃなかったですか?アレ?スコット・ローマーかそれは
702 :
ヤングブラッド :02/02/22 22:15 ID:vG/GzcDR
知ってる?バック・ロブレイ フランク・デューセック ターザン・ジャコブス プロフェッサー・タナカ
バック・ロブレイ…超獣コンビのマネ。黄色いTシャツとコルセットのようなサポーターがお馴染み。 フランク・デューセック…小太りのリップ・ロジャースのような雰囲気。ハンセン、ロン・バスと一緒に夏のシリーズに来たんだよね。 ターザン・ジャコブス…新日黎明期に来たんだったよね?記憶無し。 プロフェッサー・タナカ…この田中さんはフィリピン人です。国際の「日本リーグ争覇戦」が最後の来日、故人ですね。
704 :
ヤングブラッド :02/02/22 22:27 ID:GGFZ3K5N
知ってるねえ。 じゃあ、マティ・鈴木 マスクド・ストラングラー ジョニー・マンテル アイアン・マイク・シャープ エル・エヒプシオ
705 :
ヤングブラッド :02/02/22 22:33 ID:BnR9DRBr
教えて下さい。 スミルノフとジプシー・ジョーってタッグ組んだことある? 鶴田の最後のシングルマッチは? ラッシャーの最後のシングルマッチも誰?
マティ・鈴木…初期の全日に来てたハワイの日系さん。記憶無し マスクド・ストラングラー…55年の最強タッグにミスター・レスリングの相方で来て最凶悪コンビに血ダルマにされたかわいそうなプエルトリカン ジョニー・マンテル…元NWA世界ジュニア王者ケン・マンテルの弟さん、一回こっきりで終わったと思う アイアン・マイク・シャープ…全日〜国際〜新日と流れて最後ははぐれ国際軍団の一員として佐山タイガーをリンチに。父上はかのシャープ兄弟 エル・エヒプシオ…三沢タイガー要員としてピラタ・モルガンと共に来日するも、最強タッグだったために目立たずに終わる。仮面ライダーのエジプタスみたいなルチャドール
>スミルノフとジプシー・ジョーってタッグ組んだことある? あると思う。自身ナシ スミルノフはオックス・ベイカー、モンゴリアン・ストンパー、キラー・カール・クラップとは組んでます。 クラップはなかったかな? あとはわかんないっす
708 :
ヤングブラッド :02/02/22 22:39 ID:RiOm1rL7
マイク・ジョージと混同してない?
ご指摘のとおり! 反省します。 ジン・キニスキーと来たのが最後かな? ニューヨークにもいましたね
710 :
ヤングブラッド :02/02/22 22:45 ID:RiOm1rL7
カマタとスミルノフは組んでたかな? 気になってきた・・ シンとカマタは組んでたよね。ジョーも。
カマタとスミルノフは組んでないでしょ。 カマタの全日転出とスミルノフの国際参加が入れ違いくらいのタイミングだったと思うよ。 あとカマタはカルロス・コロンと組んでた。
712 :
ヤングブラッド :02/02/22 22:51 ID:RiOm1rL7
アンジェロ・モスカ ジェリー・オーツ トニー・チャールスとかもしってますか?
713 :
ヤングブラッド :02/02/22 22:54 ID:RiOm1rL7
又来ますおやすみなさい。
アンジェロ・モスカ…元祖キングコングですね。ブロディとインタータッグに挑戦し鶴田からピンしてます。55年新春Gですね。 ジェリー・オーツ…テッドとのオーツブラザースというタイヤメーカーのような名前で高千穂・クツワダのアジアタッグに挑戦しました。 トニー・チャールス…英国人(あえてこの表記)レスラーですね。これまた新日黎明期の名優。たしか生観してますが記憶にございません。
ありゃま…
>>706 シャープとジョージを混同って、ひょっとしてスポーツライターの○島さん?
だったら面白かったのに、残念
小島のヴァカは今度のWWFクラシックで画面上から謝罪すべきだ
アイアン・マイク・シャープは全日に初来日(マイク・シャープ・ジュニア)。 キニスキーが挑戦する予定だった鶴田のUNに代わって挑戦。 あれは奇妙な出来事でした。キニスキーが体力の限界を感じて若いシャープに 譲ったという事でしたが。
どーオレさんの復活希望!!
>>719 あのときのキニスキーは見るも無残な体つきでアバラが浮いて見えるほどでした。
結果、若い鶴田の挑戦者としてはとしては不可との判断で変更があったと思います。
あまりの事にテレビで見て悲しくなってしまった記憶があります。
722 :
42 :02/02/23 03:40 ID:???
>>696 ブルーザーさん、ミッドナイトの好敵手ってR&Rエクスプレスでは? ファンタスティックスはダラスを主戦場にしてたような。
R&Rも全日本に来てますね。「川田・冬木のフットルースと夢の対決!!」とかやってました(ちょっと寒かったですが)。
それとコルネットはゴングか何かの現地通信員をしていたという話を聞いたことあります。
10kgの肉をペロリとたいらげる
このスレ最近元気無いね。いちいちウルセー奴がいるから仕方無いか。 昭和40年代生まれでプロレスの話すればいいだけなのに。
726 :
お前名無しだろ :02/02/24 02:44 ID:7e/IR0DI
WWF97年のIN YOUR HOUSEを見てたら、スペイン語実況席のコメンテーターとしてヒューゴ・サビノビッチがいたけれど、この人全日に来日してたよね。
>>725 以前も僻みっぽい奴のせいで詳しい人が白けていなくなったことがあった
とにかく煽りは完全無視でお願いしたいです
>>725 >>727 マジレスなんだけど
多分煽ってる奴は自分はプロレスかなり詳しいと自身持ってた奴だと思うんだよな
ところがここに来て見てマリオミラノさんとかがいてビックリしてしまったんではないか?
それで話に入れなくて煽りに走ると…
>>728 そういう連中は素直に勉強すりゃいいと思うんだけどねえ。
自分なんかも20年近くプロレス見てるけど、ここでいくつも新たな知識を教わったよ。
>>729 ごもっともです
金にもならないのに調べてくれたりするんだし
ありがたいことですよ本当に
ということは提供するマニアックネタが無いと書き込めないのか!? そしたら俺なんか「すごいですねー、詳しいですねー」くらいしか書き込めないよ。
>>731 んなこたあない
また振り出しにもどっちゃうよ
変な煽りを入れると詳しい人が
いなくなるからやめて欲しいってことです
733 :
731 :02/02/24 04:21 ID:???
>>732 良かった、安心したよ。
ブルーザーファンとして復帰を願ってるよ。過剰に期待するのも何だがね。
でもここはマニアックなネタだけみたいに言ってた奴がいたからさ、それには頭に来たよ。妬みとかじゃないよ。
本当に知識あるコテハン連中はそんなこと言わないもんな。
>>731 自分の提供できる範囲のネタでいいんじゃないかな?
別に会話の流れが一つでなくてもいいと思うし。
それでお互いに煽ることなく進めていければ結構有意義なスレだと思うけどなあ。
分からないことがあれば質問すれば答えてくれる人も多いんだし。
736 :
昭和の後半プロレスファン :02/02/24 15:22 ID:QRbS7EFW
S48年生まれです。よろしっくっす!最近のプロレスつまらないですよね?秋山が鶴田より強いとは到底思えません。 真鍋の実況最低です。キャプチュードを後方に投げたー!ですって。
鶴田のキチンシンク最強
なんであれキッチンシンクていうの? WWFのハードコア戦でキッチンシンクが凶器として使われる度に 鶴田やキニスキーを思い出す。
小学館「プロレス入門」(できれば初期編集版)探してる。 ずっと家にある思ってたら何処にも無い。 クールなネタが満載ダターヨ。 馬場とモラレスの32文特訓、レバノンの双生児エルマンソ兄弟、サイン攻めの カーペンティア、RホークとSハンソンの泥棒コンビ、凶器は栓抜きオンリーの Kコックス、ミイラ男マミー、ヘビ男ヌボア、クロロホルム攻撃のメディコ1&2。 あー、また読みてーなァ。
>>739 「ジャイアント馬場の主食は肉です」
馬場と猪木の食生活を比べてるページが最高。
猪木なんか納豆パックから直接放りこむトリッキーな食い方してたもんな。
741 :
ヤングブラッド :02/02/24 21:04 ID:ozccJ2Zd
ロビンソンとワフーがコンビ組んでた記憶があるんだけど どなたか覚えてますか?
742 :
ヤングブラッド :02/02/24 21:26 ID:Dd5Bn4wb
ドリー・ファンク・ジュニアの日本でのベストバウトはどの試合だと思いますか? 全日を代表する外人だったはずなんだけど以外と浮かばないよね。 オープンタッグのvsブッチャー、シーク戦? BI戦? ニック戦?・・・
>>742 馬場と組んで、ブロディ、ハンセン(だったと思う)組との試合で
途中から馬場は場外でノックアウト、ドリーはエルボースマッシュ
などでがんばったが、結局フォール負けした試合が印象に残って
います。あの試合はがんばってて良い試合だったと思う。
>>674 そうそう。俺が書いたのはボブ・オートン・ジュニアのジュニア。
祖父&親父譲りの不敵な面構えと長身で、今後が楽しみな逸材。
>>723 コルネットはそうだったね。で、この人とまったく同じ経緯を歩んできたのが
ポール・E・デンジャラスリーことポール・ヘイマン(彼はカメラマンだった)。
ファンからマスコミ経由でプロレス界に入って、悪党マネジャーを経て
独立団体(コルネットがSMW、ヘイマンがECW)を興したことまでまったく同じ。
一時は犬猿の仲といわれてたけど、現在は2人ともビンスの下で働いてるわけだ。
745 :
42 :02/02/24 23:22 ID:???
