金蹴りしたい女と金蹴りされたい男の掲示板 part2
命が最終的には手段にさえなる時代や環境があると言うことを
想像してみることだ。誰だった命は惜しい。だが、それさえ賭けなければ
ならないこともある。その場合はストーリーとか信仰とか言う麻薬でなんとか
苦渋や後悔、悲劇や凄惨等を緩和することが人間の知恵と言うものだ。
誰も必ずしも本気では信じない。靖国なんかその典型だよ。
卑近な例で言えば借金で首が回らなくなった零細企業のオヤジだ。
保険金自殺なんて珍しくもない。
今の中東になんかでもいくらでもそんな例はあると思うよ。
命を大切にしろ?それができん環境だったと言うことさ。
貧乏人が一番軽く見ているものは命だ。金持は大切にする。
戦前の日本は前者に近かった。軽蔑するのは簡単だが、
どこの国もそんな過程があって現在の繁栄があると言うことは忘れないことだ。