1 :
彼氏いない歴774年:
哲学する喪女
2 :
彼氏いない歴774年:2010/12/14(火) 08:22:34 ID:yXVdQSwa
哲学学だろ どうせ
哲学する女性は素敵だけど
哲学してるつもりでただのメンヘラだったら痛い
4 :
彼氏いない歴774年:2010/12/14(火) 08:55:56 ID:mnJuKYER
女は哲学できんよ
そんなの考えてどうすんの?それより明日の飯、彼氏、友達、仕事
もっと大事なことあるじゃんってなって終わり
5 :
彼氏いない歴774年:2010/12/14(火) 17:40:01 ID:cRi/l61t
死にたい
6 :
彼氏いない歴774年:2010/12/14(火) 19:32:25 ID:9hjCkFIa
キルケゴール読んだ直後だったから意気揚々とスレ開いたら誰も語る気なくてショック
7 :
彼氏いない歴774年:2010/12/14(火) 19:40:35 ID:YPEPsctB
結局哲学を語るんじゃなくて哲学者の書物を語るだけか
キルケゴールはイケメンだから好き
知らないことを知らないとは思わない傲慢で無知な喪女と
知っていることすら疑う勤勉さと猜疑心を持つ喪女とではどちらが幸せになれるであろうか
J(^γ^)し「あげぽよ」
ウアァァァ
J(>'A`)>
( ヘヘ
ってスレかと思った
10 :
彼氏いない歴774年:2010/12/14(火) 20:06:59 ID:s380+WOB
生まれて間もないスレだから勝手も良く分からないけど書いてみる
情報を提供する環境によって人格が形作られていくのは真実なのかな?
複合的に環境が重なり合うことで多様な個性が生まれるのかもしれない
けれど、先天的に決定されている性質を刺激されることで
個性として表れるだけで後天的なものではないような気がするんだよね
似たような話で更生の可能性がない受刑者は多いように感じる
どうしても性善説を容認することが出来ない
哲学学はいらないです
やっぱ女に哲学は無理か
しつけーwww
13 :
彼氏いない歴774年:2010/12/14(火) 21:39:29 ID:/28Oh3g2
87:名無しさん@八周年 2007/06/15 21:44:54 XwZ0vYkO0 [sage]
商社に勤務してるが、中国担当のときに、スーパーや居酒屋、冷凍食品業におろす
「ウナギの蒲焼」「焼き鳥」「エビクリームコロッケ」などなどを工場から輸入してた。
中国のウナギは、目無し肌色で、大きなミミズのようだった。それを人糞や鳥や犬を
解体したときに出る臓物を与えてで養殖していた。
焼き鳥はいちおうニワトリだが、羽が少ししかなく、どうみても奇形で、増産が間に合
わないときは串に刺すときに間に別の肉を入れていた。何の肉かは知らないほうが
いいと言われた。どうやら犬らしいが・・。
エビクリームはエビも もちろん入ってるが、そこに、粘着性のあるノリのようなもの
を混ぜて食感を損なわないようにするのだが、それは、田んぼの大きなヒルのような
ものをミキサーで砕いたものらしい。工場長はエビだと言い張ってたが・・・・。
その他もっとすごいものがある。大手居酒屋チェーンやファミレスに卸す食材こそ
凄いものが多い。
輸入している側は、あえて知らないフリをしなくちゃいけない。
日本の食品安全衛生法も輸入に関しては農薬以外は大甘!
我が家では、そこそこ高くても国内産のものしか食べない。つうか食べれない。
これを公表したら日本中の食卓がパニックになる。
喪女なら、うんこについて哲学してくれ。
うんこは本当に汚いのか?
青い青い静かな夜には
16 :
彼氏いない歴774年:2010/12/14(火) 22:05:59 ID:veEF8F9k
哲学(笑)
基本素人の哲学って全く哲学じゃないから笑える。
17 :
彼氏いない歴774年:2010/12/14(火) 22:14:27 ID:s380+WOB
プロを適切に定義することは可能なの?
>>10 与えられた情報をどのように処理するか
はもともと決められた性格からくるんじゃないかと思う
その処理方法が性格によって違うから同じ環境で育った人が居たとしても
それぞれに個性が生まれるんだと思う
つまり性格は元から決まっていると
19 :
彼氏いない歴774年:2010/12/14(火) 23:05:24 ID:s380+WOB
カバの恐怖に怯えながら川で体を洗う
20 :
彼氏いない歴774年:2010/12/14(火) 23:12:19 ID:s380+WOB
誤爆
アフリカと哲学かよw
何故自虐が心地いいのか
亡くなられたけど池田晶子さんの本なら持ってる
美人なのに恋愛とか全く興味なさそうで考えることを追及しててすげぇなぁと思った
同じものを見たり聞いたりしてもその受け止め方は千差万別だよね
この受け止め方、情報処理の仕方は価値観、世界観って言い換えられると思う
個人的にはこの価値観、世界観は後天的に獲得されるものだと思う
そう考えると今の感じ方が絶対じゃないって事になってなんとなく気楽に生きられる様な気がする
生きられる。
そのようなモチベーションを誰でもがもちうるし、もたなければ
生きていけない人も少なくないだろう。
だがそれは哲学に取り組む態度ではない。哲学は処世術ではない。
26 :
彼氏いない歴774年:2010/12/15(水) 10:43:17 ID:suD/DMv7
強い意識下において繰り返し理想のイメージを思い浮かべることで
その理想に沿った形で選択的に行動するようになり個としての性質が変化する
つまり具体的な経験よりもどのように意識・認識するかに依存しているのだ
一定の期間、一つの状態が維持されるとこれらの「書き換え作業」は困難となる
なぜならば人間は時間の変遷とともに凝固していく液体ロボットだからだ
27 :
彼氏いない歴774年:2010/12/15(水) 12:24:18 ID:I5rMnAp4
在る。
性格はやっぱりちょっとずつ積み重ねられていくものだと思うよ
同じ遺伝子の双子の赤ちゃんが生まれたとして、誕生直後は多分ほぼ同一
でも双子だって“全く同じ環境・条件”で育て上げることは不可能
だってまず違う名前がつけられて、姉/妹の立場が与えられる
隣同士のベッドに寝ててもそこから見える風景は微妙にずれてるし
片方の子だけが風邪を引いてしまうこともあれば
ショートケーキとチョコレートケーキを一個づつ二人で分けなさい、って選択もある
そういう小さな経験の積み重さねで人格は形成されていくんじゃないかな
そんな感じで、受刑者レベルの年齢ならば性根はもう固定されてしまっているのでは?
真の賢者とは自分が何も知らない、ということを知っているものである。
これはギリシャの哲学者が言った言葉だけれど、だとすれば一番愚かな人間は小利口な奴ではあるまいか。
当たり前の事をわざわざ難しい言葉の羅列に変えて、
理解できてる私天才?って余韻にふける事が出来るのが哲学なんでしょ?
お題とか無いと語りにくいねw
疑問を見つけた時点で問題はほとんど解決できてるって
好きな作家が言ってたけどその通りだと思う
疑問を見つけるのは難しい
33 :
彼氏いない歴774年:2010/12/17(金) 09:06:51 ID:fzyfuQc/
>>31 疑問を見つけた時点で問題はほとんど解決出来るのなら
その人にとっては何が疑問だったんだろうねw
34 :
彼氏いない歴774年:2010/12/17(金) 09:17:27 ID:MSCdO/BG
問題を解決するのに必要なモデルはすべて自然界の中にありますよね
競合社会における生き残る術を人間は模倣しているにしか過ぎません
人間が自然の循環から逸脱したかのように語る人がいますが
もうそれを語る自体が自然界の大きな流れに飲み込まれている証拠なのです
31さんの書いてる作家さんがどういう文脈でいってたかわからないけど、
哲学的な問題を抱えているときは、その問題にこそ気付けないことが多いから、
ってことじゃないのかなあ?疑問が自分の頭の中で明言化されれば、
それだけで自分の世界観が更新されて、救われるっていうか。
36 :
彼氏いない歴774年:2010/12/19(日) 13:44:55 ID:xfjLFzMr
ネットやってる人は宮台が好きだなんて
日本の若者はみんな水嶋ヒロの本買って読んでんだろうくらい的外れだな
37 :
彼氏いない歴774年:2010/12/23(木) 13:06:38 ID:IerRM8BI
「哲学学」って書いた男、せめて「講壇哲学」とでも書けや(pgr
哲学できる女なんて、もう日本中に名前轟かせるようなアルティメット・
インテリジェンスぐらいしか、誰も相手にしてくれない気がする。
よっぽど恵まれた職場でもないかぎり、みんなに嫉妬されて黙殺されるのがオチ。
女の哲学教授ほど周りから僻まれる女はそうはいまい。
周りは国内博士号でしかない、それ以外は何にも出来ないような専門バカ
ばっかなのに、そんな中にピアノやバイオリンが弾けて、イギリス語やフランス語で
論文の書ける美貌のPh.Dなんていて、さらにどっかの学会の男と付き合ってるとか、
結婚してるとかなりだしたら、男の自尊心はたまったもんじゃないよ。
中島義道でも負けるんじゃないかな、うちの女哲学教授。あの人案外アホだし。
ひきこもりネタや、世間の悪口ぐらいしかまともに書けやしないんだから。
英語で検索かけたら、ガチで英語の論文出てきたから、
下手したら死ぬまで勝てないんじゃないか、このまま負けっぱなしで
死ぬのかって、絶望に打ちひしがれたぐらいだ。学歴の高い奴ほどピアノとか弾けるしね。
>>38 英語の論文ぐらいで驚くな。
そんなの理系の人ならみんなやってる。
哲学ならむしろドイツ語の論文のが多いのでは?
ところで件の女性教授ってどなた?
私の知り合いかもしれないし。
中島義道さんね〜、「五月蠅い日本の私」だったかな?1990年代初頭の論文
友達が全文コピーして送ってきたので仕方なく読んだけど、
「五月蠅い日本の中島」という感想しか抱けなかった。
中島義道が「生きにくい・・・私は哲学病」(角川文庫)の中で、「なぜ女性の哲学者はいないのか」と題して、
以下のようなことを述べているよ。
哲学=ワイセツ=無用なので、現実的なことにしか興味がない女性には哲学者がいないんだってさ。
革命に身を投じる女性たちはずいぶん見てきた。ばりばりの社会的行動派も少なくない。
精神的不安を抱え悩みつつ生きている女性たちも多い。彼女達は過食症や拒食症に陥り、
あるいは自傷行為を繰り返す。だが、だからといって「独我論」や「超越論的観念論」に
はまってしまう女性、つまり「哲学病」に罹ってしまう女性はいないのだ。
これは、私の経験に限らない。東西古今の哲学者を見渡すに、たしかにそこは純粋に男の世界である。
ここは慎重に言わねばならないが、美学や心理学や歴史学や言語学に近い分野を含めて哲学を広くとれば、
女性たちもちらほら見かける。私が言いたいのは、存在論や自我論や認識論など、哲学の核心部分となると
女性は文字通り皆無だということである。
どうも哲学というと高級だという観念をもつ人が多くていけない。だから、女性に哲学者がいないというと、
本気で怒る(とくに知的な)女性が少なくない。だが、哲学は下品なものなのだ。ワイセツなものなのだ。
それは、生物としての人間にとってはずいぶん不自然な営みである。
一つのわかりやすい説明を。電車の中で男の尻をさする女性は皆無ではないがきわめて少ない。
男のパンツを盗む女性も少ない。男子用トイレにカメラを仕掛ける女性もあまりいない。
男の前で突然性器を露出して快感を覚える女性もまずいない。
男以上に残忍な女性権力者が史上少なくなかったにもかかわらず、いまだ何百人の男たちを「蓄えておく」
ハーレムを造営した女帝を知らない。
つまり、女性は現実的な性にしか興味がなく、精神的にせよ肉体的にせよ具体的な性行為に直結したものしか
興味がなく、総体としての「生身の」男にしか興味がなく、またそのつど一人の男にしか興味がないようなのだ。
以上のことは重要なヒントを与えてくれる。哲学がワイセツに思われる(これは私の実感である)秘密も
この辺りにあるのかもしれない。
生殖を伴う(そして、できれば愛を伴う)性行為から離れれば離れるほどワイセツな感じがつきまとう。
それは、無用という感じと至近距離にある(だから、人間以外のいかなる動物もワイセツではない)。
男のズボンの中を盗撮する女性がほとんどいないように、男が排泄するシーンに興奮を覚える女性が
ほとんどいないように、哲学する女性はほとんどいない。
逆に言えば、女性達はこういうワイセツ行為に欲求を覚えないように、哲学に欲求を覚えないのだ。
二十一世紀、女性たちはさまざまな分野に進出するであろう。
(中略)
しかし哲学者という名の知的冒険者は増えないのではないか。どんなに女性の時代になっても、
哲学だけは女性が近づきえない男の「聖域」としてブラックホールのように残るのではないか。
そして、それでいいのである。
女性の哲学者が輩出する時代、それは男たちが電車の中で頻繁に女性から痴漢される時代であり、
男たちのパンツがたえず女性に盗まれる時代であり、男たちのズボンの中がいたるところで女性に盗撮される時代である。
つまり、女性たちがワイセツになる時代である。読者諸賢はそういう時代の到来を望みますか。
>>39 名前は言えないけど、何か万能って感じ。
こんなこと言ったら反感買いまくると思うけど、ぶっちゃけ、
そこら辺に転がってる教授程度なら、私立高校教師の方が上だと思う。
だって、教員採用試験ってのは、論文と違ってバリバリの受験勉強だから、
大学受験の上に、さらにもう一段、一般教養や教職教養が積み重ねられるし、
確かスポーツも出来ないとダメだったから、水泳とか習得して、立ち泳ぎ・自由型・
背泳ぎはもちろんのこと、平泳ぎからバタフライまで出来て当たり前。
さらに受験少年院に就職すれば、帰宅後時間が余ってるから、
ピアノだって習えるし、世界史の講師とかだと西洋史専攻だから、
英語文献も読むし、TOEFLEの点数を上げてくことも可能。
さらに世界遺産検定のマイスターなどにも挑戦出来る。
つまり、ジェネラリストの方が何かと柔軟性があると思うんだ。
でも、それでもあの人には勝てないんじゃないかと思う。
なぜなら世間が彼女の味方をするからだ。創造性だの謙虚の美徳だの、
そんなもん世間で叫んだって虚しいだけ。本当に芸術作品を生み出してるような、
一級品の人間は常に世間から黙殺され、下手すれば周りから人格障害児だ、
自尊心を満たすためにただ世間を利用してるだけだとかホザかれる。
そして、自分の趣味で勉強を勤しんでるだけの、高年収なだけで、
何も生み出さないような人間が、常に有象無象共から脚光を浴び、喝采を受ける。
だったらもう、貴族に有利に作られたこの律令国家のもとで、私服を肥やすことを
第一目標に掲げて生きてった方が、明らかに得なんじゃないかと思うようになった。
頑張ったって、どうせ誰も認めてくれないし、むしろ逆効果なんだから。
何を生み出すかじゃない、何を持ってるか、何を独占してるか、何を周りに見せびらかせるかなんだ。
俺は20歳になって、ようやくこの世間の不文律に気付けた。
42 :
彼氏いない歴774年:2010/12/23(木) 14:55:44 ID:IerRM8BI
>>41 最後まで読んでアングリした。
20歳程度の坊やが何を言ってるのだ。
せめて29歳に達してから来なさい。
>>40 それは中島さんのいつもの珍説の引用ですか?