>ドリーの日本でのベストバウト 俺は「vsホースト・ホフマン」を推したい
>>726 ヒューゴ・サビノビッチはウェンディ・リヒターのダンナだよね。
>>741 70年代後半、ミッド・アトランティック地区でタッグを組んで、
スレーター&オートン組(凄ぇコンビだな)とかと抗争してた。
日本にも昭和52年のジャイアントシリーズに一緒に来日してる。
>>741 あ、ごめん。HNで
>>746 はジェイ・ヤングブラッドと間違えてた(w
ロビンソンとは昭和55年のジャイアントシリーズで組んでるけど、
あまり話題にならなかったな。確かB・J・スタッドが初来日したシリーズ。
>>742 古くてスマソだが、俺はオープン選手権のバロン・フォン・ラシク戦。
ドリーのスピニング・トーホールドを喰らうラシクが
下からブレーンクローで迎撃したシーンは忘れられない。
解説の田鶴浜さんもエキサイトしてたな(w
>>747 スタッドはこのシリーズ前座でばかり試合してますよね?
全日向き外人だと思ったけど、馬場さんに気に入られなかったのかな?
あとマードックとブッチャーは犬猿の仲で、馬場は決して同じシリーズに
呼ぶことはなかったってのが定説だけど、このシリーズお互いテリー・カマタを
パートナーに何回もタッグであたってますよね。
この時の試合はどんな感じだったのでしょうか?
>>748 スタッドはそうだったね。全日本への来日もあれっきりだったし。
馬場さんはドクター・デスを酷評してたように、あまりに不器用な選手は
お気に召さなかったのかも。スケールの大きさといい、確かに全日向きだった。
似た様なケースで、ポール・オーンドーフとかも全日本に来てたら大スターに
なってたかも。あの頃の全日本は外人の使い方が上手かったしね。
マードックは黒人嫌いとか言われてたけど、ホントのところはどうなんだろうね。
新日ではアレンをリスペクトしてたし、アメリカでもアーニー・ラッドや
ルーファス・ジョーンズと親しかったみたいですけどね。
その試合は見たことないんでわかりませんけど、ホントに犬猿の仲だったら
何回もあたるなんてことないでしょう。
でもこの手のファンタジーって昭和的だよなあ‥‥‥。
>>743 その試合はPWFタッグ王座決定リーグの時ですかね。馬場さんが連続出場記録ストップしたという。
個人的にドリーって案外打たれ強いイメージあります。スタミナも凄いですしね。
>>745 渋いっすね〜。僕は後追いで見ましたが、オープン選手権ですよね? 本当奇跡的な大会ですよね。
あの顔ぶれ、凄すぎる。
この大会、確か相撲の番付みたいの使ってませんでしたっけ?
751 :
42 :02/02/25 01:44 ID:???
>オープン選手権 私も後追いですよ それでもあの試合が一番面白かったな〜 >馬場の連続出場記録ストップ PWFに合体パイルの禁止を提訴するとか言ってましたな 私的にはそんな事を言う馬場に呆れましたが
>>743 >>750 ドリーの打たれ強さといったら、やはりハンセン引き抜き時の最強タッグ最終戦が強く印象に残ってます。
実質3対1の闘いであの粘りは凄かったです。
PWFタッグ王座決定リーグといえば、私は見にいったのですが、ハイフライヤーズがハンセン・ブロディに善戦したり、天龍対阿修羅の好勝負が行われた後楽園大会がノンTVだったのが残念でした。
>>384 超遅レスですが…83年の大晦日、MSGでコブラとWWFジュニア王座決定戦を
争ったB・タイガーは、M・ロコではなく、S・ロンバルディだったという噂が
あります。その件と混同されたのでは?
>>662 正確にはロン・パワーですね。B・ブロディのコーチングを受けたとかで、その
死後、一時期「ニュー・ブルーザー・ブロディ」を名乗ったこともあります。
他に91年のドーム大会にS・ノートンの相手として呼ばれたイコライザーという
ペイント・レスラーが、ブロディ・ブーツを履いてました。塩分濃厚でしたが(w
>>753 S・ロンバルディってスティーブ・ロンバルディ?
つまりブルックリン・ブロウラーのこと?
イコライザーはその後、ケビン・サリバンの弟デイヴ・サリバンとして
WCWでそこそこ活躍してたね。タッグチャンピオンにもなってる。
728=ブルーザーかな?
>754 イコライザーってそんなに出世を… ノートン戦はカウンターキックをしながら片足では支えきれずに吹っ飛んで笑いもの
>>755 違うだろ。氏がそんなに子供っぽいこと言うとは思えん。
>マリオミラノさんとかがいて これが怪しい。 「マリオミラノさんとかブルーザーさんとかがいて」なら話がわかるが。
>>754 ホーガンのコスプレとかもしてたよね>イコライザー
>>744 コルネットのテニスラケットに対抗してポールEは携帯電話を
凶器にしてましたよね>マネ時代
しかし2人ともずいぶん太ったよなあ
761 :
ヤングブラッド :02/02/25 20:31 ID:4nG+HIcm
マードックとブッチャーを一緒に呼ばないのと同じように レイスとロビンソンも同時に来日してないよね。確か・・多分
>>761 マードックとブッチャーは全日でも新日でも一緒に来てるじゃん
763 :
ヤングブラッド :02/02/25 21:05 ID:gcYhZ1J5
ラシク戦かあ。渋いね。 後の最強タッグでドリーvsクラップも実現してますよね。 では、マスカラスのベストバウトは? ブッチャー戦? レイス戦? オールスター戦は映像見たことないから評価外??
>>762 確かに何度か一緒になってる。日プロでもしかり。
でも今のジーさんマスコミはその事に目をつむっちゃう
んだよな〜。
マードックは多分個人的にブッチャーを毛嫌いしてただけでは?
能天気な狂犬と守銭奴の呪術師では正確合わんでしょう。
>>763 マスカラスは誰と戦ってもワンパターンの試合になるよね。
特に相手の大技をあまり受けないから、試合自体の印象が
薄い。
個人的には田コロの鶴田戦と思うけど・・
マードックとブッチャーは一緒にしないようにしていた。 それを新日がやってしまった… というような記述が馬場の著書にありましたね。ウロ覚えスマソ
自己レスですが…
>>753 「84年の大晦日」の誤りでした。
マードックは ニック・ボックウィンクルのホームパーティーかなんかで ニックの奥さんの友人の黒人女性に差別的態度を取って ニックの奥さんからつまみ出されたらしい 昔の週プロに載ってた フランク井上か流智美の記事だったと思う
★皆さんお久しぶりです。ちょっと仕事が立て込んでました。
>>767 上でも書かれていた方がいましたがマードックの「黒人嫌い」も
相手によるところがあったようで、確かにアレンなんかには差別的な態度は取って
なかったようです(怖かっただけかもしれないけど、アンドレを脅すほどの男ですからね
アレンは)。ただ、彼は陽気ないい奴には違いないんですが、お品が悪すぎるところが
あったようで、日本での巡業中もビールを大量に飲んではところ構わず立ちションを
してしまったり(欧米においては日本どころじゃなく立ちションする人間は人間のクズ
扱いされます)、酔っ払って路上で寝こんでしまったりしたことも多々あったそうです。
ま、天才ゆえにしょうがないのかも(笑)
★それからドリーのベストバウトですが、私は個人的には昭和53年最強タッグの ニックとの絡み(シングル戦だけでなく)をあげたいですな。ドリーに名勝負が 少ないなんてとんでもない話で、全日本における名勝負製造機だったと思っております。 最強タッグも、ずっとドリーがらみの夢のシングル戦を売り物にしてましたしな。 昭和52年 ×ロビンソン戦 昭和53年 ×ニック戦 昭和54年 ×マスカラス戦 昭和55年 ×スレーター戦などなど・・・・×ブッチャー ×シークは毎年やってましたな。 ただ、ドリーは昭和55年の最強タッグ来日前にゲッソリ痩せてしまったじゃないですか? 私はあれがドリーの全盛期の終わりだったと思います。当時は「減量した」と言われてましたが 真相は離婚のショックだったのですな。
マリオミラノ氏が挙げられた以外で、ドリーの名勝負といえば、昭和49年のブリスコ に挑戦したNWA戦も良かったと思います。結果は一本づつ取り合ってから時間切れ 引き分け。現在はタイトル戦も一本勝負が主流になりましたが、三本勝負の方が個人的 には面白かったです、両者の力量に差があると逆につまらない場合も多かったですが… あと既出ですが、オープン選手権のブッチャ−との日本初対決ですか。ドリーのオール ラウンダー振りがよく分った試合でした。ジョー・樋口の椅子誤爆・失神を見たのも この試合が初めてでした(w 王者時代のドリーは、無尽蔵のスタミナで相手を圧倒 する感じがしましたが、この頃は全てにおいて円熟味を増して、全盛期だったと思います。
772 :
お前名無しだろ :02/02/26 18:32 ID:921ze/cx
3本勝負って何でなくなっちゃったの?
>>772 試合に緊張感をもたせるためにたしか新日がタイトル戦を
一本勝負にしてそれからNWAやWWFも後に続いたような?
