【兵庫】被爆の衝撃物語るブラウス資料館に 姫路の女性

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1酔っても送ってもらえない(100901)φ ★
広島に原爆が投下された65年前の8月6日、爆心地から800メートルの場所で被爆した松本ミヨ子さん(84)
=姫路市=が当時着ていた半袖のブラウスが、松本さんの自宅で見つかった。松本さんは腕や背中などに多数
の傷を負ったが、奇跡的に一命を取り留めた。ブラウスは、衝撃を物語るかのように、わきの下などに穴が開いて
いる。松本さんは故郷の広島平和記念資料館に寄贈したいという。(坂本 勝)

広島市の材木商の長女として生まれ育った。1944年に広島女学院専門部を卒業後、軍需監理部の事務手伝い
を頼まれ、繁華街・八丁堀の福屋百貨店2階にあった事務室で働いていた。

その日、いつもより早く家を出て、事務室の机をふいていたとき、鋭い閃光(せんこう)とごう音がして机の下敷きに
なった。照明器具の破片で切ったのか、左手首が裂け、骨が見えた。窓から見ると数人が折り重なり死んでいた。

自宅があった南の方向は火の手が上がり、焼け跡から数日後、母親の遺体が見つかった。梁(はり)の下敷きになり、
助けを求めながら焼死したと聞き、胸が引き裂かれた。

被爆から2週間後、母の遺骨を胸に、現在の宍粟市山崎町にいた兄の元に身を寄せ、46年に結婚。姫路市に移り
住んだ。

体内には今もガラスの破片が入ったまま。被爆後間もなく変形性脊椎(せきつい)症も患い、健康不安におびえ続けた。
55年ごろ精密検査を受けた医師に「爆心地の近くで被爆しながら、これほど無事に生きて来られたとは」と驚かれた
という。

ブラウスは、家の中にしまってあったが、最近になって偶然出てきたという。半袖の絹製。内側に継ぎはぎがされ、
着るものが乏しかった戦争末期に、大切に着ていた様子がうかがえる。松本さんは「被爆を伝えるためにもブラウスを
残したい。資料館に置いてもらえれば」と話している。(2010/08/05 16:03)

ソース: 神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003280467.shtml
被爆当時に着ていたブラウスを手にする松本ミヨ子さん=姫路市安田
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/Images/03280468.jpg

※依頼があり立てました。
2名前をあたえないでください:2010/08/06(金) 23:20:28 ID:4F44UbDT
一方、民主党資料館には
@ポッポの故人献金用紙
A菅のよだれの染み込んだ国会議事堂の椅子
・・・・・・・・・・・
I荒井のキャミ
3名前をあたえないでください
絹製ってことは結構よいものだったのかな?