中島さんのことは一回程度顔を見て、論文数本読めば十分だよ。
あ、中島さんに向かって「先生」なんて呼びかけては駄目だよ。
学会にもいるんだが「先生」と呼ばれると、
「先生というのはどうたらこうたら〜」
っていう人種がいる。
特に大学教授とかね。
>>42 珍説なんて言わずに、ちゃんと内容を吟味して欲しいものです。
これも女性全般に言えることですが、相手の意見の内容よりも、
意見を主張するという行為自体を批判する人が多いですね。
だから、冷静な議論ができない。
芸術家ほど崇高な人間がどこにいようか。でも世間は、創造者たる芸術家の
崇高な誇りをせせら笑い、唾を吐きかける。そして私立高校教師のような人間を
「聖職者」と呼ぶ。しかし、俺からすれば、教師なんかより芸術家の方がよっぽど聖者だ。
>>42 今というより、数年前からずっと気になってるテーマがあるんだけど、
是非年長者の意見が欲しい。ニーチェやショーペンハウアーの言うように、
「天才は自分勝手に生きるべきなのだろうか」。彼らは、謙虚の美徳なんざ
奴隷によって押し付けられたものにすぎない、優秀な人間は伸び伸び生きてもいいのだ、
それこそが弱肉強食のこの世の鉄理なのだ、強者が弱者を排斥してきたからこそ、
人類・文明はここまで進化してきたのだと言う。これって本当に正しいの?
特権階級の大貴族ばかりが、世間から隔離された 秘密の隠れ家 で甘い汁を吸い合い、
民衆たちはその大貴族たちの私服を肥やすために、働きアリみたいに働かされ、
そのどちらにも属さない弱小貴族(小官吏)たちは、大貴族に対する怨念の的にされて袋叩きにされる。
こんな世の中が、本当に正しいのだろうか。20歳のモラトリアム人間は、
これから先、何を人生の指針として生きていけばいいのだろうか。
>>44 今の日本では教師を聖職者なんて思ってる人はほとんどいないと思う。
橋本知事たちは、民主主義哲学を振り回して、公務員の給料をどんどん下げていく。
でも、本当に下げなければならないのは、彼ら小官吏よりも、むしろ政治家や大学教授の方だ。
民間の大企業たちは、高級取りの割には、やりたくもないことをたくさんさせられてるし、
上司の罵声やネチネチ文句に毎日耐えている。公務員の職場環境に至っては、
もう最悪としか言いようがない。
でも学者はどうだろう。彼らには上に立つ人間がロクにいないし、
授業を自由にする権限を与えられてるから、自分が間違っていても、
人に指摘されることもロクになければ、謝ることもない。
得意の雄弁術ですぐに言い訳する。彼らと真に闘えるのは、評論家だけだ。
何であいつらばっかり…俺がもし評論家であったなら、実名で大学名も経歴も全部晒して、
ボロクソに罵倒して民衆たちの晒しものにして、名誉失墜させてやれたのに…
47 :
彼氏いない歴774年:2010/12/23(木) 16:07:12 ID:6gMCS5xh
おちんちんをこするときもちよい
とても大事なことだよ
48 :
彼氏いない歴774年:2010/12/23(木) 18:05:40 ID:IerRM8BI
>>46 アンタにふさわしい言葉がある。
「弱者のルサンチマン」
だよ。
こんな弱々しいこと堂々と書くなんて、まるで太宰治みたいな女々しさだわ。
49 :
彼氏いない歴774年:2010/12/23(木) 18:06:26 ID:IerRM8BI
>>47 他人のおちんちんをこすると私がどうきもちよいのだ?
> 橋本知事たちは、民主主義哲学を振り回して
民主主義「哲学」?
そういうのを哲学とは言わないと思うが
52 :
彼氏いない歴774年:2010/12/23(木) 18:22:44 ID:PRc2htTk
誰しもが経験を通して人生観や世界観の構築をしている上では
哲学はそれほど特別なことではなく単なる認識の発表だと思える部分もある
それでもなお、考えることを止めないのはなぜでしょう?
欲求の程度がつなぎ目をもってして無限へと連続していることは恐ろしいことです
>>51 「人生哲学」のように、「哲学」という言葉はしばしば、
ポリシーとか、信条といった言葉と同義で使われることがある。
そういう意味で「哲学」という言葉を使っている人と、
存在論や自我論や認識論などにスポットライトを当てている人とでは、
話が噛み合わないのも当然である。
お金を見た時に、これで何を買おうかとか考えるんじゃなくて、何故この紙切れと交換に物が手に入るのかって自然に考えてしまう、さらにそこから離れられない様なタイプの人を哲学気質の人って言うんだと思う
ただ哲学気質の人も今は哲学者じゃなくて科学者になってしまうと思う
というか哲学に固有の領域って何だろう?
科学が扱わない領域、仮説-検証の手続きが不可能な領域、ものすごく抽象的な思弁(物があるとはなにかみたいな)かべき論的な倫理学だろうか?
その自覚はあるんだ
哲学について考えると何時も混乱してしまう そこを対話によってすっきりさせたいという気持ちがあって書いてみました
>>56 哲学的知識が豊富なことと、生き方が哲学的かというのは全く違うことだからね。
それに、哲学的だからといって、偉いというわけでもないし、むしろ落伍者に等しい場合もあるわけで。
科学なんていうのは、人間の生み出した解釈を現実世界に適用したら、たまたま
辻褄が合ってるだけのことで、未来永劫成立し続ける保障など、どこにもない。
この世の全ては人間(各個人)の解釈に過ぎないわけで、科学はそういう人間の解釈の一部に過ぎないということ。
自分は解釈としての科学を取ってるって事かもしれないね
科学の条件=反証可能性(理論に客観的な事実によって反証されうる形式をもたせる、事実によって反証されないものはひとまず正しいものと見なす)っていう科学のやり方が気に入ってる
不気味の谷現象は喪女にも当てはまるのか
60 :
彼氏いない歴774年:2010/12/23(木) 20:21:12 ID:6gMCS5xh
不気味の谷は心理学じゃん
喪女にも当てはまるだろうけど
61 :
彼氏いない歴774年:2010/12/23(木) 20:21:47 ID:PRc2htTk
現象を考察した結果、それに解釈を加えることを重ねて体系化していきます
知識の形成の源泉には常に断絶不可能な自然による種が存在しているのです
人智の至らぬ領域に豪華絢爛たる花々が咲き乱れていることを夢見て
人は考えることを止めないのかもしれないですね
>>58 あなたは理系?
何か一緒に酒を飲みたいタイプ。
>>57 > この世の全ては人間(各個人)の解釈に過ぎないわけで、科学はそういう人間の解釈の一部に過ぎないということ。
それはあなたの解釈に過ぎない。
>>63 その通り。
そして、そのレスもあなたの解釈に過ぎないわけで、この世界の全ては各人の解釈にすぎないというわけ。
もちろん、この私のレスもね。
確からしい解釈もあれば誰も共感しない解釈もある。
科学は観察された現象をより確からしい解釈で仮説化するプロセスだから
より精緻な観察で見出される新たな現象によって時にひっくり返るけれど
その都度確からしさを増して補強される。
あなたと私がこうして空間を隔てて意思を疎通するシステムの存在に私は
科学の仮説の確からしさを感じる。
私は世界の真実に近づくために哲学ではなく科学を信頼する道を選んだ。
なるほど、相対論か。哲学学者みたいな無能が科学を僻んだり、
大衆が文化人を僻んだりして、黙殺しようとする時に使う常套手段だね。
科学はいずれ修正される。この種の懐疑主義哲学を一番振り回したのが、
イギリス経験論の最終兵器と云われる、デイヴィッド・ヒュームだ。
彼はその懐疑の刀を科学にまで振り下ろし、科学法則も所詮は複合概念に過ぎないと主張した。
我々は「火は熱い」という絶対法則を持っているけど、それは「火を触る⇒熱かった」
という経験が繰り返されたものによって帰納されたものでしかなく、
そこから必然的に「火が熱い」とはならないじゃないと。
事実、俺的にもこの法則には一部欠陥があるんじゃないかと、全く疑い得ないわけでもない。
例えば痛覚の障害者と呼ばれる存在にとっては、火を触ったって熱くもなんともないし、
彼ら「障害者」と呼ばれる人間は、あくまで診断学によってそう意味づけられ、
命名され、帰納ただけだ。
だからそのそもそもの診断学の基準ってのが頗る不安定で、「神経に異常が起きている」
といっても、じゃあ具体的にどう「異常」なんだ、周り(「正常」と呼ばれる多数派)
と違うだけじゃないかと思う。
確かに、その障害者は、何らかの「病気」だったのかもしれない。
しかし、それは、徳川家康が「癌」ではなく、あくまで「腹中の塊」で死んだに
過ぎなかったと同様に、その「病気」が「痛覚の障害」とも限らないのだ。
だから、病人を始めとする、周りとズレた人間がこの国でこんなにも生き辛いのは、
俗物共がバカみたいに西洋西洋西洋と被れて、何も考えずにアメリカとかから
西洋医学などを輸入してしまった、その末路とも言えるのだ。
じゃあ、だからって、「すべての知識や概念は、人間が経験から作り出した
ものにすぎないんだよ〜 所詮はみんな解釈なのさ〜w」とはならない。
それはあまりにも短絡的である。民間企業とかに就職したら、頭の弱い奴ほど、
何も考えずに「それは君の解釈にすぎないよ、みんなそれぞれオンリーワンなのさw」
「君の価値観を押し付けるのはよしなよ」とかホザいてくる。多数派を笠に着てな。
しかし、学者共和国ドイツに天孫降臨した、とある思想史始まって以来の
天才と呼ばれる救世主は、この鬱陶しい相対論に対して、「じゃあ、何で数学や論理学など、
多くの人間同士が通じ合える学問が存在する? 1+1は2だろ?
