340 :
彼氏いない歴774年:2009/12/03(木) 23:59:34 ID:ozSdAiJn
違う部署だけど入社以来世話になってる人たちから、お見合いすすめられた。
お見合いなんて嫌だから断ってるけど、やたら熱心にいわれて、
わざわざその人がいる支店に用事作って見に行った。
あまりに理想のタイプまんまでポーっとなっちゃって
こんなの夢だよ、
こんな人がまさかこんな自分と結婚してくれるわけはないって思った。
でも会ってみた。
びっくりした。
自分と趣味が同じ人っているんだね!
何回か会った。ガチガチに緊張するから、一対一では会わないようにしてた。
でもお互い結婚意識して、間に入ってくれてる人たちや親もみんな認めて
婚約間近って段階までいった。
うわあ、人生って捨てたもんじゃないなって思った。
ところが、社内の別の派閥のトップが行きなり相手に縁談持ち掛けちゃった。
断るかと思ったらあっさり受け入れちゃって・・・。
向こうのお父さんお母さんとも急に音信不通。
みんなリストラがこわくて黙っちゃった。
もうすぐ結婚式だってさ。
不幸中の幸いは、悪口いうつもりじゃないけど
おかげで、自分が思ってたような人でないってわかったってこと。
醒めちゃった。
いい勉強になったよ。
341 :
彼氏いない歴774年:2009/12/04(金) 00:18:03 ID:Vm+nmk1S
フラれたばかりの男性を好きなった。
タイミングよく私が仕事やめたばかりで、仲いい友人とともに、何度か遊んだ。
ある日、みんなで遊んだ後、終電の関係で二人きりに。
彼は私の車に乗って、飲み直しに行くことになった。
ほろ酔いの彼が手をつないできてくれて、
思わず、告白したんだよ。
そしたら、私の事好きだけど…って断られそうになったんだけど、
真剣に言い続けてたら、実ったんだよ。
それから10日間、時間作って会いにきてくれたり、
彼の友人と一緒にあそんだりした。
あそんでる最中もこっそり手をつないでくれたり、
何気ない瞬間にキスしてくれたり。めちゃくちゃ幸せだった。
でもね、私、海外行く事になってて、離ればなれになることが決まってたんだ。
前日の夜、私いなくなったら寂しい?って聞いたら、
ちょっとムっとして何も言わなかった。
搭乗口で、仕事中の彼に電話したら、長い着信音の後に、息切らして電話出てくれて、
ありがとう。気をつけて。って言われた。
飛行機の中で新婚旅行のカップルの隣でわんわん泣いたよ。
彼が歌ってくれた『3月9日』聴きながら。
現地に着いて、インターネットカフェでメール確認したら、
彼からのメールが届いてた。
『あのとき、言えなかったけど、俺、今、すごく寂しい。君は僕の大切な人です。』
って。
その後、4ヶ月間、メールも交換してたんだけど、
帰ってきたら、そんなメール無かったかのように、冷たかった。
結局、元彼女と戻ったらしい。
そんな10日間が私の人生で1番幸せだった時です。
鬱で精神的におかしい母が私が保育園に通ってた時保育園をさぼって2人で公園で遊んだ事が楽しかった
あの時から母は変だったけど楽しかった
良い天気で平日だからあんまり人もいなくてアスレチックで遊んだ
楽しかったなー
>>184 素敵だ
あと当たり前かもしれないけど、幸せな記憶の傍らには
いつも誰かの笑顔があった気がする。そして自分もその時きっと笑顔だったんだと思う
月並みだけど笑顔は大切にしようと思った
このスレを読むとき(特に家族関連)のBGMには
・スプーン/藍坊主
・親知らず/チャットモンチー
がオススメ
目から液体がとまりません
みんなに比べれば軽すぎる話なんだが
私は3人姉妹の真ん中で、姉が県外に出ると、私と妹は急激に仲良くなった。
学校から帰ってくるといつもくだらない話しながらご飯を食べた。
ニュースのアナウンサーの動きがおかしいだなんてくだらないことでケラケラ笑ったり、
