【日本史】800年の謎が明らかに!「藤原定家筆歌合切」断簡発見で、長年意味不明とされていた文意が判明 [07/20]
鎌倉期の歌人で新古今和歌集の選者だった藤原定家(1162−1241年)が、
定家のめいで当時を代表する女流歌人、俊成女(むすめ)(生没年未詳)の歌を書き取った
新しい断簡(原本の1ページ)が旧伯爵家の旧蔵品から見つかった。
この断簡は、途中で文意が途切れ、長年意味不明とされていた東京国立博物館(東博)所蔵の
「藤原定家筆歌合切(うたあわせぎれ)」の一部と判明。
約800年の時を超えた貴重な史料として注目を集めそうだ。
東博の歌合切は、後鳥羽院歌壇を率いた藤原俊成の養女が、
やはり新古今集の選者だった夫の源通具(みちとも)と結婚後の蜜月期に2人だけで
行った詠み比べを、定家が書き留めて批評している。定家が若いころの数少ない自筆の書で、
王朝風の流麗な書風に特徴があるという。
他に写本や注釈書がなく貴重な文学資料と注目されているが、批評の6行目から突然、
「荻(おぎ)の上葉(うわは)」「小野の篠原」などの言葉が登場し、
前半と後半の意味がつながらない不可解なものとされてきた。
今回見つかった新しい断簡の大きさは縦22・8センチ、横15・3センチ。
どの和歌集にも収録されていない歌2首が記され、そのうちの俊成女の歌には、
意味不明とされていた「荻の上葉」などが詠み込まれていた。
この断簡と東博の断簡をつなげて読むと、定家は俊成女について
「歌を聞いた人の袖まで涙でぬれるような感じがするので、こちらの勝ち」と記し、
俊成女の歌の方を高く評価していることが分かった。
明治期の宮内相、渡辺千秋伯爵の旧蔵品を、池田和臣・中大教授が調べる中で見つかった。
池田教授は「定家の30代終わりの書は希少であるとともに、ページがつながり、
意味が判明したのは新古今時代の和歌研究に寄与する発見だ。
優劣の判定から定家の和歌観をうかがうこともできる」と語る。
新古今集を全訳した久保田淳・東大名誉教授は「俊成は当時の和歌界の主導者だった。
その息子の若き定家と、のちに離婚してしまうのだが、源通具と俊成女の夫婦が
親しかったころに行ったこの歌合は、新古今集の成立を知る上で面白い史料だ」と話している。
歌合は当時、貴族の社交の場であるとともに、出世にもかかわる詠み比べ大会で、
大小さまざまな規模で公式に行われていたとみられる。
>>2以降へ続きます
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090720/acd0907200105000-n1.htm
◇
新出の断簡の歌は、流麗な平仮名で書かれており、
2首とも約45万首を検索できる「新編国歌大観」などになく、とても珍しい歌だという。
《通具「女郎花(おみなえし) 時をも分かず咲きしかど 今朝置く露ぞ秋の色なる」
(女郎花は夏の終わりからいつも咲いていたけれど、
秋風の吹いた今朝の女郎花の上に結んだ露にこそ、秋の色が見えたことだ)》
《俊成女「驚かす荻の上葉の風の音に まだき露けき小野の篠原」
(秋の来たことを気づかせる、荻の上葉を吹く風の音に、
はやくも露にしっとりと濡れた小野の篠原であるなあ)》
定家の批評を新出断簡から東京国立博物館所蔵の断簡につなげると、次のような意味になる。
《(通具の歌の)「時をも分かず咲きしかど」という表現は聞いた感じがよくない。
秋風を待つ女郎花の花の気持ちの表現も大げさである。
(俊成女の)「荻の上葉の風の音に」から「小野の篠原」への続き具合がとても優美で、
歌を聞いた人の袖まで涙で濡れるような感じがするので、こちらの勝ち》
■藤原定家筆歌合切 源通具と藤原俊成女が結婚後の蜜月期に夫婦2人だけで私的に開いた歌合原本の一部分。
それぞれが1首ずつ詠み、定家が優劣を判定する方法で四季題の100首まで行われた。
複数の歌が新古今集に収録された後、観賞用に裁断されて散逸し、全容は判明していない。
■俊成女 鎌倉初期を代表する女流歌人。後鳥羽院歌壇で活躍する祖父、藤原俊成の養女で、
俊成の次男、定家とともに歌の才能を認められた。新古今集に29首が入集している。
3 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 04:47:05 ID:GNQKdpMp
藤原という苗字付いた人に関わるな。
ろくなことない。
4 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 04:48:01 ID:Ukg0VwQS
つまりどういうこと?
