男か、女か。それは川の右岸と左岸のようで、人は自らのアイデンティティーをどちらかの岸に立たせなければならない。そんな固定観念を、
この本は軽々と乗り越える。体は男性だが女性の容姿を持ち、心は男性と女性の間を行き来する。そんな自分自身を“化粧男子”と呼ぶ
井上魅夜さん(30)の自伝だ。
「誰かのために書かなければいけない、と思った。つまり、われわれの仲間のために」。初めての著書をあらわした動機をこう説明する。
「性同一性障害の人のように、自分は幼い頃から男性という性に嫌悪感を感じていたわけでもないし、同性愛的傾向も少なかった。
この世界の生え抜きではなく、一般人寄りの視点を持っている。それでも、自分はこの世界の渦中にいて、地をはい泥をなめた。そんな
自分の目から見たこの世界を伝えることで、この世界のありようを身近に感じてもらえたら」
自らを定義することは苦手だという。恋愛対象は男女どちらでも。女性ホルモンの投与は受けているが、性転換手術はしていない。
既存の性の枠組みのいずれにもあてはまらなかった。そこで、自らをあらわす言葉としてひらめいたのが“化粧男子”。経営するバーの店名
にもしている。「最初は、わざわざ『男子』と名乗ることに抵抗感を持つ従業員もいた。でも、自分の生まれた性別を否定しても幸せに
なれない。自分を許してあげることが第一歩だと思う」
■激流にもまれながらも
25歳までは「チビ、デブ、オタク」でいわゆる非モテだった。仕事のストレスで激やせしたことをきっかけに、「(以前から興味があった)
女の子の服も入るかも」と“化粧男子”に。女性の容姿になったとたん、いきなりモテまくった。「もっとかわいくなりたい」。整形手術に加え、
心身に多大な影響を与える女性ホルモン投与を決断。会社は退社した。家族との衝突もあった。将来への不安。自ら命を絶つ仲間。
怒濤(どとう)の半生がつづられているが、前向きで理性的な精神力に支えられた筆致は非常にクリア。激流にもまれながらも自在に
性別を行き来し、人生を2倍3倍と楽しもうとする姿は、冒険譚(たん)のような興奮を読み手にもたらす。
冷静な分析力で描写された男女の感覚の差も興味深い。例えば性欲。男性の場合は『体の中から湧いてくる、突き刺すような性欲』。
女性は『誰かと一緒になって溶けてしまいたいという、柔らかくねちっこい気分』。男性と女性、両方の心を持つ井上さんならではの視点に、
目を開かれる思いがする。
「性別の川の渡し守でありたい」という井上さん。男と女の岸の間を流れる川。その中州に立ち、自らの性差に悩んでおぼれる者を
引き上げるが、決して一緒には泳がない。「助け合う。でも、傷をなめあいたくはない。向こう岸にたどりつくには、人は強くなって、自分で
戦わなければならないと思うから」。美貌の渡し守は、強く、潔く、そしてやさしい。
◇
■いのうえ・みや 1982年、神戸市出身。早稲田大学卒業後、劇場管理会社に勤務。2008年、“化粧男子”になる。11年12月、
東京・湯島にバー「若衆bar化粧男子」をオープン。リアルタイムで映像を配信する動画サイト「ニコニコ生放送」上で、男性でありながら
女性の容姿である「男の娘(こ)」の生態を発信する「男の娘☆ちゃんねる」を企画・制作するなど、トランスジェンダーの社会的地位向上の
ため活躍している。
ソース(SankeiBiz)
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/121104/ecf1211041430006-n1.htm 写真=「自分はいわゆるニューハーフでも、普通の男性でもない。居場所がないと思ったこともあったけど、社会に役立つことをして、そこに
居場所を作ればいいと気付いた」と話す、著者の井上魅夜(いのうえ・みや)さん
http://www.sankeibiz.jp/images/news/121104/ecf1211041430006-p1.jpg 写真=「化粧男子」(井上魅夜著/太田出版、1470円)
http://www.sankeibiz.jp/images/news/121104/ecf1211041430006-p2.jpg