学校の話したり、スーファミしたり、ほんとにくだらないが毎日がとても満たされていた。
私の部屋には廊下から開けれる窓があったんだが、妹が急にそこを開けて「飴ちょうだい!」と言うのをよくやっていたのをよく覚えている。
本当に平和で幸せな日々だったよ。
今では私も妹も県外に住んでて、今でも仲はいいけど私も妹もあの頃と比べて変わってしまったよ。
もう一生あの頃には戻れないのかと思うとさみしいです。
長文すまん
3兄妹の末のため、親が少し高齢だった。そして私が小5の時に大好きな母が他界した。
それから父がひとり手で兄妹3人を育ててくれた。
中学のとき、私は友達の影響で良いことと悪いことの区別がつかない時期があり、度々父に反抗しては苦労をかけていた。
ある時また父ともめていたら、突然平手打ちをされた。
びっくりした私は悔しくて泣きながら家を飛び出し、その日は家にかえらなかった。
次の日、意地をはってまだ家にかえらずに公園や街をふらふらしてた(ど田舎です。)。暗くなり、今日はどこで夜を明かそうかとあまり車が通らない道を歩いていたら、後ろから車がきて私の横で止まった。父だった。
私は何故か父を見ると安心してしまい、糸が切れたように泣きだしそのまま車に乗って家へ帰った。車内で父は怒りもせずにただ黙ったままだった。
後から兄に聞いた所、父は2日間ずっと街中を私を探してくれていたそうです。
今となってはひとつの思い出話しとなったが、当時は本当に父に迷惑かけたなあと反省しています。
父は今も元気で、まだ自立しきれていない私を支えてくれています。
本当にいい父親です。お母さんが亡くなって何年もたつ今も、昔と変わらないぐらい愛しているそうです。
お父さん、天国でお母さんが待っていると
思うけれど私が親孝行するまで元気でいて下さい。
あわわなんかスレチになってしまってすみません。スルーして下さい。
347 :
彼氏いない歴774年:2009/12/05(土) 04:58:25 ID:iExsXYbd
>>346 いやいや 感動しました。
良いお父様ですね。親孝行してあげてください。
家族とのあったかい思い出話が書けるみんなが羨ましいよ。
うちは、両親ともに、基地外だからさ。
文句や怒号以外の会話をもう何年もしてないよ。
家族が愛せる喪女はきっと、幸せがかえってくるよ。
コチラコソ、スレチごめんなさい。
皆さんがもっともっと幸せでいられますように。
おやすみ。
348 :
彼氏いない歴774年:2009/12/05(土) 12:26:37 ID:2O0ztQd9
小学生の頃。
土曜日学校から帰ってくると、母が仕事だったためいつも父しかいなかった。
お昼に父が近所の肉屋さんで買ってきたコロッケとハムカツを食パンに挟んで、父兄私で食べた。
食後、父がやっていた新聞の集金に付き合って自転車の後ろに乗せられて二人で出掛けた。
その帰りに駄菓子屋さんに寄り、たくさんお菓子を買ってもらった。
夜になり母が帰ってきて夕食を作る音を聞きながら猫と戯れる。
家族全員で夕食を食べ、私は父の足の間に座り一緒にテレビを観る。
私がそのまま寝てしまうと父は黙って私を寝室へ運んでくれた。
あー改めて思い出すと幸せだな。まぁ今でも父母は健在だし幸せっちゃー幸せなんだけど。
小学六年生の時。
友達と一緒に馬鹿やってはしゃいで、訳の分からないしりとりして。
小学六年生といったら下ネタに興味を持つ頃。
くだらない下ネタの言い合いもしたw
周りにはたくさん友達がいた。
あの頃が私の人生のピークの様な気がする。
今もその友人達とは仲が良い。
ただしクラスが違うから中々話せない。
自分のクラスには友人が一人も居ない。
私はすっかり暗くなった。
小学六年生の頃は明るかったのに。
友人達は変わらない。
元に戻りたい
幼稚園の屋上で、子供バザーみたいな催しの日があり、
