★【自民党崩壊の現場】 衰えたブランド力 小坂憲次氏
「元気ですよ! 下を向いてばかりもいられない」
20日夜、赤い実がつきはじめたリンゴ畑に囲まれた長野市内の公民館。
小坂憲次元文部科学相(63)は長野市長選(25日投開票)の立会演説会で支持者らに笑顔を振りまいた。
小坂氏は長野1区を地盤に連続6回当選してきたが、今回の衆院選で民主党の篠原孝氏(61)との
3度目の戦いに約3万7千票差をつけられて敗北、比例復活も果たせなかった。
●4代のブランド力
「私は世襲の権化です」
今年4月、自民党内の世襲制限に向けた動きに、真っ先に異を唱えたのが世襲4代目の小坂氏だった。
世襲4代目は、鳩山由紀夫首相や小泉進次郎衆院議員らもいるが、明治23年の第1回衆院選から
議席を得ているのは唯一小坂家だけだった。実業家でもあった曾祖父の善之助氏が長野県内で
信濃毎日新聞や電力会社など数々の事業を興し、祖父の順造氏がさらに拡充、
「小坂財閥」といわれる強固な基盤を作り上げた。
東京都世田谷区の「瀬田四丁目広場」はかつての小坂邸だ。
約1万平方メートルの敷地に、わき水を利用した回遊式庭園、
多摩川を眺望できる家屋は、小坂家の栄華の一端をうかがえる。
●押し寄せる高齢化
小坂氏は、日本航空勤務後、中曽根康弘元首相秘書を経て、38歳で父、善太郎氏から地盤を受け継いだ。
だが、父親の後援会は高齢化が進み、青年部長がすでに60歳代。
小坂氏は自らと同世代だけの後援会「憲友会」を別に立ち上げ、基盤の強化を図ったが、
いまや憲友会のメンバーも小坂氏と同じ60歳代になった。
先代からの後援会は85歳を筆頭に地域支部長としてなお残っており、後援会の活動量は自ずと低下した。
それでも、小坂ブランドの力は強かった。
「各戸を訪問しても『うちは代々小坂だから』と断られるケースが多かった」
初勝利を果たした篠原氏はこう打ち明ける。
昨年10月には、民主党本部で小沢一郎代表(当時)に呼び出され、
「小坂のブランド力には同情するが、共産党支持層で自民候補に負けるのは全国でここだけだ」と叱責された。
ブランドを打ち崩すために篠原氏はひたすら戸別訪問など地道な日常活動を続けた。
●接ぎ木で原木は蘇るか
小坂氏も危機感を強め、後援会主催のイベントなどに次々に顔を出した。
だが、長野新幹線や長野五輪などでまちの雰囲気も変わり、ブランドの神通力は徐々に衰えていた。
政権交代の逆風に加え、世襲批判もあがり、今回の衆院選は「世襲の権化」に不利な条件ばかりがそろった。
小坂氏の選挙を長年取り仕切ってきた自民党の石田治一郎長野県連幹事長は
「出席者は数合わせの動員ばかりだった。真に選挙を応援してくれる人と見抜く目をもっと養うべきだった」と悔しがる。
小坂陣営は今後、活動の「質」を見直す方針を固め、小坂ブランドに代わる
「憲次ブランド」を作っていくというが、結局は篠原氏と同じ活動を展開する以外には手段はないのか。
「リンゴの原木が年を取ったら接ぎ木を差し込み、別の新種を実らせることもできる。
どの原木が大切でどんな接ぎ木が必要か、自分の足で探し回るところから始めたい」
落選の挫折を味わった小坂氏は、リンゴ畑に囲まれた公民館で再出発への決意をこう語った。
産經新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091026/stt0910260055000-c.htm