☆「安全神話」根強い群馬 想定信じるな☆
[2011年05月24日]
東日本大震災で、防災があらためて注目されている。私たちはどんな心構えで自然
災害に臨んだらいいのか。群馬大学大学院教授で、群大広域首都圏防災研究セン
ター長の片田敏孝氏(50)に尋ねた。片田氏は岩手県釜石市の防災・危機管理アド
バイザーも務めている。
群馬には根強い「安全神話」がある。県内で699人の死者・行方不明者を出した昭和
22(1947)年のカスリン台風以降、大きな自然災害がないためだ。
しかし、その考えは誤りだ。群馬の風光明媚(ふう・こう・めい・び)な土地は過去の大き
な自然のふるまい(天変地異)によってできた。だから、群馬でも大災害はありうる。
なぜ、誤った認識になるのか。46億年の歴史をもつ地球の営みのサイクルと、せいぜ
い100年の人生ではスケールがあまりにも違うためだ。
浅間山の天明3(1783)年の大噴火はたかだか228年前のこと。地球の歴史のなか
では一瞬前の出来事に過ぎない。
今回の三陸の大津波は、千年規模といわれるが、自然災害はそういう時間スケールで
やってくる。
東日本大震災のキーワードは「想定外」だろう。
巨大隕石(いん・せき)が落ち、大津波が起こるという出来事は長い地球の歴史のなか
ではあっただろう。そんな想定を防災に生かそうとすべての海岸に巨大なコンクリート
壁を築こうとしても財政負担に耐えられないし、誰も望まない。そこで防災上の想定が
出てくる。
「想定外」とは、この想定をはるかに超えたという意味だ。たとえば、国管理の河川は1
00年に1回の水害を想定して治水を行うのが国民的合意だと思う。三陸沿岸なら確か
な記録に残る明治29(1896)年の明治三陸津波が想定となった。
何が問題だったのか。想定が甘かったのでなく、想定に縛られすぎたのだ。
防波堤や堤防などをつくって人為的に安全性を高めるほど、災害を生き延びる人間本
来の力を失う。こうした問題を見据え、2004年から岩手県釜石市で防災教育に取り組
んだ。
対象を子どもに絞り、「防災文化醸成プロジェクト」を10年のスパンで続けることにした。
防災教育を受けた小中学生が10年たてば大人に。10年たつと親になる。津波への備
えを地域文化にしたいと考えた。
三つ教えた。1点目は、想定を信じるなということ。ハザードマップに浸水地域が図示さ
れているが「次の津波はこのとおりになるだろうか」と問いかける。
2点目は、最善の行動をとること。東日本大震災のとき、釜石東中学校の生徒は教師の
指示を待たず、高台の避難場所まで駆け上がって助かった。
3点目は率先避難者になれだ。人は非常ベルが鳴っても、避難行動をなかなかとれない。
誰かが逃げれば、それに従った周りの人を救うことになる。
群馬でありうる災害は、火山噴火と豪雨(洪水)だろう。火山噴火は予兆があり、津波とは
防災の考え方が異なる。危険が予想される土地利用の制限など、十分な防災計画をつく
る必要がある。
かただ・としたか 岐阜県生まれ。豊橋技術科学大大学院博士課程修了。岐阜大助手、名
古屋商科大専任講師を経て1995年に群馬大工学部講師、2005年に同教授。横山科学
技術賞(00年度)、国際自然災害学会賞(02年度)などを受賞。
▽ソース:アサヒドットコム
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000001105240002