みんなが手づくりのものを用意して、おもちゃのお金で売り買いをした。
屋上には太陽の光が溢れていて、敷かれた人工芝の緑が鮮やかで、白いコンクリートの壁が光ってた。
みんなの手づくりの細々した品が大切に並べられ、おもちゃのお金もきちんと分けられて。
お母さんや先生たち大人はみんな優しくて、子供たちはみんな守られて愛されてるような安心感があった。
その催しが楽しすぎて、楽しさが溢れだした。胸が踊るってきっとああいう感じだろうな。夢だったかのような幸せな思い出。
351 :
彼氏いない歴774年:2009/12/06(日) 17:37:47 ID:SW/TcnVL
ちょっと泣いた
352 :
彼氏いない歴774年:2009/12/06(日) 19:38:57 ID:HRrEYMpE
>>349と似てるけど
小学5年生くらいから友達三人と私で下ネタ言い合ってゲラゲラ笑ってた
放課後、等身大鏡の前で担任の先生を巻き込みながらオリジナルのダンスを踊ったり(しかも結構完成度高い)
箸が転がっただけで爆笑したり、すっごく楽しかった。
中学上がってすぐクラス離れて、もうほとんど会話しない
楽しかったのになぁ
父は亭主関白ですぐ怒鳴ったりして小さい頃から怖い存在だったけど、
よく思い出すと夕方散歩に連れて行ってくれて、赤トンボの捕り方とか、
ほたる見に行ったり、お豆腐買いに行ったりしたなぁ。
お豆腐屋さんは揚げたての油揚げをおまけでくれて、それに醤油かけて父と食べた。
時々料理する父で、父の作る料理って濃くて適当な感じだけど、また食べたくなってきた。
冬には雪の滑り台作ってくれて日が暮れるまで遊んだなぁ
小学校
つつじの蜜を吸いながら、20分位の距離を一時間位かけて皆で下校してた
近所の犬をみんなで可愛がっていた
中学校
好きな子に数学の宿題を教えてもらって、友達とくだらないことばかり
いつでもしゃべってた
手紙ばっかり書いてた
高校
毎日通学路で会う人がいて、話したことはないけど不思議な関係だった
朝の川辺はいつも美しくて、冬の澄んだ空気の中を友達と自転車で
こいで行くのが好きだった
大学
お酒が入ると皆すなおになって、たくさん話をした
やっすい居酒屋でも、お洒落なダイニングでも、壁やソファにもたれて
笑って泣いて沢山の感情を共有した
意外と小さいことが後で幸せだって思い返すんだなー
来年からの社会人生活も幸せだといいなぁ
・私が幼稚園の頃、飼ってたハムスターが死んで酷く泣いてたら母親が父親に電話してくれたこと
両親が仲の良い記憶はこれが唯一。
・父の作ったマーガリンを塗ったべっこう飴がおいしかった
冷蔵庫から出してくれたのを覚えてる
・父と兄と3人でよく行った鯛の釣り堀
幸せな思い出のはずなのにどれも思い出すと悲しい
いい歳こいていつまで親の離婚引きずってるなんてみっともない
嫌なことや辛いこともあったけど部活一筋で生きてた中学の頃が1番輝いてたな
勉強もできたし、周りに実力を認めてもらえたのが嬉しかった
友達と下らない冗談を言って毎日涙が出るほど笑いあった
最後にお腹痛くなるほど笑ったのはいつだったかな
358 :
彼氏いない歴774年:2009/12/06(日) 23:09:59 ID:aa5s4EvE
部活は続かないし友人とは上辺だけの関係ばかりだったし
学校で実ったものがあまり見当たらない
今も同じ
大学は少しは違うのかな
>>356 みっともなくなんか、ないよ。親の離婚で傷つくのは当然だと思うし。
私は、小学生の通学路を思い出した。桜並木で桜がまいおちる中を歩いた。
土曜、その日から家族でキャンプに出発する日だった私は桜並木を駆け抜けた。
友達が一緒に走ってくれた。脇腹が痛かったが、「キャンプっ!キャンプっ!」と掛け声かけて走った。
友達は予定がなくて悪い気がしたが、みたいテレビあるじゃんとか何か見つけたら友達も嬉しそうにしてくれて、
