【自動車】富士重工(スバル)、サンバーを惜しむ声…50年の歴史に幕 [11/11/29]

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 半世紀にわたり、富士重工業群馬製作所で続けられてきた軽トラック・ワゴン「サンバー」の生産が来年2月で終了する。

 開発費の増大や円高に晒される自動車業界は売れる車種に絞り込んでいる。高度経済成長時代に誕生し、頑丈さと使いやすさで
スバルブランドを支えた人気車を惜しむ声も多い。

 群馬県太田市の真ん中にあるスバル町の群馬製作所本工場。ベルトコンベヤーでゆっくりと流れるサンバーの車体に、計器板
シートと部品が次々とつけられる。コンベヤー終点で乗り込んだ従業員が、作動確認でクラクションを鳴らす。完成の合図だ。

 電動工具の音が響く中、8年前から、組み立てに携わる第1トリム課係長の大出敦志さん(49)は「使う方の大切なパートナーだったと思う」
と寂しがる。1961年の発売以来、現行の6代目のモデルまで使い続けている太田市の燃料会社役員大塩孝さん(61)も「スバルのシンボルが
無くなるようだ」と嘆く。同市の農家の男性(55)は「小回りが利き、頑丈。20年以上前から乗り継ぎ、生産中止になると知って9月に3代目を買った」
と惜しむ。

 「インド産の大鹿」を意味するサンバーは、日本の自動車史に名を残す「スバル360」と同じ設計陣が、使いやすさと耐久性を追求して生まれた。

 他社の軽トラックよりも、広くて低い荷台、高度経済成長期の60〜70年代を象徴するような力強い登坂力が評判を呼び、全国の農家や小売業者に
売れに売れた。東日本大震災後も、復興の担い手として宮城県を中心に注文が殺到した。

 累計生産約370万台。流行車種と違いテレビCMは流れないが、第1トリム課長の要り川隆弘さん(50)は「それでも売れるんです」。
生産に携わる者たちのひそかな自慢だ。

 しかし、富士重工業は既に2008年、日本独自の規格である軽自動車からの撤退を表明。サンバーの生産終了後は、OEMで他社から似た車種が
供給されるが、名前が引き継がれるかは明らかでない。

 サンバーの消える本工場では来年春から、新車種のスポーツカー「BRZ」の生産が始まる。開発はトヨタと共同。
メーカー間で激しい開発競争が繰り広げられた当時とは様変わりした。

 しかし、「品質の整ったよい車を早く顧客に届けるのが仕事」と、入川さんも大出さんも力強く語った。

▽ソース:YOMIURI ONLINE(読売新聞) (2011/11/29)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20111129-OYT1T00279.htm
▽画像
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20111129-655603-1-L.jpg