■前島密、「郵便屋」の決意 直筆書簡など20点、草津で発見■
[画像]前島密が、山内頼富に「再度ノ時」を待つようにとつづった書簡(上)など(草津市役所)
http://s.kyoto-np.jp/top/article/20130719000180/1 滋賀県草津市は19日、「日本近代郵便の父」と呼ばれる前島密(ひそか)(1835〜1919年)が明治初期に書いた直筆書簡と辞令
計20点が市内から見つかったと発表した。明治政府の内情に触れる内容もあり貴重という。「ふみの日」の23日から公開する。
書簡はいずれも、草津出身で、駅逓(えきてい)寮(旧郵政省)大阪出張所取締役として関西のトップの地位にいた山内頼富(よりとみ)(1834〜85年)に宛てたもの。
1873(明治6)年の年賀状には、大蔵省(現財務省)幹部だった井上馨(かおる)と渋沢栄一が前年暮れに辞表を提出したとつづられ、
政府は変革の時期にあるが、自らは「郵便屋」の職業を固守するのみと告げている。銅山をめぐる汚職や予算編成をめぐり2人が辞職したのは
明治6年5月とされているが、書簡からは半年近く前に辞表を出していたことが書かれていた。
別の書簡では、75(同8)年に部下の不祥事の責任を取る形で辞職した山内に「公私ニ就(つき)て断腸」であり、「再度ノ時」を待つようにと
辞職を惜しむ様子が記されていた。4年後、内務省(現総務省)幹部となった前島の名で、山内を駅逓局長に復帰させる辞令書もあった。
明治期の郵便制度に詳しい井上卓朗・逓信総合博物館(東京)主席資料研究員は「維新期の郵便制度が形作られる時期に前島が書いた文書は少なく貴重。
残された帳簿類を調べることで、制度形成過程の解明への期待が大きい」と話している。
山内家は江戸中期以降、草津宿の宿役人を代々務めた家で、明治維新後は近代郵便制度の創設に関わった。山内家文書は昨年6月、
頼富のひ孫の茂子さん(68)から同市教育委員会に寄贈された。江戸時代の宿駅制度や明治期の郵便に関する資料など、約1万5000点が含まれている。…
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ソース:京都新聞 2013年07月19日 23時10分配信
http://s.kyoto-np.jp/top/article/20130719000180