崩せるものなら崩してみろよwww」と、相対論に対してファイトを挑んだ。
確かに、相対論の言うように、結局は人間の解釈でないのかもしれない。
しかしその解釈こそ、何の根拠もないただの臆断に過ぎないんだよ。
だって、それこそ「歴史が証明してる」とか言ってきそうだが、
まさにそう呟いてしまったが最後、自分で言った懐疑主義哲学が、自分に還ってくるんだから。
少なくとも俺らが生きる、この空間的・時間的に表象される世界では、
普遍法則を打ち立てることは可能であり、そこに例外があるかどうかは、
俺らには与り知らぬことであり、「例外があるんだ」といったって、
それは大した根拠はなく、「じゃあそれを例を挙げて論証してみろよw」ってなる。
ID:HLSoNWWNのほうが哲学のセンスがなかったようです
>>68 虚栄心から完全に解放されるのは難しいねえ。
>>40で
>どうも哲学というと高級だという観念をもつ人が多くていけない。だから、女性に哲学者がいないというと、
>本気で怒る(とくに知的な)女性が少なくない。だが、哲学は下品なものなのだ。ワイセツなものなのだ。
と引用したように、哲学に向いていることは、優れたことでもなんでもなく、哲学に向いていないことが劣っているわけでもない。
>>68は私の
>>55のレスに対して皮肉を込めたものだと思うが、君も哲学をことさらに高級視しているフシがある。
だから、そうやって「哲学のセンスがあることが優れていることだ」という前提で、相手を切ろうとする。
いやまったく高級視してないけどな
高級視してなくても自己矛盾は発生してるじゃん
高級視してると判断した根拠はどこにあるね
その人の本読んでいないけど
一見、生活有用性のないもの=ワイセツで下品ってどっから出てきたんだろうね
有用性のあるワイセツなものもあれば
有用性なくワイセツでもなんでもなく哲学以外で女性も嗜むもの
なんていくらでもあるだろうに
語義の重なった部分を=で結んだ自分造語だろう
哲学以前の妄想書いただけのチラ裏じゃないの
世間に出たって、本当いいことないね。世間なんてそもそも知ることすらなく、
独りで部屋に籠って本読んでる時の方が幸せだった。
将来に対する不安はそりゃあったけど、とりあえず教員免許でも取って
教師にでもなればいいやって思ってたし、ダメなら予備校講師でいいやって思ってた。
友人も別に欲しくないし、映画鑑賞にでも行くような感じで、授業だけ受けて、
あとは図書館に籠って本読んだり、宿題だけ片して帰って、自分の好きな勉強やってたかった。
でもあの哲学女を知ってしまったせいで、俺の人生の歯車が完全に狂わされた。
周りのみんなが励ましてくれて、外に出る勇気が湧いてきて、やっとポジティブ思考になれて、
「世間に出ても全てが嫌なことばかりじゃない、何か1つぐらいは持って帰って来れるさ」
って思えるようになったのに、結局、持って帰って来られたのは何1つなかった。
むしろ、今までは独りでいるのが好きな性格で、独りでも十分、
布団でヌクヌクと寝ていられたのに、あの女はその聖域すらぶっ壊しやがった。
独りで部屋で教養つけてても全然面白くない。それに、教師になりたいという
夢すらブチ壊しにしやがった。教師になっても、あの女には勝てない。
あの女に勝つためには、文筆家になるか、教師になった後で、他にも色んなものを
積み重ねて、自分の内側にある理想像をどんどん顕在化していくしかない。
俺は、本当は競争になんか興味なかったんだ。普通に私立高校に就職して、
普通に結婚して、毎日奥さんの手料理食べさせてもらって、毎日奥さんとスヤスヤ眠りたかった。
学校から帰ってきたら本読んで、奥さんと文化番組やらを見たり、たまにお弁当持って、
京都の文化遺産を遠足で見に行ったり、研修旅行でオーストラリアとか
イギリスに行ったり、そういう普通の暮らしがしたかったんだ。なのに…
そういや、あれっきり北海道のスキー旅行も全然行ってねぇ…
つーか小学生時代と高校生時代の記憶はあるのに、中学生時代の記憶が殆ど飛んでる。
友人の顔を思い出しても、「あれ? あいつ何て名前だったっけ?」って感じ。
さすがに引き籠りすぎて脳みそが殺されちまったのかな。。。
つーか、年収だけなら、関大の職員の方が、実は中小零細大学の哲学准教授、
下手すれば哲学教授より上だったりする。いやもしかしたら、
甲南高校の先生より低いかもしれない。あの人らがどれぐらい貰ってるのか、
全くもって謎だし。
いつか、学力と年収で完膚なきまでにコテンパンにのしてやる! あの糞ったれ!
>>71 君の書いた
>>68の
>ID:HLSoNWWNのほうが哲学のセンスがなかったようです
というレスは、私が
>>55で書いた
>あなたには哲学のセンスがないようです。
というレスを受けてのものであることは明白だと思うのだが、そこは納得してくれるよね?
さて、君が哲学を高級視していると判断した根拠について。
そもそも人(特に日本人)は、なかなか他人の言葉を額面どおりに受け取れない傾向がある。
あなたからすれば、
>>68のレスは、単なる事実あるいは感想を書いているだけで、
それ以外の他意は全くないと言い張ることもできよう。
しかしながら、私も含めた他人はなかなかそうは受け取らないし、
いろいろ説得して、額面どおりに受け取ってもらうのも非常に困難である。
あなたも多分、これまで生きてきた経験から、そういうことは薄々分かっていることと思う。
「センスがある」という言葉自体、プラスの意味を帯びており、逆に「センスがない」という言葉は
マイナスの意味を帯びており、貶し文句にもよく使われる。
そして、「哲学」という言葉も、高級とはいわないまでも、ある種独特の感じを纏っているのも事実だろう。
例えば、渋谷、原宿、銀座、六本木といった地名を、地方の人が語る時、
それらが単なる地名以上の意味合いを帯びているように。
いかに「哲学なんて取るに足らないもの」という風な態度を取っても、どうしてもどこか無理している感じがあるのは、
そもそも日本人にとって哲学が「自然」なものではないからだと思う。
西尾幹二は「ヨーロッパの個人主義」で以下のように述べている。
>民主主義にせよ、平等の観念にせよ、自由の意識にせよ、いずれもそれを成り立たせている背景の
>社会との関わりにおいてしか理解できないものである。
>イギリスの民主主義はイギリス人自身の生活の"必要"から出てきた結果にすぎず、あるいは現在の
>生活様式、行動様式の釣り合いのとれたある全体をさして民主主義といっているまでであって、
>イギリスの現実から切り離されたらなんの実体もないものである。
>しかし日本の場合には、これら近代理念はいずれも日本の現実に否定的に作用する未来の目標、
>もしくは価値として外国から与えられる習慣が続いているため、頭の中にこの世にありもしない
>勝手な空想図、ある意味ではお伽話的な理想の世界を描き出してきて、それが無意識のうちに
>久しく日本人全体の世論を形成しているうちに、日本のほうがやがてある意味でははるかに進んだ意識、
>現実とは釣り合わない観念上の「近代化」のみが急速に進められて、その行き過ぎに気がついて、
>日本人がふと逆もどりしようとすると、こんどはそれがヨーロッパではもともと当たり前なことであったり、
>ヨーロッパ人にとって単なる現実であることが、日本人には無理に意識しなければもはやなしえないこと
>であったり、そういう倒錯と混迷の背理のすべてに犯されている心理を私は「抽象文化」と呼ぶのである。
つまり、日本人が哲学を語るというのは、どうあがいても日本人にとって「不自然」なことであり、
「無理に意識しなければもはやなしえないこと」だと思うんだ。
でも、そのことを殊更に、卑屈に感じる必要もないが、居直る必要もない。
>そもそも人(特に日本人)は、なかなか他人の言葉を額面どおりに受け取れない傾向がある。
なぜ個人を測るのにいきなり全体としての傾向を持ち出すのかね
または傾向や印象を性質そのものとと取り違えているのかね
>さて、君が哲学を高級視していると判断した根拠について。
>そもそも人(特に日本人)は、なかなか他人の言葉を額面どおりに受け取れない傾向がある。
>あなたからすれば、
>>68のレスは、単なる事実あるいは感想を書いているだけで、
>それ以外の他意は全くないと言い張ることもできよう。
>しかしながら、私も含めた他人はなかなかそうは受け取らないし、
>いろいろ説得して、額面どおりに受け取ってもらうのも非常に困難である。
>あなたも多分、これまで生きてきた経験から、そういうことは薄々分かっていることと思う。
>そして、「哲学」という言葉も、高級とはいわないまでも、ある種独特の感じを纏っているのも事実だろう。
>例えば、渋谷、原宿、銀座、六本木といった地名を、地方の人が語る時、
>それらが単なる地名以上の意味合いを帯びているように。
>いかに「哲学なんて取るに足らないもの」という風な態度を取っても、どうしてもどこか無理している感じがあるのは、
>そもそも日本人にとって哲学が「自然」なものではないからだと思う。
これら全く私の書き込みと関係ないなぁ
ますますきみの思い込みの激しさを露呈しただけだろう
私は単純にきみにセンスがないと思っただけだがね
論理性と客観性と問題意識のセンスが決定的に欠如してる
>>77 それは、私があなたに会ったことも無く、あなたの人間性も全く知らないので、
一般論から類推せざるを得ないからさ。
ほんのわずかな発言だけで、簡単に個人を測れるものだろうか?
>>78 センスがないと思ったなら、その根拠を論理的に語って欲しいものだが。
「単にそう思ったのだから仕方ない」では、議論にならないよ。
>>79 また、哲学のセンスがないことに絡めて
>論理性と客観性と問題意識のセンスが決定的に欠如してる
と述べていることから、あなたが「哲学のセンスがない」ことに対して
マイナスの意味を持たせていることがうかがえる。
つまり、裏を返せば、「哲学のセンスがある」ことは、論理性と客観性と問題意識
のセンスを備えているという、プラスの意味を持っているということさ。
高級視とはそういうことだ。
>>79 それは私の言論から糸口を見つければいいね
私がしているように
君の場合は自己矛盾がありありと見て取れたからね
たとえば相対性を持ち出しすべてを否定しつつも
自分は臆面もなくずさんな絶対的判断をくだしている点だとかね
>>80 ポジティブさは「学問分野に関するセンスがある」に属しているわけであって
たとえば制御工学でも社会学でも変わらんな
やはりきみセンスないね
論理性、客観性、問題意識は哲学に必要だろうね
これを先入観だと否定するのは受け入れよう
だが高級視とはどういうことだね
論理性、客観性、問題意識が高級なのかね?
それらをさらに分解していってどこに高級さが残るのだろうね
×否定するのは受け入れよう
○批判ないし指摘するのは受け入れよう
>>81 >それは私の言論から糸口を見つければいいね
果たしてそうすることに、どれだけの意味があるのだろうか?
それこそ、思い込みに他ならないのではないかなあ。
>たとえば相対性を持ち出しすべてを否定しつつも
>自分は臆面もなくずさんな絶対的判断をくだしている点だとかね
まあ、人は誰でも自分の都合の良いように解釈したがるものだからね。
相対性、臆面もない絶対的判断とは、具体的にどの部分なのか、よかったら指摘してくれないかな。
>ポジティブさは「学問分野に関するセンスがある」に属しているわけであって
だが、君が純粋のその意味においてのみ語っているかどうかは、分からないと思う。
例えば、「自分は結婚するつもりがない」という人が、「結婚しようと思えばできるけど、敢えてしない」のか、
「モテないけど、見栄のために自らの意思で結婚しないことにしている」のか、というのはどちらか一方に決められる
ものでないように。人間とはそんなに簡単に割り切れる存在ではないと思うから。
だからこそ、君が言外の意味を全く排除できているかどうかも、断定はできないということさ。
>>82 高級視とは、いわばスノビズム、教養至上主義のようなものと考えてくれればいい。
哲学に限らず、高度な学問、一定の教養や鑑賞能力を必要とする芸術などは、
庶民にとっては敷居が高く、ある程度上流の階級に属す者しか窘めない印象があると思う。
そういった学問、芸術に対して抱く、羨望のような感情を高級視と呼んでいるわけさ。
君の素性は全く分からないが、もし君が高学歴の一家に生まれ、そういう学問、芸術が
ごく当たり前の環境に育ったのなら、この話はあまりピンとこないかも知れないね。
85 :
彼氏いない歴774年:2010/12/25(土) 12:17:40 ID:V0YoJkEr
疑念をどのように消化し発展させていくのかに重きを置いているのかな?
それはあなたの解釈です……は消化の段階で頭打ちしているだけじゃないの?
それはあなたの解釈です→それもてめぇの解釈だろ→オマエモナー
これって下記の有名な話に似ているよね
脳の中で小人が指示をだしているんだ→じゃあその小人の脳の中でも→際限なく小人〜
すごく面白味のない消化の仕方だよね
喪女思う、故に喪女なり(モモントモリ)
88 :
彼氏いない歴774年:2010/12/25(土) 15:45:09 ID:V0YoJkEr
現代病、鬱についてどうぞ
喪は鬱に至る病である。(モルケゴール)
鬱って昔からあったのかな?それとも現代特有のもの?