そうなれば当然NWA傘下の全日も後に続くってことかなぁ
>>751 三沢がゴディに場外パワーボムくらって激怒したとき、
「プロレスは試合で何をやってもいいんだよ。怒っちゃいかん」
みたいなこと言ってたのに……馬場さんたら。
>>768 マードックはハイウェイで移動中、車の窓からケツをペロンと出して、ウ○コをぶっ放していたと何かで読んだことあります。
車の後方をロケットのように飛んでいくウ○コを見てえらい喜んでいたとか。
スイマセン、下品な話で…。
>>770 そうでしたか。やっぱり「世界のプロレス」のイメージが強かったのかも。
R&RとミッドナイトはNWA世界タッグ巡って抗争してた印象が強いです。ワットランドではなく、クロケットプロで。
>>771 そのドリーvsブッチャー、ドリーがウエスタンブーツみたいの履いてませんでしたっけ?
ダブルアームをこらえられたものの、ブレーンバスターで投げてたような。
後追いで見たんですが、記憶があいまい…
776 :
ヤングブラッド :02/02/26 21:06 ID:4apKE7KZ
その昔、「ファンク一家」って言い方があったじゃないですか。 皆さんは誰までその一員と認めますか? シニア、ジュニア、テリー、スレーター、デビアス、鶴田は当然として ボブは?リッキーは?天龍は?ケリー・キニスキーは?ローデスは? ジミー・ジャック・ファンクは???
777 :
ヤングブラッド :02/02/26 21:09 ID:4apKE7KZ
その昔、「ファンク一家」って言い方があったじゃないですか。 皆さんは誰までその一員と認めますか? シニア、ジュニア、テリー、スレーター、デビアス、鶴田は当然として ボブは?リッキーは?天龍は?ケリー・キニスキーは?ローデスは? ジミー・ジャック・ファンクは???
778 :
サニービーチ :02/02/26 21:22 ID:cR7KMmIa
>>751 でもその後も合体パイル使われてたから、結局馬場さん思い直した
んじゃないの?
>>775 確かにカロライナでも抗争していましたね、ミッドナイトとR&R。ミッドナイトは
後でコンドリーが抜けて、スタン・レーンが入ったような気がします。
ドリーがウエスタンブーツを履いていたのは、ブッチャ−戦ではなくジョナサン戦
だったと思います。ループさんが仰る通り、やや横捨て気味ではありましたが、
ブレーンバスターでブッチャ−を見事に投げてました。
>>777 ハンセンとボビー・ダンカンはシニアにスカウトされたので、ファンク一家
ですね。マードック、レイスも関係が深かったし、チャボ、石川なども新人
時代にアマリロでコーチを受けていたので、一員になるのかも?
>>769 昭和52年頃だったか、ゴングで全レスラーのランキング付けを企画
したんですよね。ドリーはBI砲、3大世界王者を押さえて1位でした。
(2位はアンドレ、3位猪木)
激やせするまではドリーを現役最強とする見方が多かったんだけど、
あの来日以来NWA王者への復帰も全然話題に上がらなくなりましたよね。
アマレスのバックボーンがあまり無いので、近年では覚めた見方を
する人も多いですが、やはりあの頃のドリーはホント「最強」にふさわしい
レスラーでした。
>>777 ボブは入れて良いと思いますが、後は厳しいのでは?
脇役も含めるならリッキー・ロメロははずせないでしょう。
782 :
42 :02/02/26 22:35 ID:???
>>778 たぶんそうでしょうね>思い直した
あの時の技自体ハンセンとブロディのタイミングが合わなくて変なふうに落とされてるので
それがけがの原因かなと思います
それで馬場も許したのかも
「次からはちゃんとやれよ。よし、今回は許す」みたいな
その年の最強タッグでの府立でもくらってピン取られたよね。
>>779 ミッドナイトは結構出入りがありますね。
ランディ・ローズなんかも加わっていたような。
785 :
お前名無しだろ :02/02/27 12:49 ID:R08hQBll
ウェスタンブーツ履いてた頃のドリーって髭もはやして 全米モーストへイトbPだった。 つまらん事聞くけどディンク君がブロディにニードロップ食らって半殺しに されたのはヤオ?ガチ? コックスやデストもブッチャー(つーかコックスはKKK?)嫌い。 >784 もうすぐランディ・ローズの命日だね・・・(?
>>781 ★おっしゃる通りですな。あの頃のドリーは本当に全てが円熟のきわみにありました。
もちろん日プロ時代の「若馬」ドリーも素晴らしいのですが、私は全日本時代に
入ってからの重鎮的存在感も出てきた頃の方が好きですな。昭和49〜53年あたりに
猪木×ドリーをもう一度だけ見たかったですな〜。あと、基本的にドリー対ラフファイターは
そんなに好きじゃないんんですが(オープンタッグ決勝は例外)、昭和54年に蔵前での
凶悪コンビ戦でシークの凶器を奪いとって戦闘不能に追い込みましたよね(シーク途中帰国)。
ああいう鬼みたいなところもたまに見せてくれるのがカッコよかったですな。
>>784 オリジナルメンバーはデニス・コンドリー、ランディ・ローズ、
ノーベル・オースチンのトリオで80年前後にテネシーで結成された。
その後、コンドリーとボビー・イートンのコンビになってコルネットが
マネジャーに。ミッドナイトというとこのチームが一番有名なのでは。
80年代後半にコンドリーが離脱してイートンとスタン・レーンのコンビに
なったけど、当時コルネットと敵対していたポール・E・デンジャラスリー
(ポール・ヘイマン)がコンドリーとローズのオリジナル・ミッドナイトを
復活させて、末期クロケット・プロ〜初期WCWで抗争したこともあった。
コルネットは98年頃WWFで新チームによるNewミッドナイト・エクスプレスを
再編したこともあって、この時のメンバーはバート・ガン(マイク・バートン)
とボブ・ホーリー(ハードコア・ホーリー)。
>>777 ★シニアやジュニアが義理がらみで預かったり、育成するために育てた選手は
「ファンク一家」ですが、これとは別に単純にテリーの悪友という感じで
ファンク一家周辺にウロウロしている連中もいますな(笑)
マードックなんかそうですし、ラリー・レーンもそう。ある意味では
一時期のホーガンなんかも入れていいかもしれない。まさに
『オーシャンと野郎ども』(現在公開中のオーシャンズ11のオリジナル)じゃない
ですが『テリーと野郎ども』みたいな感じで。これもテリー特有の人情というか
おせっかい(笑)ゆえでしょうな。
>>788 デニス・スタンプとかもそうだよね。「ビヨンド・ザ・マット」で
テリーがアマリロでの何度めかの引退試合(w)で、
スタンプにレフェリーを頼むシーンがあったけど、あれは泣かせた。
790 :
お前名無しだろ :02/02/27 16:13 ID:ZSTa4WYQ
レベル高いのであげ
テリ−とビンスの関係というのもワケわかりませんよね。 「億万長者のくせにイスで頭を殴られて、奴こそハードコア野郎だ」 とか賛美してたと思えば、「ビヨンド・ザ・マット」のPRで来日した時は 3時間くらい延々とビンスの悪口を言ってたり(笑)
>>791 テリーと猪木のビンス批判は(個人的トラブルは別にして)基本的に「嫉妬」。
別に「スタイルがショー化したから」とかいう理由ではないと思う。その二人こそ
最高のショーマン(誉め言葉)だったのだから。その自分たちができなかったことを
やってしまった(プロレスのメジャー化)のがビンスだから。
一流の人間ほど嫉妬の塊
794 :
ヤングブラッド :02/02/27 21:24 ID:rgFc91T0
皆さんは、どんな試合が見てみたかったですか? 馬場vsジョニー・パワーズ 長州vsブルーザー・ブロディ 上田馬之助vsブッチャー ブリスコvsロビンソン 坂口vs鶴田 ニックvsフレアー
>>787 同感しまくりです。
普段はあんまり感情ださないけど、やるときゃやるってキャラは
日本人の感覚にマッチしたと思うんですね。
私は日プロって知らないんですよ。
でもオープンタッグはリアルタイムで見て涙したクチです。
オヤジも隣で泣いてました(笑)
テリーがあれだけ人気が出たのはドリーの存在抜きには語れないでしょう。
49年初頭に行われたドリーxブリスコって凄い良い試合だった
らしいですね。関係者皆絶賛してますもん。
ドリーのシングルはあんまりビデオでも流れないのが残念です。
「ファンク一家周辺をウロウロしてる」ってのは実にナイスな
表現だと思います(笑)
そうなるとあの頃の米全レスラーの10%くらいが該当するかも?
ダンカン、モロウスキー、C・ハリケーン・・・いろいろいますね。
ドリーはアメリカの健さん? 不器用じゃないけどね >普段はあんまり感情ださないけど、やるときゃやるってキャラ
798 :
ヤングブラッド :02/02/27 22:39 ID:mtHvkPNT
>>796 ドリーvsガニアですか。想像するとワクワクしますね。
ガニアが最強タッグにでてたら、絶対に実現してたでしょうね。
フレアーに勝ちながらも、NWA奪取が幻に終わったというミッドナイトライダーというマスクマンについて教えてください。
800 :
ヤングブラッド :02/02/27 22:56 ID:pL6nITwZ
ローデスだったと記憶してますが・・
おれ、新日本の中継の、 オープニングの、4分割画面がまた見たい。 ビデオなかったし、いったいどんな試合が映っていたのかが気になる。 ああ四分割画面。
レスラーランキングといったら、ガイシュツだろうが、 ビックレスラーを忘れちゃいかん。 もちろん月刊の。
>>768 話をむしっかえしますが、いつぞやのMSGタッグでアンドレとジェリーモローが
組んだことがありましたね?
某リングアナの話ではアンドレが異様にモローを毛嫌いしてサーキット中全く
会話してた様子がなかったとか・・・
新日としてはフランス語を話せるレスラーとして気を遣ってあてがったのでしょうが
やはりアンドレも黒人は嫌いだったのかも?
まあ、モローじゃあ、アンドレ的には付き人程度の感覚だったのかも
しれないけれど。
806 :
801 :02/02/27 23:04 ID:???
