江戸の匠を平成の世に からくり復元に挑む現代の“人形師” 越後大郷からくり館館長、日根之和さん
ゼンマイやひもを引っ張って動かす伝統のからくり人形。
作には高い技術が必要で、日本のものづくりの原点ともいわれる。
そんなからくり人形を江戸時代の古文書から再現した職人がいる。
越後大郷からくり館(新潟市南区)の館長、日根之和(ゆきかず)さん(67)だ。
日根さんは15年間、公立高校で理科と数学の教師として教べんを取ったあと、
県立自然科学館に勤務。同科学館のロボット展で江戸からくりを紹介した際、その魅力にとりつかれた。
そして人形作りを始め、平成16年に同からくり館を開設した。
日根さんはまず、江戸時代後半の天文学者、細川半蔵(1741−1796)の著書、「機巧図彙(からくりずい)」を元に
人形の復元を試みた。同書は人形の分解図が記されるなど、からくりの仕組みを比較的丁寧に解説しているとされる。
しかし、その製法は主に職人同士の口伝で継承されていたこともあり、本には微妙なバランスの調整方法など細かい記載がない。
その苦労はまず、部品作りから始まった。バネに使われるクジラのヒゲは骨董(こっとう)市に足しげく通ったり、
インターネットオークションで競り落としたりして全国からかき集める。歯車1つとっても、木目が歯車の中心から
広がるようにそろえて強度を保つため、6枚の板を合わせて作る、という具合だ。
部品を1つ1つ組み上げたとしてもまだまだ道半ばだ。
金属部品の多い西洋の自動人形と違い、主に木で作られる日本からくりは湿度や気温の影響を受けやすい。
また衣服を付ければ、衣擦れなどで人形の動きは全く違ったものになる。バック転をしながら階段を下りていく
「5段返り人形」を復元した際は、これらの微調整を繰り返し、完成までに3年かかった。
独自の改良も続ける。
書物にある5段からくり人形は、転倒しないように足の後ろに体に“支え”がついている。
根さんは人形のバランスを追求。2本足だけの返り人形を作った。
そして平成6年、全国からくりコンテストで銅賞を獲得。
日根さんは「金属の歯車を使う西洋人形はとても精密。でもその都度調整が必要な日本からくりは、その分情緒がある」と話す。
人形を作り続けて25年。越後大郷からくり館には、同書から復元した「茶運び人形」や「弓引き童子」など9体のほか、
オリジナルのからくり人形約50体が公開されている。
顔や服装が変化するからくり人形は文楽や浄瑠璃で使われた人形をルーツに発展。
ゼンマイなどで動く自動人形は室町時代以降、西洋の技術が伝えられて飛躍的に技術が向上したといわれる。
東芝の創業者の1人で「からくり儀右衛門」と呼ばれ、江戸時代末期から明治初めに活躍した田中久重(1799−1881)が
作った弓引き童子は、2メートルほど矢を飛ばしたという。命中精度が高すぎて、わざと1度外してみたりという“遊び”が
組み込まれたというからその精巧さには舌を巻くばかりだ。
平成17年の愛知万博で、その儀右衛門のからくり技術の粋が集められた万年時計が復元されたが、
現代の時計技術者が100人以上集まってようやく完成したのは記憶に新しい。
(
>>2以降に続きます)
■ソース:MSN産経ニュース 2009.8.9 08:00
http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/090809/art0908090802000-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/090809/art0908090802000-n2.htm http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/090809/art0908090802000-n3.htm http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/090809/art0908090802000-n4.htm ■越後大郷からくり館
http://www7b.biglobe.ne.jp/~echigodaigo-karakuri/