「キャンプ!キャンプ!テレビ!テレビ!」と二人で掛け声かけながら走った。
桜が舞ってた。
じゃあねと笑って友達と別れた。
桜並木の終点にある角を曲がれば、私の家。
良スレ
362 :
彼氏いない歴774年:2009/12/08(火) 01:18:48 ID:6URgwwO4
冬の日、こたつに入って小学2年生とか読んでた時。
グレチキとか懐かしいなー。
高校生のときに、一回だけタメのイケメンとバイトの帰り一緒に帰ったこと。
距離も短かったし自転車だったからすぐ別れちゃったんだけど今思うとすごく幸せだったなぁ・・
男性と一緒に帰るなんて後にも先にもこれっきりなんだろうな〜
>>344私はバンプのRIPだな
死んだおばあちゃんとの思い出とかブワッと蘇ってくる
両親が共働きだったので代わりに保育園にお迎えに来てくれたり、学校行事に来てくれたり
いつもニコニコしてて明るくて大好きだった
学校でいじめられた時もただ一人私の味方をしてくれたし心配してくれた
もしまだ生きてて今の私を見たらどう言ってくれるのかな
どんな話をするのかな
そんなことばかり考えてしまう
居なくなってから大切さや一緒に居れることの幸せさに気付くんだよね
365 :
彼氏いない歴774年:2009/12/08(火) 23:26:10 ID:F5+Q/Uyt
良スレ保守
366 :
彼氏いない歴774年:2009/12/08(火) 23:30:20 ID:zQCpqbrq
中2がやたら楽しかった
勉強も運動も恋なんかもしちゃってた
約14年前の話
充実してたなぁ〜
367 :
彼氏いない歴774年:2009/12/08(火) 23:44:57 ID:6WVyshW7
>>362 グレチキ懐かしいw
目の細い白いほうの人が好みだったなぁ。
似た男の子にほれ、一緒にお酒のめて嬉しかったなあ
いまは森山未来が好きだ。
368 :
彼氏いない歴774年:2009/12/08(火) 23:45:35 ID:0GvsZyjY
昔、母と母子寮に住んでた頃。
朝7時半くらいになると、ヘアバンドで髪の毛上げて
デコ全開にして化粧しかけの顔で
「ほら喪女、起きて。保育園行くよ」って起こされたこと。
今は母も再婚して、妹もいるし、経済的にも今の方がいいんだけど、
幸せな頃って言われると、いつも母子寮で暮らしてた時のこと思い出す。
贅沢だね、私。
小4の時、クラスで菌扱いされてた。
席替えすると隣の子が「最悪〜」と
席離して周りが笑う→先生「ハイ静かに―」
という流れがお約束。
夏休み明けの席替えでも、隣になった男子が
「最悪〜!」って騒いだ。
更に「誰か代われよ〜」「無理!」
と盛り上がった。
惨めで泣きかけてたら、私の前だったT君が突然立ち上がり、
「よし、俺じゃあ喪山さんの隣」
と言って、机を私の隣に持ってきた。
おとなしいT君の行動に私も先生もみんなも唖然。
T君が「そんでテストの答え見せてもらう」
と言ったらみんな笑った。
でも前みたいな嘲笑じゃなくて、私も一緒になって笑えた。
結局T君はカンニングしなかったし、なんと毎日私に話しかけてくれた。
そして私はなぜかいじめられなくなった。
席替えから1ヶ月くらいした時、T君が
「もっと早く喪山さんに話しかければ良かった〜」と言った。
彼は何となく言ったんだろうけど、私はこの言葉に泣きそうになった。
何だか私自身の存在を認めてもらえたような気がした。
T君とは中学が離れた。
15年経つけど今でも思い出すと胸が一杯になって、
涙が出そうになる幸せな記憶。
T君のようにさりげなく優しくできる人になりたい。
371 :
喪女じゃないけどゆるして:2009/12/09(水) 02:01:21 ID:jZ1PqGQ4
一番愛していた彼と一緒にうたたねをしていた時のこと
浜崎あゆみのVOYAGEで「僕達は幸せになるためこの旅路を行くんだ」ってBGMが聞こえてきた
