【マニラ=稲垣収一】1944年のフィリピン・レイテ沖海戦で米軍機に撃沈された旧日本海軍の戦艦「武蔵」を、
周辺の島の振興に生かす構想が動き始めた。
日本の観光客や投資を呼び込む起爆剤にしたいと期待をかける地元の関係者らは、まず戦死者の追悼公園
整備から始めるという。
「島の30キロほど先の上空が米軍機で真っ黒になり、水平線の向こうから雷のような爆音が一日中響き渡った。
翌日、多くの日本兵の遺体が島に流れてきた」
シブヤン島出身の土木技師ホセ・マガディアさん(70)(マニラ在住)は4歳の時、海岸沿いで目撃した海戦の
模様を覚えている。空襲が激しくなると、家族と山の中腹に逃げたという。沈んだ巨艦の名が「ムサシ」だった、
と後に学校で聞かされた。
武蔵撃沈はこれまで、旧日本軍に占領されていたフィリピンの「解放」につながる戦果の象徴として語り継がれてきた。
ただ、マガディアさんは今、「ムサシが沈んだのも悲劇」と言う。地域振興構想では相談役となった。
構想の呼びかけ人は、タブラス島出身の元国家警察局長ドミナドル・レソスさん(63)。2006年、同海戦を記念
する非営利団体を設立。毎年、武蔵が沈没した10月24日には、比政府関係者らを招いて記念行事を主催してきた。
レソスさんは今年6月、戦史研究仲間の弁護士や大学教授らと資本金100万ペソ(1ペソ=約1・9円)を投じ、
武蔵をテーマとする観光開発会社を設立した。
構想では、追悼公園はタブラス島に造られ、シブヤン島には、博物館や神社などを備えた複合リゾート施設を建設する。
3年以内の着工が目標で、事業費は約2億ペソと見込んでいるという。
最終目標は船体の一部引き揚げ。水深1500メートルより深い海域での発見は困難とみられるが、探査方法を研究
したいという。
「戦勝のシンボル」だった「ムサシ」は、「友好と地域振興のシンボル」(関係者)となりつつある。その変化を強調するか
のように、レソスさんは、「かつて我々が憎んだ日本兵は、国の命令に従っただけの被害者」と語った。
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戦艦「武蔵」 第2次世界大戦当時、姉妹艦「大和」と並んで世界最大(全長263メートル)を誇った旧日本海軍の戦艦。
1944年10月、フィリピン奪還を目指し、レイテ島に上陸した米軍撃退のため出撃したが、シブヤン海で撃沈され、
乗組員2399人中1000人以上が死亡した。
(2010年8月13日17時01分 読売新聞)
ソース: 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100813-OYT1T00068.htm ブルネイ沖を航行する戦艦武蔵(1944年撮影、広島県呉市海事歴史科学館提供)
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20100813-962917-1-L.jpg 戦艦武蔵で島おこしを目指すレソスさん=稲垣収一撮影
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20100813-962954-1-L.jpg 戦艦武蔵沈没現場
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20100813-962985-1-L.jpg