無気力なら現代の日本人がそうなってるようには感じる
自分がそうだし原因も何となく想像つく
鬱について研究したいなら、むしろ心理学でもやった方がいい。
哲学徒なんざもはや低レベル。せっかくこの世に生まれたのだから、
哲学徒なんぞはさっさと卒業して、最低でも歴史哲学徒ぐらいにはならないと、
人生が余りにも味気なさすぎる。
戦時中、日本の考古学は、静岡県で工場建設に伴う土砂採掘により
登呂遺跡が発見されてから、原始時代にも水田地や木製品があったことを証明し、
調査団に植物学者や動物学者、建築学者、地質学者など、それぞれ専門を異にする
エキスパートたちとの理想的な連携プレイまでやってのけ、日本中に学際研究の
重要性を見せつけた。
さらに、相沢忠洋による関東ローム層からの石器発見によって、
我が国における無土器文化の存在についても、もはやそれを疑うような者も
現在ではいなくなった。
このようにして、戦前までは神話伝承を基礎として構成されてきた
日本古代史であるが、現在では実証的・科学的研究を重んじるようになり、
古代の遺跡、遺物を対象として、帰納的に人間の過去を研究する考古学は、
今は日本中から脚光を浴びる観を呈するようになった。
もはや言葉を捏ね繰り回してるだけの野蛮な学問なんざ、もはや現代日本の
学問水準下では通用しやしない。哲学科がどんどん消されていってるのがいい証拠だ。
哲学なんぞはもはや時代遅れである。より深い見識が欲しいなら、
より通時的・共時的で深い知識が必要なのだ。もはや知識人の前では哲人などは無力そのものである。
92 :
彼氏いない歴774年:2010/12/25(土) 18:02:47 ID:V0YoJkEr
巨人の肩に乗りたいわけですね
でも見えないもの、不合理なものについて考えることも大事だと思うんだ
戦後の日本は進歩、開放の名の下に色んなものを捨ててきたと思う 父、教師→中年男みたいに
つまりはいわゆる象徴秩序(社会システムを安定的に保つために周囲の環境をシンボル化して体系的に捉えたもの、意味のシステム、世界観)を破壊して、替わりに専ら貨幣によって機能的に人々を繋ぐようになってきた
象徴体系はカオスに対する砦の様なものだと思う 貨幣によって社会システムの安定は確保されてるけど一方で個人の内面はカオス状態のまま放置されている様な気がする
上手く言えないんだけど、無いものをあたかもあるかの様に考えて生きていく事も必要なんじゃないかと思う
>>93 貨幣って、戦前どころか開国前から有ったと思うけど。
近代とそれ以前とでは貨幣のあり方に違いがあると思うんだ
近代以前は貨幣が無くとも社会が崩壊することはおそらく無いけど、現代の場合はそうじゃないと思う
いってみれば専ら貨幣を通訳、媒介にしてもつながってるのが現代だと思う
貨幣を中心にいろいろな物が関連付けられていて、貨幣がなくなったとたんに各項がばらばら状態で投げ出されるって感じ
貨幣が無価値になったらって想像してみるといいかもしれない
たぶんコミュニケーショんをとって象徴体系を作るという方向に進むと思う
裏を返せばそれは貨幣が象徴体系の代わりをしているという事だと思う
象徴体系が形骸化したときにどうやったら不安なく落ち着いて生きていけるだろうかって事が言いたかった
某不倫報道をみてそう思ったんだけどw
事実上離婚してるから付き合っていても問題ないって言う発言を平気でしてしまう所に違和感を感じた
すごく刹那的に生きている感じがしたんだ
今突然貨幣が無くなったら「どうしていいか全く分からない」状態になる
ただひだすら放心状態で立ち尽くすような状態になる
つまりはこれがカオスに投げ出されるということだと思う
連投すまん
>>93 >不合理なものについて考えることも大事だと思うんだ
それについて徹底的に考えたのはカフカらしいね。
彼ほど不条理について考え抜いた人間はそうはいないらしい。
>個人の内面はカオス状態のまま放置されている様な気がする
それなら大丈夫。普通に精神分析学や心理学を修めて、内的世界を整理してけばいい話。
行動科学を浴びせることによって、普段は意識していない無意識の世界、
中でも前意識にあるものを表層に昇らせて意識下させ、欲求不満の元になっている
ものを各分類ごとに膨大に浴びせることで、それは解決され、人間精神はどんどん自由になってゆく。
とはいえ、こんなスケールのデカいことが出来るのは、精々、
時間が膨大に有り余っている執行猶予期間中の人間ぐらいだけど。
100 :
彼氏いない歴774年:2010/12/25(土) 20:44:58 ID:OGlsN26j
西尾幹二って、『意志と表象としての世界』を翻訳してる人でしょ?
すごくいいと思うよ。翻訳の腕は一級品で決まり。
てか、西尾幹二って電気通信大の教授らしいけど、ギドーとは仲いいの?
>>102 彼のおかげで今のギドーがあるといっても過言ではないらしい。
西尾さんの発言は日本の文化が根無し草でよくないっていう意味でいいかな?
確かにそういう面もあるかもしれないけど、自由平等(それ対応した制度として民主主義)みたいな西洋初の近代的理念は普遍性をもってるような気もする
つまり洋の東西、内発外発を問わず受け入れざるを得ないような普遍的理念なんじゃないかと思う
それが即ち西欧コンプレックスにとらえられた状態なのだって言われるのかもしれないけど、それを考慮に入れてもやっぱり否定できない
どうしても否定できないような準則に従って生きるのがいいと思う 西尾さんもこれが言いたいのかなというような気もする
自分にとっての普遍を探してそれに則って生きるのがいいって感じかな
哲学って何の役に立つの?
106 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 01:13:05 ID:8rv6cDhJ
>>105 哲学をちゃんと理解すると、擬似哲学にだまされることがなくなる。
哲学を知らない人って、ほぼ例外なく擬似哲学にだまされてる気がする
>>105 >>40に書いてあるように、何の役にも立ちません。
むしろ不幸になります。
同じく中島義道の文章より。
ごまかさず「問い」を生きる
http://www.ningengaku.net/instructor/yoshimichi2_1.htm 「どうせ死んでしまうのだから、何をしても虚しい!」「人生はすべて偶然に左右される!」「何が正しいのかわからない!」
「生きる理由がわからない!」と呟いているきみへ。
きみの呟きは恐ろしく正しい。人類が地上に出現して以来、われわれはこう問い続けてきたし、しかも誰も最終的な答えを見いだせなかった。
・・・
きみが、本当にごまかしなく問い続けるなら、「その問いを生きる」という一つの回答がきみの前に開けてくる。すなわち哲学者になることである。
・・・
もしきみが、いまの困難な状況を脱して、この世の幸福を手に入れたら、先の問いを放棄してしまう(しまえる)なら、きみは哲学者ではない。
これに対して、この世で何が与えられようとも「その問いを生きる」なら、きみは哲学者である。
・・・
哲学者とは、たとえこの世のすべての価値が与えられても、「どうせ死んでしまう、しかも何もかもわからないままに」ということに深く落胆し、
その限り何が与えられても虚しいと思うような、大層要求の高い人種だからである。
たかがローマ皇帝になったくらいでは、シェークスピアになったくらいでは、ロスチャイルドになったくらいでは、満足しないのだ。
もうじき死んでしまうこと、その後、(たぶん)二度と生まれてこないこと、しかも、ほとんど何も知らずに死ななければならないこと、
その後、宇宙には人類について何の記憶も残らないこと、それでも宇宙はいつまでもいつまでも存続するだろうこと・・・
この枠組みの「うちで」何が与えられようと虚しいのだ。
もしきみが、同じような感受性を持っているのなら、哲学をしたらいいと思う。
だが、この枠組みの「うちで」幸福になりたい気持ちがわずかにでもあるなら、哲学はしないほうがいい。
哲学は幸福を諦めるところから開始される。
あの(『旧約聖書』のヨブ記の主人公の)ヨブのように、まわりの人々が何と言おうと、「神(ここでは抽象的にとらえてもらいたい)に向かって」
直接問いかけるところから開始される。
あらゆる幸福が―ヨブのように―きみから飛び去っていっても、きみが問い続けるのなら、親が反対しようと、乞食になろうと、
狂気に陥ろうと、哲学をするがいい。
ということは、もしそうでなければ、きみは幸福を求めるべきであって、哲学をしないほうがいいということだ。
そして、普通の大人になり、「どうせ死んでしまうのだから、何をしても虚しい」という若者のうめき声を、ありとあらゆる仕方で潰しつけるがいい。
それが、きみにぴったりした生き方なのだから。
>>106 世渡り上手になるために哲学をするというのは違うと思う。
多分、それは哲学ではない。
それだと世の中のほとんどの人は疑似哲学にだまされてるってことになりそう。
騙されている場合のデメリットって何?
苦労して>107を読んだ。
結局この人は「死にたくない」と言ってるだけだ。
この人は自分がなぜ本を書くのかを説明できないんじゃないかな。
論理的に物事を考えることができるようになるんじゃないの?
それがいいのか悪いのかはわからないけど
引用文を読む限り中島義道というのは中学生の哲学入門and確証バイアスの塊なんだなと
>>111 ものを書くことについては、「人生を<半分>降りる」で次のように語っているよ。
>自分が傲慢に下品になることを恐れているあいだ、自分を他人を傷つけることを恐れているあいだは、もの書きにはなれない。
>もの書きとはあえて自覚的に傲慢と下品とを選び取った人々なのです。
また、哲学に必要な「繊細な精神」とは以下のようなものであると述べているが、
この定義からすれば、簡単に他者を断罪してしまう君には「繊細な精神」が欠如しているのかも知れない。
そして、君をこのように評価する私にも、「繊細な精神」はまだまだ欠けているのだと思う。
>繊細な精神とは「割り切れなさ」を大切にする精神とも言えましょう。
>人間を正確に観察してゆけば、そこにどうしても「割り切れなさ」が浮かびあがってくる。
>その割り切れなさを無理やり割り切れるかたちで「解決」してしまうのではなく、むしろそれを割り切れないままに保持し、
>大切にし、それをどこまでもどこまでもごまかさずに見据えることが、その根幹にあります。
>これは一見簡単そうに見えますが、じつは実践するのはなかなか難しい。
>誤解されやすいのですが、「人間なんて割り切れないものさ」と呟く投げやりな態度とは正反対なものです。
>よく、こういう人っていますよね。はじめから、何を聞いても驚かないという決意を全身に示しており、どんな非常識なことを語っても、
>どんな残酷なことを語っても「よくあることじゃないか」と平然としてツッパネル人が。
>彼(女)はじつは繊細な精神が最も欠如した人なのです。
>なぜなら、はじめから原則的に驚かないように決めているからであり、「今ここ」に与えられている具体的現象に密着して
>観察することを怠り、それをただちに「ああ、またアノことか」と既知のカテゴリーに編入しようとするから。
>これは、きわめて粗っぽい精神だと言えましょう。
>ですから、人間の「割り切れなさ」を痛感するには、―――逆説的に―――割り切ろうという絶大な努力が先行していなければならない。
>そして、その努力がいっこうに報われず、またもや割り切れないことを痛感し・・・という具体的挫折の繰り返しから体得することが必要です。
>すなわち、繊細な精神とは人間一般を抽象的に見る眼ではなく、個々の人間を見る眼を備えた精神であり、具体的に分け入れば分け入るほど
>「割り切れなさ」をごまかさない態度を保持することはたいへん難しい。
>どんなにしぶとい人でも、つい割り切ろうという誘惑に負けて、結論を急いでしまいます。
>>114 哲学の具体的営みに入ろうとした時、人は二種類に分かれる。
一つはそのまま当初の疑問を新鮮なままに保持する人。
もう一つは、君のようにそんなこと考えたって仕方ないといって、疑問にフタをしてしまい、
いつまでも疑問を抱き続けている人を青臭い奴だと鼻で笑う人。
>>110 では改めて自分の言葉で。
繰り返しになりますが、何の役にも立ちません。
何かの役に立つかも、という「不純」な動機で始めても、それはもはや哲学ではありません。
どなたかが言っている「擬似哲学」あるいは「似非哲学」といったものに過ぎません。
役に立つ学問などというが、ここでいう「役に立つ」とは一体なにを指すのだろうか。
119 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 08:50:58 ID:8rv6cDhJ
>>108 はあ?
「世渡り上手な人」っていうのは、「擬似哲学」を信じてしまってる人だ、って言ってるんですが。
あなたのコメントは全く皮相的な、見当違いにしか見えない。
>>119 「擬似哲学」の意味がはっきりしなかったので、
憶測でものを言ってしまったようだ。悪かった。
ただ、世渡り上手な人のことを、刺すような批判的な目で見て、
哲学的思考のできる自分の方が「まとも」だと居直った途端に、
哲学性を失うように思う。
121 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 09:09:11 ID:8rv6cDhJ
で、傍からすみませんが
>ものを書くことについては、「人生を<半分>降りる」で次のように語っているよ。
語っているのはわかるけど、でもそれは
>>111の
「この人は自分がなぜ本を書くのかを説明できないんじゃないかな。」に対するレスには、全然なっていませんね。
中島だか永井だか知らんが、彼は「なぜ本を書くのかを説明できない」でしょ?って指摘自体は正しいように思われる。
(もちろん、中島某的には、答えは「なぜ本を書くかに対する説明はできない。何か問題でも?」ってことになるんだろう。きっと。)
>>118 究極的には世の中に「役に立つ」ものってのは何もない、ってことになるんでしょう。
(つまり、お金をもうけたり恋人ができたりしても、それが結局何の役に立つの?ってつきつめて行くと、
最後には答えられない地点に到達する)
その意味においてもちろん、哲学だって何の役にも立たない。
122 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 09:12:22 ID:8rv6cDhJ
>>120 いや。たとえば、
科学的認識は客観的に確証されたものだ、と信じている人よりも、
科学的認識の根本には、客観も主観もない不可解なものが横たわっている、ということを知っている人の方が
あきらかに「まとも」だと自分は思う。
で、そう思うことが「哲学性を失う」と言われても、自分はそうは思わない、としか言えない。
首相動静―12月19日
8時49分、東京・赤坂の居酒屋「纏(まとい)」。伸子夫人と食事。
10時3分、公邸。
首相動静―12月20日
8時15分、東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京。バー「ダビンチ」で社民党の福島党首と懇談。民主党の岡田幹事長、社民党の重野幹事長同席。
10時5分、公邸。
首相動静―12月21日
7時18分、公邸。26分、江田前参院議長と食事。9時48分、江田氏出る。
首相動静―12月22日
6時40分、東京・虎ノ門の虎ノ門ビル。故・山本孝史元参院議員夫人ゆきさんの出版記念イベントに出席し、あいさつ。
7時5分、官邸。43分、東京・赤坂の日本料理店「陽羅野家」。秘書官と食事。
10時11分、公邸。
首相動静―12月23日
6時35分、東京・芝公園の日本料理店「とうふ屋うかい」。朝日新聞の星浩編集委員、毎日新聞の岩見隆夫客員編集委員、読売新聞の橋本五郎特別編集委員と食事。
8時37分、東京・赤坂の日本料理店「球磨川」。民主党の藤井裕久元財務相、石井一副代表と食事。
10時35分、公邸。
首相動静―12月24日
8時35分、東京・赤坂のうなぎ料理店「赤坂宮川」。北沢防衛相、大分市の釘宮磐市長と食事。
9時16分、東京・永田町の日本料理店「北大路 赤坂茶寮」。民主党の近藤洋介、手塚仁雄、本多平直、三谷光男各副幹事長らと食事。
10時56分、公邸。
首相動静―12月25日
6時24分、東京・赤坂の日本料理店「赤坂紙音」。民主党の枝野幹事長代理と食事。
8時27分、公邸
124 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 09:26:58 ID:srJL6OWT
【〜的】とか【〜性】って便利な言葉ですね
>>121 >「この人は自分がなぜ本を書くのかを説明できないんじゃないかな。」に対するレスには、全然なっていませんね。
うん。
何かの本に書いてたと思うけど、思い出せないので書かなかっただけ。
>(もちろん、中島某的には、答えは「なぜ本を書くかに対する説明はできない。何か問題でも?」ってことになるんだろう。きっと。)
こんな開き直りではなかったと思う。
むしろ、そういうものの言い方は、君がただ中島を貶したいがために、
都合の良い中島像をでっち上げているだけのように思える。
>>122 君のいう「科学的認識の根本には、客観も主観もない不可解なものが横たわっている、ということを知っている人」
はまさに、
>>115で引用した「繊細な精神」が最も欠如した人のように思う。
つまり、哲学から最も離れたところにいるということ。
以下、再掲。
>誤解されやすいのですが、「人間なんて割り切れないものさ」と呟く投げやりな態度とは正反対なものです。
>よく、こういう人っていますよね。はじめから、何を聞いても驚かないという決意を全身に示しており、どんな非常識なことを語っても、
>どんな残酷なことを語っても「よくあることじゃないか」と平然としてツッパネル人が。
>彼(女)はじつは繊細な精神が最も欠如した人なのです。
>なぜなら、はじめから原則的に驚かないように決めているからであり、「今ここ」に与えられている具体的現象に密着して
>観察することを怠り、それをただちに「ああ、またアノことか」と既知のカテゴリーに編入しようとするから。
>これは、きわめて粗っぽい精神だと言えましょう。
>ですから、人間の「割り切れなさ」を痛感するには、―――逆説的に―――割り切ろうという絶大な努力が先行していなければならない。
>そして、その努力がいっこうに報われず、またもや割り切れないことを痛感し・・・という具体的挫折の繰り返しから体得することが必要です。
>>122 そういうわけで、
「科学的認識の根本には、客観も主観もない不可解なものが横たわっている」ということを知っているというのも、
単に他者からの伝聞(書物を含む)で知識として知っているというのではなく、まず、
「科学的認識は客観的に確証されたものだ」と信じたい欲求が先行しており、幾多もの試行錯誤の末、
「どうにかして信じようとしてみたけど、やっぱり信じられなかった」という挫折を経験した上での、
「知っている」というのでなければならないのです。
しかも、ただ一度の挫折で、「科学なんてそういうものさ」という態度に凝り固まってしまうのではなく、
そのような挫折を絶え間なく繰り返し続ける姿勢こそ、哲学的な生き方だと思うのです。
そして、そういう努力を怠らない自分の方が、世界に何の疑問も覚えずのうのうと生きている人たちよりも
「まとも」だと居直ることは、他人を既定の枠に無理やり当てはめてしまう乱暴な態度であり、
これもまた「繊細な精神」を欠いているということになる。
128 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 10:13:38 ID:srJL6OWT
「ゆかし」はよくできた言葉ですね
>>124>>128 そうやって自分は決して批判の矢面に立って傷つくことのない安全圏から
皮肉を言うのは、相手とのコミュニケーションを全力で拒否する態度であって、
結局、何も語っていないに等しいと思うよ。
130 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 10:42:47 ID:srJL6OWT
>>130 ちなみに住みはどちらですか?
