☆大震災2カ月 元原発作業員・大空さん 加須で職探しも年齢の壁☆
[2011年5月12日]
東日本大震災から二カ月たち、県内の避難者たちは就職難などに直面。さまざまな悩
みを抱えて暮らす一方、地元の人々の協力を得て、希望を見いだそうとしている。
「こんなに苦労するとは思わなかった」。求人票を手に、福島県双葉町の元原発作業員
大空智憲さん(40)が声を振り絞った。加須市の旧騎西高校で避難生活を続け、ハロー
ワークの紹介で数社に連絡を取ったが、「三十五歳まで」などと年齢制限で断られた。
大空さんは震災時、東京電力の協力会社の社員として、福島第一原発6号機内の廃液
タンク脇で土木作業に従事。作業中、突き上げるような激しい揺れが襲ってきた。建物内
は停電。「死ぬかもしれない」という恐怖にさらされながら、必死に屋外へと逃げ出した。
家族は無事だったが、七年前に建てた自宅は津波で流された。
小学六年と中学一年の息子二人の環境を考え、さいたまスーパーアリーナ(さいたま市
中央区)から同校へ移った。子どもたちは近くの学校に入学し、妻もパートを始めた。2L
DKのアパートも見つけた。一家は今後も、加須で暮らし続けることを決意した。
震災後、会社に解雇された大空さんは、正社員の仕事を探し始めた。だが、避難者向け
の求人の多くはパートかアルバイト。正社員の求人は長引く不況で少ない。「甘かった。
今はどんな条件でも、通勤できる範囲なら応募している」。大空さんは十日も近くの自転
車工場に連絡、初めて面接にこぎ着けた。
校内に相談所を設けているハローワーク行田によると、十日現在、双葉町民の就労相談
は延べ百三十六件あるが、就職は十六件にとどまる。県内の避難者対象の求人数は四
百二十一件だが、パート・アルバイトが約七割を占める。
担当者は「避難者の多くが福島に戻らずに職を探している。避難者の意向に沿った職を
紹介していきたい」と語った。
▽ソース:東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20110512/CK2011051202000056.html?ref=rank