【歴史】「秀吉の死因は脚気」姫路の医師が新説発表へ
豊臣秀吉は脚気(かっけ)で亡くなったとする新説を、姫路市御立東の脳神経外科医で作家の若林利光さん(56)
がまとめ、近く日本病跡学会で発表する。晩年の秀吉の姿を書き記したイエズス会宣教師の手紙などを調べ、
下痢や胸の痛み、精神状態が不安定になるなどの症状から判断。白米中心の食事がビタミンB1不足を招いたとみられ、
若林さんは「症状をほぼ完全に説明できる」と自信を見せている。
秀吉は一五九八年、六十三歳で死去。死因は梅毒や結核など諸説ある。
若林医院の院長でもある若林さんは、これまでにも文献を基に源頼朝や中国の曹操などの死因を推理してきた。
昨年、江戸幕府の歴代将軍の死因を調べた際、十四代家茂が晩年、胸痛を訴え、たびたび錯乱状態になるなど、
秀吉の晩年と似ていることに気付いた。
家茂の死因は脚気。雑穀などに多く含まれるビタミンB1が不足すると発症する。歴史上、白米を食べる富裕層
に脚気が多く、失禁や胸痛、歩行困難、錯乱などの症状があるという。
宣教師フランシスコ・パシオは秀吉の臨終までの様子をイエズス会に詳しく報告。亡くなる約二カ月半前に下痢
となり、やがて床に伏せるようになり、死の前日には狂乱状態に陥った、と伝えた。また、家臣の日記にも秀吉が
失禁した、との記述があるという。
若林さんは「なぜ今まで脚気説がなかったのか不思議。一農民から天下統一を成し遂げた秀吉が、支配層に特有の
病で死んだとすれば皮肉なこと」と語る。論文は六月十三日、名古屋大学で開かれる学会で発表する。
[神戸新聞](5/29 10:43)
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0001964899.shtml
脚気菌を吹聴した森鴎外は市ね
3 :
名前をあたえないでください:2009/05/29(金) 12:25:50 ID:exab3Dpk
人間偉くなりすぎると、本人が玄米食べたいつうても周りが許さないんだろう。
4 :
名前をあたえないでください:2009/05/29(金) 12:29:32 ID:ftNAIXSN
秀吉は割り粥が好物だったとテレビで言ってたな。
そんなに豪華な食事ばかりしてたとは思えんが。
脚気で人は死ぬのか・・・
カッケいー、くない。
>>2 日本陸軍が弱かったのは森鴎外のせいに違いない
8 :
名前をあたえないでください:2009/05/29(金) 12:40:48 ID:7NHvFFXq
秀吉は天下人になった後も「尾張中村時代に食った麦飯の味が忘れられない」
みたいなこと言ってたのに、皮肉なもんだなぁ
Wikipedia より抜粋
>昭和期に入っても1938年まで、国民の脚気死亡者数が毎年1万人から2万人の間で推移していた。
>海軍の兵食改革(麦飯支給)に否定的な陸軍は、日清戦争のとき、大本営陸軍部で野戦衛生長官を
>つとめる石黒忠悳(陸軍軍医総監・陸軍省医務局長)や軍医部長の一人森林太郎(森鴎外)などが
>科学的根拠がないとして、麦飯の支給に強硬に反対した。このため、とくに日清戦争後の
>台湾平定戦では、高温という脚気が発生しやすい条件も重なり、患者が急増した。
>最終的に陸軍の脚気患者は、日清戦争とその後の台湾平定戦をあわせて数万人、病死者は4,000人と
>伝えられている(公式資料が刊行されたのは日露戦争後の1907年。
>・・戦死者より脚気で病死した兵士のほうが多かった・・
脚気でも人は死ねるのだよな。
ビタミンB系はインスタントラーメンなんかにも添加されてるくらいだから
ビタミンの発見物語は I. アシモフの科学エッセイで知った。
本人が以前は生化学の教授だったこともあって、その叙述・表現はさすがに凄いよ。
ビタミンCなんかは、酸化防止剤として無駄に?使われているくらいだから。
>オートミール(oatmeal)とは、籾殻を脱穀した燕麦(エンバク)を調理しやすく
>加工したものである。アングロアメリカでは燕麦を押しつぶすかカットした加工品を
>オートミールと呼ぶ。また、粥状に調理したものを指す。
オートミールって、貧乏人の食い物の代表格だったそうだ。しかし、これを食っていたら、
ビタミンB欠乏症にはならなかっただろう。
遠洋航海をするようになると、ビタミンC欠乏症 (壊血病) は大問題になったそうだね。
ライミー (英国の海軍兵士) の語源は果実のライム。揶揄する意味もあるのだろうが。
14 :
名前をあたえないでください:2009/05/29(金) 13:31:13 ID:E4jXOhW8
で、脚気で死んだってわかったことによってなんか歴史認識がくつがえる様な事でもあんの?