理解できましぇん。
5 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 04:52:13 ID:/6bfUAxs
日本語でおk
6 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 04:52:56 ID:vgibTUn7
>>3 ちなみに伊藤と近藤とか苗字の二文字目に藤が付くのは
もともとみんな藤原さん。
あれか、あとはこれを元に韓国の学者がこじ付け論を展開していくのか?!
8 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 04:57:34 ID:m+5n6ZXN
現代日本もアニソン歌合戦で政治家を決めた方がいいかもな
10 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 05:25:16 ID:/6bfUAxs
歌会とかはやってるだろ
宮中主催とかなんやらで
柿本人麿は韓国人にされたことがあるな
12 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 06:42:41 ID:Eyuxej+2
ダンカン発見!
13 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 07:28:59 ID:z8EwEM6x
>>3 本当の藤原家の末裔は、京都の通り名か地名が苗字だからな。
義経匿ったのも、そういえば藤原だったな
15 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 07:56:06 ID:XsjTcDpL
由緒ある苗字ってのは、百姓が居ないってことだから、田畑持って居なかった。
すると姓を持たなかった鈴木さん、田中さん山田さんみたいな百姓のほうが
遥かに土地持ち、金持ち多し・・か
16 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 08:47:44 ID:WMpgEd/F
おれの知っている最低の屑の藤原は元内装工、
生きていれば65歳。
ぼろぼろの軽トラで走り回って、主に老人の住む古い家を
さがしてリフォームをもちかけ、派遣会社で塗装工、
大工等を調達してやらせる。
結果としてしょぼいやっつけ仕事になる。
すぐわかるウソを繰り返し、大工が何人もおしかけてくるなどの
脅しをかけてきたり、見せ金で見栄を張る。
いままで3回倒産したとか、困窮して万引きなんかを
やったがいまは立派にやっている
という風の自慢をするが、内情は自転車操業で火の車。
後ろ暗いことが多いので虚勢を張る一方で
常にこそこそしているゴキブリじじい。
成女と書いてむすめと読ませるセンスに違和感炸裂
18 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 09:16:07 ID:SOCJB8NQ
>>17 成女じゃなくて女だけでむすめと読むんじゃないの?
>17
俊成・女
としなりの・むすめ
って読む
頭大丈夫?学校行ってた?
義務教育うけた?
なんか、後年文才が枯れていた事を示すような内容だな。
21 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 09:28:49 ID:Un/Hxye4
>>19 ゆとりを苛めるなよ、かわいそうな人たちなんだから・・・
22 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 10:15:22 ID:g3skS7vR
平安時代の女の人って名無しでかわいそう
平民の自分でさえ名前があるのに
23 :
(,,゚д゚)さん 頭スカスカ:2009/07/20(月) 10:20:40 ID:7+/oL+Hd
「あのよろし」とか「みなしの」
いまだに意味わからん
24 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 10:26:49 ID:ubWBzs3J
>22
いやいや、名前はあったよ
ただ単に定子彰子クラスでないと『記録』に残らないだけで
名前を知られることははしたないことだったってだけ
うちの菩提寺にある家系図にも、女の人は、〇〇女(むすめ)か〇〇母って残されてる
平成になってから死んだばーちゃんも●●母(●●=長男の名前)だし
26 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 10:53:21 ID:a5T4Vx8v
>>24 名前があると悪霊に連れていかれるんじゃなかったっけ?
