白い粒の固まりをひとつまみ、口に含むとサクサクとした食感とほのかな甘みが広がる。「吉村式ポン菓子機」と呼ばれる
日本初の国産ポン菓子機を開発したタチバナ菓子機社長の吉村利子さん(85)は
「うちのポン菓子は、1、2カ月たってもサクサクのまま」と胸を張る。
「吉村式」誕生の歴史は、戦時中にさかのぼる。当時、吉村さんは大阪府八尾市で小学校の教師をしていた。
食料難に飢え、消化不良で下痢をする子供達に消化の良いものをおなかいっぱい食べさせてあげたい−。
図書館で読んだベルギーの穀類膨張機を思い出し、資料を探し回って図面を書いた。戦争の為に軍に接収され、材料の鉄が
手に入らない時代。八幡製鉄所のあった「鉄の街」なら鉄が有ると聞き、周りの反対を押し切って縁もゆかりもない戸畑の
地を踏んだ。親戚の知人の工場に身を寄せ、鉄鋼職人を訪ね回って造ってもらった。
「吉村式」の特徴は軽くて丈夫な事だ。従来の外国製は型に鉄を流し込み、分厚い造りだった。
「吉村式」では電気溶接の技術で薄い鉄板を溶接。外国製と比べ約5分の1の軽さとなった。
1950〜80年ごろは、年間2000〜3000台が飛ぶように売れた。「昔はたった1つのおやつだったですから。今でもポン菓子を見て
大人が昔の思い出を語ってくれる。嬉しいですね」と吉村さんは目を細める。
だがタチバナ菓子機では13年前にポン菓子機の製造を終了。今は販売や修理、イベントでの実演などに専念し、製造は別に
工場を営む三男が引き継いでいる。
「私は65年のポン菓子人生を歩んできた。香ばしくておいしいポン菓子を忘れずに、いろんな人に受け継いでいってほしい」
▽ソース:carview (2012/01/02)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/280194 ▽画像
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