【論説】「正直は報われる」「一生懸命頑張れば、報われる」…この考え方は、武士道精神に反する、「浅はか」で「はしたない」考え方だ
「正直は報われる。だから正直でなければいけません」。昔のお母さんはよく子供にこう言い聞かせたものだ。
それはともかく、これは会社で言うところの「成果主義」に通じる言い方である。「一生懸命頑張ればやがて周りから認められ、報われる」というわけ
である。このような言い分に対して反対だという人は、現代社会ではかなり少ないと思う。
しかし、このような言い方は武士道精神に反する、と新渡戸稲造は言う(『武士道』)。
なぜか。そもそも正直にふるまうということ自体、「正直」という徳を実践することであり、人間に喜びをもたらすからだ。「正直」であること自体ですでに
報われているのだから、その上、さらに何か報われると考えるのは浅はかではないか、というわけである。
この『武士道』精神は欧米から入ってきた「成果主義」を根本的に否定するものと解せるだろう。およそ「金銭的な報酬のために頑張る」という、
今では当たり前と考えられる行為が、武士道精神から見ればはしたないというのである。
このような人間の行為と報酬の直接的な関係を卑しいものとみなす武士道精神は、いまや欧米化されてしまった日本人にはもはや受け入れ
られないものなのであろうか。再考してみる価値はありそうである。
ソース(東京新聞 2/13 25面 「本音のコラム」 三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長・中谷巌氏)
稲造の武士道は騎士道であって、武士道ではない
難儀な解釈だね
自分の中にしまっておく心がけで
十分ってことでしょ
それ以降はオマケ、ってことで
目くじらたてなくとも
じゃあ給料もらうなよ
じゃあ死ねよ
これ、読んだ時に一瞬「ええっ!?」とビックリした内容だったので、立ててみました。
「正直」のところを、例えば「電車でご老人に席をゆずる」に置き換えてみると、内容がわかりやすくなるかもしれない。
例えば、「一緒にいる女性に好印象を持ってもらいたい」などの見返りを望んで「老人に席をゆずる」のなら…
なるほど、確かに「浅はか」で「はしたない」。
ふむー、なかなか深い。
7 :
名前をあたえないでください:2010/02/18(木) 10:22:16 ID:RIEVYS1w
由緒正しく農民の俺には武士道とか言われても困る
9 :
名前をあたえないでください:2010/02/18(木) 10:28:39 ID:3gc0kHwq
宮本武蔵もそう言ってる
とにかく勝てばいいんだよ
10 :
名前をあたえないでください:2010/02/18(木) 10:32:26 ID:ITMr1pak
そもそも正直である事はなんの意味もない事が立証されちゃったしな
24時間テレビが偽善っていうのと似てる
13 :
名前をあたえないでください:2010/02/18(木) 10:36:07 ID:9GrU+I9r
>三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長・中谷巌氏
お前はどうなんだ、と言いたい
そんな立場にいてまだ報われてないというのか
>>11 他の誰か(たとえば女など)から評価してもらいたいから「正直に生きる」わけじゃあるまい?
つまり
>>1が言っているのはそういうことなんだと思うよ。
じゃあ、どうすれば報われるのさ
17 :
名前をあたえないでください:2010/02/18(木) 10:40:10 ID:eZ4Mzx4A
日本人の大半は農民出身だろ。武士道なんて関係ない。
領主は手柄をたてた部下に対して
十分報いる信頼関係があったから命を張って戦ってたのが
もともとの一般的な武士だろう
盲目的な忠義は江戸以降のお話での民衆に受けやすかった理念
正直が報われるっつか、敵を作らないってのは立派な戦略。
もちろんユダヤ系みたいに何やっても嫌われてもカネを稼ぐ、って戦略もアリだけど
アレは稼げない下っ端には風当たりだけ強くなって辛いと思うな。
20 :
名前をあたえないでください:2010/02/18(木) 11:16:01 ID:VwSoySO9
国家が下級市民を騙すお題目を武士道にあてはめるなよw
実際武士は農民にそう言って搾取してきたしw
割と納得できた
でも見返りは欲しい
22 :
名前をあたえないでください:2010/02/18(木) 12:07:11 ID:YmGKwN0U
武士道というのは自己犠牲だから。
報われようなんて思って、何かするなら武士道に反するのは当然。
23 :
名前をあたえないでください:2010/02/18(木) 12:12:44 ID:3rMg758p
卑劣者
この先いかせず
弐ちゃんねる
自発的に行われる自己犠牲は尊敬すべき行為だが、
他者に自己犠牲を求める行為は蔑むべきものだな。
>「正直は報われる」「一生懸命頑張れば、報われる」
主観の問題だろ?
自己内でそう考えて行動を正当化するのは必要なことだが、
それを「・・・だから評価して」って客観に訴えるのは
「浅はか」で「はしたない」ってことだろ。
「報われるべき正直」「報われるべき一生懸命」は
個人の価値観によるものだから自分で決めることはできない。
少なくとも正直である(フェアである)事に対して報われる社会であるように努めないとならんわな。
「そんなに母親から資金提供があったなんて知らなかった。」で済まされちゃいけないし、
不法滞在者を安く使うことで企業努力し値下げしました、お陰でシェア拡大してます!なんて許されちゃいけない。
キリスト教にもね神の左手悪魔の右手ってのがあるんすよ。
善い行いをする時は悪い事でもするように、人から隠れてしなさい。
左手で善を行うとき、右手にすら知られないように。
賞賛を求めてはならない、賞賛される者はすでに報酬を得ているのである。
それでも神は見ておられる…
ま偽善で実利を得るな。っちゅうこっちゃね。
今や有り得ないような美徳ですが。
言いたい事はわかるんだが、
前の集中豪雨のときにも被災者が「こういうときに助けに来るはずのボランティアはどうした。」なんて言っちゃう感覚につながるからなぁ。
人助け(=善行)は無料奉仕でなくてはならないという感覚が、
日本での民間セクター活動の妨げや介護職の酷い労働環境に繋がっていると感じるよ。
>>27 聖書でそういえば見たことあるな、と思ったので探してきた
「マタイによる福音書」より引用
http://www.wcsnet.or.jp/~m-kato/bible/matthew.htm 自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたの父から報いを受けることが
ないであろう。
だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、
彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。
それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、
彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたは祈る時には、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられる
あなたの父は、報いてくださるであろう。
また、祈る場合、異邦人のように、くどくど祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたの必要なものはご存知なのである。
(中略)
断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくする
のである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
それは断食をしていることが人に知れないで、隠れたところにおいでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられる
あなたの父は、報いて下さるであろう。
あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
むしろ自分のため、虫も食わさず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すことのない天に、宝をたくわえなさい。
30 :
名前をあたえないでください:2010/02/26(金) 22:26:09 ID:ZAsVeAhI
新渡戸稲造はキリスト教徒
32 :
名前をあたえないでください:2010/02/26(金) 23:49:46 ID:3tnXV9Dj
情けは人のためならず、って言葉は、きっと近代になってから成立したんだな
武士道が実践されてる江戸時代には想像すらできない概念だったんだろうな
33 :
名前をあたえないでください:2010/02/27(土) 00:38:41 ID:3Btv0PeI
武士はほとんど死んで商人が生き残った
時代の変わり目に大半の武士の妻が商人に寝取られた話は有名である