【行政/宮内庁】明治期の古写真デジタル化 ネット公開も検討

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宮内庁が、主に明治期に撮影された古写真計約3万枚のデジタル化を進めている。明治天皇の地方訪問の
記録など近代化への歩みを進める国内の姿を切り取った貴重な史料だが、撮影から100年を超えるものも
あり、退色などの劣化が進む。今後、原本の保護を進め、写真をインターネットで一般公開することも検討して
いる。

写真は、明治天皇が全国を視察した際にお抱え写真家が撮影した各地の風景や、福島県の磐梯山噴火
(1888年)などの災害を写したものが多い。写真を見た明治天皇が被災地に見舞金を出すこともあり、
担当者は「テレビもない時代。天皇にとって写真がメディア代わりの情報源だった」と話す。

ほかに、富岡製糸場(群馬県富岡市)や、気球を使って空撮した東京・新橋停車場周辺などをはじめ、
橋や灯台の完成を報告するために地方から献上されたとみられる写真もある。

これらの写真は天皇の側近が保管し、1937年に約1万枚が宮内省図書寮(現宮内庁書陵部)へ。
残り約2万枚は歴代天皇の手元に残されたが、昭和天皇が亡くなった後、皇室に伝わる美術品を納める
ために宮内庁が皇居内に建設した「三の丸尚蔵館」に引き渡された。

2010/10/08 08:05 【共同通信】

ソース: 47NEWS
http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010100801000035.html

※依頼があり立てました。
2名前をあたえないでください:2010/10/08(金) 19:14:44 ID:gvwx8veV
併合時の朝鮮の写真の公開も希望っす
3名前をあたえないでください:2010/10/08(金) 19:15:52 ID:taOorxp3
豪華な装丁で製本しないのかな?
金持ちの高齢者高額で売れるのに。
4名前をあたえないでください:2010/10/08(金) 19:19:21 ID:omOhQyLb
天皇陛下  日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。
韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。
宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。
こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。
日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。
武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。
また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。
 しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html
宮内庁ホームページ
5名前をあたえないでください:2010/10/08(金) 19:21:17 ID:3z3ZXT7/
これは良い試みだな
単純に興味があるわ
6名前をあたえないでください:2010/10/08(金) 19:21:39 ID:GDYIWJbc
「三の丸尚蔵館」で、(現宮内庁書陵部)の特別展「皇室の文庫(ふみくら)」やってるんだけど、
坂本竜馬効果か?伊藤若沖のときより大混みでワロた。

ところで、
>写真がメディア代わりの情報源だった
写真って、メディアじゃないの?
7名前をあたえないでください:2010/10/08(金) 19:55:03 ID:zOkNFpKh
孝明天皇と 明治天皇 の比較写真 お願いします
8名前をあたえないでください
デジタル化してネット公開したらコラ素材として重宝されちまうだろ