被爆から65年を迎えた9日、長崎は犠牲者への深い祈りに包まれた。
核保有国の英仏代表が初めて平和祈念式典に参列する一方、原爆を投下した米国代表の姿はなく、
被爆者の間には、核兵器廃絶への期待感と失望が交錯した。惨状を知る被爆者が高齢化するなか、
幼かったため「あの日」を覚えていない被爆者たちは悲劇を伝える道筋を模索し始めた。
英仏両国の代表は、平和祈念像前に設けられた特別来賓席の前から6列目に着席。真剣な表情で、
身を乗り出すようにして式典を見守った。
長崎市は、英仏に対して被爆60年に当たる2005年から招聘(しょうへい)を続けてきた。約20年間、
平和行政に携わった元市職員の田崎昇さん(66)は、平和祈念式典に英仏両国代表が初出席したことに
ついて「両国で核兵器廃絶を望む国民が多数になりつつあることの表れ」と感慨深く受け止めた。
被爆者でもある田崎さんは、退職する2003年3月まで7年間、初代平和推進室長を務めた。1996年
には伊藤一長市長(当時)と平和市長会議の関連で訪れたスイス・ジュネーブで、核保有国の国連軍縮
大使を回った。大使たちは被爆者の苦しみに共感は示すものの、必ず「核兵器は抑止力として必要」と続けた。
伊藤市長が「被爆の実相を分かってない。核保有国の壁は厚い」と漏らしたのを忘れられない。
広島の平和記念式典には、ルース駐日大使が米代表として出席したが、長崎に代表は派遣されなかった。
昨年、オバマ大統領の来訪を求める署名活動を行った田崎さんは「なぜ長崎には来ないんだ」と憤る。
被爆者に関するドキュメンタリー作品を製作したこともある映画監督デイビッド・ロスハウザーさん(米国)は
「オバマ米大統領が出席していれば、違っていただろう。プラハ演説を行った大統領は核廃絶を行動で示し、
核兵器を使用した国として、世界をリードするべきだ」と話した。
一方で、05年はロシア、ウクライナ2か国だった海外からの参列者数は今年30を超えた。田崎さんは
「被爆地で原爆被害のすさまじさを知り、絶対に核兵器を使ってはならないと感じたはず。英仏という
核保有国の一角が動けば、米国へのプレッシャーにもなる」と期待した。
式典に参列した被爆者の、榊(さかき)フデさん(93)(長崎市城山町)は、原爆で多くの友人を亡くした。
「英仏の参列は、(核兵器廃絶のための)大切な一歩。生きているうちに核のない世の中になるよう、
核保有国は尽力してほしい」と願った。
(2010年8月9日13時15分 読売新聞)
ソース: 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100809-OYT1T00283.htm ※依頼があり立てました。