あと、全日本の、土曜日午前にやっていた「ヤングプロレス」とかいうの見たいな。 一度しか見なかった。。。ああ鬱。
>>789 ジェーク・ロバーツが娘さんに会いに行くシーンも感動した>ビヨンド
808 :
ヤングブラッド :02/02/27 23:06 ID:bgjLAD3o
フレアーのNWA初戴冠は、当時チャンプのローデスが新日と 契約があったことがからんでましたよね。確か・・。 その数年後ミッドナイトライダーで挑戦したと。 当時は変身してきてもマスコミがばらしてましたよね。
ローデスがMライダーになったのって、ブロディがRRジャックになったのと同じように、ルーザーリーブタウンマッチに負けたからですよね確か。 記憶違いだったらスイマセン。
>>805 アンドレはロッキー・ジョンソンやアーニー・ラッドと親しかったそうで、
アンドレが亡くなった時、彼らの弔辞がアメリカのプロレス雑誌に載ってた。
ロックの自伝にも、アンドレが子供時代のロックを抱いてる写真が載ってる。
もうそういう話やめては?
>>805 アンドレが「日本人嫌い」だったのは確かみたいだけどね
>>809 確かそうだったと思います。場所はフロリダ、相手は・・・k・サリバン
だったような・・・・
その単語いつも言い間違えるんですよ。それでいいんですよね?
今までリザーブルーブタウンマッチと読むと思ってました。(笑)
814 :
俺も見たい :02/02/28 00:15 ID:yWdiTbzo
ビデオ撮ってなかったんだよな・・・ 越中vs三沢やってなかったけ?(赤パン時代の)
>>810 >>アンドレが子供時代のロックを抱いてる写真
あれはいい写真だった。あの写真だけでも3800円払った価値があった(w
816 :
黒い一羽鷹 :02/02/28 06:51 ID:wKNjIIxf
>>813 テリトリーというものが消滅してしまった今、loser leave town match自体が
死語になってしまいましたね。日本では83.4.21の長州―藤波が非公式?ながら
この形式(藁)でしたっけ。
817 :
お前名無しだろ :02/02/28 08:20 ID:gPf+yz3/
>>806 たしかタイトルは「フレッシュプロレス」でしたね。
日テレで土曜の朝に月一で30分番組。
テーマ曲は「移民の歌」のオリジナルで。
でも大熊・小鹿なんかの試合も結構流れててどこがフレッシュやねんと思って見てました。
今のWWFの「メタル」なんかの試合部分だけ取り出したような番組だったといえるかも。
818 :
お前名無しだろ :02/02/28 08:23 ID:gPf+yz3/
ミッドナイト・ライダー懐かしいっすね。 当時「ザ・プロレス」@東スポに載ってましたねえ。 NWA史上初のマスクマンチャンピオンなり損ねたってわけですかね。
819 :
お前名無しだろ :02/02/28 08:27 ID:gPf+yz3/
あとテリーの周辺の交遊録ってゆうとデラプロに連載されてたやつを思い出します。 やっぱりテリーとマードックのトンパチコンビの話題は印象に残ってますけど、マードックの新日移籍の理由にテリー人気に対するジェラシーがあったみたいなこと言われてたんで、まあいろいろあるんだなあと。
>>801 猪木がEラッドに弓矢固めを決めるところとかロビンソンにドロップキックを
連発するシーン、テーズにあえてヘッドロックをかけバックドロップを誘う
シーン(だよね?)なんかだった。
スタート時での場面は対大木戦だったか?こぶし見せる得意のポーズ。
>>801 >>810 ★懐かしいですなあ・・・・・・(遠い目)
スタート時に猪木がこぶしを握り締めて迫ってくるシーンはおっしゃる通り
昭和49年10月の大木戦の名場面。それからアンドレをリバーススープレックスで
投げるシーン、シンの腕をショルダーアームブリーカーで折る(?)シーンなんかも
ありましたな。いや〜ホント、あの頃の新日本って猪木だけが大看板だったって
ことでしょうな(実際、それに相応しい圧倒的なカリスマ性があった)。
で、テーマ曲が2代前の「テレビ朝日スポーツテーマ」で、これは昭和56年頃に
次のテーマに変わってしまうのですが、私は古い方の曲、オープニングの方が
好きでした。
>>808 ★おっしゃる通り。ローデスのNWA奪取(2度目)は1981年6月24日(たしか)の
アトランタ・オムニセンターだと思います(対レイス 記憶だけなので違ってたらゴメン)。
で、実はこのときのローデスは同日に新日本の蔵前大会(創立10周年記念興行第一弾の
スーパーファイトでブッチャーの新日本初登場大会)に出場する契約を結んでいたんですな。
カードは猪木と組んで対ハンセン・シン組という前年暮の東京体育館大会の再戦。しかし
レイスとの世界戦、それも王座移動の機運がかなり高まるなかでの試合が決定したことで
新日本にキャンセルを通告してきました(契約はまだ残っていた)。だからカードが
猪木・谷津×ハンセン・ブッチャー(シンもこの直前に全日本に移籍)、カーン×戸口
タイガー×ビジャノV(テルセロ)、藤波×クロネコに変わった。当初予定では
カーンがブッチャーと、藤波が戸口とやるはずでした。
〜つづく〜
>>822 のつづき
★ で、ローデスはキャンセルの甲斐あって見事にレイスを倒して新NWAチャンプに
なり、新日本ファンは「これでローデスがNWA王者として新日本に登場してくれる!」
と喜んでいたわけです。もちろん、本当に全日本より新日本の方が好きだった(アメリカ人
選手としては珍しい)ローデスも、そのつもりだった。快くキャンセルさせてくれた恩義もあって。
でも、まあご存知の通り当時のNWA王座を管理している主流派というのはガイゲル、
バーネット、馬場さんといった面々で、NWA王者の新日本登場を許すわけもない。
全日本が秋のジャイアントシリーズにNWA王者を来日させる予定でしたから、ローデスにも
「全日本へいけ」という指令が下った。しかしローデスは心情的にも、契約的にも全日本に
出るわけにはいかない状況。そんなこんなでフレアーの前に、わずか2ヶ月で王座を
明渡すことになるのです。
>>823 のつづき
★もちろんプロの世界、単純に猪木や新日本に義理立てして
王座を捨てたわけではないでしょうが、ローデスの短命政権の背景にはこういう事情もあった
ということです。だからといってフレアーの王座奪取が色あせるものではないですが、
実はローデス大好きな私としてはダスティの「仁義」を見たような思いを勝手に抱いて
いるんですな(笑)
825 :
お前名無しだろ :02/02/28 14:01 ID:6TDX3tLg
ローデスってWCW潰れてから何してるの?
826 :
いわき湯本温泉ピンクコンパニオン :02/02/28 14:46 ID:VzcI+6ee
美空ひばり記念館は、塩屋崎灯台に いわき市 雪なし 夏タイヤ わし、福島県いわき市小名浜(オナハマ)港のソープではたらいとるながれもん ですわ。わてのところにもえろんなお客さんが、関東や東北からきますが、 だいかんげいしまっせー。アクアマリンちゅう立派な水族館も、一年で300万人突破で、 インド人もびっくりや。常磐道とばせば、すいとるさかい、すぐつくよ。 ふくしま未来博は終わってもうたが、魚料理は最高や。ほな、仕事やべんきょうがんばりや ;いわき平(タイラ)競輪やスパリゾートハワイ、美空ひば記念館も、よろしくな。 和手のとこのホーむページ もあるんやけど。いわき勿来(ナコソ)インターチェンジでっせ
本物のレスラーのマリオ・ミラノといえば「死んじゃった」コールを思い出してしまいます。
マリオミラノ(本物)って強かったのか?バラクーダでチャンカン好成績残してた みたいだが。 つーか「伏兵」って好きだねェ、ボビージャガースとか(馬場から白星☆)。
ジ・アベンジャーは初めて馬場に勝ったのに(リングアウト)その来日が 最後になっちゃいましたね。 個人的にはジェリー・オーツが好きでした。 高千穂・クツワダのオーストラリアンズからアジアタッグを奪い、 最後の来日はジョニースミスと組んでフットルースに挑戦するという 息の長いレスラーでした。 いつもコンデションがいいのを馬場さんが偉く気に入ってて 外人ランクとしては下の方なんだけど、開幕戦のメインかセミには必ず 起用されてました。 長州離脱後のシリーズの開幕戦トミーリッチと組んで鶴田・タイガーと戦った んだけど、オーツの方が断然動きがよくて馬場さんも解説に困ってましたね。
ローズとかマクマーンに直すことは永遠にないのだろうか。 いい加減かっこわるいような。 でも、まだマークケアーとか言ってる国だからなあ。
ブラック・テラー(タンク・パットン)とか 急造マスクマンが伏兵になるケースが多かったな>チャンカン
>>830 RohdesとかMcMahonとか、ローマ字表記なんだよね。
他にもグラハム(Graham)はグレアム、ガニア(Gagne)はギャニーって
発音するのが正しいらしいが、ここら辺のいい加減さが
日本のプロレスジャーナリズムっぽくて良くもある(w
英語のスペリングって発声記号みたいなもんだね。 象形文字から由来する(視覚にうったえる)日本の平仮名やカタカナとは 根本的に違う。
英語はドイツ語とかに比べると つづりと発音の乖離が激しいので こういうことが起きがちなんだけどね。
>832 最初に訳した人にならってるんだろうけど いいかげん直せよという気もする 週プロと同じベースボールマガジン社でも 週刊ベースボールやアメリカンフットボールマガジンは 以前から発音優先
>>830 ★いや・・・いちおう本当の発音もわかってますが慣例に従いました(笑)
でもカタカナで他民族の発音を正確に表記するのって基本的に無理なんですよね。
ガニアとかココ・ワレ(本当はウェア)なんかは要するに最初に読んだ人が間違えた
のが流布したんでしょうけど、慣例として定着したものはもう難しいのでは?
