【裁判】元最高検検事が証言「ガタン、と踏み板が外れる音がした。正視にたえない。絞首刑は限りなく残虐」−パチンコ放火殺人事件

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49果たしてこの大自然を、私は信頼することが出来るだろうか、1

>本当の意味での自由意思があるかどうかはどうでもいい。 行為を選択した人間に責任をとらせなければ、
>社会秩序を維持できない。 特定個人に責任を取らせることを正当化するために自由意思という幻想が必要で
>あれば、社会は、人間に自由意思が存在することにしなければならない。   ただそれだけのこと。

2chのニュース+板の中のスレッドで、死刑制度について上記内容の投稿があった。
私には何とふざけた主張だと思えるが、それでもこの自由主義文化圏での言論の自由だからこそ表明できる。
しかしこの自由主義文化圏が健全に成立し続けるためには、このような妄言であっても
その虚妄を指摘することで、自由主義文化圏のさらなる進歩が促されるのではないか。

まず自由主義文化圏は多様であり混沌であるが、宗教や信条は自由でありそれはこの宇宙では、
人間はたぶん最高知性ではないだろうとすることで宗教が生まれる。
その意味において自由主義文化圏は謙虚である。  この謙虚さを持って、

人間の自由意志の有無は、犯罪実行者に刑罰を科す場合の絶対的条件であるとするのであり、
人間に自由意志が無ければ、その行為を “ 選択 “ した本人であるとの言明は成立しない。
さらにその責任は、その行為を “ 選択 “ したことで生じる。

しかし人間社会の秩序を維持できない、あるいは経済的効率競争に負けるとの理由で、
幻想かも知れない人間の自由意志を暫定的に正当化する。 ただそれだけのこと。
との妄言的な論旨であれば、
それは帝国独裁国家 ・ 共産独裁国家特有の、” 機械的形式手続き “ による事物の決定になる。 ( 投稿 eig35153 )
50果たしてこの大自然を、私は信頼することが出来るだろうか、2:2011/10/15(土) 21:26:58.71 ID:ueMMh/2r

現在の諸科学では生物の自発性は自明であるが、人間の自由意志の成立過程については、脳科学を
始めとする諸科学からは “ 確定された証明 “ は成されていない。
しかしながら唯物論の “ 自由意志は幻想 “ との前提で、昆虫や小動物さらに人間について、
生物学に限らず諸科学からのあらゆる実験を試すと、ほとんど実験中途の段階で克服し難い矛盾が生じる。

それはリベットの実験であり、先例無き独創アイデアの着想、記憶の定着とその保持など。
このように科学的見地からも、人間の自由意志は存在すると仮定した場合は、何の矛盾も不合理も
生じないが、唯物論の “ 自由意志は幻想 “ との仮定では大きな矛盾や不合理が生じる。

人間社会の刑罰の根幹である “ 自発自由意志による行為選択の是非 “、という審判原則は古代から
変化せずに、人間の自由意志は存在するとの暗黙の了解のもとに、人間審判は行われていると思われる。
この確定的には証明されていない自由意志の問題であるが、

しかしこの問題を通して最終的に至るのは、人間は自然の中では最高知性ではないという謙虚さであり、
そして生を受けた後に “ 自然に付与された “ 人間の素朴な善悪判断であり、
この人間の素朴な善悪判断を信頼することは、この大自然を信頼できるか否かに至るのではないだろうか。 ( 投稿 eig35153 )