ノートを渡すと、岩手県陸前高田市の地図を書いてくれた。僕の実家はここ。
隣接する宮城県気仙沼市の高校へは毎朝6時15分発の電車に乗って。
一本松で有名になった松原はこのあたり……。思い出話は尽きない。
見慣れた風景はあの日、一変した。
「もっと田舎に帰れば良かった、仲間と多くのことを共有しておけば良かったと思うんです」。
自分に何が出来るのかと考え、この1年、震災がらみの仕事はほぼ引き受けてきた。
11日放送の報道特別番組「つながろう!ニッポン」の第1部「被災地からの伝言 2012年春」
(正午、朝日系)では、ナビゲーターを務める。
高校卒業後、進学とともに離れた故郷だが、「年とともに郷愁の思いが募って」里帰りする頻度が
増えていた。震災2日前の9日にも、ふと帰ろうかと考え、親元に連絡を入れたばかりだった。
「実家では不思議と熟睡できていたんですよね」
両親は無事だったが、おじ夫妻やいとこを津波で失った。
がれきが片付けられ、「のっぺらぼうになった街」を見ると、そこで暮らした日々を消しゴムで
削り取られて否定されたような気持ちになる。東京では分かち合える人がいなくて、郷里の友にしばしば電話してしまう。
役者の仕事にも影響を受けた。
「役作りで以前は、履歴書に書いてあるような経歴を気にしていました。
でも今は、この人にとって譲れないことは何だろうか、と考えるんです」
これからも故郷通いを続けるつもりだ。
「やり残したことがたくさんある。高田がどうなっていくのか見届けたいんです」
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