☆被災の保育士、避難先で再出発 富士見市が採用☆
日本大震災からもうすぐ2カ月。埼玉県内に避難してきた被災者の中には、先が見えな
い中、働き始める人も出てきた。福島県南相馬市から、富士見市の親戚宅に身を寄せて
いる保育士の三戸裕子(みと・ゆうこ)さん(45)もその1人。同市内の保育所で新たなス
タートを切った。
「とても緊張しました」
2日午前8時すぎ、避難先の親戚宅から自転車で、市立第三保育所(高野かずよ所長)
に初出勤。朝の体操で子どもたちに自己紹介すると、早速、元気いっぱいの年長児たち
と接した。
昼前、園庭で男児4〜5人と大縄跳びをしようとすると、一人の男児が「一番目に飛びたい」
とだだをこね始めた。「みんなでジャンケンね」。結果、その男児は勝って最初に飛び、その
あとで真っ先に三戸さんに駆け寄り、抱きついてきた。久々の感触に自然と頬が緩んだ。「な
ついてくれた。かわいいなあ」
震災までは南相馬市立小高保育園で、0〜1歳児の保育を担当していた。3月11日午
後、園内で昼寝中の乳幼児を起こし、おむつ替えをしている最中に大きな揺れに襲わ
れた。子どもを抱きかかえて、職員らの車に乗せ、高台に避難した。
みんな無事だったが、福島第一原発の事故で20キロ圏内の同園には避難指示が出さ
れ、園児や同僚とはバラバラに。「インターネットの避難者名簿で、子どもや同僚の名前
を見つけるとうれしい」。自身も母親(70)とともに同月16日から親戚宅に身を寄せている。
第三保育所に勤める契機となったのは4月14日。義援金受け取りや南相馬市からの連
絡を受ける手続きのため、富士見市役所に出向いたところ、市立保育所で働く非常勤嘱
託職員の募集告知が目に留まった。その足で担当課を訪れて面接、採用が決まった。
働き始める直前の同月29日、荷物を取りに「緊急時避難準備区域」にある自宅に戻った。
避難してから44日ぶりで、父親らの位牌(いはい)に家具、そしてエプロンなどの「保育園
グッズ」をできる限り車に積み込んだ。福島第一原発は亡き父の元職場だが、「原発さえな
ければ……」と思いは複雑だ。それでも今は新しい職場で懸命に前を向く。「名前と顔を覚
えて初めて保育は流れる。一生懸命、子どもたちをみています」
富士見市は今月20日まで、市内に避難している被災者を優先に、市内の保育所で働く非
常勤嘱託職員2人を募集している。
[2011年5月8日]
▽ソース:アサヒドットコム
http://mytown.asahi.com/areanews/saitama/TKY201105070518.html ▽画像:笑顔で男児を励ます三戸裕子さん=富士見市立第三保育所
http://www.asahi.com/areanews/images/TKY201105070515.jpg