【社会】日米開戦70年目の検証/和平の光遮る三国同盟 昭和16年初頭、蘇峰演説
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二代目 首席になれなければ全裸up(110320)φ ★:2011/02/06(日) 16:55:21 ID:???
■「一大障害はアングロサクソン」
今年で日米開戦から70年。中国戦線なども含め、兵士や一般市民の日本人300万人以上が
犠牲になった。当時の政府、軍ともに世界の大国である米国と戦争して勝てる見込みはなかった。
それなのに、なぜ開戦に踏み切ったのか。回避できるポイントがありながらも、手をこまねいて
いるうちに12月8日を迎えてしまった。定見なき外交、リーダー不在、巨大官僚組織の軍部、
閉塞(へいそく)感漂う時代、流されやすい国民…。どこかいまの日本に通じるところはないだろうか。
現代の視点で昭和16年の1年間を月ごとに検証していく。
「日本が東亜新秩序建設途上に横たわる一大障害はアングロサクソンである」
日本の運命を決めた昭和16(1941)年が明けたばかりの1月5日。言論界の長老、徳富蘇峰が
ラジオを通じ国民に演説した。
「米国は日本が積極的に進んでいけば、無論衝突する。しかしぼんやりしていても、米国とは衝突する」
と訴え、「私どもは日本の運命を信じて、一大躍進を遂げねばなりませぬ」と締めくくった。
盧溝橋事件に端を発した支那事変(日中戦争)は、「1カ月くらいで片づける」という軍部の想定から大きく外れ、
4年目に突入、泥沼の様相を呈していた。
蒋介石率いる中国国民政府を援助する米との関係は悪化の一途。日本が資源獲得と援蒋ルートの
断絶を狙い15年9月、北部フランス領インドシナ(仏印)に進駐すると、米国は時を置かず屑(くず)鉄、
鉄鋼の輸出禁止を決定した。経済封鎖を強化させていく米国に対し、国民の反感は日を追うごとに高まっていた。
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>>2以降に続く
2011.2.5 07:40
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110205/trd11020507440003-n1.htm ■画像■昭和13(1938)年の中国戦線、麦畑のなか徐州に進軍する日本軍兵士
http://sankei.jp.msn.com/images/news/110205/trd11020507440003-n1.jpg
>>1の続き (2/3ページ)
時を同じくして、前年9月以降英仏と開戦していた独伊との間で米国を仮想敵国とした三国同盟も成立し、
駐日大使グルーは「今や東西の2つの戦争は区別できないものとなった」と反発した。だが高まる緊張とは
裏腹に政府は開戦回避を「至上命令」として外交を展開した。米国の生産力は鋼材で11倍、石油で500倍以上。
国力の圧倒的な差は明らかだった。外相の松岡洋右の狙いは三国同盟をソ連を加えた4国の提携に発展させる
ことで米国を牽制(けんせい)し、交渉を優位に進めることにあった。
一方、民間ルートでの対米交渉も開始。15年11月、神父のウォルシュとドラウトが来日した。駐米財務官だった
井川忠雄を通じ、松岡や陸軍省軍務局長の武藤章と相次いで会談、日米交渉の端緒を開いた。
「圧力と対話」で開戦回避をもくろむ日本。だが、その思惑をよそに世界情勢は移ろい始める。ルーマニアなどの
勢力範囲をめぐり、ドイツとソ連は15(40)年11月の首脳会談を経て関係が悪化した。ドイツのヒトラーは「対英戦の
終結前においても、ソ連を打倒する準備にあたらねばならない」として、同盟国の日本への通告なしに対ソ戦準備を
指令した。対米強硬戦略は根本から瓦解しようとしていた。
米国も国務長官ハルが「ナチと日本との協同は頑固な逃れぬ事実」と述べ、三国同盟を契機に対日姿勢を硬化させた。
グルーは12月、「日本は公然とまた恥じることなく侵略国の一部となり、米国がよって立つあらゆるものを破壊せんと
する組織の一部になった」と本国に報告した。
そして2月。ヒトラーが「独ソ関係は何時悪化するか分からない、将来ソ連を敵とする場合もあるやも知れず」と
駐独大使の来栖三郎に伝えた数日後、日米交渉の窓口役として駐米大使の野村吉三郎がワシントンに着任した。
暗雲垂れ込める中、本格的に日米交渉が幕を開けようとしていた。
>>3以降に続く
>>2の続き
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◇
≪if≫
■独ソ開戦で三国同盟から離脱していたら
