☆転校先で「夏」目指す☆
「みんなに助けられている」。高校3年の新田心一郎さん(17)は感謝の言葉を口にす
る。通っていた県立双葉翔陽高校(大熊町)は、福島第一原発からわずかに5キロ。実
家は川内村で、家族全員で千葉県に避難した。エースとして期待されていた右腕は千
葉県内の高校に転入。本来なら試合に出られないはずが、日本高校野球連盟の特例
措置で甲子園を目指せることになった。
3月11日。打撃練習の球拾いに外野の守備位置にいたときだった。グラウンドが小刻み
に震え始め、やがて「ドーン、ドーン」と大きな横揺れに襲われた。校舎は波打つように揺
れ、しゃがみこんだ部員たちは不安そうな目で周囲を見渡した。数分後、先生たちが校庭
に飛び出し、大声で叫んだ。「お前たち、もう帰れ」
それから、全てが変わった。
富岡町の下宿先に駆けつけた父の勝さん(44)に連れられ、川内村の実家に逃れた。翌
12日、福島第一原発1号機が水素爆発。学校は原発から5キロ、実家も第一原発から20
〜30キロ圏内。田村市内の叔父宅に身を寄せた。勝さんが千葉県内で仕事を見つけ、家
族で引っ越すことが決まった。チームメートと離ればなれになることがとてもつらかったが、
他に選択肢はなかった。
昨夏の県大会は2年生ながら、三塁手として出場。強肩で、今年はエースとして期待されて
いた。冬は走り込みで下半身を鍛え抜き、腰が一回り大きくなった。転入先の候補は幾つか
あったが、選んだ基準はただ一つ。「野球を続けられるかどうか」
千葉県市川市へ引っ越し、4月6日に鎌ヶ谷市の県立鎌ヶ谷西高校に転入、2日後、野球部
に入部した。
ただ、不安があった。日本高野連の規則で、転校生は1年間試合に出られないとされていた
からだ。高校生活の集大成となる夏の県大会。どうしても出たかった。
そんなとき、朗報が飛び込んできた。日本高野連が、震災で転校した野球部員にはこの大会
参加資格を適用しないことを決めたのだ。「これで最後の夏の大会に出られる」。目の前の霧
が一気に晴れた――。
「新田、もっと前でボール取れよ」。グラウンドに仲間の声が響く。着用しているのは「West」と
書かれた同校の古いユニホーム。津波から逃れるため着の身着のままで自宅を離れ、野球道
具を持ち出す余裕はなかった。「投手用グラブもスパイクも同級生に貸してもらっている。ここに
も仲間がいる」
震災で失ったものは大きい。でも、得たものもある。そんな気がしている。
[2011年5月5日]
▽ソース:読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20110505-OYT8T00404.htm ▽画像:新天地で練習に励む新田さん(4月22日、千葉県立鎌ヶ谷西高校で)
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20110505-774902-1-L.jpg 関連記事・情報