彼の腕の中で、そうなると疑わなかったあの日々
その彼は今は妻子持ちで新しい幸せをつかんでいる
私はあの時から、時間が止まったまま…
372 :
彼氏いない歴774年:2009/12/09(水) 02:15:09 ID:nd9/gagv
別の時間がはじまりゃいいのさ。
高二の時の部活
クラスには一人も友達が居なかったけど、
部活では友人とも後輩とも仲良くやってた
毎日冗談言って笑ったし、呼吸が出来ないほど笑ったことも有った
余りに違いすぎてクラスでの自分がぼっちだと知れるのが凄く怖かったな
これが一番近い幸せな記憶
自分高二で不登校になってるのに変だなあと思うけど
不思議なんだが何故自分が不登校になったのか覚えてない
あんまり思い出さないようにしてたせいなのか、でもそう何年も経っていない
多分忘れたのは出来事の記憶では無く、感情の記憶だと思う
一体何が辛かったんだか
辛い記憶がすっぽり抜けて幸せな思い出だけ残ってるわ
本当に人間の脳って都合良く出来てるなあと思う
374 :
彼氏いない歴774年:2009/12/09(水) 03:55:56 ID:7DrCPWde
ばあちゃんのつくるナポリタン
小学生の頃、頭が割れそうに痛くて泣いてしまった私にばあちゃんが作ってくれた。
今思うと頭痛の子供に出すものじゃないけれど、でもすごく美味しくてびっくりしたのを覚えてる。
少し油が多目でギトギトの、あのナポリタンは最高の幸福の味。
ナポリタンに限らずばあちゃんの作る料理はすごく適当なのに、なぜかどれも美味しい。
インスタントラーメンやカップメンさえ、ばあちゃんが作ると不思議と格別に美味しい。
特別なことなんて何一つしていないのに。
私は母といつも首を傾げる。この美味しさは何なのだろう。
あと何年、あの味を味わえるのかな。
ばあちゃん、この味だけはまだ思い出にしたくないよ。
まだまだ、私にナポリタン作ってね。
375 :
彼氏いない歴774年:2009/12/09(水) 04:16:10 ID:cVqY7Vld
小学校高学年の担任の先生が素敵で、たまに自分に構ってくれると嬉しくて仕方なかった。先生は初恋の人でもある。
その先生のおかげで、クラスの雰囲気も良く、毎日が楽しかった(4年生まではいじめられっ子だったから)
幸せな二年間だった。
376 :
彼氏いない歴774年:2009/12/09(水) 04:25:42 ID:OTGl5kjC
中2の冬、学校行事で広島に行った帰り。
帰る頃には辺りは暗くて
チラチラ雪が降っていた。
旅行のバスから降りると おばちゃんが傘をさして
迎えに来てくれてた。
どうしてその時間帯に バスが着くって知ってたのか今となってはもう分からないけど
あの時は嬉しくて嬉しくて。
優しくて大好きだったおばちゃん
冬になると思い出す暖かいあの帰り道
377 :
彼氏いない歴774年:2009/12/09(水) 04:27:49 ID:HTWSKjfQ
いいスレだ
>>370 男の子の心根にじんときた。
彼みたいな人いないかなーじゃなく、彼のようにやさしくなりたいという貴女にも、じんときたよ
19の時に母が急死したんだけど、その半年くらい前になぜか思い立って家族全員でディズニーランドに出かけた。
しばらく家族旅行なんてしてなかったのに。当時私はメンタルが弱くて専門学校中退してひきこもってて、だいぶ母に心配をかけてた。
アトラクションはそんなに乗らなかったけどパレード見たりして母が一番はしゃいでたなぁ。
父も夢中でカメラを構えてて、モノレールの中でうとうとしてる私の写真なんかも撮ってた。
ディズニープリンセスがプリントされてるオルゴール内蔵の可愛いジュエリーボックスをおねだりしたら買ってくれた。
母に買ってもらった最後の物で、今も大切にしてる。
その時撮った最後の家族写真をもう一度見たいんだけど、見つからない。
おとこ○ね?
