【宮崎勤】犯罪者を語るスレ【市橋達也宅間守】

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29彼氏いない歴774年
小林カウ・日本閣事件(70,06,11執行)
昭和45年6月10日、小林カウは拘置所長の呼び出しを受け、死刑執行の言い渡しを受けた。
言い渡しを受けると死刑囚には忙しい一日となる。遺書を認めたり、遺留品の整理をしたり
特別の入浴など日常と異なる用事に追われる。
カウは担当の女子看守が房を開けて「小林さん出房、所長がお呼びです」と言うにも
少しの動揺も見られなかった。あるいは言い渡しとは考えなかったのかもしれない。
所長室でカウは臆する様子も見せず、泰然と所長の机の前に進み出た。
「残念だが、いよいよお別れしなくてはならなくなったよ」
うつむき加減に立っていたカウは弾かれたように顔を上げ、所長の顔を凝視した。
「そうですか」カウはなんの感情も交えない声でこう答えた。
「小林カウ、明治41年10月20日生まれ。右の者昭和45年6月7日より5日以内に所定の方法に
より死刑の執行を行うべし。法務大臣」所長は送られてきた執行命令書を読み上げた。
執行命令書はもう一枚、同日に届いていた。カウと一緒に死刑判決を受けた大貫光吉のものだ。
「6月7日から5日以内と言うと明日が限度だから、本当に残念だがお別れだ。慣例通り明日午前10時
に刑の執行となる」、「もう一日だけ待っていただけませんか」カウは願い出た。
「残念だが、待つわけにはいかないんだよ」「そうですか、わかりました」
居並ぶ面々は執行されるのがカウではなく自分であるかのように顔面を蒼白にして緊張している。
「ところで君はいくつになったね」所長が尋ねた。「はい、61歳です」「そうか」
「今日は特別のご馳走をしよう。食べたいものがあったら何でも言うがいい。寿司でもウナギでも
天丼でも。普段食べたくても食べられなかったものを思いきり食べたらいい」
「それでは、お寿司を」遠慮しいしい小さな声でカウは言った。
美容室で髪をカットし、特別にたてられた湯でゆっくり体を洗うと午前中は終わった。
昼食、昼寝。午後には拘置所預かりの私物が戻された。明日には主なき品々となる物だ。
私物の中から久しく忘れていた化粧品が出てきた。カウはクリームの瓶を手に取り匂い
をかいでみた。黄ばんだ透明の油分が分離していた。カウは報知器のボタンを押した。
「どうしました小林さん」「これまだ使えるでしょうか」「これじゃ駄目ね」
若い看守は化粧気のないカウの顔を見ていった。
6月11日の朝、7時半にはカウは朝食を終えていた。食後あわただしい気持ちで着替えをした。
昨日私物の整理したときに選りだしていた晴れ着を着て、白粉を顔全体に叩き付け、頬紅、
口紅をつけた。薄化粧だが、死への門出の身だしなみだったのだろう。
迎えに来た主任刑務官は「小林さん、とってもきれいよ」。カウはいかにも満足そうであった。
小菅刑務所の刑場の仏間に入ったとき、カウは手錠腰縄から開放された。
教誨師の読経が始まっていた。祭壇には蝋燭、線香が灯り、いかにも厳かな
ひとときが始まっていた。
「これでいよいよお別れです。なにか言い残すことはありませんか」
「はい。長い間お世話になりました。ありがとうございました。思い残すことも
言い残すこともありません」カウはきっぱりと言った。
「それじゃ、お別れの握手をするか」拘置所長が手を差し出し、カウはそれに応えた。
カウが踏み板の上に立つと待っていた刑務官2人がすばやく首にロープの輪をかけ、
膝を紐で縛った。
ロープが首にかけられ、首の後ろでギュッと絞められた次の瞬間にはカウの姿はなかった。
地下室ではまだカウの肉体は生きていた。首を絞められているというのに胸部は深呼吸
しているようにふくれたりしぼんだり大きく繰り返している。手は空中を泳ぎ、足は地面を
求めるように歩く動作をしていた。
やがて手首の脈をとっていた医官が合図した。脈が感じられなくなったのだ。
少したって心音を聞いていた医官の聴診器がカウの胸からはずされた。
小林カウ 享年61。遺書は姉に宛てた簡単なものが一通だけであった。