金蹴りしたい女と金蹴りされたい男の掲示板 part2
・今、景気回復で雇用改善しているといわれるなかで、「格差」の拡大に苦しんでいる世代がいる。
就職活動時、「超氷河期」だった30歳前後の若者だ。雇用改善でむしろ、置き去りにされかねない。
「たった数年の卒業の差で、こうも違うものか」 鉄道会社の広告部門で派遣社員として働く
今井紘子(28歳、仮名)は肩を落とす。景気回復で企業の正社員採用が増えるなか、意気
揚々と就職活動をしている大学3年生の弟を見ると、気持ちも沈む。 紘子が卒業した2000年
3月の大学卒業生の就職率は、統計上初めて60%を下回り、55・8%まで下がった。企業が
正社員採用をギュッと絞り込み、非正社員で代替させたためだ。早稲田大学卒の紘子は、
その「超就職氷河期」の煽りを受けたひとりなのだ。
卒業後、採用関係の広告会社に正社員として入社した。月給は手取り15万円。相場より
低い気はするが、企画やデザインの仕事ができる。なにより、やっと「無職の状態」から脱出
できたことが嬉しかった。しかし、その気持ちはすぐに打ち砕かれた。
強いられる恒常的なサービス残業。会社に寝泊まりすることもしょっちゅうだったが、残業
手当は1円も支払われない。極度の過労とストレスがたまり、紘子は胃潰瘍になった。
体が壊れ始める。「このままでは、死んでしまう。なのに私の給料って、たった20万円」。
「とにかく、辞めよう」 退職後、再就職活動をスタートした。
アパレル会社に正社員として採用された。親会社から天下りで来た上司は、仕事もしないで
パソコンでゲームばかり。紘子が3人分の仕事をするようなものだった。朝6時過ぎの電車に
乗って会社に向かい、終電で帰る。帰宅しても疲れすぎて眠れない。
社会人の「入り口」で失敗した、いや「超氷河期」のために割を食ったことで、その後の仕事
人生は”悲惨な職場”の連続に追い込まれる。30歳前後の若者の置かれた境遇である。
本人の責任もあるだろうが、時代の波に翻弄されていることは間違いない。(抜粋)
事故発生から第1回公判までの時系列(仮客観版)その1
2002.10.28 事故発生
2002.11.21 被害者死亡
2002.11.24 告別式にて加害者と遺族が握手
2002.11.30 被害者遺族が加害者に事故状況の説明を受ける
2002.12.09 遺族調書。遺族が目撃者の話を初めて聞く
目撃者の話をなぜ2002.11.30にしないのかとメール
2002.12.10 加害者両親から目撃者の話をしなかった理由のメール
2002.12.11 加害者父からバイクの青信号を警察で認めた旨のメール
2003.01.07 被害者の四十九日。加害者から連絡なし
2003.01.17 遺族から加害者に手紙で連絡
返事には「なぜあんな事故が起こってしまったか疑問」
2003.01.18 遺族は自己の保険会社を通じて加害者側保険会社の話を聞く
加害者は被害者が赤信号を無視したと主張していると聞く
2003.01.20 TAVの松本弁護士から目撃者探しを勧められる
遺族が被害バイクを見に行き、ほぼ正面衝突ではないかと考える
2003.01.27 目撃者探し開始
2003.01.28 毎日新聞に目撃者探しの記事が掲載
2003.02.01 遺族、担当捜査官に上申書を提出
日時は不明だが加害者の後ろを走っていた目撃者現る
2003.02.04 被害者の後ろを走っていた目撃者と交差点にいた目撃者現る
2003.02.05 遺族が十分な捜査と厳正な処罰を求める旨の署名活動を開始
事故発生から第1回公判までの時系列(仮客観版)その2
2003.03.03 加害者書類送検
2003.03.17 担当副検事と面会し上申書、意見書、書名を渡す
2003.05.14 加害者の検察への呼び出し(1回目)
遺族の下へ加害者から電話。謝罪、示談の申し入れ
遺族は公判対策の形だけのものならいらないと拒絶
2003.05.20 加害者弁護士から謝罪の仲介をしたいとの電話
2003.05.24 加害者弁護士らが遺族宅を訪問
2003.05.25 加害者カナダ留学へ出発
2003.05.27 遺族がS副検事宛に「見せ掛けの謝罪に傷付けられている」と上申書
2003.08.02 加害者の父から遺族へ花が送られたが遺族が受け取り拒否
2003.08.11 遺族、S副検事に電話。8月下旬に呼び出す旨を聞く
2003.08.18 毎日放送で運転中の携帯電話の恐ろしさの特集が放送される
2003.09.22 S副検事はまだ加害者を呼び出さないまま。忙しいからとのこと
2003.12.… S副検事が加害者に呼び出しの電話。加害者の帰国が2月と伝えられる
2004.02.10 遺族が副検事に怒り交替の要請。神戸地検本庁へ移送
2004.02.18 毎日新聞、神戸新聞、読売新聞、産経新聞で事故関連の記事が出る
2004.05.13 第1回公判
検
「あなたが留学することで被害者遺族がどう感じるか考えた事はなかったのか。」
被告人
「ある。しかし、休学の届出もしていたし、
私がぶらぶらしていても仕方がないと思ったので、行った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何かあればすぐ帰るつもりでいた。」
検
「被告人の留学を聞いてどう思ったか。」
父親
「一人の命を失わせた者が捜査中に海外に留学するなど考えられない。喪に服すべきだと思う。