たとえばニック・バックウィンコー、ハウク・ホーゲン、テッド・ディビアッシー、
ルー・セッズ、スタン・ヘンスンと今から言い換えてもイメージが・・・。
さらに言えばRとLの違いは英語では大変重要ですが、カタカナで使い分けるのは
無理ですし。週プロはいつのまにか「ベノイ」をやめてましたけど(笑)
でも、 スーパースター・ビリー・グレアム AWAの帝王バーン・ギャニー ってピンと来ませんね。 ハンセンとハンソンとかもありますよね。 「スタン・ハンセンの試合を観戦中のイーデス・ハンソン」 とか訳わからん。
838 :
ヤングブラッド :02/02/28 21:32 ID:wRDW2Fcx
ローデスって全日に来た時に、TVに出てましたか? 私は全然記憶にないんですけど・・ アウトローズ(懐かしい響き)の全日での戦績など、詳しい方 教えて下さい。
>>836 まあ確かに英語は難しいと思うんですけど
マクマホンとローデスはちょっとひどすぎると思うんで
例に挙げました。
カリヤって日系選手も向こうじゃキャリアって感じで
発音されてるので多少の訛りはしょうがないと思うんですけど
ただローマ字読みした奴は直した方が良いかと思うんですよねえ。
>>839 ★う〜む難しい問題ですね。サッカーではマンチェスターユナイテッドの
スールシャール(ノルウェー代表)が民族固有の発音してくれって主張して
さまざまな議論になりましたな。英国人は彼をソーシャールと発音してしまうん
ですよ。同じ西洋人で、同じアルファベット(多少違うけど)を使っていても
こういう問題は起こってしまうわけで。でも、日本のサッカージャーナリズムは
彼をずっと「ソルスキア」とローマ字読みしていたんで問題外かもしれませんが(笑)
すいませんサッカーも好きなもんで例がプロレスから外れてしまいました。
シュケルとスーケル
サニー・オノオは 「小野」か「大野」の発音を アメリカ人が間違ってると思ってた…
同じつづりで発音が違うといえば「Michael」がありますよね。 マイケル(英米)、ミヒャエル(独)、ミシェル(仏)
>>838 ★ローデス(一応・・・)は昭和50年の第二次ジャイアントシリーズで全日本に
初登場。これが三度目の来日(前二回は国際プロレス)で、そのままマードックと
ともに次のオープン選手権に残留参加してますな。で、そのジャイアントシリーズ中の
11月27日の札幌中島大会でアウトローズ×師弟コンビのインタタッグ戦が行われて
いますな(結果はマードックと鶴田が一本づつ取り合って、三本目に馬場さんがダスティを
ピン)。で、ここまでは分かるんですが、
私もこれがテレビ中継されたかどうか、その後のオープン選手権でダスティの試合が
テレビに流れたかどうかに確たる記憶が無いんですよね(ダスティファンとしてお恥ずかしい)。
私は今夜はこれで失礼しますが、ブルーザーさん、コリンズさん、ジョーンズさん、
そのほかの皆さん、どうでしたっけね?
チャールズとカルロスもね
>>843 週プロ(月刊時代)は以前、まだ見ぬ強豪として
「ミッシェル・ヘイズ」を紹介していた。
ゴングもヴィクター・ジョビカを「ヨヒカ」と紹介していた。
>>836 アメリカのビデオ(もちろん英語版)でもアナウンサーがニックの事を
「ニッキー・ボックウィンクル」と呼んでいましたよ。
ガニアもそのままガニアと。
ガニアはフランス系だから(本人の意思で)フランス語式に
Gagneをガニアと発音してるんであって、日本のマスコミはそれに
沿っているんじゃないですか?
レネ・グレイも英語式にはレーン・ゴルドだけど本人がフランス系で
あることに誇りを持っててフランス語式に発音してるんでしょ?
>>845 チャールズ(英)
カルロス(西)
シャルル(仏)
カール(独)
こういう問題は本人が自分の名前をどう呼んでいるかに順ずればいいと
思う。アルファベット圏の人間でない身としては。
ちなみに漢字圏では日本と(南北)朝鮮ではお互いにその人間の国の
発音に従う(日本人は金日成をキム・イルソンと呼び、朝鮮人は
小泉純一郎をコイズミ・ジュンイチロウと呼ぶ。一方日本と中国は
自分の国式の読み方にする。日本では毛沢東はモウタクトウと読むように)。
>>825 フロリダでTCW(ターンバックル・チャンピオンシップ・レスリング)とかいう
インディーを旗揚げしたけど、現在の活動状況は不明。
息子のダスティンがWWFに復帰したんで(ゴールダスト復活!)、もうダメかも。
>>844 その試合かどうかは失念しましたが、アウトローズの試合はTV中継されてるはず。
過去ログで話題になってた80年代後半の深夜番組でも再放送されてました。
>>847 似たようなケースでコロフとかプトスキーのファーストネームの
イワン(Ivan)がありますよね。これも英語式の発音だと「アイヴァン」。
もっともロシア語で「イワン」って発音するのかどーかわからないけど(w
あとRavenをレイヴェンと表記しておいて、Vaderがヴェイダーじゃなくて
ベイダーなのも変。それなら“V”の入ってる綴りはすべて「ヴ」表記に統一すべき。
WWFの現地での放送を当たり前のように日本で見ることができて、その中でさんざん「マクマーン」と言われているのに、Jスカイの字幕でも「マクマホン」表記なのは確かに違和感がありますね。 先日の97年のクラシックでは、ロッキー・マイビア(メイビアの方が日本では一般的)と表記されていたけれども。
>>850 スティーブ・オースチンってのもおかしいんですよね。
本来なら「オースティン」と表記すべきなのに。
でもこれは大昔のバディ・オースチンとかの伝統表記があるからなんだろうな。
マクマホンにしろ、俺みたいな年寄りからすればその表記に馴染んじゃってるから、
今さら「マクマーン」というのもなんか抵抗があったりします(w
ラジオをレイディオ、ポテトをポテイトーとか言うのと同じというか。
メイビアは確かにマイビアになってましたけど、これは認知度の問題なんだろうな。
852 :
お前名無しだろ :02/03/01 00:45 ID:F4XlJtOV
アリは猪木の事を 「あのペリカンのアイノキ」と言っていましたね。 ユキ(Yuki)という名前をユーカイと読むアメリカ人もいるし・・・
野球のMcGwireは昔マクガイヤだったけれど、そのうちに マグワイヤに変わった。
854 :
お前名無しだろ :02/03/01 01:06 ID:+MQubQUn
マクガイア兄弟とかね。
日本の苗字でも同じ漢字で読み方が違ったり濁音の有無とあったりするしねえ
野球といえば、NHKなんかはピアザをピアッツアと比較的現地での発音に忠実に放送してますね。 まあさすがに認知度の高いリプケンをリプキンとは言わないですが。 同様に「マクマホン」として認知度が高いミスター・マクマーンも、ここ日本では多分20年後でも「マクマホン」なんでしょうね。 (でも、ベノイなんかはこれからはベノワで統一すべきだとは思いますね。) しかし頑なにブローディ、ペイトリオットと表記していた週刊ファイトは評価されるべきですかね(w
週プロはベンワーに変えたようですね
フランス系は血筋にこだわりがあるのかな? ベノワやガニア以外にもDuboisをデュボワとかFransをフランソワという風に フランス語式に読ませるフランス系アメリカ人いるし。英語式に同化せずに。
>>858 フランク・バロアとかはどうだったんでしょうね。
関係ないですが、「アメリカじゃフランス語なまりの英語が女にモテる」と聞いたことあります。
★まあ「こう聞こえた」って言っても、「こう聞こう」という聞きなしの意識が あれば、そう聞こえるものですし・・・。あまり原音にこだわらなくてもいいと 思いますけどねえ。カタカナで外国の固有名詞を書いていても、それは「日本語」 の中の文脈で読んだり呼んだりするものですから。カタカナで世界中の音を表現するのは 土台、無理なんですな。もちろん外国に行ったときは原音で発音しないと通じませんけど。 私はアメリカで暮らしてたことがあるんですが、向こうでできた友人に 「マクダノルズ(ダにアクセント)行こうぜ」と言われ、それが 「マクドナルド」であることに気づくのに2分半くらいかかりました(笑 ま、アメリカ人にしてからが勝手に他国の固有名詞を英語読みしていますからな。 バック(作曲家のバッハ)とかパイキャッソー(ピカソ)とか。フランス人でも イトレール(ヒトラー)とかあるし。なんで日本人だけが原音に必死に忠実でなきゃ いかんのとも思います。 それでは私は横浜アリーナに向かいますので、本日はこれで失礼します。
NWAミズーリー州ヘビー級の、最後の王者を教えてください。
>>862 最後のミズーリ州王者はレイス、セントラルステ−ツ王者は元全日の佐藤昭雄でした。
>>859 バロアはフランス人だったんですか?仏系米人だったんですか?
ワールドリーグ戦ではフランス代表となってたような。
ただプロレスのその手の○○代表は本当に当てにならないですから。
ミズーリ州ヘビー セントラルステーツヘビー アメリカンヘビー(テキサス) ノースウェストヘビー ルイジアナ地区北米ヘビー デトロイトUSヘビー アメリカスヘビー(ロス) 7大USタイトルってあったがこれか?
