【話題】「若き健児よ。鎮魂の黒き喪章を胸に、真っ白の帆を上げ、大海に出よ」…ツイッターで話題、立教新座高校校長の卒業メッセージ
1 :
もろきみφ ★:
ソース(NEWSポストセブン)
http://www.news-postseven.com/archives/20110404_16560.html 被災地で苦しみに耐える人々を前に、我々がかけられる言葉はたやすく見つからない。できることは、ただひたすらに被災者の声に
耳を傾け、その悲しみを受け止めることだけという意見もある。しかしこの非常の時に「思慮ある言葉」が人の心を動かすのも事実だ。
いま、ある一編の文章が、ツイッターなどインターネットを媒介にして、静かな反響を呼んでいる。立教新座中学校・高等学校
(埼玉県新座市)の渡辺憲司校長(66)が著した「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。」と題された一文である。
同校では3月14日に卒業式を予定していたが、震災を受けて中止を決定。渡辺校長は約2時間かけて卒業生へのメッセージを
したため、15日に同校のホームページに掲載した。同校の進学率は例年ほぼ100%。卒業生約330名の9割超は、系列である
立教大学へと進学する。
渡辺校長のメッセージは、そのような特定の学生たちに託されたものであるにもかかわらず、未来へと踏み出す若者たちすべてに、
そして震災の不安の中で戸惑う人々すべてに向けられたものであるかのような「示唆」と「熱」がこめられている。
このような時だからこそ、我々がそれぞれの立場で何を語るのか。そして、他者の言葉をどう受け取るのか。そこに想像力が
問われている。渡辺校長の了解のもと、ここに全文を紹介する。
* * *
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。また、今日までの諸君らを
支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、
祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残して
おきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」と題し、配布予定の学校便りにも掲載した(※)。その時私の脳裏に浮かんだ海は、
真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも
憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。
これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる
悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。
大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。
一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考える
ならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りが
あるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かも
しれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな
思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。
ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
(
>>2以降に続きます)
2 :
もろきみφ ★:2011/04/06(水) 09:16:04.33 ID:???
(
>>1の続き)
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下
で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に
勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。
愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなこと
は許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。
直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中に
おさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に
我々にすべはない。
海を見つめ、大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿
するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(ΗΑΛΗΘΕΙΑΕΛΕΥΘΕ ΡΩΣΕΙΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ
ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
(さらに続きます)
3 :
もろきみφ ★:2011/04/06(水) 09:16:47.39 ID:???
(
>>2の続き)
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという
意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。
惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、
科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。
救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの
基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が
来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。
家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を
振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するとともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業
礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を
忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司
* * *
渡辺校長のもとには、10代の学生から80代の老人まで、この文章を読んだ人々からの感謝と感動の声が続々と届いているという。
※渡辺校長は、震災前にこの文章の原型となる「時に海を見よ」を書き上げていたが、東北関東大震災の発生を受けて、より現実
に即した形でそのメッセージを再構成したという経緯がある
※週刊ポスト2011年4月15日号
凄いわコレ
黒い鎮魂のソーセージがどうしたって?
6 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 09:22:34.10 ID:4gBaVGqE
ヘアヌード写真とか掲載されてなくてよかった
7 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 09:24:29.24 ID:GWn7cQI+
これは良い
つか、なんで今さら?
もう散々読んだわ
9 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 09:39:17.75 ID:EZOFK0gI
こんだけのもの書けるってすごいな。
10 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 10:01:15.76 ID:O6U+0+88
後世に残る名文になるかな?
>楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。
同じ内容を二回言ったのはやっぱり大事な事だからか
>>11 インタレスリングとエンジョイでは意味が違ってくるだろ・・・
13 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 10:28:14.75 ID:oieIMqK/
自分が恥ずかしくなるじゃないか・・・
14 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 11:22:40.86 ID:mLz6UyDg
長げーよ
生徒の8割は始めの3行しか読んでないわ
15 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 11:23:40.54 ID:Rf4rz+co
胸を打つねT_T
16 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 11:28:00.09 ID:nscWeLQn
廚二病の校長か・・
17 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 11:33:02.69 ID:nfiqpO6W
どんなに素晴らしいメッセージでも、
受け取る側によっては薬にも毒にもなる。
何の意味も見出せない人もいるだろう。
何か感じ取れた人は幸いだ。
18 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 11:39:51.83 ID:ILvdM1D8
ようするに、海賊になれと?
>>1 >ソース(NEWSポストセブン)
ポストセブンの記者さんは大学で何やってたんスか?
20 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 11:48:42.44 ID:8BSglG/U
スレタイ呼んだだけで涙でた
なんだ。これ。言葉ってすげえな。
キャプテン・ハーロックだな。胸熱
熱いな。染みる。
こんな人としての教育が出来る方、受けた人間なら、君が代歌おうが歌わなかろうが他国の国家歌おうが、些細な事に思えるけど、やっぱり教育って国家の礎ですね。
25 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 17:55:15.38 ID:VpxWwOuJ
いや、そうでもないだろこの文。
俺には文才無いけど
26 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 18:01:38.34 ID:FKu7Q2vS
能力なき評論家の2チャンネラーの批判が始まります
27 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 18:38:27.19 ID:lVH4Swf+
ウンザリしたわ。
冗長でねじれていて主題や材料が2転3転する。
若い人はこれに何かあるように錯覚するんだろうな。
こんな話は大学に入ってからもっと優れた人物からもっと格調の高い話が存分聞けるよ。
28 :
名前をあたえないでください:2011/04/06(水) 21:30:22.66 ID:nWFgs0kJ
福島原発から50kmほどのいわき市のテモテ教会に
聖公会神戸教区の牧師さんたちが交代で救援にいっておられます。
神戸教区なので震災時の人の醜さもよくご存じのようです。
義援金がうまく被災者に届いていないとのことなので
私は他の団体にはもう渡さずに教会だけに献金しようかと思っています。
ちなみに、この校長先生に限らず、立教大学はもともとこういう校風。
(ミッション系大学なのに、聖書の授業すら強制ではなく自由講義だったりする)
上智大学とか、青山学院大学とかも、比較的校風は似てるかもしれんね。
関西なら、(この前カンニング事件で唯一警察に訴えなかった)同志社大学あたりか。
いずれもミッション系。
>>1 情報遅すぎねえか?
何週間前にツイッターで流行ったネタ書いてんだよ
(^ω^)「ヘー アレーテイア エレウテローセイ」
(´・ω・`)「なにいってんだ、こいつ」
33 :
名前をあたえないでください:
>>29 確かに牧師さんの奥さんて清楚で綺麗な人多いね
与謝野晶子の歌にある
・・・さびしからずや道を説く君・・って感じで
聖職者って乙女心をとらえる面があるみたい
牧師さん不足でこまってるから喪男君たちも
神学科への入学・編入を考えてみるのは良いかも知れんね