日露戦争では奉天のロシア軍側は壊血病に苦しんだ
大量の大豆でもやしを作れば良かったのだがその知識が無かった
日露両軍とも種類は違えどビタミン不足に苦しみその上で機関掃射の威力と大口径砲にバタバタなぎ倒された
17 :
名前をあたえないでください:2009/05/29(金) 15:26:04 ID:hJ5CNHzk
薩摩藩によって創設された鹿児島医学校出身の海軍軍医と
東大卒の陸軍軍医の森林太郎。
学歴・学閥とお役人の縦割り行政・省益対立の
典型的なケースで、庶民=一般応召兵士が殺された話ですね。
18 :
名前をあたえないでください:2009/05/29(金) 15:32:33 ID:8RrgdpNX
日露戦争では三万人近くの将兵が脚気で死んだ
19 :
名前をあたえないでください:2009/05/29(金) 15:42:34 ID:5kGgIcyP
脚気衝心と言ってだな。
要は最後は心臓麻痺。苦しいぞ。
20 :
名前をあたえないでください:2009/05/29(金) 15:48:43 ID:8RrgdpNX
ある将校の記録
新兵訓練を担当していた将校はある日、食事をしながらぽろぽろ涙を流している新兵を目にする。
「そんなに訓練がつらいか?」とたずねると
「いえ、そうではありません。私は貧しい農家の出で入隊するまで白米など食ったことがありません。
それが今では一日三度白米を食っております。この飯を郷里の弟や妹に食わせてやれたらと思うと涙が止まりません。」
それを聞いた周りの兵たちが次々に泣き出し、その将校は世の中の矛盾を感じざるを得なかった。
のちにこの将校は5.15事件を起こすことになる
昭和初期でも一般の召集兵は貧しい家庭の出が多く、
入隊すれば白米を腹いっぱい食べられるということは軍隊のステイタスの重要な一部だった
ビタミンかヴィタミンなのかそれが問題だ
所詮ただの一説で終わる
23 :
名前をあたえないでください:2009/05/29(金) 16:48:11 ID:4jjJvgc0
俺は、家康による毒殺だと思うけどね。
家康の天下掌握に向けて、邪魔な人間が次々と病死している。
24 :
名前をあたえないでください:2009/05/29(金) 16:56:17 ID:IVEPio+r
小便ちびるほどボケてたんだし。ふつうに老衰だろ。
豆知識 500mlペットボトルの緑茶1本には、人間が1日に必要とする以上の量のビタミンCが入ってる。
海軍軍医・三浦兼寛は日本の風土病に脚気があるのは、
和食のせいではないかと考え、明治帝に直訴してある実験を行っている。
とある訓練航海の食事を全て洋食に切り替えたのだ。
その成果は絶大で、脚気罹患者はごく若干名。
それも、密かに洋食を忌避していた兵だと後に分かる。
ただし、明治帝に直訴するというやり方は主に陸軍軍医官僚の反発を招き、
石黒、青山、森(鴎外)ら帝大派陸軍軍医たちは脚気伝染病説へ傾斜して行く。
ときに海外留学先で嫌気性細菌の純粋培養に成功し、学術的権威を得つつあった北里柴三郎は
細菌学者としての立場から細菌説に疑義を述べ、
これにも森らは反発し、既に実績のあった北里に帰国後のポストを用意しないという嫌がらせを敢行、
見かねた福沢諭吉らの協力により北里の個人研究所的な性格の強い、伝染病研究所を設立。
森らは執拗だった。
設立して数年で今度は伝染病研究所を文部省に移管し、
伝染病研究=脚気研究=つまり脚気は伝染病であるという論理で
研究所の存在意義そのものを骨抜きにしようとする。
それに北里は敢然と辞表を提出。
研究員たちは実質的に北里の弟子たちであったから、みな職を辞して北里に従った。