>ま、アメリカ人にしてからが勝手に他国の固有名詞を英語読みしていますからな。 ミケランジャロ→マイケル・エンジェロ ユリウス・カエサル→ジュリアス・シーザー イエス・キリスト→ジーザス・クライスト ロラン・バルト・ローランド・バルテス
>>864 私の持っている資料では一応フランス出身になっています。
現役時代の主戦場はヨーロッパだったようですね。ヨーロッパ選手権をLシモノビッチから奪っているという記述もありますから。
何でもバロア王朝の血を引いているとか。真偽は定かではありませんが。
FRANK VALOISと書くのでアメリカではどう発音されていたのでしょうかね。
>>862 >>863 ミズーリ州ヘビー級の歴代王者を見てみると、実に豪華なメンバーですよね。
レイス、Jバレンタイン、テリー、Gキニスキー、ドリー、バックランド、ブリスコ、スレーター、デビアス、マードック、
ブルーザー、ケビンVE、Kパテラ、Dブルーザー、ケリーVE、ブラックウェル、フレアー、デビッドVE(初獲得順)。
ブルーザーさんの仰る通り、レイスが1985年8月2日にブラックウェルから奪ってから暫くして消滅したようですね。
〜つづき ミズーリ王座はNWA王座の登龍門なんて言われてましたが、実際ミズーリ獲得後にNWA王座ついたのは、レイス、テリー、ケリーの3人。 キニスキー、ブリスコとフレアーはNWA転落後に獲得してますね。フレアーは後々NWAに返り咲いてますから、登龍門という言い方に合っているといえば合ってますが。 しかし歴代王者を見る限り、NWA王座のトップコンテンダーばかりであることは明らかですよね。
870 :
:02/03/02 00:15 ID:???
このスレの皆さんは横アリ行かれたんですか? コテハン諸氏ではマリオ氏とリッパー氏くらいしか興味なさそうだけど
871 :
:02/03/02 02:46 ID:???
ミズーリ州の歴代王者はホント豪華メンバーですね。 NWA圏とAWA圏のレスラーが微妙にミックスされてるのが 興味深いです。 ケリーが天龍・石川を相手に日本で防衛戦を行ったのは83年だったと 思うんだけど、それから2年後には消滅してたんですね。 個人的にはケリーの「ディスカス・パンチ」には笑ってしましましたが。
>>872 >NWA圏とAWA圏のレスラーが微妙にミックスされてるのが・・・
地理的にミズーリ、セントルイスとAWA圏のイリノイ、インディアナが近いのと、
会長兼プロモーターのサム・マソニックへのレスラーの信用度が高かったことが原因に
挙げられると思います。ポール・ボーシュ、馬場と並んで、ファイトマネーをきっちり
払うことでは定評があったようです。
ミズーリ州王座は初代王者がハリー・レイスと紹介されていることが多いと思いますが 実際はレジー・パークス初代王者だったという説があるようなんです。 理由はレイスが最初にこの王座を獲得した'72.9以前に雑誌のインタビューでパークスが このベルトを誇示している写真が掲載されているからなんですが…。 以前あったベルトをミズーリ州王座ベルトとして使いまわしたんですかネエ? (全日本のNWAインタjr→世界jr、新日本のマーシャルアーツ→クレーテスト18クラブみたいに) ところでこの人、お腹の上を乗用車のタイヤで轢かせて騒がれてましたね。
今ではベルト作成職人なんですよね?
876 :
古きよき時代 :02/03/02 23:03 ID:MJ47+L+Z
ブロディとアンドレがオーストラリアかどこかで戦ってブロディが アンドレをトップロープからのニードロップでKOしたという話は 本当でしょうか? もし本当だったらキラーカーンがアンドレの足を折ったの時の様に 大騒ぎになっていたと思うのですが真相はどうなんでしょうか?
KOっていうか3カウントとったっていう話は聞いた事あります。 でもなんやかんやで抹殺されてしまったようだけど・・
878 :
42 :02/03/03 00:49 ID:???
>>875 あっそうなんだ>レジー・パークス=ベルト作成職人
どうりで「見たことある名前だ」って思ってました
日本のベルトもかなり作ってるとか・・・ デザイン的にもGHCのベルトは彼の制作では?
880 :
42 :02/03/03 01:20 ID:???
そうですね>GHCのベルトは彼の制作では? 「見たことある名前」ってのはGHCのベルトが「レジー・パークス製」ってでていたからです しかしGHCベルトのデザインは・・・
アメリカのローカルタイトルというとブラスナックル王座とか TV選手権とかいうのがどこにでもあったがいまいちわからない。 印象によく残ってるタイトルはMrサイトー(マサ)&Mrサト(高千穂)や カーン&朴松男らが巻いてた米国旗をあしらった「南部タッグ」(←これも複数 存在してた)。
>>880 芸がないですね〜。(笑
デザイン自体より3本共同じ形っていうのが・・・
>>881 ブラスナックル王座っていうのは「ラフファイトNO1」王座
みたいなもんで、その団体のエースではないけど、喧嘩ファイトに
強いレスラーが巻くために存在したベルトでは?
883 :
黒い一羽鷹 :02/03/03 03:59 ID:96PHZH+h
レジー・パークスのHPで「先行公開」されてましたな>GHCベルト。 日本のインディ団体にもレジー製多いですね。
>>850 遅レス失礼
ちょっと昔、文部省かどっかの指示でカタカナ表記では
日本音を基準にすべしみたいな運動があったじゃない
たとえばヴァ→バとかね 実際に新聞でもバンヘーレンって書いてったのね
それがヴァン・ヘィレンだと気付くのに2分半かかりました(やや誇張)
その後しばらくは原音忠実派がカコワルイなんて風潮もありまして、
かな〜りヘンテコなカナ表記が主流になってましたな
今はそういう規制もなくなってますが旧勢力はいまだに強いわな
どうでもいいがわしなんかフミがDEBRAのことをデボラって
書くのがいまだにワカラン どこにもボの音ないだろ!!
(俳優かだれかにデボラって人いるが混同? それだってDEBORAHだし)
>>870 日本での盛り上がりが心配だったんで、ファンのノリの良さには驚きました。
演出や試合内容はもちろん、進行のテンポの良さも素晴らしかった。
あれを見せられちゃったら、今の日本のプロレスは真剣にヤバいのでは?
>>876-877 3カウントだったっけ? アンドレをボディスラムしたって話は有名だけど。
でもその試合、実際は行なわれてなかったという説が根強いですね。
写真とかもまったく存在してないし、詳細なデータも不明。
そもそも場所が「オーストラリア」っていうのも‥‥。
ブロディ一流のガセだったんじゃないかとも言われてますが、
アンドレの商品価値を傷つけたくないアメリカのプロモーター達が
事実を隠蔽したと考えた方がファンタジックなような気もします。
似たような話で南アフリカで行なわれたというテリー×ホーガンがありますね。
>>881 もともとTV王座はTVマッチを放送する番組用につくられたタイトル。
ただダラダラ試合を流すより、専用のタイトルがあった方が番組の
目玉になって視聴率も稼げるという、TV局側の要請でつくられたものらしい。
番組内で王座戦が行なわれてたんで、15分1本勝負とか試合時間も
放送時間に合わせて設定されてました(ビッグマッチで行なわれる場合も同じ)。
このタイトルを最後まで認定してたのはWCWだったけど、
WWFとのTVウォーで従来のTVマッチの形式が無くなってからは
中堅選手用の3番手タイトルになった(今のWWFの欧州王座みたいな)。
勉強になりますね〜。 TVマッチって米特有の試合形式じゃないでしょうか。 日本はもちろん、メキシコ・(昔の)欧州・韓国でも聞いた事 ないですしね。 でも昔ゴングとかに載ってるTV選手権の写真とか見てると、ほとんど 客が見ていないリングで戦ってるのはなんか子供心にも しょぼい感じがしましたね。
>>886 ブロディvsアンドレは試合自体が無かった説が有力だけど、
カーンの足折りの試合は裁定はどうだったんでしょうかね?
ドクターストップでフォールは無し?
ブロディvsアンドレは1977年12月2日にシドニー、1978年12月2日にメルボルンで対決したという記録を見たことあります。 「列伝」には1978年11月16日となってますが。 私も写真とかは見たことありませんから、真偽は判断しかねますが、もし事実なら当時の二人の商品価値を考慮して、 アメリカや日本で公表されなかったのではないでしょうか。 ということは「列伝」の原田久仁信は想像だけで、あの迫力ある絵を描いたんですかね。ある意味凄い。
>>870 ★行きましたよ〜。あ〜楽しかった。リッパー氏のおっしゃる通り、ファンのレベルが
非常に高かった。あれならスーパースターズも気分よく試合できたでしょうな。
ホント、いい年こいて久々にプロレス見て心の底から楽しい気分になれました。
なんかプロレス少年に戻ったような感じで。ステイシー見て「カワイイ〜」、
ビッグショー見て「デケェ〜」と大騒ぎしてしまった。私の席は入場口のすぐそば
だったのでテレビに映ってるかも(笑
そうそう、「Y2ゲイ」コールでみんなが大騒ぎしているときにパット・パターソンが
花道にソッと現れたんですよ。このコールで現れるなんてさすが(W と思いつつ、
ちょっと話がしたくて「パット! パット!」と呼びかけてみたんですが無視され
ました。いろいろ聞きたいことあったのに・・・。
アンドレ×ブロディ@豪州に関しては、私も一枚も写真を見たことがない。かねてから
実現したのか? 実現したとしてもアンドレをピンというのは本当か? と私も
疑いを持っておりました。でも、ホントにこの試合の資料って無いんですよね〜
大体ブロディ自身の口からアンドレをピンしたという話を聞いたことないです。 みなさん知ってる有名な話なんでネタ元はゴングかプロレスでしょう。 当時の編集部員ならソース元を知ってるでしょうから、問いただしてみたいですね。 小一時間ほど。 そもそも何でオーストラリアでアンドレ対ブロディ戦が何で実現したのかが疑問だ。
>>891 「パトリシア」って呼んだら返事したかも。
>>887 最後はケビン・ナッシュにゴミ箱に捨てられてましたね(笑)>WCWのTVベルト
アンドレ×カーン(足折り)はノーコンテスト(カンちゃん本人の弁)だったそうです。
確か女子プロにJCTV認定のテレビ王座があったような記憶が…。 JCTVって、ガオラの前身でしたっけ?