小さい時に離婚して母一人、子一人で母親にべったりのマザコン。
機嫌を損ねないように、望む優等生を幼少から演じてた。
家の近所に姉妹のように育った従姉妹が一人いた。
小さい時にズボンしか履かせてもらえず、恥ずかしくて制服のスカートが嫌だと
ギャン泣きした中学時代もだんだん周りになじめず半分不登校になった高校時代も
キレるおかんに向かって「あの子にはあの子の言い分もあるし個性もあるから・・・」
となだめてくれたり、「おかんも心配であーだこーだ口を挟むんやけん。・・・あんたも
不満ばっか漏らすんじゃあかんやんな?」と優しく諭してくれた。
更年期障害とうつ病のおかんと不登校で引きこもり娘の仲裁をしてくれるおねえちゃん。
時は経って親のすすめで推薦で大学に進んだものの、何をすればいいか分からないこと
に気がついた。
成績を競わない学びなんて分からない。友達の作り方が分からない。やりたいことの
探し方が分からない。自由をどう使っていいのか分からない。お洒落は興味ない。趣味もない。
親の言う通りのいい子を演じてたツケが回ってきた。
無駄なお金を使わせてしまって、期待を裏切ってしまって申し訳ないと思いつつ泣いて大学
辞めたいとお願いしたら「辞めるなら勝手にやめろ!この負け犬!ついでに出てけ!!!」って
言われた。ショックだった。ああ、優等生じゃない自分はいらない子なんだなあって思った。
出ていってバイト生活する私を「おかんは商業高卒にコンプレックスあんねん。学歴社会で何度も
悔しい思いもしたんよ。一人娘だけん余計に不自由なく立派に育てたいって思いはくんだってな。
・・・それにしてもしんどかったな。よう頑張ったな。よしよし・・・人生は用意されるもんじゃなくて
自分で選べるもんやけんな、これからいくらでも花咲かしゃええねん」
夜中におねえちゃんの車の中で生まれて始めて大泣きした。
後日、おかんにも「あんだけ立派にひとり立ちできる子なんてそうそうおらんで。気張ってよお
頑張っとるわ。自分のレールに敷かずに見守ってあげてや?」と再々フォローしてくれてたのを
知ってまた泣けたw
一度だけですが。
部活で昼食を食べるとき、たまたま好きな人と隣になった。
昼食は弁当とペットボトルのお茶だった。
私はお茶を途中まで飲んでいたところで先輩に呼ばれたので、ふたを閉めて席を立った。
用が済んで戻ってみると、
な、なんと好きな人が間違えて私の茶を飲んでいるではないか
まさかの間接キスw うはwww うれしいwww
弁当よりおいしい展開だった。ごちそうさまでした。
385 :
彼氏いない歴774年:2009/12/11(金) 09:53:03 ID:ExkQgn1z
age
小学校高学年の頃。
クラスの女子全員からハブられ、一部の男子とだけ仲良くて
特に仲良い男子3人といつも一緒に行動してた。
ちなみにその中の1人が好きだった。
ある日いつも通りその3人と下校してたんだけど
3人がカードゲーム?か何かの話に夢中になって、歩く速度が遅くなった。
ゲームの話についていけなくて、少し前をゆっくり歩いてたら
「アイツわざとゆっくり歩いて男子待ってるでプークスクス」
「お前となんか一緒に帰りたくないっちゅーねんプークスクス」と
男子3人の更に後ろから、クラスの女子が嘲笑している声が聞こえた。
恥ずかしくて悔しくて、でもここで走ったりなんかしたら余計悔しいし
かと言って女子の嘲笑に耐えて歩くのもキツイ…と思ってたら
後ろから男子3人がパタパタと走ってきて私に追いついた。
そして「ごめんごめんwつい夢中になってw」なんて言いながら
何事もなかったかのように私を混ぜて会話しはじめた。
後ろからは、女子達の「えっ?」という声が聞こえた。
泣きそうなくらい嬉しかった。
もう一年たつ。生まれて初めてリアルで好きになった既婚の上司から電話をもらった。
所属は同じだけど勤務地が離れてなかなか会えなくて淋しくて死にそうだった時。
1時間半も話してくれて、また連絡するからお前もメールしろよって言ってくれて、嬉しくて泣きながら話してた。
主任はおりこうだから
なんでもできるよ
主任の夢は
全部叶うから大丈夫だよって言って励まし合った。
彼とどうこうなろうという気はさらさらなかったけど、初めて好きになれた男性で、どんな関係でもいいから一生縁を紡ぎたいと思った人だった。
今はもう二度と同じ気持ちには戻れないけど、一生忘れないし、きっと死ぬ前に彼を思い出す。
長文失礼。