スペインで、内戦とそれに続くフランコ独裁体制時代に行方不明となった犠牲者の調査が続いている。活動の中心を担うのは遺族や
民間団体だ。民主化移行時に国民和解のため、過去の犯罪を不問に付した経緯から、政府には真相解明に積極的になれない事情が
ある。民主化から35年−。遺族の不満は募るものの和解の「礎」は崩せず、関係者の苦悩は深い。
昨年12月上旬、マドリードの北約150キロの街アランダデドゥエロ。丘陵地の共同墓地の中心に高さ約2メートル、幅約10メートル
の石碑が建つ。内戦や独裁体制時代の犠牲者の追悼碑だ。
1930年代の内戦では当時の共和国政府軍とフランコ将軍の反乱軍が熾(し)烈(れつ)な戦いを繰り広げた。勝利した反乱軍の
犠牲者は追悼されたが、「共和主義者」としてフランコ側に虐殺・処刑されるなどした犠牲者の実態は不明のままだった。
街では遺族らがここ10年、生存者の情報などを元に集団墓地の調査・発掘を行ってきた。「頭蓋骨にピッケルで殴られた痕が残って
いた。でも、遺体が見つかり、肩の荷が下りた」。祖父の遺体を見つけたという、地元で農業を営む男性(56)はそう語る。
街周辺の行方不明の犠牲者は630人。これまでに約500人の遺体が発掘されたが、情報は減り、調査は難航している。祖父を探す
別の男性(46)は「政府が手を貸してくれれば…」と表情を曇らせた。
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調査・発掘に取り組む民間団体「歴史的記憶回復協会」によると、スペイン全土の集団墓地は3千カ所、不明者は11万3千人規模と
される。協会は2000年の創設以降、集団墓地約200カ所で遺体約6300体を回収。活動を支えるのは遺族や国内外のボランティア
たちだ。
「これは人がなせる最大の罪だ」。発掘を通じ、真相解明と責任追及も目指す創設メンバーのひとり、エミリオ・シルバ氏(48)は
「本来は政府が行うべきなのに『特赦法』を盾に拒んでいる」と憤る。
民主化の過程で1977年に制定された特赦法は、以前の政治的犯罪の責任を問わないと定めている。このため、責任追及に
つながりかねない発掘は微妙な問題をはらむ。
チリの独裁者ピノチェト元大統領の犯罪追及で知られるスペインのガルソン予審判事も、フランコ独裁下の行為を「人道に対する罪」
として発掘など捜査を試みた。だが、職権乱用罪で告発され、最高裁も捜査は「誤り」と判断した。
ただ、調査や責任追及への要請は国外でも高まっている。国連強制失踪委員会は昨秋、捜査は「政府の義務」であり、特赦法に
ついても懸念を表明する勧告をまとめ、こう指摘した。
「失踪者について真実を知ることは遺族の権利だ」
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政府も犠牲者調査に関与してこなかったわけではない。2007年には「歴史的記憶法」を制定。発掘は行わないものの、制度を整備
してこれまでに2500万ユーロ(約36億ユーロ)を支援してきた。だが、債務危機の後、支援は打ち切られた。
フランコ総統死去後のスペインでは、体制派と反体制派の対立を回避しつつ、民主化を実現することが最大課題だった。「国民和解」
を目指した特赦法はそのための法律であり、現行憲法より先に制定された。
「波風を立てないというのが立場を超えた共通の意識だった」。当時、反体制派で活動したマドリード自治大学のペニャランダ・ラモス
教授は振り返る。同大のマヌエル・カンシオ教授(刑法)は「特赦法を覆せば、民主化自体が問われかねない」と指摘している。
(以下略。スペイン内戦の解説はソース元でどうぞ)
ソース(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140113/erp14011307000001-n1.htm 写真=アランダデドゥエロの共同墓地に設けられた内戦・独裁体制下の犠牲者の追悼碑。花束が捧げられていた
http://sankei.jp.msn.com/images/news/140113/erp14011307000001-p1.jpg http://sankei.jp.msn.com/images/news/140113/erp14011307000001-p2.jpg