自分の祖父母は勿論
御年寄りから聞いた色んな話を聞かせてくれ
2 :
彼氏いない歴774年:2010/03/12(金) 01:15:25 ID:GDtUuhR5
終了
3 :
彼氏いない歴774年:2010/03/12(金) 01:21:31 ID:toer/au7
おばあちゃんからの聞いた話うp
ばあちゃん家では小豆を育ててたんだけど、
レシピ本には大体あんこを作る時は一回小豆を沸騰させて、
あくぬきしてざるに開けて、再度沸騰させて作るって書いてあるもんだけど、
あれは小豆の旨みをにがすんだって。
おいしいあんこを作るには、
ゆでる前に小豆を5回洗う→大量の水で茹でる
だけのほうがいいんだそうだ。
あんまりアクが多いときは、多少は取り除くけど。
あんこぐらい買えよ老害
5 :
彼氏いない歴774年:2010/03/12(金) 08:42:14 ID:gURdTkKd
ばあちゃんかわいそす
小豆はお手玉にも使えた気がした
6 :
莉奈:2010/03/12(金) 09:23:51 ID:iV4vIKdW
なかなか面白いスレタイだわ
既に変なのがチラホラ湧いてるけどな
>>3 そういう情報は御年寄りならではだねー
ウチのおばあちゃんも家であんこ作ってるけど
作り方とか聞いた事なかったわ。今度聞いてみる
いかを食べると生理が早く来る、だったかな
母ちゃんからの伝聞だから正しくないかも
月の1日にはあまりお金を使わない方がいい
10 :
彼氏いない歴774年:2010/03/13(土) 01:32:33 ID:dL2rlrgp
空気読まずに戦時ネタ。興味ない人は飛ばして下さい
3月10日に東京大空襲から65年経過ってニュースを祖母とコタツで見てた。
実家は栃木のド田舎(大学休みで帰省中)なんだけど「この辺でも空襲あったの?」と何気なく聞いてみたら
戦闘機が10機くらい編隊組んで飛んできたよーと色々話してくれた。
当時10代後半の祖母は何度か防空壕に避難したことがあって、間近に焼夷弾が落ちた時は死を覚悟したとか
近所の知人は畑仕事に行ってたら低空飛行してきたB29に狙い撃ちにされて亡くなったとか。
祖母のお兄さんもソ連軍との戦争で満州出兵したけど、敗戦して長江での集団自決で亡くなってる。
戦後にアメリカ兵が来た時は、敗戦国の人間は何されるか分からないって周りは怖がってたらしい。
そういう体験を思い出すから戦争関連の番組は大嫌い、
今は食べ物に困らないだけでも幸せな時代だよと言われた。
あと玉音放送は〜〜候とか、一般人には言葉が難解で何言ってるのか分からなかったそうで
人づてに噂話を聞いて終戦に気付く人が多かった。
他に話す機会もないので聞いた話をそのまま此処で書いてみました。
12 :
彼氏いない歴774年:2010/03/14(日) 05:02:28 ID:iAajZO+I
戦争の話って辛いけど語りついで行かなきゃダメだよね
13 :
彼氏いない歴774年:2010/03/14(日) 09:19:01 ID:3thDiMfR
老害は同じ話を何度もしやがるからウザい
しかも毎回つまらない
>>11 玉音放送のくだりは経験者ならではの話だね
ドラマでは聞いてすぐ泣き崩れるイメージ
15 :
彼氏いない歴774年:2010/03/18(木) 08:01:56 ID:ZgZBZaRU
age
この前、訊いた話。
結婚は恋愛でするなんていうのは30〜50年前には少なかった。
友人の家に遊びに言っている間に、結納まで済まされていて
相手の顔もわからないまま結婚した人もいる。すごいのだと、結婚式の
前前日に親或いは知人から知らされて結婚した人もいる。
でも、どちらもなんとか上手く結婚生活を続けて来れたらしい。
恋愛だけじゃないんだな。結婚生活に必要なものって。
でも、喪女の私には関係ないな。
昔は顔は不細工でも心根まで喪女・喪男な人は少なそう
家の内でも外でも物心つく前から濃い集団生活をしていれば
コミュ能力やそれ以外の能力も鍛えられるもんね
