人工知能(AI)の基礎的な理論を使ってコンピューターに裁判の過程を考えさせようとする研究が国立情報学研究所で
進められている。多くの要素が絡んだ複雑な裁判の過程でも、必要な手続きや証拠を誤ることなく判断できる。情報化す
る一方で人手が不足しているといわれる裁判の新しい力となるか。 (永井理)
このソフトウエアはPROLEG(プロレグ)。例えば「請け負った工事の代金を支払え」というような訴えの中身と
「請負契約をした」「工事が完了した」など主張に必要な事実(要件事実)を入力して実行すると、主張が認められるか
どうか結論が出てくる。
プロレグは、裁判官が審理を進めるガイドラインとなる「要件事実論」というルールの体系をプログラム化したもの。
AI研究で使われるProlog(プロログ)という言語で書かれている。「AIのプログラムと裁判の論の運び方には
共通点がある」と開発者の国立情報学研究所の佐藤健教授は話す。
■そっくり
ロボットはあらかじめ入力されたプログラムで動く。人間のように臨機応変に行動させるのはAI研究の大きな課題だ。
例えば、ロボットをある部屋から別の部屋に移動させる。廊下に荷物が置いてあるかもしれないし、人が走ってくるかも
しれない。工事で床板が外されている可能性もゼロではない−。すべての場合を完全にプログラムするのは不可能だ。
床に障害物があればその情報を追加して新たに行動を考える方法をとる。条件次第では「別の部屋に行くのは不可能」と
結論づけるかもしれない。加わる条件によって結論が途中で変わるのが、AIの研究で使われる「論理プログラミング」
という方法だ。
裁判では一審の結論が二審で示された新証拠によって覆ることもある。情報が完全にそろわない中で結論を下す必要が
あるからだ。その点が論理プログラミングとそっくりだ。
■法科大学院へ
数年前、ユビキタスコンピューティングを研究していた佐藤教授は、法的にプライバシーが守られるシステムを提案した。
だが法律の専門家ではないため認められなかった。
それならば、と法科大学院に入学。法律を学ぶうちに要件事実論と論理プログラミングの構造がまったく同じだと気付いた
という。「誰も似ていると言わないので、私が言わないといけないと思った」と佐藤さん。法曹を目指す若い同級生らを誘
ってプロレグの開発を始めた。
要件事実論は誰がどんな事実に対し立証責任を負うかを定める。民法ではこれがよく研究されておりコンピューターの応用
に適しているという。ただ、裁判官の代わりを務めるのは将来的にも簡単ではないという。「裁判でこじれるのはルールに
書かれてない場合どうするかという点」と佐藤教授。ルールに当てはまらない問題を解決する人間の能力にはまだまだかな
わない。
当面の応用としては法科大学院の授業で要件事実論を学ぶのに使えるという。また、弁護士が証拠に抜けがないかなどを
あらかじめ確認することにも役立つという。特任研究員として開発に携わる西貝吉晃さんは「弁護士などが、経験のない
訴訟を担当するとき何を示せばいいかが大ざっぱにすぐ分かる。法律の実務家には利用価値がある」と語る。
使い勝手を上げるため「こんな証拠が足りない」と指摘して入力を求める機能や、原告と被告の主張がどう対立しているか
を簡単な図で示す機能などを付け加えていくという。三年程度で使えるようにしたいという。
■法学が変わる
法律学に情報学の手法を持ち込んだことで、プロレグの他にも新たな可能性が広がる。
「プロレグのように判例をコンピューターで読める形で蓄積すれば傾向の分析や隠れたデータの発掘もできる」と佐藤教授。
さまざまな場合を想定してプロレグに入力し、妥当な結論が出るか調べれば、法律に欠けている点がないかチェックできる。
また余計なダブリを見つけて法体系を簡素化できるかもしれないという。
●記者のつぶやき
裁判員制度が始まり、私の周辺も地裁に招集される人が出てきた。一般市民が裁判に関わる時代なんだなあと思っていたら、
コンピューター!? 思わず取材に走った。
▽東京新聞(2011年2月28日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/technology/science/CK2011022802000107.html