こちらは都心1時間圏内です。
はあ、こちらは熊本駅から徒歩20分圏内ですがなにか?
133 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 11:08:57 ID:srJL6OWT
哲学者の個人的な感動や経験の要素は、実証的に体系化をすすめる人にとっては
歴史的な社会批評の材料に使われている背景を鑑みても
制限と束縛を与えるものでしかないと思うのよね
また、哲学者の語る内容はほとんどが自伝的要素なのが私の気がかりな所よ
他人の回答は常に他人の回答であり自分の骨肉とするのはとても難しいと思うわ
究極の理想郷を手にするまでに考え抜けたなら人格も強固となるのは否定しないの
けれど、大方が骨折り損に終わり死の恐怖におびえてしまうのが現状でしょう
私の目的を達成するためには哲学は障害になるのよ
何が目的か明らかにしている人にとっては一つの素材である学や概念の奴隷であってはならないと思うわ
ベーコンが言うような恋愛と求婚をもって生産をもたらす人なんてほんの一握りよ
対話ってこんな感じていいのかしら?
>>133 住みはどちらですか?
もし貴女が成人女性で、都内近辺にお住まいなら、
今日の夕方援でお会いしませんか?
何だこのトンデモ系のインテリ女はw
どこのご令嬢やねんwww まあネカマだろうけど。
137 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 11:19:13 ID:8rv6cDhJ
>>125 >何かの本に書いてたと思うけど、思い出せないので書かなかっただけ
じゃあ、思いだしてから書いてくださいな。よろしくお願いしますね。
>こんな開き直りではなかったと思う。 むしろ、そういうものの言い方は、君がただ中島を貶したいがために、
>都合の良い中島像をでっち上げているだけのように思える。
そう言うのなら、せめて中島氏がこれについて何て言ってるか、ちゃんと引用しなさいよ。
それさえできないのなら、そもそも議論にならない。
>はまさに、
>>115で引用した「繊細な精神」が最も欠如した人のように思う。
>つまり、哲学から最も離れたところにいるということ。
全く違うと思う。
自分は「人間なんて割り切れないものさ」なんて全然言ってない。
つまり、あなたの引用は全く的外れに見える。
あなたは根本的にわかってないようだけど、
科学的認識っていうのは、もっとも基本的なところに、割り切れないものが厳然としてあるのよ。
そういう真摯な認識を、「人間なんて割り切れないものさ」っていう投げやりな態度と同一視してしまうあたりが、
あなたが「科学」というものについて真面目に考えたことがない、ということを示しているように、
私には思われる。
138 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 11:23:09 ID:8rv6cDhJ
>>126 >「科学的認識の根本には、客観も主観もない不可解なものが横たわっている」ということを知っているというのも、
>単に他者からの伝聞(書物を含む)で知識として知っているというのではなく、まず、
>「科学的認識は客観的に確証されたものだ」と信じたい欲求が先行しており、幾多もの試行錯誤の末、
>「どうにかして信じようとしてみたけど、やっぱり信じられなかった」という挫折を経験した上での、
>「知っている」というのでなければならないのです。
もちろんそのつもりです。何を当り前のことを、言ってるの?
>しかも、ただ一度の挫折で、「科学なんてそういうものさ」という態度に凝り固まってしまうのではなく、
>そのような挫折を絶え間なく繰り返し続ける姿勢こそ、哲学的な生き方だと思うのです。
何で私の言ってることが、「ただ一度の挫折」だなんて断言できるのですか。
相手(つまり私)のことをよく知りもせずに、
自分の想像する「他人」観に当てはめてしか捉えられないあなたの、「対話」というものに対する姿勢自体が、
「哲学」というものからは最もかけ離れた地点にいるように、私には見えます。
139 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 11:23:23 ID:srJL6OWT
>>134 あらやだ、殺人事件に発展しそうね
自尊心を傷つけてしまったのかしら?
ごめんなさいね
交流の場は求めていないの
>>137 >そう言うのなら、せめて中島氏がこれについて何て言ってるか、ちゃんと引用しなさいよ。
>それさえできないのなら、そもそも議論にならない。
え、じゃあ、
>>121の
>もちろん、中島某的には、答えは「なぜ本を書くかに対する説明はできない。何か問題でも?」ってことになるんだろう。きっと。
っていう指摘も、何の根拠もない憶測に過ぎないのだから、それを肯定するのも否定するのもナンセンスじゃん?
141 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 11:27:38 ID:8rv6cDhJ
>>140 自分が理解する限りにおいて、中島某はそう言うはずだ、って言ってるだけ。
(別に私は中島信者じゃないから、もし彼がそうでないことを言っても全然構わないけど。)
で、あなたは、
「それは違う!!中島さんはもっとすごいことを言ってるんだよ!!!」て言いたいわけでしょ?
そしたら、せめて、何て言ってるかくらいは引用してくれないと、
議論にも何にもならないじゃないですか?
私の言うことがわかりませんか?
>>139 >自尊心を傷つけてしまったのかしら?
いやいや、そんなつまらぬプライドなんてないですよw
自分は何も、相手を言い負かすために一連のレスをしている訳ではなくて、
ぶっちゃければ、単なる暇つぶし。
だけど、内容そのものは一応真面目に吟味しているつもりです。
日本人によくありがちなのは、自分の意見を否定されることを、
自分の人間性まで否定されたと勘違いして、感情的になり、
冷静な議論ができなくなること。
それは、哲学からは最も離れた態度だと思います。
で、貴女に会ってみたいと思ったのは、単純にこういう話をする女性ってどんなエッチをするんだろうという興味から。
これまではサイトとか、突発OFF板の避難所などで、最初から援ありきで会っていたのですが、
それもちょっと予定調和で物足りなくなり、こういういわば「普通の場所」で、もともと援希望でない女性と
援で会ってみることに興味を覚えて、今回の言動にいたる訳です。
これまでのレスも決して冷やかしでつけていたわけではないです。
太めでない方だったら是非お会いしてみたいです。
よかったらどうですか?w
援を哲学と絡めて語り合うのも楽しいと思いますよ。
143 :
141:2010/12/26(日) 11:34:26 ID:8rv6cDhJ
ごめん、今日は外出するんで、これ以上レスできない。
もしID:SGTVQBwNさんに異論あるんなら、レスは明日以降になります。
明日読んでみて、論理的な反論がID:SGTVQBwNさんから来ていたら、
またレスしますね。
つーか、おまえら異口同音に中島中島中島って五月蠅いよw
あんな三流文士は放っておいて、「こいつは正真正銘の本物の哲人だ!」
って奴を誰か紹介してよ。
大学教授とかそんな定職は抜きで、鉛筆1本だけで世間と繋がりを持ち、
それによって生計を立てて、どこの組織にも属さず、
世界の中心にまで根を下ろして、力強く孤高に生きているような奴。
>>141 >「それは違う!!中島さんはもっとすごいことを言ってるんだよ!!!」て言いたいわけでしょ?
んー、誤解してるようだけど、自分は中島を神聖視してるわけでもなく、
彼の言ってることを妄信してるわけでもないんだよ。
ただ、普通の人にない着眼点を持ってるようには感じるし、自分とも感受性が似ているので親近感を覚えるのも事実。
だけど、だからといって、中島の言ってることこそ一番正しいと崇め奉るのも、哲学とは正反対の態度だし、
単なる馴れ合いでしかないことも認識しているつもりだよ。
すごいとかすごくないじゃなくて、単に事実誤認を訂正したいだけ。
今はすぐにソースを示せない(その情熱もあまりないw)から無理だけどさ。
146 :
141:2010/12/26(日) 11:39:53 ID:8rv6cDhJ
>単に事実誤認を訂正したいだけ。
だから、訂正するのなら、ちゃんとソースから引用してくださいな、
もしあなたが少しでも議論をするつもりがあるのなら、それさえできない戯言は書かないでほしいな、
そういう意味のない戯言を書いて得意になってること自体、
あなたが「哲学」から最も遠い地点で哲学もどきと戯れている人種にすぎないことを示していますよ、
って言ってるんだけど・・・・・
じゃあ、またね!
147 :
141:2010/12/26(日) 11:42:46 ID:8rv6cDhJ
ごめんまたw
>>144 ベタだけど、ウィトゲンシュタインとアウグスティヌスは正真正銘の本物の哲人。
「論理哲学論考」あたりは簡単に読めるので、一度読んでみることをおすすめします。
(残念ながら、いちおうウィトゲンシュタインは大学の先生ですが。)
>>146 >あなたが「哲学」から最も遠い地点で哲学もどきと戯れている人種にすぎないことを示していますよ、
それは否定しないよ。
だからこそ、まだまだ修行が必要なんだろうなと思う。
哲学するというのは、それほどまでに難しいことなんだ。
私が「得意になってる」と決め付ける態度もまた、哲学的態度からは程遠いように思う。
「もう分かった」と思ったとたんに、哲学の灯は消える。
つまり、自己否定の勇気がなければ、哲学するのは難しいということ。
それは、諦めることでもなく、開き直ることでもなく、真摯に否定を受け入れること。
日本人、特に女性には、このことが不可能なように思われる。
自己批判せよ!!!!
151 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 11:48:08 ID:srJL6OWT
今のやり取りを見ても、他人同士が理解しあうというのは、絶望的に難しいということが分かると思う。
それにもかかわらず、「どうせもう分かり合えないんだから、議論しても無駄」などと相手を切り捨てることなく、
真の理解に向けて、絶え間ない努力を続けることこそが、哲学なのだと思う。
153 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 11:49:16 ID:jE+fiba9
他人に自己否定を求める人間が最も自己否定から縁遠いだろうな
>>151 そんなに美人の女性を求めているわけじゃないですよ。
ブス専ではないですが、ぽちゃさんをのぞけば、許容範囲は広いですw
>>153 確かにその通りだと思う。
でも、私は決してそういうニュアンスで
>>149を述べたのではないのだが、
分かってもらえないのは、私の説明能力が拙いせいなのだろうね。
・・・と自己否定してみるが、こういう発言も純粋に否定を受け入れているのではなく、
不貞腐れていると受け取られてしまうことが多いのだろう。
見栄も何もかもかなぐり捨てて、真摯に自分の内面に問いかけてみれば、
やはり、どちらか1つに割り切れるものではなく、純粋に否定を受け入れるという側面もあれば、
多少、感情的になって、不貞腐れている側面もあると思う。
そして、もしかしたら、他にもいろいろな側面があるのかも知れないし、それらがどういう割合になっているのか、
そもそも、割合という概念を当てはめることが妥当なのかも分からない。
なぜ男がいるの?