だからろくに知らない者同士でも結婚生活がうまくいったんだと思う
うちの婆ちゃん達は見合いだったんだろうか
今すごい仲悪いけど
じいちゃんから聞いた話
長野の広い土地で育ったんだと
外に行けば一面の雪の中温泉があり、木になる林檎を自由に食べてた
田舎で戦争もあまり関係なかったのか都会に住んでた婆ちゃんの話とは偉い温度差がある
ある時お母さんが病気になって、医者を呼んでくるのはじいちゃんの役目になった
雪に閉ざされてて医者のいるところまで迎えに行かなければいけなかったんだと
頑張って走ったけど、帰ってきた時にはちょうど亡くなった後だったらしい…
それが人生最大の心残りなんだって
その後は継母が来て子供産んで10人兄弟になったと
戦争も終わり農地改革で土地も無くなったさ〜(こら辺の話は忘れた)
高校は雪のせいでいけなかったらしい
婆ちゃんも貧乏で行けなかったらしく、高校を中退しそうになった私はかなり責められました
しかし九州の祖父母も子供5人もいたのに誰とも今交流してないよ
自分も兄弟仲悪いしなんかなー
↑
昨日自分が書いたんだが何が書きたかったんだろうね…
とりあえず昔布団の中で聞いた話
「いくつになっても女でいたい」
専門学校の実習先の老人ホームでお洒落好きなおばあちゃんが言ってた
やっぱり気をつけているんだろう、手も肌もつやつやだった
恋でもしてるんだろうか…
喪女には眩し過ぎる言葉を頂いたよ…
おばあちゃんでも、すごい肌つやつやの人いるよね
自分より潤いあるんじゃないかと思う
22 :
彼氏いない歴774年:2010/03/21(日) 10:48:34 ID:VLmFbwnI
髪の毛紫にしたりとかね
ああムラサキババアってやつな
何故殺伐とするのか
毎日最低限口紅はしてるという100歳のおばあさんいた
ぽたぽたやき
27 :
彼氏いない歴774年:2010/04/12(月) 14:30:28 ID:BNYkqIiM
ぽたぽた焼きは美味い
そういや私が小さい頃、ご飯粒を残すと目が潰れる、食べ物を粗末にするなって聞かされてたな
言ってるそばからおばあちゃん思いっきり残してた…
18だが爺ちゃん死んでしまった…
書いた時会いに行けば良かった……
>>29悲しいね。
亡くなった人はたくさん思い出を浮かべてあげると喜ぶんだって。
うちの爺ちゃんは戦時中フィリピン〜タイの方にいた。
島に上陸したと同時にパパパパと爆撃飛んできて必死で逃げたり
ジャングルで虎やライオン、ワニにおびえながら進んだそうな。
爆撃で死ぬよりも虎に襲われて死ぬのもたくさんいたと聞いた。
ある日防空壕の穴をつくり一人分を堀り終えたところで
敵機が爆弾落としてきた。
二等兵だった爺ちゃんは自分より側にいた中尉にその穴を譲った。
そのすぐあと中尉のいる穴に爆弾が落ちてしまったと。
九死に一生を得た話をなんども体験した爺ちゃん。
94歳で心臓肥大ですがなんとか元気にやってます。
ありがとう
いっぱい思い出してるよ
良スレage
私のおばあちゃんは戦時中スバルの前身だった会社で飛行機部品を作っていたそうな
あと需要があればそのおばあちゃんのひいおじいさんが狐に化かされた話もするよ
マジな話お年寄りは早く死んでくれた方がいいよ
痴呆とか入院とかになると半端ないお金と手間がかかるし本当に面倒
最低だとか思うかもしれないけど当事者になれば分かるよ
マジで地獄
おじいちゃんとおばあちゃんなんだが、戦時中の話が大きく違う。
おじいちゃんは予科練出て特攻に行く予定日の数日前に終戦だったらしい。
おばあちゃんは北海道で馬車に乗って学校に行ってたらしい。
so
>>34 痴呆で入院が長く続くとお金がかかるのは分かる。
でも悲しいこというなよ。いずれ自分も似たようになるだろうし。
人によるけど普通に現役で働いたお年寄りは
自分が入る施設代+葬式代+墓代までちゃんと蓄えてある人多いよ
人様(家族にも)なるべく迷惑かけちゃいかんって感じで。
というわけで年寄り話なんでもよろしく
39 :
