北朝鮮による拉致被害者とその家族ら4人、国連で初めて証言
北朝鮮で過ごした当時の様子や仲間の状況などを語る
「1975年に拉致されたイ・サンウンとコ・ナムスは平安北道のウンサン工具工場で働かされ、パク・シドンは平安南道順川市ヨンボン洞24番地に住んでいます。
ホ・ヨンホ、ウ・ジェハクなど22人は餓死しました」
1975年に東海(日本海)でイカ釣り漁船の操業中に北朝鮮によって拉致された崔旭一(チェ・ウギル)さん(73)=写真中央=が15日午後、
スイス・ジュネーブの「国連強制失踪作業部会」(WGEID)で北朝鮮に拉致された当時の模様について証言した。
崔さんは仲間の漁師32人と共に拉致されたが、2007年1月、32年ぶりに韓国に帰還した。
この日証言したのは崔旭一さんと拉致被害者家族など4人。韓国戦争後の拉致被害者やその家族が国連で証言するのは今回が初めてだ。
ちなみに韓国戦争後に北朝鮮に拉致され、後に韓国に帰還できたのは崔さんを含めてこれまで8人しかおらず、今なお抑留されている517人はそのほとんどが生死さえ把握できていない。
拉致被害者家族会の代表を務める崔成勇(チェ・ソンヨン)さん(61)は、父のチェ・ウォンモさん(当時57歳)が1967年に西海(黄海)の延坪島沖合で漁船に乗って操業中、北朝鮮の警備艇から銃撃を受けて拉致された。
ウォンモさんの次男の成勇さんは「母は2002年、離散家族再会行事の会場で父の写真を掲げながら『お前たちが連れ去った私の夫を返せ』と叫びながら涙で訴えた。
しかし母は最後まで父の消息が分からないまま死去した」と述べた。
漁業指導船の乗組員として漁船を指導・監督していたチェ・チャングンさん(当時36歳)は、1977年に南海沖で北朝鮮に拉致された。
チャングンさんの娘のソンジャさん(49)は「遺体でもいいから抱きしめて思う存分泣くことができればまだしも、36年もたつのに生きているのか死んでいるのかさえ分からない」と訴えた。
朝鮮日報 2013/03/16 10:51
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