159 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 12:15:07 ID:srJL6OWT
>>157 犯罪に巻き込まれても困るので忠告しておきますわ
それらしき方からのメールを受信されても勘違いなさらないでね
指定された場所に足を運ぶなどの行動は決してとらないで下さい
では、ご自愛くださいませ
>>159 俺も
>>142と同じで、かなり興味あるんだけど。。。
哲学してるような婦人って、どういう男性が好きで、どういうエッチするの?
公の場で女の人にそんなこと絶対聞けないし、
聞いたところで絶対答えないから、ここでこっそり教えて欲しい。
まあ定職を捨てた時点で俺には無縁の人生だけどな。。。
ちょっと大型書店に行って、向井敏拝読してくるから、
帰ってきてからレス読ませて貰うわ。
>>159 確かにこの世知辛いご時世、不安になるのも仕方ないかも知れませんね。
でも本気で哲学するなら、そんなことに怯えていてはいけません。
援のことはさておいても、やはり直接会っての生身の肉体同士(決して性的な意味でなく)の
コミュニケーションでなければ、哲学的な素養は養われないように思います。
つまり、こういう掲示板上のやり取りだと、いくらでも自分を偽ることができるし、
反論の為に、時間をかけて詳しく調べたことを書き込むことにも利点はあるものの、
私にも言えることですが、自分の全身から出た言葉ではないと思うのです。
お互いに何の後ろ盾もない、丸腰の状態で行う議論こそが、より哲学に近いと思うのです。
援に限らず、普通の2chの突発OFFでも、自分から募集しておいて
いざ応募があると怖気づいて、結局こないという人がいたりしますが、
勿論、出来る限りの防衛手段は講じておくにしても、いろんな人と交わることは、
決して無駄にはならないと思うのです。
>>54 >というか哲学に固有の領域って何だろう?
善悪とか道徳的な問題は哲学固有の領域じゃないのかな?
道徳は相対的か絶対的かっていう問題
義務論と功利主義みたいに何を善いとするかっていう問題
疑似哲学どころか似非宗教かよ。
>164は >SGTVQBwN 。
166 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 13:21:11 ID:v1L8ZPSr
ID:SGTVQBwNに嫉妬してる哲学もできないバカ男がチラホラ湧いてるねw
本音が出たね。
169 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 18:35:13 ID:PWLu/q8M
170 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 19:38:52 ID:srJL6OWT
私的な書き込みですので話の流れには乗っておりません、ご容赦願いますわ
幸福とは生活を離れた所には存在しておらず生活の上に考えるべきだと思います
個人的には「幸福とは良いものを求め向上と完成を達成すること」と考えていますわ
けれども、これは幸福とともに不幸の始まりをも意味していることになりますの
なぜならより良い生活に比べると如何なる生活も不幸の影を帯びてくるものですわ
換言いたしますと……
幸福とは向上と完成が達成されるその一歩一歩に見出すことができるものと言えますわね
同時にこの幸福は私たちを決して安住させてはくれない存在ともなりますの
より良い生活を求めて常に不足を探すことを要求されてしまうからですわ
最初は誰しもが最小限度の向上を願い出発するものだけれど
それを幾度も繰り返す内に結局はずいぶんと贅沢な向上を願うことになりますの
全体としてみれば生活の向上というものはどこまでも要求されるものですわ
昔の方が言ったように、この無限なる欲望はある種の神性とも言えますわね
けれども、欲望が無限へと突入するのとは反して能力が有限であるのが問題ですの
この相反する性質が単一の器である人体に混交されているのは
人間の本性が生まれながらにして不幸であることにほかなりませんわ
>>170 最後の1行はなかなかいいところを突いてると思いますよ。
中島義道も「不幸論」(PHP新書)の中で、人間はいつか必ず死ぬ限りにおいて、絶対的に不幸であると述べています。
以下、同書p.182-183より引用。
私は自分が死ぬかぎり、いかなるかたちでも幸福はないと思っている。
それは、唯一の「絶対的不幸」である。「絶対」とは、いかなるほかの不幸より程度が高いという意味ではない。
比較を絶して苦痛が大きいという意味ではない。「死」とはじつに私というあり方そのものが消滅するからである。
死後の状態が不幸なのではない。死すべきものとしての私のあり方そのものが不幸なのである。
「自分の意志ではなく少し前に生まれされられて、まもなく死んでいく」という基本構造そのものが不幸なのである。
私が私であるかぎり、この構造のもつ残酷さ悲惨さを変えることはできない。
ほかの不幸はこの構造の「うち」のさまざまな苦痛であり、その意味で相対的であるのに対して、
死とはこの構造そのものをかたちづくっているという意味で、絶対的である。
だから人間としての私にとって、死とは生と対立する概念ではない。
人間的に生きていることそのことが、まもなく死ぬことを知りつつ生きていることなのであり、
つまり死の絶対的不幸とは人間として生きることの絶対的不幸にほかならない。
こうして、死こそ人生最大の問題だと考える。ということは、哲学にとっても最大の問題だということである。
172 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 20:06:00 ID:srJL6OWT
すべてに終わりがあるのは絶対的な前提条件だものね
けれど、生まれた瞬間死に浸されているのなら私はそれは不幸とは思わないわ
突発的な終わりではなくて約束された終わりですもの
選択の自由も秩序の中でこそ輝きを放つものだと思うの
だから私は誕生の不自由に関してはそれほど悲観しないのよね
短くてこめんなさい
少しの間お出かけするので失礼するわ
>>170 >全体としてみれば生活の向上というものはどこまでも要求されるものですわ
自分はそうは思わないですけどね。
分相応というか、身の丈にあった幸福観というものを持っていれば、現状維持こそすれ、
際限ない向上への欲求というのは起こらないように思います。
こういう価値観は、実はヨーロッパではごく普通だったりするわけで、特に東欧の旧社会主義諸国では
必ずしも「進歩=善」という価値観は浸透していないそうです。
再び西尾幹二「ヨーロッパの個人主義」から、ヨーロッパ人の自己否定精神について。
>西洋ははたして「没落」するのだろうか?この有名なシュペングラーの主題は、正統・伝統思想の生きている
>世界では、伝統への反逆もまたその補強に役立つという自己批判の精神にほかならないのである。
>日本人は自分の文化を測る尺度を外に借りているために、外の世界の変化に応じて、自分を小さく卑下したり、
>大きく威張ってみせたり、たえず外の印象に振り回されるのに対し、ヨーロッパ人は自分自身の歴史の内部に
>危機をよみとっているだけに、それを克服するためには、たくましい自己否定の形式を採用する勇気をもっているのである。
>「西洋の没落」はいささかも日本人の安心や自信を高めるていの主題ではない。
>むしろわれわれは西洋精神のかかる自己批判の厳しさを知るべきであり、「没落」を自分に向かって宣言することが
>できるほどのヨーロッパ文明の歴史の厚みと外延の広さに思いを致すべきだろう。
>われわれの場合は、ヨーロッパを崇拝し、憧れるこころがあっただけに、困ったことには、いっそう反動的に
>ヨーロッパを馬鹿にしてしまいたいという気持ちがたびたび出てくる。
>が、ヨーロッパで暮らしていてはっきりわかることは、ヨーロッパ人はただの一度も日本人に対する恐怖や
>競争意識にさし迫られたことはないのであって、日本の「西洋化」という歴然たる事実はあっても、
>西洋の「日本化」という事態はいっこうに起こらない以上、日本人が劣等感を感じようが、優越感を感じようが、
>それはすべて日本人のひとり相撲でしかないことである。
174 :
彼氏いない歴774年:2010/12/26(日) 20:18:02 ID:srJL6OWT
少しだけ書くわね
宗教による抑制力が働く国と比較するのは難しいわね
どうせなら日本の例を話に出した方が理解も深まると思うわ
他人との関係において自己の存在意義を見出す傾向が強い日本人と
宗教によって自己の存在意義が保証されている西欧人では土台からして違うのよね
俺スルーでワロタw
176 :
彼氏いない歴774年:2010/12/27(月) 00:11:58 ID:62FXsyCT
>>173 人間の本性が生まれながらに不幸
っていうのはそこからは言えないんじゃない?
そこから言えるのはせいぜい生活の向上を目指すことでは人間は幸せにはなれない、ってこと位
哲学ってこんなものなの?
幸福とは盲目になる事である
>>178 分かりやすい例は、ブサイク同士のカップルですね。
恋は盲目って言うしね。
幸福論かぁ…俺もこのテーマ好きだし、実存主義の核心に迫るものでもあるけれど、
このテーマはちょっと、踏査しうる範囲が広すぎて、どうにもなんないところあるよね。
ステレオな話すると、19世紀以降、近代合理主義によって科学技術は飛躍的に進展し、
人間はかつては考えられなかった程に、物質的な豊饒さを手に入れた。
日本でも幕末のペリー・ショック以降、西洋の科学や経済システムを輸入してからというもの、
理性にウェイトを置くようになって、それがどんどん数値による帰納法によって、
人間精神をどんどん蹂躙するようになったらしい。
偏差値や年収といった「理性的」なものが全人間的価値を測るようになり、
その一方で「感性」が人間的価値から疎外されるようになってきた。
結果、感性の面で突出した、前5世紀、古代ギリシャの詩人ソフォクレスが
「不思議なものは数々あるが、人間以上の不思議な存在はあるまい」と言ったように、
人間というものはデカルトみたいな大陸合理主義では割り切れない存在であったはずが、
簡単に割り切ってしまわれるようになってしまい、さらにプラグマティズムまで入ってきて、
文化的側面、教養まで等閑視されるようになった。
結果、成果主義の導入の影響もあって、日本人はどんどん年収年収年収言うようになり、
足の引っ張り合いばっかりするようになった。物質的豊饒さまでが掛け合わされ、
哲学がどんどん消されてゆく一方で、どんどん金や権力、競争に飲み込まれて
ゆくようになったってわけだね。これは海水と同じで、下手に飲みだすと、
どんどん喉が渇いて、次第に止まらなくなってゆくらしい。
自分は何が一番特化しているのか、それを見つけた上で、それに磨きをかけてゆくのが
一番人間を充実させられるのに、常に周りの言うことに従い、
追随ばかりしていては、その渦中から抜け出せないのは当たり前の話。
だから結局、この騒々しい世間から少し離れて生き抜いてゆけるだけの技能を
予め徹底的に身につけ、そこで自分の人生について、この世界について、
一度頭が痺れるまで、徹底的に考えるしか、この不幸の渦中から逃れられる方法はないと思う。
人間、時には我慢しなければならない時もある。
文学部に進みたくても、教育学部に進まなければ教師になれない時だってあるし、
どんな組織に行こうが、鬱陶しい奴の一人や二人は必ずいる。
でも人生は完勝して当たり前って思ってると、そればっかりが頭を支配するようになって、
人間は周囲との相互関係によって自己を形成してゆくという根本的なとこを忘れてしまう。
時には自分を謙ることによって、最終的に利益を勝ち取りにゆくことだってあるのだ。
この辺が難しいんだよね。世間に完全に自分を明け渡してはならない。
でも完全にジコチューに徹しきるのも危険極まりなく、そういうどうしても
譲れない妥協ラインってのが無駄に高い奴は、いずれ野たれ死ぬことも覚悟しなければならない。
自分は他でもない、氏は○○で、姓は△△だっていうアイデンティティを
持ってる文筆家はその点かなり恵まれている。偏差値にしろ、年収にしろ、
如何なる数値にも置き換えることが出来ない。
組織でしか自分を測れないような奴は、自分より階級や年収の高い集団に
出くわした時には、もう地団太を踏むしかない。けど文筆家なら、
売れたもん勝ちという一方で、そういう連中はアホ共にフィットした俗物にすぎない
って側面もあるから、結局、それで飯が食えてさえいれば、あとはもう、
何ものでも測りきることが不可能になってくる。そいつだけが持ちえる、そいつ固有の世界。
なぜなら、世間がそいつを買っているのは、○○会社でもなければ○○大学でもない、
そういう側面はあっても、あくまでそれはそいつの部分事象でしかなく、
そいつが買われてるのは、他でもない、そいつ自身であり、そいつの存在そのものなのだから。
186 :
彼氏いない歴774年:2010/12/27(月) 22:56:39 ID:957hv5nO
人間は本当に社会的な生き物なの?
欲求に応じた労働対価を要求されるのは経済構造に依存してるだけで
人間の本質的には社会的だと断言するのは無理があるんじゃないのかな
自由な条件においてはもっと独善的な思考に従うと思う
社会的生き物=社会というシステムを作って生きる動物とするなら人間は社会的といっていいと思う
社会システムを組んで協力しながらでないと生きていけない程に単体としては弱いというか
自由に振舞えるのは余裕があるからで、その余裕を与えてくれるのは社会、つまり自由と社会性はワンセットなんじゃないかと思う
>>186 自由な条件っていうのが何を意味するのかいまいちだが、例えば、
法律も警察もなければ、男は道行く女を手当たり次第レイプする
とかいったことかな?
勘違いしてたかも知れない
自由の条件が満たされた場合は自由、独善的に振舞うと思う
自由の条件が満たされた場合には自由に振舞う、に訂正しとく
何度もすまん
他人に迷惑をかけることについて、躊躇したり、少しでも負い目に感じるところがあるなら
その人は社会的といっていいかも知れない。
自由の条件が満たされた場合には自由に振舞うキリッ
思わず自分で自分にふいた どないやねん
哲学もいいけど数学や物理も面白い。
e^πi-1 = 0
ってオイラー公式なんか魂が震えるほど美しい。
自然対数と円周率と虚数と負の単位元がゼロで結ばれるなんて。
なんという予定調和。
それから携帯のGPS測位システムの仕組みもすごい。
あれは4つの人工衛星からの電波を拾って、四次元時空の中に四角測量(!)