>>891 パターソン副社長来てたんすか! マニアツアーの時は
ブラックジャック・ランザがお目付け役で動向してたけど、
この人は当時の惨状を知ってるから今回は来なかったのかな(w
>>894 あったあった(w) で、当時掃除夫キャラだったハクソー・ドゥガンが
ゴミ箱からベルトを拾ってチャンピオンを名乗ったという(w
しかし今思うと、末期のWCWって凄いアナーキーな世界だったよなあ。
伝統のNWAが、ああいう形で崩壊しようとはねえ。
あまりに酷いんでビデオに録ってなかったけど、惜しいことをした。
でもあれですね。今のフレアーのイキイキとした表情を観てると、
ビンスはビショフやターナーなんぞよりも、はるかに“NWA”の権威を
理解してるんだと思う。プロレスが好きで好きでたまらないんでしょうね。
>プロレスが好きで好きでたまらないんでしょうね。 あほな、ビンスが好きで好きでたまらないのはマネーだよ。
そのマネーを生んでくれるから「好き」ってことでいいんじゃ?(笑
>>891 握手して中指コチョコチョやれば成功したかもッドレ!?
パトリシア的にはジャパニーズボーイ(って昭和40年代か)はどうなんかね。
>>897 TVタイトルポイ捨て→拾って自称チャンプ、は
シェーンとミディアンのヨーロピアンタイトル移動のパロかなあって思ったよ
個人的にはルッソ時代とそれ以降最高だったんだがナ
猪木もマネーが好きで好きで堪らないね。
>>898-899 わはは! そりゃそうだ(w
プロレス以外は金儲けの才能ゼロだしね(w
パターソンは一度ホモセクハラで刑事告訴されたこともあったけど、
特定の相手としか行為をしないタイプらしい。
これはビンスも同じだとか。2人とも純正じゃなくてバイだし。
>ルッソ時代とそれ以降
俺も今思うとあの滅茶苦茶ぶりが面白かった。少なくともnWoよりかマシ。
企画倒れの連発は国際プロレスの末期に通じるものがあったな。
>プロレス以外は金儲けの才能ゼロ これも猪木とビンスの共通点(笑)
ビンスはプロレスにも投資してるけど、 猪木は全部サイドビジネスでするからなぁ…
>>901 ストロング小林やパワーズと違ってその点は偉いね。
小林は武藤・ジョージ・高田を狙ったというから美男好みかと思えば
橋本やヒロもイタズラされそうになったというし・・・
パワーズは若手レスラーを食いまくってたとか・・・
>>904 偉いっていえば偉いね(w
そういやパワーズとパターソンって北米タッグの初代王者チームなんだよね。
ピーター本によると「試合当日までお互い口を聞いたこともなかった」らしいが(w
あとハンセンの自伝に「小林をボディスラムすると、彼はいつも相手の急所を
握ってきた。股間を握られると力が入らないので、投げられる時のショックを
和らげようとしていたのだろう」とか書いてあったけど、これもちょっと(w
関東の人しか分からないと思うが、 18:00〜からやっていた「600(ろくまるまる)情報局」でのプロレス名場面集がよかった。 木曜日だったっけ? プロレスコーナーがあるの。 千本木あつしは、今、どこに。。。
テレ朝のやつ?
パワーズってそんな嫌われものなら何故プロレス界で成功できたんですか? 特にいいレスラーとも思わないし・・・
>>904 武藤はネ、辛うじてストロングの魔の手がら逃れられたんだよ。
勃起したストロングが迫ってきた時、武藤は土下座して「それだけは許して下さい」と
哀願したそうだ。でも今の武藤をみてるとストロングとそっくりだね。
禿げ具合といい、他団体に移籍してことといい、、
>907意外と面白かったね。 あれで昭和48年の最強タッグ見て、猪木の回転足折りにシビれてしまいビデオ買っちゃったよ。
>>908 NWAが独占に近い状態の時期にエアポケットのように見過ごされていた
五大湖周辺地域にNWFと言う独立団体を旗揚げしたからです。
これによりNWA首脳部と反りが合わなかった実力派がNWFに終結してNWFは大儲け…オーナーのパワーズはやりたい放題だったそうです。
ところでソフト面はパワーズが担当したそうですがハード面はペドロ・マルチネスと言う
パワーズより更に酷いプロモーターが担当していて、この人がパワーズを裏切ってNWFは凋落の一途…
パワーズはパワーズでサイドビジネスの不動産業が転覆して借金まみれとなり新日本に来日しても
サーキットの最中に不動産業の営業活動をするという出鱈目ぶりで終いにはNWFベルトを
新日本に1万ドル(当時のレートで300万円くらい)で売却する羽目になったそうです。
(つまりIWGPを提唱するころのNWFベルトは「新日本プロレスリング株式会社認定ヘビー級ベルト」だった)
続く
続き 実力の方はそこそこだったと思います、体格も風貌も一級品だったと思うし…。 でもまあリング外でマスクド・スーパースターと揉めて、切れたスーパースターに ぼこぼこにされて首から上を便器の中に沈められたとかいうエピソードを聞いたときは 悲しくなったものですよ…は・は・は。
>>906 「イブニング朝日」じゃありませんでしたっけ?
若い頃の小宮悦子アナが出てて、「タイガーマスクファンです」とか言って
ました(笑)
>>913 パワーズってホモで若手レスラーを半ば強姦気味に食ってたとか
控え室では窃盗の常習犯とか悪い話ばかり聞くけど・・・
最後の来日は79年?のMSGタッグでしたっけ? かつての看板外人とは思えないようなぞんざいな扱いを受けてたよね。 リーグ戦以外は第4、5試合目が定位置でした。
>>915 噂通りというか噂以上の凄い奴みたいです、パワーズは。
グレーテスト18クラブの会合で乾杯の音頭をパワーズが取ったら他のレスラーの殆んどが
無視したと流智美さんが二度も(もっとかも知れない)書いていました。
>>917 しかもニック・テーズ・ロビンソンというマット界で
比較的紳士なレスラーのリアクションがそうなんだから・・・
パット・パターソンもパワーズを良く言ってなかったみたいですね。
同じ趣味を持つものでも好き嫌いがあるんですね(笑
919 :
:02/03/06 22:14 ID:???
920 :
古きよき時代 :02/03/06 23:44 ID:gnfpDS4D
ブロディ対アンドレはここに質問投げる前に色々調べてみたのですが、 確かに写真一枚なかったんです。 結局今は2人共故人となってしまいましたし、謎は謎のままで置いておくのが いいのかも知れませんね。 南アフリカのテリー対ホーガンですが、ドローだったのにホーガンが あちこちで勝ったと吹いて回ってテリーに大ヒンシュクを買っていたのを 思い出します。 ゲイのレスラーで思い出すのは名前は忘れたのですが、新日のジュニアに 参戦したメキシコのレスラーです。 当時の高田や小林邦明が試合中に唇を奪われたそうです。 あまりの事に高田が呆然としていると少年ファンから 「どうした高田〜やり返せ」とヤジが飛んだそうな。
>>920 南アでのテリー対ホーガンは、「日本のマスコミに聞かれたらドローだったと答え
よう」との約束をホーガンが破ったとかで、本当の結果は?ですね。
新日に来てたオカマと言えばエル・ベジョ・グレコとセルヒオ・エル・エルモソの
ロス・エクソティコスですかね。再来日時、一方が入院して帰国してしまい、片割
れだけでシリーズに出ていたこともありましたっけ。
アドニス、リップ・ロジャース、ゴールダスト、ビリー&チャックとか オカマとかゲイのギミックのレスラーはみんなノンケだけど、 実際にそういう連中は自分の趣味をギミックにしないね。
>922 “プリティー・ボーイ”パット・パターソンは?
>>923 パターソンはオカマキャラじゃなくてバディ・ロジャースやフレアータイプの
伊達男系ヒールだった。ビジュアル的にはニックに近かったかも
>>919 菊池さんの本によると、「ロビンソンは英国紳士に見せかけて実は
服装のセンスが最悪、しかもケチでルーズで女ったらし」だそうです。
あとテーズって紳士?たかり屋じゃないの?
>>926 オレはギャバンの歌。最後の「ギャ〜〜バ〜〜ン!」の部分だけね(w
ギャバンの歌と言えば、歌ってるの富士サファリのCMの串田アキラなのに 「あれは絶対和田アキ子」 と言い張る奴がクラスにいた。 ドルギランの歌とかも懐かしいよな。
>>929 そんな勝手に仕切っても、ここのスレでは誰も賛同してくれないよ。
40年代生まれの前半と後半ではプロレス観が違うって散々言ってる 人もいたからいいんじゃない?
>>931 この板に特徴的な「プロレス観が違う人同士は隔離しよう」って思想、
どう考えても心が貧しいと思う。知らないことはお互い聞きあえばいいし、
感覚が違うなら、どうして違うのか語り合ったり考えたりすればいい。ここは
それを紳士的にできる人たちが集まっている。
933 :
:02/03/07 14:51 ID:???
