代表選に敗れた小沢グループは、挙党態勢は人事を見てから判断するとし、
党のトップである幹事長職を要求していると報じられている。
これもまた我々が常識として受け止めている、民主主義のルールにそぐわない。
選挙の過程で政策論を戦わせることは望ましい。だが、結果が出ればそれに従うというのが、
われわれが子どものころから教わってきた、民主主義の当然の振る舞いというものだろう。
これを無視すれば、多数決をベースにする民主主義が機能しない。そもそも党員資格すら停止中の人物が、
隠然としてキングメーカー(現在は拒否権があるという程度だが)として影響力を行使しているのは、
民主党の外から見れば異常としか言いようがない。かつての師であった目白の闇将軍の小型版そのものである。
一方、野田氏も挙党体制を謳うなら、小沢氏の無罪を信じ、司法の決定が出るまでは、
民主党の仲間として小沢氏を守るという決断もあり得る。そうでなければ、
小沢グループを政権や党執行部から排除するか、野田氏への忠誠を条件に、
適材適所の人材を採用するということでなければ、筋が通らない。
党内融和が中途半端な妥協を意味するとすれば、政策の遂行といういう点でも、
野党との協力という点でも禍根を残す。
翻って、小沢グループも、どのような国づくりを構想し、そのためにどのような政策を実行したいのかを、
明確に語るべきだろう。本来、権力闘争は、政策実現のために行われてこそ意味がある。
もし、新政権と政策が全く合わないのであれば、潔く党を割らなければ、こちらも筋が通らない。
今の民主党にとって大切なことは、国民に説得力を持つ、筋の通った政策変更や
人事を行うことである。党内融和という言葉自体が、内向きの意識を象徴している。
今回の代表選で、政治の争点と政策の違いが明らかになったことは、少なくとも一歩前進だった。
その点、野田氏の政策は、09年の民主党のマニフェストと比べれば、大きな変容である。
民主党が国民に真摯に向き合うのであれば、目下の最大の懸案である復興対策を仕上げた後に、
新たなマニフェストを掲げて、国民の信を問い、政権の正統性を確保すべきである。
震災があったから致し方ないというのは、単なる言い逃れに過ぎない。
総選挙を実施することが、自民党末期の政権交代を痛烈に批判してきた同党の、
身の処し方というものだろう。
その過程で、党内で政策を一致させることができなければ、党を割って
政界再編の先駆けとする。政策を軸に、国民にとって分かりやすい選択肢を提供できる政治体制を目指す。
そうなれば、二歩前進である。そしてこのことは、自民党を代表とする野党にも当てはまることを、忘れてはならない。
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