【猛暑でも】オナニーしたらageルスレ73逝キ目【つゆだく】

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214彼氏いない歴774年
いじめられる子は「人格」ではなく「おもちゃ」扱い
これまで述べたように、自己の欠如を補完するために、打てば響くように恣意に応える「おもちゃ=対象」として他者を「利用する=遊ぶ」共同作業によって、
全能感ノリを共振的に調達し合う自生的秩序を中学生たちは生きている。
この自生的秩序のなかで、体験構造は集合的に陶冶成型されて、独特の倫理秩序をなぞるようになる。
体験構造にもとづくコミュニケーションの連鎖・集積の効果が翻って体験構造を再成型する反復運動から、感情連鎖の秩序ともいうべき独自の倫理秩序が自生する。
この秩序の中で「いじめ」られる者は、その場その場で全能感ノリをもたらす「おもちゃ=対象」としてのみ存在意義がある。
「おもちゃ=対象」に対しては、「独自の人格」を前提すること自体が不自然であり、命令によって動かすことがもっとも自然な接し方である。
女子中学生が「気絶するまで闘わせる遊び」という命令的な言い方を、大人たちの前ですらごく自然な感覚でしたのは、このようなニュアンスにおいてである。
こういう倫理観で生きている人達は案外多いのかも知れない。
そこかしこにこういう人達がいて、表面上は素知らぬ顔で善良な小市民風に生活しながら裏では壮絶な『あそび』を繰り返し、
私達の身内や私達自身もいつかその『おもちゃ』に選定されてしまうかも知れない。