村で芽生えた新しい命は、いつ古里へ戻れるのだろう。福島第1原発事故に伴う計画的
避難が始まった15日。福島県飯舘村から福島市の公務員住宅へ移ったJA職員、
大内和夫さん(53)の一家に、生後14日の六男が加わった。原発事故の収束の
見通しは不透明で、慣れない団地暮らしが始まる。
「何年後か分からないが、この子を古里でのびのび育てたい」。生まれたての笑顔が
一家に希望の灯をともした。
和夫さんは同村佐須で和牛5頭を飼育し、両親と妻育恵(いくえ)さん(43)、
5男1女の子供たちとにぎやかに暮らしてきた。5月1日、11人目の家族となった
男の子の名は陽翔(はると)くん。「大変な時期に生まれたが、太陽のもとで明るく
羽ばたいてほしい」。家族のそんな思いが込められている。
育恵さんは出産まで不安の連続だった。余震が続き、原発事故も深刻化。
職場で震災対応に追われる夫を残し3月20日、身重の体で6人の子を連れ、
栃木県鹿沼市の体育館へ避難した。
4月になって自宅に戻ったが、放射性物質が不安で、家に閉じこもった。
「(おなかで子供が)動いているから大丈夫とは思っていたが、どんな影響があるか
分からないので不安でした」
和夫さんも「身重で苦労している時に、近くにいられなかった」と悔やむ。
5月1日未明産気づき、その日の朝に出産した。2640グラム。分娩(ぶんべん)
室に泣き声が響いた瞬間、和夫さんの張り詰めていた気持ちが初めて和んだ。
妻もベッドで笑顔を見せた。
「新しい家族を迎えるのを機に、大内家の再スタートを切ろう」。和夫さんは村に
福島市の公務員住宅への避難を申請。抽選でこの日の入居が決まった。
「子供たちの健康を考えれば、これで良かった」。和夫さんは自分自身に言い聞かせる。
◇ ◇
15日。一家は午前中に荷造りを終え、昼食のテーブルを囲んだ。和夫さんが言った。
「ここでの家族全員の食事も、これが最後かな」
午後1時過ぎ、村役場での壮行式。菅野典雄村長はあいさつで「残念で、
悔しくてならない」とかみしめるように言った。式後、和夫さんの母定子さん(73)は
村長に近寄り、涙ながらに訴えた。「計画避難の第1陣に選んでくださり、
ありがとうございます。
仕方ないと分かっているけど、本当は誰も古里を離れたくないんですよ」。
村長は言った。「絶対に戻れる時がくる。信じて待ちましょう」
午後3時前、一家は福島市の新居に到着した。公務員住宅の間取りは
1世帯3DKで、家族11人が2世帯に分かれ暮らす。故郷の自宅は山あいにあり
裏手には水遊びできる川も流れているが、新居は住宅密集地で、緑も少ない。
午後6時ごろ、育恵さんが病院から陽翔くんを抱き、家族に合流した。
すやすや眠る我が子のそばで、和夫さんは窓から住宅地を見下ろした。
「今は田植えの時期。夜はカエルの声を聞き、朝は鳥の声で目覚める。
ここは犬や牛の鳴き声も聞こえない」
一家そろって、また古里で暮らしたい。家族みんなが願っている。
【細谷拓海、角田直哉】
毎日新聞 5月15日(日)22時42分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110515-00000030-maip-soci