【教育】現場に出る教育委員 子どもや教職員と意見交換=宮崎市

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1うんこなう(100119)φ ★:2011/01/20(木) 10:44:29 ID:???
宮崎市の教育委員(全5人)が、自ら学校や地域に足を運んで、
教職員や市民との意見交換に取り組んでいる。地方の教育行政に
かかわる様々な権限を持ちながら、これまで現場から遠く、
「存在感がない」と批判があった。「顔の見える教育委員会」が目標だ。

今月6日、同市教育情報研修センターで、中学1年生10人と、
宮崎幸生教育委員長ら教育委員4人が向かい合っていた。
教育委員と中学生の初めての「意見交換会」。生徒の保護者も見守る中、
宮崎委員長の司会でマイクを回し、日頃感じている小学校生活とのギャップを話し合った。

「テストの範囲が広い」「部活が疲れるので勉強との両立が難しい」
と悩みを漏らす一方で、発言からは「勉強は応用的な問題が多い中学
の方がおもしろい」「テストで順位が付くのがやる気になる」と、
中学校生活に刺激を受けている様子も。授業の進め方をめぐっては、
「分からない科目を集中的に教えてもらえる授業が欲しい」と注文も出た。

約2時間の話し合いの後、清武中の黒木咲妃さん(13)は「こういう
機会はめったにないのでドキドキした」と充実した表情を見せた。
宮崎委員長は先輩や教員との接し方など、人間関係に関する悩みが
聞かれたことに注目した。「自己中心的と言われる世代だけど、
そういうことに関心が高いんですね」と意外そうだ。「生徒の目線で
話を聞ける貴重な機会。やり方は見直しながら、今後も続けたい」と話した。

宮崎市教委が取り組んでいる意見交換の相手は、子どもたちだけではない。
同市教委は2007年から毎年、「改革プラン」(10年度から「活性化プラン」)
を策定。その中で、教育委員が事務局職員を通じてしか現場の情報を得る
ことのなかった態勢から踏み出し、教育にかかわる様々な立場の人と直接
交流に乗り出している。「市民目線の教育」を実現するためだ。

市庁舎で行っていた毎月の定例教育委員会のうち数回を「移動教育委員会」
として公民館などで開催。終了後には傍聴者と、地域と学校の連携について
意見交換している。学校などに出向き、教職員らと現場の課題を話し合う
「スクールミーティング」も、年に2回。ありそうでなかった市長との
意見交換会も、09年9月に初めて実現した。

椎木隆・市教委総務課長は「教育をめぐる状況がこれだけ複雑化する中では、
情報共有を進めるのは自然な流れだと思う」という。

意見交換の結果を、教育現場にどう還元していくのか。

椎木課長は、昨年、市立小中学校で虫歯予防のために取り組むことが
決まった「フッ化物洗口(せんこう)〈うがい〉」を成果に挙げる。
賛否の分かれていた、フッ化物を使ったうがいを市教委として推進すること
を決めるにあたり、教育委員も外部の有識者を招いて研修を重ねたという。

宮崎委員長は「学校のトイレの設計を決めるにも、子どもたちの意見が
教育委員に届くようにしたい」と話す。「まず現場と教育委員の距離感
を無くすのが狙い」の取り組みは始まったばかりだ。

■委員本来の姿
〈教育評論家の尾木直樹さんの話〉
宮崎市の教育委員の自主的な取り組みは、本来の教育委員の姿に
立とうとしているということで素晴らしいと思う。教育は子どもの
目線、親の目線、先生の目線に立つのが原則。現場に立脚しない
教育委員は行政側に立脚してしまうわけで、全く意味がない。
現場に立脚することで教育委員自身の成長も望める。発想を変えれば
様々な工夫ができるはずだ。

http://mytown.asahi.com/areanews/miyazaki/SEB201101170024.html
2名前をあたえないでください:2011/01/20(木) 10:56:36 ID:q9vd944w
教育委員って山ほどつけとどけが来ることで有名な職業って聞いたこと
あるけど何か世の中の役にたってるの?
3名前をあたえないでください:2011/01/21(金) 22:08:41 ID:vnI9BAC8
本当の「和」とは それぞれの意見を正直にぶつけ合い 違いを認め、理解しあうこと。
個人主義者ってのは自分の自由と尊厳を自分だけじゃなく他人にも 与えられる心の余裕がある人を言うんだよ。
個性を認め合ってこそ、真の和が生まれるはず。
真に自由で多様性を大切にする社会は、「殺してもいい」とか「泥棒してもいい」とは言わない。
倫理的不寛容は、自由な社会を作る上で、欠かすことのできない条件である。
「自由だ!」と叫びながら、罪を容認すると、かえって社会は奴隷状態になるのだ。
たとえば、自由主義経済は、「ウソをついてはならない」という倫理的規範を重視する。
なぜならば、商取引において、互いにウソをつき合うと、信用取引ができなくなり、
保険やら、担保やら、いろんな制約をつける必要がでてくる。
また、警察が怠慢になり、罪を放任するようになれば、
夜一人でコンビニなどに行けなくなることにもなるだろう。
犯罪に対する寛容は、社会から自由を奪うのである。
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