昭和16年6月22日、300万のドイツ軍がソ連に侵攻を開始。4月に日ソ中立条約を結んだばかりで、
日独伊三国同盟と合わせ対米圧力を強めていた日本に、大きな衝撃が走った。
この時点で取り得た選択肢の一つが、三国同盟からの離脱である。対米政策を転換して日米交渉を加速させ、
欧州戦線への不介入と日中戦争の早期収拾に舵(かじ)を切ることができた。ドイツがソ連との不可侵条約を破る
という情勢の変化に伴うもので、国際的非難を浴びることもない。
実際に、企画院総裁の鈴木貞一らの進言を受け、首相の近衛は陸相の東条らに「脱退すべし」の意見を伝えている。
しかし、本格的議論に発展することはなく、代わりに軍部から台頭したのは対ソ参戦の「北進論」と、北方の脅威減退に
乗じ南方の資源獲得を目指す「南進論」だった。結局は目前の対ソ戦を避けるため、「多少代償的な意味」(近衛)で、
南進論が選択され、米国との決裂を決定づける南部フランス領インドシナ進駐に向かう。
近衛は後に、内大臣・木戸にこう漏らした。「独ソ開戦の時に、三国同盟を解消してしまえばよかったな」−。
◇
■主な参考文献 「大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯」(防衛庁防衛研修所戦史室著、朝雲新聞社)
▽「陸海軍年表」(同戦史部著、同)▽「日米関係史 開戦に至る十年」(細谷千博ほか編、東京大学出版会)
▽「日米開戦への道」(大杉一雄著、講談社学術文庫)など。
以上。
依頼スレ
>>470さんからの依頼です。
4 :
名前をあたえないでください:2011/02/06(日) 17:04:21 ID:g4x/m+8L
5 :
名前をあたえないでください:2011/02/06(日) 17:10:55 ID:N7CAusap
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. ‖ \:::: ,r=ァ― T<´ // 緒戦でのドイツは圧倒的だったから
 ̄./:::::::丿 Ц:::\ 三国同盟からの離脱は無理だね
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/:ヽ. . . . . .レ'':⌒`ヽ|: : : : : :>、
/\::ヽ. . . . レ''⌒`ヽ1: : : : :/::/ヽ
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6 :
名前をあたえないでください:2011/02/06(日) 17:55:29 ID:zdL9BkkF
三国同盟解除後
独ソ戦 ドイツ勝利 → 日本に友邦無く孤立化、アメリカの圧力に屈服
ドイツ敗北 → ソ連軍南下、日本は大陸から一掃される。のちにアメリカの圧力に屈服。
7 :
名前をあたえないでください:
戦争は何のためにやるのか? それは戦争をしてでも達成したい目的があるからだ。
19世紀後半から20世紀初期の世界情勢は、欧米列強が植民地とする新たな土地はない状態
であり、欧米列強とそれに唯一伍していた日本を含めた「残った強国どうしがお互いを食い合
いをはじめる状態」であった。
そんな状況で、日本は自国防衛のための施策の他に、国際連盟で「民族自決国家の樹立=植民
地主義の終焉を以っての国取ゲームの終息」を提案していたが、米国に無視された。
強国どうしが食い合うしうかない状態では、強国どうしは直接戦闘ではなく政治経済外交によ
る戦いとなり、我が国は原油禁輸という攻撃で破滅間近であった。
いくら強国どうしの戦争が危険でも「戦闘行為を発生させないために侵略自体を受け入れる」
という方法では「戦争をしてでも守るべき日本の国民の安寧・自由」を否定した日本人の奴隷
化でしかなかった。白色人種が当時、黄色人種に対して牛馬の様な扱いをしていた現実からは
受け入れられない選択であった。それが大東亜戦争開始の背景であり、その目的は植民地解放
民族自決国家の樹立による「国取ゲームの終焉による平和実現」であった。
日本は戦闘行為に負けたが目的は達成された。米国が大東亜戦争で演じた役割はソヴィエト・
ロシアのコミンテルンの謀略に乗せられて日本に政治経済外交で圧力を加えと戦争へと誘引し、
自分が戦ったことだ。戦っている最中にソ連の危険性に気がついた様だが、遅かった。
そのツケは広島と長崎が払ったのだ。これが原爆投下に至る大きな流れだ。米国に正義がある
としたら、戦後に植民地政策廃止理念を理解したことと、社会主義理念で糊塗したソ連の国取
ゲームに対して、米ソ冷戦でソ連に対峙し続けたことであり、大東亜戦争では米国には正義が
なく、原爆投下の正当性とは「ソ連に勝つ」という1点しかなく、対日本では一切正義がない。