たまには読書しろよ。これでも読んどけ。
第11次朝鮮通信使節(1763〜1764)の一員だった
金仁謙の日本紀行文「日東壮遊歌」(高島淑郎訳注 平凡社東洋文庫 )より。
大阪を見ての驚き
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう」
「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」
「北京を見たという訳官が一行に加わっているが かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」
名古屋を見ての驚き
「山川広闊にして 人口の多さ 田地の肥沃 家々の贅沢なつくり 遠路随一といえる
中原にも見あたらないであろう 朝鮮の三京も大層立派であるが この地に比べれば寂しい限りである」
江戸を見ての驚き
「楼閣屋敷の贅沢な造り 人々の賑わい 男女の華やかさ 城郭の整然たる様 橋や船にいたるまで
大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」
京都を見ての電波(笑)
「惜しんで余りあることは この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり 帝だ皇だと称し
子々孫々に伝えられていることである この犬にも等しい輩を 皆ことごとく掃討し
四百里六十州を 朝鮮の国土とし 朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ」
昔から日本を妬んでたんだなぁ、鮮人は。
縄文文化とその継承者たる東北人を讃えるのなら、姫神はその返す刀で、
弥生型日本人、鮮人、支那人を批判しなければならない。
支那語の歌詞を支那人歌手が歌う「天空アテルイ」とかいう歌があるが、
これは東北の英雄アテルイを冒涜しきった歌である。
アテルイをたたえる上で、関西弁、鮮語、支那語は、
絶対に使ってはならない汚らしい言語である。
なぜならこれらは縄文文化の迫害者、破壊者が使った言語だからだ。
あんべ某に猛省を促す。