ショーペンハウエル 「女について」 

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2Ms.名無しさん
自然は少女に対して、たとえてみれば、芝居でいう場あたりをねらう考えで、何年かの間にかぎり、
爾余の全歳月を犠牲にして、あふれんばかりの美と魅力と豊満さとを与え、特に、この何年かの間に、
或る男の空想をしっかりととらえて、その女の一生の世話を、或る何らかの形で、誠実に引き受けるほど、
夢中になるようにしむける。けだし、男性を動かして、このような段階まで立ち入らせるためには、
単なる理性的熟慮だけでは、どうも充分に確実な保証となり得ないように思われるからであろう。
このように、自然は、女性に、ちょうど他のすべての彼の創造物に対して与えるのと同じく、その生存を
確実ならしめるのに必要な武器と道具とを、それが必要とされる期間だけ、与えておくのだが、この場合にも、
実に、自然は、みずからの常套手段たるつましいやり方に従って、事柄を処理するのである。すなわち、
雌の蟻が、交接の後には、もはや余計なもの、というよりも、産卵経過にとっては危険なものですらある翅を
失うごとく、婦人たちもまた、たいてい一、二回、産褥に就いた後には、その美しさを喪失するが、おそらく、
両者は同一の根拠にもとづくものであろう。

だからこそ、若い娘たちは、自分たちの家事向きや職業上の仕事などを、心の中では、余計なことと思ったり、
ひどいのになると、単なる戯れごとくらいにしか考えておらず、専心に、まじめに打ちこむ勤めとしては、
恋、男子の愛情をかち得ること、およびこれに関連する、たとえば化粧、ダンスなどがあるばかりなのだ。