彼氏いない歴774年:2010/04/18(日) 02:25:58 ID:VicEvgnr
うちのばあちゃんは山椒の葉はパーンッって叩いてから使うと良いと言ってた
おじいちゃんとおばあちゃんは戦争の話してくれなかったな
きっとつらくて話したくなかったんだと思うんだけど
戦時中は満州で汽車の運転手をしていたらしい
日本に引きあげるすし詰め状態の船に乗る時に
「この手を離したら二度と会えなくなるからね」
って言われた時の怖さと繋いだ指の痛いくらいの力は死ぬまで忘れられないって
父より15歳年上の叔母が話してくれた
戦争中戦艦に乗ってたじいちゃんは爆撃にあい泳いで島までたどり着いた
力尽きていく仲間たちを助けることができないのは辛かったらしい
自分のことで精一杯で
海はどこまでいっても海だった、って言ってた
14で母方の祖母が亡くなり(母方は祖父はいない)、18で父方の祖父が亡くなり、20前後で父方の祖母が亡くなった。
父方は全然可愛がってもらえなかったから母方の祖母が唯一「おばあちゃん」と言える存在だな。
おばあちゃんね、いつもじゃないけどおこずかいくれた時あって、年金から出してるから『いいよ』って私が断ると「子供が遠慮なんかすんな!」っていつも手にお金をぎゅっと押し込まれた。
おばあちゃんウニ好きだったな…まぐろとか海鮮が好きだった。
最後はくもまっか出血(←変換出来ない)になって倒れた。
一人暮らしだったから発見が遅れて、12日くらいが山です。と言われたら本当に12日頃亡くなってしまった…。
その前に最後かもしれないから、って会いに行った時意識不明だったのに親戚の誰かが「○○来たよ、おばあちゃん。○○だよ。」って言った。
私も『○○だよ。来たよ、おばあちゃん』って手をさすってたら微かだけど指が動いたんだ、本当一瞬だけど。
その後も何回か動いて、何だかたまらなく嬉しかった記憶がある…
お墓参り最近行ってないから行こう。
うちの父方の祖母の父親(曾祖父)は沖縄の離島で戦った
一般人だが射撃が上手かったせいで重宝されたのか、何回か大陸に送られたあと背中に銃弾を浴びて帰還
寒い所だと上手く身体を動かせない状態になるも、休む間もなく今度は沖縄方面へ(そりゃ暖かい所なら多少はマシかも知れんが…)
その際、地元にある出征兵士を一時的に集める宿舎?まで婆ちゃん(当時二十歳)が送って行ったんだが、道すがら小声で言われたそうだ
「自分のような傷痍兵まで駆り出さなきゃならん状況なんだ、日本はもう負ける。お前はまだ若いが長女だから、母さんや弟たちをしっかり守ってくれ」
「滅多なこと言わないでよ」と婆ちゃんは言い返したが、その日の晩は涙が溢れて眠れなかったそうだ
因みに、それまでの出征では宿舎?で軍服に着替えた後、着てきた私服を渡す為に家族と面会する時間が設けられていて、それが実質的に家族と話ができる最後の時間になっていた
今回も同じように祖母らは面会時間を待っていたのだが、いつまで経っても兵士たちは現れない
不審に思っていると扉が開いて事務方の人が荷物を抱えて登場「ここに御家族の方の着替えた私服がありますから、それぞれお持ち帰り下さい」
驚いた祖母らが「本人はどうしたんですか?」と尋ねると
「皆さんの御家族の部隊は既に出立しました、もうここには居ません」
悲しいわ腹立たしいわで、なんとも言えない気持ちになったと祖母は話してた
単なる事務的なミスなのか、何らかの理由があってわざと面会させなかったのかは不明
その後、何回か沖縄からハガキが届いた
「魚釣りをしました」「景色がたいへん綺麗です」などの当たり障りのないハガキの後に、髪と爪だけが納められた封筒が届き、音信不通に
やがて敗戦
しばらくして復員した兵士の名前が読み上げられるラジオから曾祖父の名が聞こえる
慌てて家族みんなでラジオの前に集まって耳を澄ますと、再度名前が読み上げられた(二回読み上げるらしい)
良かった、お父さん生きてたんだね、と家族みんなで涙を流して喜んだそうだ
