従軍慰安婦の洗脳

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116Ms.名無しさん
日本が敗戦した日 (1945年8月15日) の3日後に、政府は進駐軍 (主として米軍)
兵士の性処理目的で特殊慰安施設協会 (RAA) を設立し、日本人婦女子を
大っぴらに募集したのはよく知られていますが、 女性兵士用に
「男慰安夫」 として採用された若い日本人男性がいたことは、あまり知られていません。

この慰安夫に採用された人が語っています。昭和21年 (1946年)、この人の場合は
名古屋に進駐した女兵用で、厳重な体格検査に合格。とにかく、心臓、胃袋、眼、
皮膚、筋肉、血液、尿などが検査され、性病、痔の有無まで調べられたといいます。

松坂屋の近くに焼け残った木造アパートがあり、体格検査に合格した数人の若者に
一人一室与えられます。最初の客は、なんと試験官の伍長で、彼女は最初から
その人のことを気に入って採用したのです。「乳房は二個の飯ごうのようで、
故郷の牛を思わせる腰だった」 といいます。勤めはさすがに一日おきで、日給三ドル。
その他、肉、バター、チーズなど、体力回復のためいくらでもくれました。一般国民が
芋も満足に食べられないときですから、それは有り難かったでしょうが、
とにかく体力的にきつかったそうです。

結局、この人は丸半年間、その女伍長にやむない軍務のあるとき以外は
買い占められ、その伍長は本国帰還の日、とめどなく涙を流したそうです。
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-5c03.html