でも、話についてこれなくなると文句を言う人がいるから分けた方がいいかも。 プロレス観云々より、単純にマナーとモラルの問題。 「知らないことは聞きあえばいい」それができない子供みたいな大人がいるんだから。
920=ブルーザーさんだ。
936 :
名無し :02/03/07 17:01 ID:YZbVX0Pz
俺も別スレ必要ないと思うけどね。 マリオ氏やブルーザー氏のマニアックな話は正直面白いよ。「ああ、そういう裏話もあったのかぁ」てなぐあいに。 別に裏話に限らず、データ的な情報も俺的には貴重で興味深いしね。 かくいう俺は参加できそうな話題なら好きなようにカキコさせてもらうが。
>見れ、おもろい。 その誘い文句自体が怪しい。オージーグループみたいだ。
>>925 一応パワーズが嫌われてるのを強調したかっただけなんで、
あんまり突っ込まないで下さい(笑
テーズは確かに晩年は醜かったですよね。
>>939 パワーズと比較しちゃイケマセン(藁
でも、なんて言うのか…自己中心的なレスラーの魅力も捨てがたいですよね。
ブロディ、マスカラス、ロビンソンにボック…この人たちは自己中だからこその魅力があると思いませんか?
>940 猪木も。
>>940 確かに。
そして彼らはタッグパートナーにも恵まれませんでしたよね。
ブロデイはスヌーカのみ、ミルは身内のドスのみ。
考え過ぎでしょうか?
猪木もそうか。(笑)北米タッグ転落以来引退するまで20年近く
タッグタイトルに縁がありませんでしたもんね。
でも、自分のいいところ見せる事しか考えてないから名勝負は少ない、と 言われるブロディやマスカラスと違って猪木は名勝負多いですね。 相手も光らせて自分がそれ以上光るというような。 でも明らかに藤波なんかの「名勝負」とは違った名勝負ですけど。
>テーズは確かに晩年は醜かったですよね。 テーズ死んだの?
新スレ立てる時は長老の意見を聞いて許可をもらってから立ててね。 タイトルも重要だから慎重に考えるように。
長老ってだれ?
>>946 ◆昭和40年代生まれでプロレスを語ろう!PART5◆
以外のタイトルあるのか?
うるとらまんきんぐ
>>945 まだ健在です。
近じか来日するとか。
流氏も張り切ってるようです。
955 :
:02/03/08 23:49 ID:???
今のマスコミで長老的存在というと菊池さんになるのかな。 門馬さんはもうヤバそうだし。
田鶴浜さんも氏んでるしな
亀レスですが、オーストラリアでのアンドレvsブロディ戦が実際に行われたか
どうかは俺も分りません。
http://www.acay.com.au/~topmill/html/boxing.html 一番下にある
「100 Years of Australian Professional Wrestling 」なる本に記載されて
らしいとの話は聞いたことがあります。俺は未読ですが・・・
’78年にミラーのプロモーションが閉鎖するまでは、各地のトップスターが集結
していました。コワルスキー、スティーブンス、ゴッチ、ルーイン、マーフィ、
イヤウケア、ミラノ、コックス、モンスーン、スポイラー、ロビンソン、メイビア
W・V・エリック、ニグロ・・・レイスもNWAの防衛戦を当地で行っていましたし、
サンマルチノも来ていました(WWWFと提携した訳ではなく個人契約)
個人的にはアンドレvsブロディ戦は、結果はさておき”行われた”と思っています。
亀レスの続き
>>724 嘘のような話ですが、デビュー当時(’60年代前半)のパターソンはオカマキャラ
で売り出していました。鏡を見ながらメイクアップしたり、縫いぐるみを抱いて
ポーズをとった写真をアメリカのプロレス専門誌で見ました。
アメリカ修行時代の谷津のコーチもしていました。同い年の猪木がパターソンの
レスリングの技量を高く評価していたからだと思います。
訂正、724→924 亀レスの続き ローカルタイトルでどれか権威があったかというと、 ・US王座(シカゴ、デトロイト、SF、ロス、ミッド・アトランティック等) ・州王座(ミズーリ、フロリダ、ジョージア、テキサス、ルイジアナ等) ・TV王座(フロリダ、ミッド・アトランティック等) 個人的には、大体この3つぐらいだと思います。
一番長生き?したのは、ミッド・アトランティックのTV王座でしょうか? ’73のO・アンダーソンから始まって、コロフ、フレアー、G・バレンタイン、モスカ スティムボート、ラシク、パイパー、M・スーパースター、スレーター、カブキ ヤングブラッド、ブランチャード、ローデス(’85.4より世界TV王座) N・コロフ、ロトンド、R・スタイナー、スティング、ムタ、アンダーソン (’91.1よりWCW世界TV王座)、イートン、オースティン、S・スタイナー オーンドーフ、ズビスコ、ルガー、U・ドラゴン、A・ライト、マーテル、ベノア D・インフェルノ、ジェリコ、ブッカーT、ホール、最後はデュガン(’00,2)でした。 スティングの消息とディスコ・インフェルノなる選手の正体が分らないのですが、 何方かご存知ないですか?
>>959 デトロイトのUSベルトってアメリカの地形をモチーフにしていた。
権威があるというと、ビルワットあたりに代表されるノースアメリカン王座は
どうでしょう。
「ノースアメリカン」という名称はカナダ版(カルガリー?)が元祖だったかな?
テレビ東京で20:00からやっていた「世界のプロレス」。 これどこの団体のをやってたんだっけ?
>>960 >ディスコ・インフェルノなる選手の正体が分らないのですが
正体も何も…そんなもんGoogleとかで検索すれば腐るほど出てくるよ。
スティングはルガーと共同でジムを経営してる。
宗教上の理由とかで、もうプロレスを続ける気はないらしい。
965 :
名無しその1 :02/03/09 21:34 ID:qVEEMu/f
>>963 アメプロ・・・NWA,AWA、WWF、ダラス(エリック)、UWF(ワット)
メンフィス(ローラー)など
メキシコ・・・UWA,EMLL
旧UWFを放映してるのを見た事がある。 違和感があるんなんてもんじゃなかった。
今サムライでマスクド・スーパースターの試合やってたよ。感動
>>964 頭の中が1988年くらいでストップしてるんだから仕方ないのでわ
>>966 その時の団体名が「海外U.W.F.」なんで、
まさに「世界のプロレス」にピッタリなんつったりして(w
で例の事件で2回で打ち切りでしたっけ?
>>969 確かスポンサーの海外タイムス?が投資ジャーナルの事件に絡んでた
ことだっけ?
放映の方も特別に枠を組むというんじゃなくて、普通にアメプロとアメプロの
試合の間に挟んでたからな〜。
>>970 番組制作サイドは「“世界のプロレス”というタイトルが示す通り、
世界のあらゆるスタイルのプロレスを放映することが番組コンセプト」
みたいなこと言ってた。
ディスコ・インフェルノはWCW生え抜きだったような。 前身は無いんじゃないですか?
>>960 ディスコ・インフェルノはドン・レオ・ジョナサンの変身です。
>>973 ちょっと調べてみました。
'91年 デビュー
'93年 USWA(テネシー)
'95年 WCW入り
とのことなので生え抜きという訳ではないようです。
しかし前名は分りませんでした。
前身を知りたいんじゃなく、単純に「ディスコ・インフェルノなる選手」が わからないからどういう選手が教えてほしいだけだろ(藁
>ディスコ・インフェルノなる選手 クルーザー級の選手で、ジョン・トラボルタのパロディみたいなヒール。 ♪ディ〜スコ フィーバ! イェー!イェー!イェー!イェー♪とかいう 入場テーマ曲で登場し、リング上でダンスを踊るのがルーティン。 エルビスのパロディだったホンキートンク・マン(これもご存知ない?) みたいなショーマンでした。でもなかなかの試合巧者だった。 登場時にナイトロの画面がミラーボール風に切り替わったり、 細かい演出も面白かった(ゴールダストの入場時も画面がシネスコサイズになるね)
>>976 正解した貴方にはミッド・アトランティックのTV王座が
贈呈されます。
>>978 アレックス・ライトとのダンスコンビが弱くて好きだった
やっぱりこのタイトルの新スレ欲しい・・・
>>979 ありがとう。さっそくゴミ箱にポイさせていただきます。
>>982 それを俺が拾って新チャンピオンになります。ハォー!!
>ディスコ・インフェルノなる選手 ブレンバスター1発で負けた後も、リーゼントを気にしていたシーンが よかったです。世界のプロレスだったかな?
>>986 それはホンキートンク・マン。
ドゥガンて今何してるんだ? XWFにいるの?
ディスコ・インフェルノを初めてWCWで見たとき オンドーフに秒殺されてたので 弱いのを売りにしてるキャラかと思ってた。
>>978 ありがとうございました。
レスしてくれた皆さん、今までありがとうございました。元々俺は代理でこのスレ
立てたので、もうこれ以上やる気はありません(ネタもないので・・・)
一つぐらいは、こういうスレがあっても良いような気もしますが、それは他の方に
お任せしたいと思います。
そもそも40年代生まれに固執してるのがよくなかった気がするな。 だから「30代以上でプロレスを語ろう」にして再出発すればいいと思う。
993 :
ほれっ :02/03/10 07:26 ID:???
ブルーザー氏、新しい所でまた頑張ってよ。
(=゚ω゚)ノ ストンコノ 3:16テ ナンデスカ
ミラノさん、ブルーザーさん、モチョコタさん、42さん、 どーオレさん、プロレス馬鹿さん、ハンターさん、・・・ いろいろありがとうございました。