の要領で位置を特定してるの。なぜ四次元かっていうと高速で移動する
人工衛星ではアインシュタインの予測通り時間の進行が遅くなるから。
この宇宙が重力で歪んだ四次元時空であることを直接利用している。
デイラックの海とかエベレット解釈とか、物理の最先端は哲学をはるかに
越えて神の領域に接近していると思う。
人の生き死になんてどうでもいいよ。と、私は思う。
瑣末なことと思う。
>>195 ↓でいう投げやりな態度に当てはまってませんか?
>繊細な精神とは「割り切れなさ」を大切にする精神とも言えましょう。
>人間を正確に観察してゆけば、そこにどうしても「割り切れなさ」が浮かびあがってくる。
>その割り切れなさを無理やり割り切れるかたちで「解決」してしまうのではなく、むしろそれを割り切れないままに保持し、
>大切にし、それをどこまでもどこまでもごまかさずに見据えることが、その根幹にあります。
>これは一見簡単そうに見えますが、じつは実践するのはなかなか難しい。
>誤解されやすいのですが、「人間なんて割り切れないものさ」と呟く投げやりな態度とは正反対なものです。
>よく、こういう人っていますよね。はじめから、何を聞いても驚かないという決意を全身に示しており、どんな非常識なことを語っても、
>どんな残酷なことを語っても「よくあることじゃないか」と平然としてツッパネル人が。
>彼(女)はじつは繊細な精神が最も欠如した人なのです。
>なぜなら、はじめから原則的に驚かないように決めているからであり、「今ここ」に与えられている具体的現象に密着して
>観察することを怠り、それをただちに「ああ、またアノことか」と既知のカテゴリーに編入しようとするから。
>これは、きわめて粗っぽい精神だと言えましょう。
>>186 物凄く近代的な発想だね。近代という時代は人類史の上でも極めて特殊な
時代と言われているぐらいだから、その点かなり独創的ではある。
近代といえば、神や絶対者に代わって、「個人」が世界の主役となった時代でもあった。
一人一人の「個人」は尊厳をもったかけがえのない存在であり、
しかも「理性」という輝かしい能力を備えている。そうした「個人」が能力を
発揮していけば、この第三惑星は必ず住みよいオアシスになっていくハズだ。
神が世界の中心であるという古い思想をかなぐり捨てて、真理や価値の基礎を
人間に求めようとする、この「合理主義」「進歩主義」を礎としたヒューマニズムは、
市民の自由・平等を掲げた市民社会と、それを統一する制度としての国民国家(nation-state)、
そして、自立した個人は平等であるべきだという考えから、自由競争を認める
資本主義的社会も成立させた。
しかし、産業革命によって、この西洋の資本主義や合理主義を発展させた、
そもそもの原動力であったイギリスは、世界にどのような影響を及ぼしたのであろう。
いささか遠近法的にはなるが、イギリス産業革命は、かえって地球人に窮屈な状況を
招来してしまったようだ。
感性を排除し、理性を一神教的に持ち上げる近代人の病的な性格は、
客観というものは、事実から記述を為す際の、科学者仲間の約束事に支えられて
成立したものでしかなく、価値観(パラダイム)は時代によって無常である
という側面を等閑にし、人文科学と違って、数学や論理学は文化に偏らない
普遍的なものなんだと過信するようになった。
その結果、イギリスはどういう国になってしまっただろう。
山本雅男はロンドンの公園で、老人たちを観察したことがあった。
イギリスの公共空間の一人あたりの面積は、日本のそれとは比べ物にならない。
中には東京の数十倍という数値もあるくらいだ。
しかし、その中に窺われる老人たちの姿は、日本人の老人と比べて、どこか寂しそうだ。
イギリスでは、二世代・三世代が一緒に住むことは稀であり、また、これまた日本と違って、
老人同士がゲート・ボールなどして打ち興じる姿もあまり見かけられないらしい。
彼らは子供の頃から、日常生活の中でそれ(孤独)をしっかりと受け止め、
噛みしめながら生きてきたのだ。子供や社会的弱者が家族の中で保護してもらえる度合は、
はっきりいって我が日本国の伝統の方が遥かに上回っているのだ。
その点イギリスなんかヘナチョコである。そして、そういう孤独生活に慣れ親しんでしまった
彼らにとって、もはや公園で一人でベンチに座ることなど、何の変哲もない普通のことなのだ。
長いよ。科学をわかってないし。
そんな彼らイギリス人は、我々日本人の目にはどういう風に映るだろう。
確かに彼ら個人主義者からすれば、この日本という国も、幾分か住みにくい側面もあるに違いない。
周囲に同質を強いる、目に見えず張りめぐらされた世間の不文律、
何でもかんでも西洋文化や数値によって一元化してしまう悪臭が、
日本人から多様性に対する寛容さや自分自身への頑固なまでの自身といった
精神的ゆとりを奪い、不自由さを生みだしている。
しかし、先ほども言ったように、近代ヨーロッパにしろ現代のイギリスにしろ、
「行きすぎ」なのだ。日本人は何でもかんでも西洋をパクる癖があるようだが、
あのロンドンの老人のあり様を目の当たりにした時、日本人は彼らに追随したいと思うだろうか。
俺は思わない。家族や共同体といった、というより愛人といった女性の温もりを確保しつつも、
個人の自由を拡大してゆくような、ヨーロッパ近代モデルともイギリス現代モデルとも異なる、
われわれ独自の座標軸を、日本人は日本人で、模索してゆかねばならないのだ。
真に社会的に、独創的に生きるとは、そういうことなのである。
202 :
彼氏いない歴774年:2010/12/28(火) 08:39:55 ID:Qwp8THuR
>>193 私も理系出身なのでその気持ちは分かる
ただ学問は一つの素材であり固執するのではなくもっと柔軟で構わないと思う
物理より数学が優れているなぜなら数学は道具でしかないからだっ!
なんて議論はバカバカしいでしょ?
203 :
彼氏いない歴774年:2010/12/28(火) 08:45:35 ID:9o6PTVbm
>>202 数学のすばらしさは
紙と鉛筆ひとつさえあれば
無限に広がるその世界
204 :
彼氏いない歴774年:2010/12/28(火) 09:04:11 ID:Qwp8THuR
>>203 ごめんなさい数学をバカにしたつもりはないの
単に数物界の過去の軋轢を例に出しただけです
話少し逸れるけど、人間はひとつのフレームワークの中にいるとき、
そのフレームが作った言葉で思考し、そのフレームが作った価値観で
ものごとを判断しているにすぎないんだって。
だから、もちろんその現在進行形中の状態では、そのフレーム自体は見えていないし、
その上残酷なことに、その共同体内で評価されればされるほど、人は自由になるどころか
むしろ不自由になってゆくんだと。
だから、数学に特化した者は数学をより持ち上げるし、
物理に特化した者は物理をより持ち上げる。自分が作り出したはずの価値観に
大概の人間は逆に支配されている。あるいは自分の帰属する共同体への
「背信」が怖いから、そう思い込まわざるを得ないだけ。
×現在進行形中 ○現在進行中
あとは、自分への背信ってのも考えられる。もし、例えばその「数学」や「物理」
の価値がなくなってしまったら、それに依拠していた自分の価値も転落してしまうのだから。
だから、もちろん中には、哲学を批判する哲学者みたいな例外もいるけど、
基本的に、「数学なんてクソだろw」という数学者はいないし、「物理者なんてボケばっかりやんw」
という物理学者もいない。
価値というものは、あるものAがAとして権力を保持しているから、
それが社会から認められているからだという自己循環論法の中にあるのであって、
それ以外に価値の存立根拠が存在しているわけではない。
数学も物理学も、ひとがそれを「真実への道」と信じている限りにおいて
価値があるのであって、その信仰がなくなればそれは直ちにただの数の羅列と化す。
そしてこれは哲学も同じであり、ひとが「ことば」に対して何らかの価値を
持っているから価値を帯びてくるのであって、ことばと世界が何ら関係性を持たないのならば、
もはや哲学などは塵芥そのものと化す。
その辺って当たり前の大前提だよね
そんなこと今さらいちいち言われても・・・って感じ
208 :
彼氏いない歴774年:2010/12/28(火) 11:55:15 ID:Tbv2ZJyv
・中島某とかいう自称哲学者の信者
・稚拙な文化比較論や社会論評、心構えを哲学だと思っている
・自然科学に対してどこか勘違いして目の敵にしている
・客観性と論理性が著しく欠如している
・ほとんどの女性より頭が悪いが女性を蔑視するのに躍起
・他人にアンカー打ってストローマンと戦っている
哲学学者一直線、羨ましいまでに勝ち組の人生歩んでるおまいら
哲学徒に聞きたいんだけど、高校教師と予備校講師、どっちが頭いいと思う?
あと、予備校講師やるなら、英語と現代文のコンボか、日本史と世界史のコンボか、
どっちで就職すればいいのだろうか。
頭良くなろうと思ったら、そりゃいつまでも教科書の解説なんかするより、
どんどん色んなテーマの評論文を仕事で読んでった方がいいだろうし、
あんまし翻訳書ばっか読んでると、そのうち英語力が退化して
「cultural」や「history」辺りの洋書が読めなくなってしまう。
でも、そればっかやってると、歴史の知識がどんどん抜けていって、
とくに現代文なんか西洋西洋西洋・近代近代近代だから、飛鳥・奈良時代論や
南北朝〜戦国時代論、江戸時代論みたいな、日本の古代・中世辺りの知識がどんどん抜けてゆく。
さて、日本史と世界史のダブルコンボか、現代文と英語のダブルコンボか、
どっちで攻めるべきだろうか…
>>208 >>196他ですけど、やっぱりそんな風なとらえ方をしちゃうんですねえ。
女性蔑視なんてしていないし、中島義道の信者でもないんですが、他の板でも、
自分が議論しようとすると、何故かあなたのように皮肉たっぷりのレスを
返されてしまうことが多いですw
>>40で引用した
>どうも哲学というと高級だという観念をもつ人が多くていけない。だから、女性に哲学者がいないというと、
>本気で怒る(とくに知的な)女性が少なくない。だが、哲学は下品なものなのだ。ワイセツなものなのだ。
を女性蔑視と受け取っているのだとしたら、それはとんでもない誤解ですよ。
哲学できることは、何ら優れたことでも、褒められることでもないので、
哲学ができない=劣っているということではなく、単なる現実を述べているに過ぎないのです。
何を書いても内容そのものに触れず、あなたは哲学的ではない、哲学出来なくても良いではないかって答えが返ってくる これが良くないんだと思う
相手の主張の内容に具体的に触れた上でそれに対して自分の主張を返すという形をとらないと中々議論にはならないと思う
こ男、角川文庫を二冊読んだだけだったりして。議論の価値もない。
>>212 そんな投げやりな態度では哲学できないよ。
>>211 >相手の主張の内容に具体的に触れた上で
まずはあなたが見本を示してはいかが?
じゃあ答えろよ。
お前は何故ここにいる?
哲学的ではないってレスが幾つかあったと思うけどどれもどう哲学的でないのかに触れてなかったような気がしたんです
>>216 哲学的ではない、というのは簡単に言えば、何でもすぐに既定のカテゴリに当てはめようとする態度です。
納得したいという情緒に引きずられて、「これはこういうことなんだ」と決め付けて、議論を終わらせようとする態度です。
なるほど わかりました
そういう形でレスを返されていたら相手の返答も変っていたのではないかと思います
偉そになってしまってすみません
偶然ですがこれから中島さんも研究しているというカントを読んでみるつもりです
>>220 突然ですが、もし都内近辺の方なら、12月30日以降、援で会いませんか?
>>215 そうだよ。ついでに哲学科だ。
で。お前はなぜここにいる?
すみませんそれはちょっと・・・
突発OFF板でもよくあることなんですが、
コテハンとかで、スレ上ではすごく態度が大きくて粋がってる人でも、
実際会うと、拍子抜けするぐらいフツーだったり、腰が低かったり
することが多いんです。
で、こういう板で荒い口調で話してる
>>222さんみたいな女性って、
実際会ったらどんな感じなんだろうと思って。
しかも普通に会うんじゃなくて、円で会うのがミソですw
少しは哲学的な答えを期待した私が馬鹿だったか。
>>223 女性蔑視というわけではないのですが、性的な話題になると、
とたんに及び腰になってしまうのは、女性の宿命なんでしょうかね。
>>226 哲学科の教授や学生が哲学的な生き方をしてるかと言えば、
そうとは限らないですからね。
>>226 あと、援の話は冷やかしじゃないです。
真面目に会いたいと思っています。
>>226 あと、逆説的ですが、哲学的ということにこだわりすぎるのもまた、
哲学的な態度から離れることになると思います。
掲示板にもいいところはありますが、一番いいのは、一対一の生身のコミュニケーションでしょう。
援で、身体のコミュニケーションもしながら、哲学談義に花を咲かせるのはいかがですか?
誰か病院紹介してやれ。
>>232 そうやって相手を突き放す態度も、全くもって哲学的じゃないですね。
売買春なんて、哲学の格好のテーマなのに。
というか、本気で哲学をやろうと思ったら、精神病になってもおかしくないくらいですよ。
常識にしばられていたら、哲学なんてできません。
それは何も犯罪しまくれとか言っているのではなくて、タブーのない自由な発想をしようということです。
また、ことさらに奇をてらうこととも違います。
「こんなことを言う奴はバカだ」という態度を捨て去ることです。
分からなければ、直接援で会って、お話しましょう。
他の興味ある喪女さんの方(ただし成人の方)でも結構です。
お気軽にメールください。まもなく寝るので、返信は翌朝以降になりますが。
こちら30前半の♂です。
[email protected]
何でここって丁寧語の人多いの?
