【社会】「お布施」の在り方で議論…消費者団体「基準が要る」、仏教関係者「明示できない」

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914 神も仏も名無しさん 2011/06/18(土) 14:01:55.55 ID:CMebRjAT
>> 913
仲間内の金銭のやり取りに税金はかけられない、か・・なるほど。

ある信者に、「あんたはただの客のひとりだよ」と言ったら、

「え? あれ? 私は客なの?」と、ポカンとしていた。

なんで、カモネギのくせに、経営者と一体感を持つのだろうね。



915 神も仏も名無しさん 2011/06/18(土) 14:08:01.26 ID:gFJUQKku
>> 914
やっぱ日本だけじゃなくて世界的に見ても宗教法人への課税は不可能と思う
逆に課税しようものなら、世界中の恥ともなりかねん どこかアジールとして
の感覚が残ってんだよな


916 神も仏も名無しさん sage 2011/06/18(土) 15:20:16.69 ID:wjpJR9TM
>> 915
>> 912のような、(勿論、もっと綿密に検討・設定した上で、だが)、
対象を絞った形は、時代の趨勢としてやむなしかもしれん。

また、言い方として【宗教「法人に」課税する】という最大の括り方で言及するから、事態、実態が見えなくなる。
大きく見ればそういうことだが、実質的には、課税されるのは【収入・所得、利潤】に対してだから。
現に、宗教法人であっても「ある種の所得・収入」には課税されている。
勿論、僧侶・神職個人でなく、「法人として」であることは言うまでもないが。
だから、《宗教法人に課税すること》自体は、決して、理不尽ではない。
問題は、《具体的に、何に(どのような金銭の授受に)課税するか?》という、ある種テクニカルな部分かもしれない。

聖域として、行政(俗世)にとってのアンタッチャブルでよいかどうかは、議論の余地がある。

今Wiki見てみたが、貴方がいみじくも「アジール」と表現したように、
サンクチュアリでない特別区としてなら、(それは絶対領域でなく、各種便宜措置の上に成立するものとしてなら)
ありえても、真に聖域としてというのは、もはや不可能な時代ではあろうと思う。
そもそも、【法人である】ということ自体が、すでに聖域の住人・事案であることから外れているのだから。
法人登記され、がっちりと行政の管轄下にありながら、そこに聖別を持ち込むのは無理というものだろう・・。