27 :
反・権謀術数:2009/07/20(月) 11:23:13 ID:TLydRSrB
28 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 11:24:13 ID:w6Kt4OHf
>>3 >>15 くだらない話だけど平安時代以降貴族のほとんどが藤原とすこしの源
になってしまったのでどこの誰だか区別できる名前が必要になった。
豊臣氏も藤原ですね。
当然家系もはっきりしてるから藤原をそのまま名乗ることは考えられない。
よくて田舎の下級神官、悪ければほとんど在日ですかね。
29 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 12:42:54 ID:ZVxjhpzZ
ふむ
30 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 13:36:26 ID:XsjTcDpL
日本人は250年遡ると殆どの人が共通の先祖に出くわすそうな。
一代30年として爺ちゃんの婆ちゃんの爺ちゃんの婆ちゃんくらいで。
キリスト教国には教会があって戸籍課みたいなことをやってくれていた。洗礼式んときに。夫の両親と
妻の両親の名を記録する。新大陸へ渡った白人が500年前まで遡ると親戚なんてことも実際ある。
生憎日本では寺の記録に人別帳とかいうもんがあるが精緻さに欠け、B問題などもからみ古いものは
あてに出来ない。家系図は男系が中心で姻族の出自についての記載は無いも同然。
歴史が長いだけで、先祖を遡るのは明治維新までが限界。それでも自分ときょうつうの先祖をもつ人々の
数は数万人を下らないけどな。
31 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 13:49:08 ID:/6bfUAxs
32 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 14:00:38 ID:63sKUlDz
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/sizokugairan/fujiwarag.htm 藤原氏概説
> ...
>鎌足の子・右大臣不比等以降、南家・北家・式家・京家の四流に分れて大いに栄え、
>天皇の后妃を輩出した。
>藤原朝臣は北家を中心に長く摂関家等宮廷貴族の大半を占めて存続し、明治に至っている。
> ...
>公家のみならず武家においても藤原姓を名乗る氏が極めて多く、わが国の苗字全体の
>五、六割が藤原姓と称していたともいわれる。
> しかし、この中には後世の仮冒も相当多くあり、他の古代氏族の後裔が藤原姓の
>雄族の養子、猶子となるとか、先祖の系を藤原氏に強いて接続させたという類例も、
>武家関係では非常に多い。
> これに加え、地方の雄族で先祖が不詳になったものには、中央の権門勢家にかこつけ
>藤原姓と称したものも多々あり、地方武家の藤原氏と称する氏にはむしろ十分な
>注意を要する。佐藤・斎藤・伊藤・加藤・後藤・武藤・近藤・安藤・尾藤・遠藤など、
>一般に藤原氏後裔とみられている苗字は、各地に分布が多いので一概にはいいにくい
>ものの、むしろその多くが本来は藤原姓ではなかった(俗説はむしろ間違いで、
>もっと言えば、□藤というのは殆どが藤原姓ではなかったということ)。
>陸奥に多い佐藤など□藤の苗字は、殆どが陸奥古族の末裔か。
> ...
( 藤原朝臣姓の苗字が極めて多く列挙されてまつ)
33 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 14:06:54 ID:63sKUlDz
34 :
名前をあたえないでください:2009/07/20(月) 14:16:09 ID:63sKUlDz
35 :
名前をあたえないでください:2009/07/22(水) 07:21:16 ID:uErI28Wk
、z=ニ三三ニヽ、
,,{{彡ニ三ニ三ニミヽ
}仆ソ'`´''ーー'''""ノ ̄ ̄`ヽ、―ニ
lミ{ ニ == 二/ ´`ヽ _ 三,:三ー三,:
. {ミ| , =、、 ノヽ--/ ̄ , ` ` ̄ ̄ ̄
{‐=;・;;=- | /! 「もう、いいんだよ」
`!、 , イ_ _,}、ー‐し'ゝL _
‘,'.;∴'.∴,・,‘・ Y { r=、__ヽjr--‐‐'´} ;ーー------
. r‐、 /)へ、`ニニ´ .'ヾ---‐'ーr‐'"==
} i/ //) `ー‐´‐rく |ヽ
l / / /〉、_\_ト、」ヽ! ドスッ!
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36 :
名前をあたえないでください:2009/07/23(木) 02:47:41 ID:z62PLfWA
〉成女と書いてむすめと読ませるセンスに違和感炸裂
おもしろーい
37 :
名前をあたえないでください:2009/07/23(木) 07:24:17 ID:BrrETq1h
チンコキーンバカ集
38 :
名前をあたえないでください:
ゴッドハンドでなければいいが