さっそく祖母が福岡まで迎えに行ったんだが…窓口で確認すると「その方は既に家族が来られて帰郷されましたよ」とのこと
同姓同名の別人だったのだ
この時ばかりは「家に帰りたくない」と心の底から思ったと祖母は言う
あんなに喜んでいた家族になんと告げれば良いのか、と
曾祖父の戦死と戦況が分かったのは、それから10年ほど経ってからだった
じゃあ祖母の曾祖父が狐に化かされた話を。
おそらく明治か大正の話かな
祖母の曾祖父(以下おじいさん)は当時リアカーで行商をしていて、家に帰る途中だった
しかし、家に帰るには坂の多い地区を通らなければならない
重いリアカーを引いて薄暗い坂を上るおじいさんの前にとてもきらびやかな着物を来た美女が現れて、
「お手伝い致しましょうか」
と言った
とてもきつい坂だったので女にリアカーの後方を押してもらいつつ上っても、ちっとも坂の頂上へたどり着かない
不審に思ったおじいさんが振り向くと…そこに女の姿はなかった
ってだけw
長い癖にこんなオチでごめん
祖母は嘘つきで有名だから誰も信じてないw
けど平家の落人の村とか住民全部が同じ苗字の村とかも近くにあったから話的にはそっちの方が面白そうかな
45 :
彼氏いない歴774年:2010/04/18(日) 18:00:06 ID:+IZbH0x0
勉強になります
うちの祖父は終戦で南方から帰国した際
遥か遠くに日本の地をみたことが一番嬉しかったと言ってた。
日本を出たときは広島港からで、そのときは街があったのに
帰国後降り立った広島の街は壊滅状態で愕然としたらしい。
戦争の話じゃないけどおばあちゃんから
「◯ちゃん、ココは大事にせんといかんよ」と
股間をぱんぱんと叩かれたことある
大事にしてます
良スレハケーン
あまり感動的じゃないかもけど一つ
ひと月ほど前に祖母に聞いた話
十数年前、ばあちゃんの暮らす里の奥にあたる山の中に空港ができた
これまで人のあまり立ち入らなかった深い山で、それを切り拓いたらしい
それからというもの山奥に餌がなくなった野生動物が次々と里に下りてきて、
農作物を食い荒らすようになった。
ばあちゃんの家の裏山には竹林があって、私も昔はよくタケノコ掘りにくっついて行ったけど、
今ではみんなイノシシが食べてしまうため人間のぶんはもう採れないらしい
そして若い竹が増えなくなったため、数年のうちに竹林は枯れ果ててしまうだろうと言ってた
畑のトウモロコシは鹿に食べられるし、スイカは青いうちからタヌキが全部かじってしまう。
今ではばあちゃんもその近くの農家も、鹿が飛び越えられない高い高い柵や、
触れると電流がながれる有刺鉄線なんかで田畑を囲って、
その中で作業しなければならなくなった
ばあちゃんは、
「自然が怒って復讐してるのさ。昔は人間が動物をオリに入れて外を歩いてたけど、
今じゃ人間がオリの中に入って、自分たちの食べ物を作ってるんだよ」と言ってた
妙に実感こもってて印象深い話だった。
長文スマソ
いい言い回しだね
52 :
彼氏いない歴774年:2010/05/04(火) 21:53:27 ID:kw+XUbde
空港いらないよな、こんなにたくさん。。@茨城県民
スレタイからずれてるかもしれないけど書いてみる
私が言うのもアレだけど、私のじいちゃんは孫バカだった
欲しい物は何でも与えてくれたし
怒りもしないで悪い事をしても笑って許して褒めてばかり
そんなじいちゃんだったけれど
一度だけ大声で怒鳴った日があった
いつもと違うじいちゃんが怖くて怖くて
まだ幼かった私は布団の中でじいちゃんに
嫌われたんだってショックで泣いた
後々聞いた話だけれど
じいちゃん家は戦時中の食料不足に悩まされ
毎日三食芋の日で大変だったんだと
それで食べ物を残すことに関しては厳しい人だったらしい
幼い頃、好き嫌いが激しかった私
ばあちゃんが一生懸命作ってくれたご飯を
沢山残した私を見てじいちゃんは
怒ったんだと納得した
今はご飯をいくら残したところで
じいちゃんは叱ってくれない
怒鳴り声でもなんでも良いからもう一度じいちゃんに会いたいわ
ほしゅ