【幕末】桜田門外の変で「井伊大老警護の武士逃げた」奉公人の証言発見
1 :
第参拾代目 おまコン(100901)φ ★:2010/07/11(日) 03:06:11 ID:???
幕末の大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」で、居合わせた中間(ちゅうげん)(奉公人)
の証言とされる記録が、広島県立歴史博物館(福山市)で見つかった。
故郷の安芸に帰る途中に役人に語ったもので、襲撃時の慌てた状況が読み取れる。
記述があったのは、福山藩の儒学者・菅茶山(かんちゃざん)(1748〜1827)の弟子、門田朴斎の五男が、
「変」に関する伝聞や風説などを集めた「骨董(こっとう)録」(縦22センチ、横15・2センチ、100ページ)。
茶山の子孫が館へ寄贈した資料約1万点の中にあった。
中間は事件の朝、登城する約60人の行列中、駕籠(かご)の後方で馬を引いていた。
<殿様御駕籠へ誰に候哉、刀抜連切て掛り候者数人有之、其勢之烈しく怖しき事言んかたなし>
(殿様の駕籠に何者か分からないが、数人が刀を抜いて切りかかった。その勢いの激しさと言ったら、恐ろしくて言葉もない)
〈其内に御駕籠の内か外か不存候へ共、大なる声にて一声叫び候声ハ耳本へ響て聞へ候、
御供方ハ前後へ颯と逃散り、抜合候士も無之様に者相見候へ〉(そのうち駕籠の内か外か分からないが、
大きな声が一声聞こえると、警護の武士は前後に逃げ散り、応戦する者はいないようだった)
中間は恐ろしくなって馬を引いて井伊邸に戻った。
10月には映画「桜田門外ノ変」が公開予定。時代考証を担当した西脇康・早大講師(日本近世史)は
「井伊の家臣は口を閉ざした部分が多く、これだけの証言は残っていない。突然襲われて慌てふためいた行列の様子が分かる」と話す。
◇桜田門外の変=1860年3月3日朝、江戸城桜田門外で、大老で彦根藩主の井伊直弼を水戸浪士らが殺害した。
尊王攘夷(じょうい)派への弾圧「安政の大獄」を実行した井伊への反感などが背景にあったとされる。
警護した彦根藩士の一部は討ち死にし、生き残った者も切腹、斬首(ざんしゅ)などとなった。
以下ソース:7月11日01時37分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100711-OYT1T00147.htm
2 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 03:13:22 ID:J+chWTGY
日本人はヘタレですね
3 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 03:16:27 ID:ePOdGtCE
南京の中国人ほどじゃないけどね
4 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 03:18:30 ID:F5Vuhb9P
そのへたれへタレにいいようにされた朝鮮人。
そのへたれに養ってもらってる在日。
哀れすぎますね。
5 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 03:38:41 ID:LDQmN++W
どこかの大使みたいに女置いて逃げたんだな
6 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 03:56:32 ID:o2SyS0y/
日本の警察も国賊だと思ったら警護しなくていいよ
7 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 04:16:21 ID:qeBX9t+f
桜田門外の変
それだったら、桜田門内の変がなくてはヘンだ、とか言ってみる。
8 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 04:33:33 ID:19HEVkDu
生き残った警護関係者が切腹、斬首の責任を取らされたのはさすがだ
こういう美風はぜひ復活させたい
9 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 04:42:30 ID:VoUIwQTs
井伊は部下から嫌われていた。
ヒエラルキーの上部に座っていたから威張っていられたが、実態はこの程度。
日本社会の実相を表わしている。
10 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 05:48:13 ID:wA+3WLaJ
自衛隊もにげださないといいな
11 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 06:35:33 ID:P25SpUE7
>>9 この時代はみんなこんなもんじゃないか?
平和すぎて主君を守るよりも死にたくないだし
姉小路の時も本人結構な使い手なのに太刀持ちが逃げちゃって死んだし
この次の大老の暗殺は、本人逃げたけどこの事件で井伊が死んだせいで
暗殺されかけたのに逃げたのが士道に悖るとかで左遷だっけか
12 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 07:37:35 ID:38+Zr6Ya
井伊大老自身が殺されるのも覚悟の上だったのでは。
本気で暗殺防ごうとしたら剣術の達人を新規に召し抱えれば良いわけだし。
井伊家は大藩だから財力は有っただろう。
13 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 07:37:52 ID:4DQ3uNik
武士っつってもこの程度か
14 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 08:51:04 ID:JV81Okw1
武士道なんてのは新渡戸稲造が勝手に作った言葉であって実際はそんなもの存在しない。
>>12 二刀流の達人が警護にいたという記述もある。
雪の中、冷静に装備を整え数名を返り討ちにしたが、複数名に囲まれ討ち死にしたという
話を聞いたことがある。
16 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 09:18:38 ID:gLxlcP4y
当日は雪が降っていて、警護の武士の刀の柄には防水用にカバーつけてたんだ。
カバーが鞘に糸でくくりつけてあったから、とっさには刀を抜けなかった。
寒くて手がかじかんでたことも、警護隊には不利。
その辺も、浪士たちが計算してたらしい。
17 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 10:02:16 ID:KdSLxDJz
水戸浪士シンパの薩摩藩士有村さんが
取った首を持ち去り近所のお屋敷に駆け込もうとしたが
追っ手に手傷を負わされ最早これまでと屋敷前で自害
さすがに藩主の首なんですとは言い出しにくいので
「あのー、それ藩士の○○さんの首なんですが返してもらえます〜う?」と
屋敷を訪問して取り返した奴が一番機転利いてる。。
髷の形やなんかでただの藩士と違うことなど一目瞭然だろうに
返した奴も空とぼけすぎ
ところがどういうわけか水戸の地には井伊直弼の首塚もあるんだな。
彦根藩は藩主の首を掻かれた恨みを
無条件降伏した水戸天狗党への陰惨な虐待&処刑で意趣返し
18 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 11:39:30 ID:4DQ3uNik
あの日は寒かったぁ
19 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 12:29:04 ID:Qegfwqn3
ゴルゴなら銃弾一発でOKだよな
20 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 12:34:18 ID:Qegfwqn3
>19
駕篭に乗ってたんだろ。乗ってる姿勢は決まりもの。
だから、ゴルゴだったら、一発で仕留められると思う。
21 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 12:37:40 ID:MnDWP3cS
当時の武士の大部分は今のサラリーマンと大差ないマインドだったんだろうな・・・
そりゃ、てめえの命が可愛いよ
命あってのモノだね
>>1 > (そのうち駕籠の内か外か分からないが、大きな声が一声聞こえると、警護の武士は前後に逃げ散り、応戦する者はいないようだった)
これだけでは警護の武士たちが単に逃げたとは思えない。
そもそも、警護に失敗して殿(井伊直弼)が暗殺されれば、どのみち、その責を問われ
警護の武士たちは切腹=死を免れないので、逃げても意味がないので必死で応戦することは当時の常識。
この証言を読むと前後関係から、「大きな声」は駕篭に乗っていた井伊直弼の断末魔の叫びで、
中間たちからは前後に逃げ散ったように見えた警護の武士たちは、殿が討ち取られたことを知って、
この上はとにかく賊達を捕らえる事を優先と、応援を呼びに城内や奉行所へ知らせに走ったのではないだろうか。
24 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:
井伊家の上屋敷は
紀州尾張の御三家クラスと並んだ一等地にあった
それが今ある紀尾井町
のちに大久保利通の馬車が襲撃されたところ