【福岡】大みそか 善意の湯気 福岡市などで炊き出しに列[01/01]

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1スカート・メクリストおまコン(090201)φ ★

 大みそかの31日、福岡市博多区の明治公園などで労働団体のボランティアによる恒例の
炊き出しが行われ、寒空の下で年を越す路上生活者たちに温かいカレーが振る舞われた。

 午後6時、約250人が公園敷地内の特設テント前に長い列をつくった。多くの人が背中を
丸めて押し黙ったまま。湯気の立ったカレーライスとお茶が配られ、用意した300食は
あっという間になくなった。

 ボランティア関係者によると、集まった人は例年より2、3割多いという。路上生活者や日雇い
労働者に交じり、今秋以降の景気低迷、雇用情勢の悪化で職を失った若者の姿もあった。

=2009/01/01付 西日本新聞朝刊=
▼ソース(画像あり)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/68691
2名前をあたえないでください:2009/01/01(木) 01:41:44 ID:/BkL2Vep
ニダ
今年初めての2ゲット!ニダ
3名前をあたえないでください:2009/01/01(木) 01:54:32 ID:/2pm4Uig
新参者のせいで古株さんも御迷惑だろうな
4名前をあたえないでください
我が国は「「和」の社会」の伝統があるが、時として「和」を尊ぶあまり全体が破滅する
ケースがある。過去、何度も繰り返された「過ち」を今回も繰り返そうとしている。
「和」よりも実効性を重んじる社会では、時として犠牲はつきものだと考えるが「和」を
重んじる日本では、犠牲を出すことが許されない。
10人乗りの救命ボートに対して14人が漂流している場合、定員を超える4人に対して
「和」を重んじる文化では、限界を超えても救おうとして、ボートに乗れる10人を含め
14人全員が共倒れ・全滅するケースがある。欧米などの実効性を重んじる社会では救助
の努力をしながらも「誰かが犠牲になる必要がある」と考え少なくともボート定員10人
は救うことを選択する。
救命ボートの話をすると「ボートの定員を増やすことが重要だ」と言う人が必ずいる。
その視点は、ある条件下では正しいが、現状の様な緊急事態に於いては致命的な間違いで
あり、全体を破滅のリスクにさらしていることに気がつかない「情緒的な美辞麗句」でしか
ない。地方の建設業が潰れて失業者が大量に出て地方経済が疲弊することを防止するため
に不要不急でも地方の道路建設を継続する。(その構造を維持するために法定税率の2倍
の「暫定税率」を継続し国民に費用負担させる。)同じ市役所の職員なのだから現業部門
の給料額が総合職部門に比して低いのは問題だ。同じ仲間として現業部門にも総合職に準
じた給料を支給しよう。(公務員の清掃局員、給食のオバチャン、電話交換手の給与水準
は民間の同業種の年収の2〜3倍にもなってしまい、業務に比して異常に高い現業人件費
は市民から徴収する市民税、国民から徴収する国税の地方交付税で賄い、国民に費用負担
させる。)地元の建設業や「同じ市役所」という様な「身近な一部の「和」」を重んじる
ことばかりを追求しているが、それって一般国民に費用を負担させてまで実施することな
のか?「身近な一部の「和」」を重んじ過ぎ、その費用が足りないから消費税率をアップ
させるという発想は許されない緊急事態だ。一般国民を搾取するキャリア官僚・族議員・
公務員利権を即刻解体し、政治家は日本を日本人のための国家とする構造改革を実施せよ。