この留学の話を聞いて怒りが頂点に達した。被告人の話を聞けば聞くほど被害者遺族の感情を
★この加害者(含む家族)がした事
・交差点を直進してきたバイクに対して加害者である右折車両のドライバーはその進路を妨害
・前方不注意で正面衝突
・警察の事情徴収で相手(バイク)側赤信号とする嘘の供述(毎日新聞大阪版平成16年3月18日社会欄)
・車の間からバイクが飛び出してきた等、虚偽の証言(目撃証言では停止車両無し
・事情聴取でバイクの青信号を認めて署名をした後も、一貫して「赤信号で被害者が交差点に進入した」と示唆
・保険金の支払いを停止し、その状態を放置
・書類送検中に、海外留学
・半年近く放置した後の弁護士連れてアポなし訪問
・私選弁護団結成(弁護士5人、他2名。交通事故の裁判としては異例の人数)
・香典5万円??(これ以外で遺族に為された金銭的保証は皆無)(死亡事故の加害者の香典としては世間相場の最低額)
・加害者父が、被害者家族との話の中で、交通違反を逃れるための自社のアルコール消臭薬の自慢話
・加害者父と被告本人の事故後運転自粛する旨の発言「(加害者父)絶対に運転させません」
「(検察)もう車は運転しないのですか>はい(被告)」 (にも関わらず運転疑惑あり)(2002/12/12事故の日からの記録より)
・第三回公判中に被害者が亡くなった日は覚えていないと証言(検察尋問の時点で記憶にあらず。それ以降何故か克明に記憶)
・署名集め(40名。cf.被害者の署名は3万人)
・被害者宅へ宅急便で花を送る(公判対策と受け取れるタイミングで)(2003/08/02事故の日からの記録より)
・事故車両であるフィットの修理(事故に関する情報隠滅?) (2002/12/12事故の日からの記録より)
★しなかった事
・事故現場の保存
・事故の謝罪
・事故の目撃者探し
・事故現場への献花
・示談
・海外留学による長期不在する旨の遺族及び検察への連絡
・留学中の単位取得
・海外留学中における検察からの呼出への対応
・結果死亡させた被害者の三回忌にもかかわらず一切の連絡
カッコ内は参考
事故直後、被害者は自分が巻き込まれてしまった事故にもかかわらず
交通ルールを無視して強引な右折を開始し事故を起こした車両の運転手に
気遣うほどのだったそうだ。
そして被害者の家族は、よもや嘘などをつくなどあるまいと加害者の証言
(のちに嘘であることが証明される)を信じ、不幸にも被害者が亡くなったその後も
「譲り合いの精神」で加害者に接しており、被害者の告別式の際に遺族父親の
ほうから加害者に握手を求めその事故の心情を思いやっていたほどである。
しかし、その「譲り合いの精神」は奥野美歌犯罪者にはなかった事が判明する。
何故なら警察の事故調書を取っていた段階で奥野美歌犯罪者は事実に大きく反する
嘘の証言を行い、また遺族に対する説明では加害者側に都合の良い物だけを伝え、
都合の悪い情報は隠蔽するという一方的で利己的なものであった。
そのエゴの強さは調書を取っていた警察官に「まったく反省の色がない」とまで
言わせるほどのものであったそうだ。
そしてその嘘を強引に通し続けた奥野美歌犯罪者は、車両保険の担当者を変えさせ
賠償交渉を停滞させるほど強硬なものであった。
ついに奥野美歌犯罪者(当初容疑者)は検察にも遺族にもまともに連絡を取らず、
こっそりと海外に逃避する。書類送検中でまだ捜査や取り調べも完了していない
段階であるにもかかわらず。また担当弁護士の制止するアドバイスも聞き入れず。
「ぶらぶらしていても仕方がなかったから」という理由で・・・
・事故後加害者の女子大生は車を近隣のローソンに止めに行った
・女子大生は110番、119番の通報を行わなかった
・110番通報は、現場の東にあるガソリンスタンドの従業員が行った
・119番通報は、通行人が行った
・救命措置は、ガソリンスタンドの従業員及び通行人数名がとりおこなった
・女子大生は周囲に指示されるまで救急処置を行わなかった
・女子大生は当初より単車が赤信号を無視して突っ込んだと主張した
・目撃者の証言ではバイク側の信号は青、次いで衝突により投げ出された後黄色に変わった
・事故後、警官の目から見て、女子大生には全く反省の色がなかった
・目撃証言との矛盾と無反省な態度を問題視した警察は相当厳しく女子大生を取り調べた
・この取り調べで女子大生はショックを受け、帰宅してから泣いたり痙攣を起こすなどした
・これを見た女子大生の父親は警察に取り調べが不適当であるとして怒鳴り込んだ
・被害者の治療費は、全額被害者側が負担している
・加害者が葬式の際に寄せた香典は5万円
・加害者からの遺族への連絡は単に体裁を保つためだけの見せ掛けの行為であった
・奥野美歌犯人側は 「単なる思い込み」 だけで遺族との謝罪を行わず交渉を中断し、意図的に連絡を取らないでいた
・女子大生は、起訴が卒業後になるように操作するため、留学した可能性が高い
・海外渡航の条件「検察の呼び出しがあれば直ちに帰国させる」のは嘘で実際は呼び出しがあっても帰国させなかった
・強烈なことに、未だに女子大生は、被害者に対して謝罪をしていない
・刑事裁判の判決後、公判中に認めたはずの客観事実を否定し謝罪を完全に拒否した
・加害者の女子大生は捜査中に自分が不利になる証言者の存在を意図的に遺族に隠蔽した
・その目撃証言は加害者の父親が警察に規則違反を犯させてまで強引に聞き出したものである