自民党最大派閥・町村派(清和政策研究会)の混乱が続く中、隠忍自重の日々を送ってきた
安倍晋三元首相が動きを活発化させている。支持率低迷にあえぐ麻生太郎首相への支持を
前面に打ち出し、反主流派のリーダーとなった中川秀直元幹事長を牽制(けんせい)する
背景には、祖父・岸信介元首相が礎を築き、父・安倍晋太郎元外相が会長を務めた
「清和会」再興に向け、主導権を握りたいとの思いがにじむ。だが、飛ぶ鳥を落とす勢いだった
往時と違い、求心力の低下は否めない。これからが安倍氏にとって再起に向けた正念場となる。
(石橋文登)
1月17日夜、東京・神山町の首相の私邸。久々に訪ねてきた安倍氏のために首相は居間の
暖炉に薪をくべながらこうつぶやいた。
「わずか20人の派閥の長に過ぎないおれが首相になれたのは自民党が危機を迎えたからだ。
平時ならばあり得ないだろ。しんどいのは当たり前なんだよな…」
これを聞いた安倍氏は胸を痛めた。自民党凋(ちょう)落(らく)は安倍政権だった平成19年7月、
参院選に大敗したことに始まる。かつ自らも持病を悪化させ、約1カ月後に政権を手放してしまった。
「何があっても私は首相を全力で支えますよ」
こう約束した安倍氏は直後から大胆に動き出した。当時は税制関連法案の付則をめぐり、
党内は一触即発の状態だったが、若手の不満を次々に押さえ込んだ。
同時に森喜朗元首相、町村信孝元官房長官と連携を強め、中川氏との対抗姿勢も鮮明にする。
30日午後、都内の日本記者クラブでの会見でも安倍氏は気を吐いた。
「私の辞任により党にダメージを与え、困難な状況で首相に就任した麻生さんを全力で支えるのは
私の責任だ。麻生首相の下で次期衆院選をやることは確定している」
その一方、かつて首相と幹事長でコンビを組んだ中川氏には冷淡だった。
「中川氏は29日に『清和研がゴタゴタすると、麻生内閣に迷惑をかける』と言ったそうだが、
そういう考えならば、そもそも問題はなかった」
「通常の組織ならばトップは1人だが、清和研はスリートップであり組織として不自然だ。
中川氏も町村氏もかつてはそう言っていた。3人の考え方が違うならば見直すことになるのではないか」
一連の発言には清和研を町村体制に一本化させて混乱を早期に収拾させたいとの思惑が
にじむが、安倍氏にとって苦渋の選択でもある。首相に批判的な若手・中堅にはかつての
「安倍シンパ」が数多く含まれており、派の体制移行に伴い、安倍氏の求心力も低下しかねないからだ。
清和研は福田赳夫元首相の系譜を引く「福田系」と安倍晋太郎氏の系譜を引く「安倍系」の
二重らせん構造を持つ特異な派閥だ。町村体制への移行は安倍派への布石といえるが、
派閥再興には、再起への決意と将来へのビジョンが必要となる。
会見で「再登板」への意思を問われた安倍氏はやや困惑気味にこう答えた。
「参院選敗北と辞任に私は大きな責任を背負いながら政治活動を進めなければならない。
私自身の野心は思考の外に押し出し、まずは政権を全力で支え、国民の信を得る。
それが私にとってのハードルだ」
▼ソース:産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090131/plc0901310117001-n1.htm