1954年に中華民国が日本に対し、拿捕(だほ)した日本漁船の補償金をバナナで支払う打診を
していたことが、22日付で公開された外交文書で明らかになった。「バナナ補償」は実現しなかった
ものの、当時の日本でバナナは高級品。打診を受けた議論は文書では判明しなかったが、心が動いていた
可能性もありそうだ。
日本政府は当時、台湾に逃れた中華民国政府を中国を代表する合法政府として承認していた。
第二次世界大戦後、日本の船は連合国軍総司令部(GHQ)の「マッカーサーライン」によって
活動領域が制限されており、47年11月〜49年8月に東シナ海で中華民国に2隻が撃沈され、
30隻が拿捕された。その後、日本政府は漁船の水揚げに相当する額の補償を求めていた。
外交文書によると、こうした中、54年2月に中華民国側から一つの打診があった。
「32隻のうち2隻の返還が決まったとの話がある。補償額は1隻当たり15万台湾ドル相当の
バナナ。市場で買い付けたバナナを日本に送り、売上金をもって補償とする」。在日大使館から入った
連絡はこういう内容だった。
日本が求めた補償額が2隻で7600万円だったのに対し、当時の15万台湾ドルは360万円で、
かなりの差があった。ただ、当時の日本でのバナナ1箱(45キロ)の市場価格は約2万5000円、
輸入価格は約2700円。15万台湾ドルで購入できる60トンを売れば約3330万円となる計算だった。
外務省は、バナナ補償不発の後、何らかの決着が図られたとみているが、記録は残っていないという。
毎日jp
http://mainichi.jp/select/today/news/20081222k0000e010043000c.html