クイズを出す人も丁寧語になるよね
それと似てる
ここ変な人湧いてるから気をつけてね。
>>237 そういう態度が、最も哲学から遠い。
前に、ワイセツに絡めて、女性が哲学に向いていない話をしたけど、
今のやり取りを見ても、まさにそういう傾向が見て取れるね。
別に貶しているのではなく、単にそういう事実を述べているだけ。
「変な人」「病院逝け」と思考停止状態に陥って、議論にフタをしてしまう。
「無意味」と感じたら、もうそこでやめてしまう。
そうではなくて、無意味と薄々感じていても、心の奥底で「いや、そうではないかもしれない」
という期待を絶やすことなく、追究しようとする態度こそが哲学的だと思う。
だけど、それを実践することがいかに難しいかということが、彼女達の言動からよく分かるね。
自分が性の対象として見られることに極度の嫌悪感を抱く女性は多いが、
そういう男性は少ないことも関係あるように思う。
とりあえず今日は寝ます。よかったらメールください☆
自分に都合が悪い=哲学から遠い
自分に都合が良い=哲学的な態度
こいつの文章を
s/哲学/自分に都合が良い/g
すればわかる。
って正規表現わからんか。
>>239 >自分に都合が悪い=哲学から遠い
>自分に都合が良い=哲学的な態度
それは違いますね。
残念ながら、ここでも人格攻撃に終始してしまっていて、
もはや哲学的なやり取りは期待できなさそうですね。
ちなみに今日で仕事納めなので、今日これからか明日以降、援で会える方は
>>235のアドまで是非メールください。楽しい時間をすごしましょう。
242 :
彼氏いない歴774年:2010/12/29(水) 19:23:31 ID:cvmUweTp
ここまで常に先に人格攻撃をしているのがID:sKQoEtz3
こいつ援交や風俗でやることやっておいて説教する親父に似ている
>>242 それも違いますね。
特に日本人にありがちなのが、意見や考えを否定されたことを、
自分の人格まで否定されたように受け取って、気分を害することです。
だから、日本人同士では、なかなか純粋な真実の追究ができない。
真実を追究するためには、自分も相手も傷つく覚悟が必要なのです。
245 :
彼氏いない歴774年:2010/12/29(水) 19:29:49 ID:cvmUweTp
>>244 >>240 >残念ながら、ここでも人格攻撃に終始してしまっていて、
>もはや哲学的なやり取りは期待できなさそうですね。
>特に日本人にありがちなのが、意見や考えを否定されたことを、
>自分の人格まで否定されたように受け取って、気分を害することです。
>>243 それもまた誤解です。
そもそも自分は円光に対して罪悪感がないし、円光をする女性を悪いとも思わない。
むしろ、普通の女性なら、いくらお金積んでも援なんてやらない一方で、
2万そこそこのお金でやらせてくれる女性は、まるで女神のような存在です。
陳腐な言葉で言えば、まさにお互いWin-Winの関係ということです。
>>245 いいところを突きましたね。
哲学的であろうとすることを意識すればするほど、
むしろ哲学から遠ざかるというパラドックス。
それほど、哲学するのは難しいということです。
>>243 「こいつ」という言葉遣いもまさに、相手への蔑みの感情を表明していることに他ならず、
哲学的議論をするためには、タブーはないといっても、やはり最低限の礼節は必要でしょう。
>>245 お互い冷静になることが必要だと思います。
>>240で、他の人が自分に人格攻撃していると書きましたが、
それにはきちんとした根拠がある限りにおいては、
>>244のような主張をしたからといって、
ただちに自分もそれに当てはまるということにはならないと思うのです。
>>239などでの「こいつ」という言葉遣い、
>>237での「変な人」、
>>232での「誰か病院紹介してやれ」
といった発言は、相手を罵る意味はあっても、決して相手の意見そのものに対する批判ではないですよね。
それが、彼女たちが私を人格攻撃していると述べた根拠です。
言葉尻にこだわり過ぎと思われる方もいるかもしれませんが、
「こいつ」の意味について辞書で調べると次のように書いてあります。
こいつ
[代]《「こやつ」の音変化》
1 三人称の人代名詞。話題になっている人を軽んじ、ののしったり親しみをこめたりしていう。
「だって―が先にやったんだもん」
2 近称の指示代名詞。「これ」のぞんざいな言い方。「―はひどい、食えやしない」
3 (感動詞的に用いて)憎しみの気持ちを込めて、相手に呼びかける語。「―、やりやがったな」
>>239などでの「こいつ」の用法は、文脈から明らかに1だと考えられますので、
やはり感情的になっている部分があることは否定できないでしょう。
251 :
彼氏いない歴774年:2010/12/29(水) 21:22:07 ID:4oT1OdsX
>>133です
>>250 貴方まだいたの?
婉曲的ではありましたが私の忠告を理解なさらなかったようね
犯罪云々は単なる表面的な文句で私の意図していたことは以下の通りです
ここは喪女板ですわ
板にはそれぞれにルールがございますがそれは御覧になられたの?
先ほどから子供じみた言い訳ばかりして見苦しいにも程がありましてよ
哲学以前に規定として男性の書き込みは禁止されているの
もう一度言いますわ……男性の書き込みは禁止されているの
理解なされたのなら早く立ち去りなさい
長々と居座られては目障りよ
肉体を通して哲学なさりたいのなら該当する場でおやりなさい
草むらで鮫を探すような愚考をいつまでも続けているんじゃないわよ
みっともないったらありゃしない
>>251 そんなに厳密にルールを守らせたいのなら、承認制のコミュでも開設すればよいのでは?
ルールを破る者はいくらでも出入り禁止にできますよ。
そして誰もいなくなった。
254 :
彼氏いない歴774年:2010/12/30(木) 02:50:29 ID:V/Fxl2U3
>>251 大多数の若者たちは、不躾と無作法を天真爛漫のつもりでいる(ラ・ロシュフーコー)
馬鹿につける薬はないってこのことかしら?
馬鹿に語りかけるのがいかに無駄な行為かがよく理解できたわ、ありがとう
256 :
彼氏いない歴774年:2010/12/30(木) 03:04:52 ID:ErRR9CX3
おとこはくんなよ。哲学語りたいのはよ―くわかったから哲学板にいったらどうですか?
そこなら人格うんぬんではなく純粋(笑)に哲学の話聞いてもらえるよ?
こいつじゃなくてこやつならそんなにむかつかない法則
258 :
彼氏いない歴774年:2010/12/30(木) 07:36:08 ID:V/Fxl2U3
イケメン「こやつは俺のもんだから手ぇ出すんじゃねぇよ!」
情けない ふしぎ!
260 :
彼氏いない歴774年:2010/12/30(木) 12:09:26 ID:OJ+cj7Sj
261 :
彼氏いない歴774年:2010/12/30(木) 12:26:24 ID:pqFY6PMF
ブス「恋愛とは性欲を昇華させた詩的表現に過ぎない」
オリラジ慎吾系イケメン「やりすてポイポイポポイ!」
モテるのは後者
>>133みたいな台詞をどんな容貌の人が言っているのか気になる。
たぶんメーテル似。
264 :
彼氏いない歴774年:2010/12/30(木) 13:45:54 ID:pqFY6PMF
多分メーテル似
の格好した鉄男似
265 :
彼氏いない歴774年:2010/12/30(木) 13:50:59 ID:pqFY6PMF
間違えた鉄朗似
999て結構残酷な話多かったよね
昔話と一緒で残酷でも教訓があれば叩かれなかったのかな?
ハガレンの犬と女の子繋げた話は残酷だって叩かれてたのに。
ハレンチ学園が叩かれてたのはウケルけどw
266 :
彼氏いない歴774年:2010/12/30(木) 13:59:33 ID:V/Fxl2U3
惚れた。
哲学する喪女の将来を想像してみる。0歳のころ、医者や弁護士、社長、
株主といわれる、いわゆる「貴族」の家系に生まれ落ちた。
親が考える幸せというのは、とにかくいい大学を出て、いい会社に就職すること。
その願望を実現すべく、娘は両親に膨大な教育費を注がれ、エリート教育を施され、
旧帝国大学と呼ばれる大学の哲学科に進学し、さらに外国に出て自分を磨くべく、
TOFLEで700点スコアを突破し、欧米の大学に留学することとなった。
そして帰国後は、経済的に富裕な実家の世話になりながら、
生活が安泰するまで脛を齧らせてもらい、専任講師のポストを得た辺りで
生活もそろそろ安定しだし、独り暮らしをすることとなった。
ここでそろそろ1つの悩みが浮上する。「そろそろ私も三十何歳。そろそろ結婚しないと
一生結婚出来なくなる。でもせっかく生活が安泰してきたのに、この生活水準を下げたり
することになるのもイヤ。下手に結婚するぐらいなら、独りの方が気楽で自由な生活が送れるというものだわ。」
こうして、娘はついぞ誰とも結婚をすることはなかった。結婚しようにも、
二流の学歴や二流の年収の男と結婚するなど、それはPhilosophy of Doctorのプライドが許さない。
周りの女性たちにも示しがつかないというものだ。
こうして、娘は持ち前の美貌と、帰国子女特有の卓越した英語力、
そしてPh.Dという名誉博士に次ぐ最高学位のもとに、周りじゅうの男どもを嫉妬させ、
それで虚栄心を満たしながら日々を送り、ついに来る時が来た。
そう、どんな超人でも、唯一どうしても勝てないものがある。それは「老い」である。
ついに腐り始める時が来たのだ。若かった頃に誇っていた美貌もついに朽ち果て、
学歴も地位も、何の効果も発しなくなる。頭脳明晰だろうが権力者だろうが、所詮ババアである。
こうして、権力闘争や見栄の張り合いという虚飾に塗れた生活に明け暮れ、
人生について、世界について、ロクに考えて来なかった娘は、そのまま老後に突入することとなった。
仕事も定年退職し、教授の地位も剥奪され、もう後は死ぬのを待つだけ。
この茫漠とした世界に放り込まれ、親から社会に放り込まれ、そうして世間から
帰ってきた娘は、今になってようやく自分のありのままの姿を見つめながら、
独り電気の消えた部屋で、布団を羽織りながら天井(虚空)を見つめる。
自分の人生を振り返ってみる。私の人生って一体何だったんだろう…
私が世間という外の世界に出て、持ち帰ったものは一体何だろう…
この、死が訪れるまでの間、せめて命を保護してくれるだけの、一軒家と年金?
英語が話せる? ババアにもなって外国行ってどうすんのよw
それにもう、体がしんどくてついていけないわ。 学歴が高い?大学教授やってた?
ババアがそんなこと言ったって、誰も振り向いてくれやしないわよ。
ああ、もう私に残されたのは「死ぬこと」だけなのね。
せめて、あの時、変な意地を張らずに結婚していれば、こんな私でも、
長年の愛着から私を愛してくれて、毎日抱き寄せてくれる男がいたのに…
そして、死に対する不安が「武装した兵士」のように襲いかかり、
心身共に弱りきっているところに、さらに追い打ちがかかってくる。
書店に行って本を漁っていると、何やら私の名前が取り上げられている。
興味本位でその本を購入して、家に持ち帰って読んでみると、ババアは驚愕する。
私の悪口が、さんざんに誇張された上で、あることないことまでボロクソに書かれているのだ。
今の私のあり様が、まさに世間に晒しものにされているのだ。これはたまったものではない。
もう何十年前の話だ。それにもう脳みそもボケだしている。アルツハイマーである。
こんな著者の名前なんて覚えちゃいないし、覚えていたところで顔が思い出せない。
顔を思い出したところで、もう何十年も経っているから、一致もしない。
でも、よおく自分の行動を思い返してみると、心当たりはあるのだ。
そういえば私、偏差値が最低と呼ばれている大学で働いていたことがあったわ。
そして、こんな連中の将来なんて、たかが痴れているわよと、生徒たちを見下し、黙殺し、
愉悦に浸るどころか、相手にもしていなかった。いやそれどころか、汚物を避けるかのように、
授業が終わるとさっさと教室を出て行っていたわ。
そこで初めて、娘、いや、もはや朽ち果てて何もないババアは、自分の行動を全身で後悔する。
結局私が世間で得て来たものは、何もなかった。むしろ憎しみを買っただけだった。
そして、世間からは用無しと判断されて爪はじきにされ、人から恨みを買ったまま死んでゆくだけ。
私は、売れない芸術作品を書きながら、予備校講師でお金を稼いであくせく働いている
人間をバカにしてたけど、結局彼らの方が色々なものを世間から持って帰って来たじゃない…
彼らが死んだら、大勢のファンが悲しんでくれる。人によってはテレビで死の悲報を流してもらえるし、
中には人類が滅ぶまで、永遠に彼の残した芸術作品が残る者もいる。
そして、新たな知的生命体が台頭してきた時、またその芸術作品を誰かが掘り起こして、
そこから失われた謎の文明時代が考究されるのだわ。でも、私は? その史料の中に、私はいない…
長いよ。
一行目「0歳のころ〜生れ落ちた」が笑うところか。
>>268-272に描かれた独身女性の生き様は、哲学からは程遠いね。
哲学科を出た人間が哲学的とは限らないことを象徴しているようだ。
>>107に書いたように、世間的な幸福を求めるなら哲学をすべきではない、というかできない。
自演かよ。