官立伝染病研究所は設立早々からもぬけの殻という、学閥の沽券に関わる事態に。
つづく
かくして、完全な北里の個人研究所ができる。
北里大学の前身で、この経緯からいまだに東大と北里大学は仲が悪いと言われる。
一方で森は陸軍でいくらかの左遷をはさみながら、累進して行く。
作家森鴎外とは、官僚森林太郎の左遷期の顔である。
軍医総監に就いた森は麦飯説や栄養失調説を迷信として一蹴、
日露戦争において白米を供給し続け、全戦役を通じてほぼ旅順攻略戦に等しい損害を出す。
旅順攻略戦の異常な損害を愧じて、しばしば最前線に突出し、
なかば自死をしようとし、明治帝への殉死によって果たした乃木希典に比べれば、
森の責任範囲はあくまで隠然としている。
なお、明治帝もその晩年、脚気にかかった。
侍医たちは転地療法をすすめるが、
「国民全てが転地するわけにも行くまい」
と語り、断っている。
実際は帝にもある疑念があったようで、ひそかに麦飯を食していたという。
また、帝の親戚を何人か脚気で亡くしていた為そんな知識があったのだとも言う。
いずれにせよ、この辺りから帝の西洋医への不信感が目立つ。
その死に当たっても、西洋医を信頼せず、それが為に死期を早めている。
以上、脚気あれこれでした。
>>22 たしか、ピカソについては、重大な病気だけで20くらいの説が
あるとかいう話を読んだことがある。
残された文献から病気を推測するのは難しい、という事を説明する
一例で挙げられてた話だと思ったが。
ということで、いくつかあるうちの一説で終わる可能性大なんだろうな。
30 :
名前をあたえないでください:2009/05/30(土) 16:54:18 ID:hVnw5lxa
31 :
名前をあたえないでください:2009/05/30(土) 17:05:16 ID:kzlFpe0u
32 :
名前をあたえないでください:2009/05/30(土) 17:48:46 ID:oG3z78GQ
>>30 それはそれは。
よく野口英世が当時ノーベル賞に最も近づいた日本人医学者などと
言われることがあるが、これは事実誤認だろう。
北里柴三郎こそその評価にふさわしい。
人柄にもどことなく男の愛嬌のようなものがあったようで、
コッホはこの垢抜けない東洋人をいつまでも手元に置いておきたがった。
柴三郎がその魅力と実績に見合うだけの知名と評価を得られるかどうかは後進たちにかかっているといっていい。
是非とも頑張ってくれ。
34 :
名前をあたえないでください:2009/06/03(水) 23:51:36 ID:qZ6tYfPc
病跡学って、精神疾患のみが対象だと思ってたが違うんだな。
にしても、秀吉の死因がわかったところで何の役に立つんだろうか・・・
「病死」までわかれば十分なんじゃね?
35 :
名前をあたえないでください:2009/06/04(木) 04:25:49 ID:KmapIy5O
ここまで、「衝心性脚気の原因は保存状態の悪い米につくカビ毒」説を書いた人はいないのか。
36 :
名前をあたえないでください:2009/06/04(木) 07:39:15 ID:UGOnDvvZ
37 :
名前をあたえないでください:2009/06/04(木) 08:12:28 ID:8hQ8RrRp
なんでヒザの下叩いたら足がピョコンと上がるんだろね?
ねーよ。
秀吉は蕎麦がきが好物だったんだぞ。蕎麦はビタミンBたっぷりの食べ物だ。脚気になどなるわけがない。
39 :
名前をあたえないでください:2009/06/09(火) 02:15:56 ID:RrZHt/Vw
ベトコンは塩味の握り飯とビタミン剤だけで何日もジャングル戦を戦った
脚気菌の正体はビタミンBを分解する寄生虫