大正デモクラシーの旗手として知られる大崎市古川出身の政治学者吉野作造(1878―1933年)が
東京帝大教授時代の1920年度に行った政治史の講義を筆記した学生のノートが、仙台市内で見つかった。
吉野の講義では、異なる5つの年度のノートが現存するが、20年度のものが確認されたのは初めて。
吉野の著作とのかかわりや人柄などを知る上で貴重な資料となりそうだ。
ノートは、福島大学長や東北大経済学部長などを歴任した故服部英太郎氏(1899―1965年)が、
20年9月から21年1月までの講義を書き取った。服部氏の長男で東北大経済学部長などを務めた故
服部文男氏(1923―2007年)の門下生である大村泉・東北大大学院経済学研究科教授が、文男氏の
遺品整理で見つけた。
表紙に「政治史 吉野博士 東大政治科 服部英太郎」とあり、「19世紀以後今日に至るまでの政治史」
「近代欧州の情勢」「現代国家の出現」「英国に於ける憲政の発達」「仏国の議会の発達」「欧州協調と
ウィーン会議」の章立てで、60ページにわたって講義内容が詳細に記されている。
吉野の講義録ノートは、吉野の娘婿で、後に日本共産党の創立に加わり、衆院議員も務めた赤松克麿
(1894―1955年)が書いた15、16年度をはじめ、18、19、24年度の存在が分かっている。
東大法学部研究室の「吉野作造講義録研究会」が翻刻作業を進めており、吉野が民本主義を唱えた時期の
「赤松ノート」については最新刊の「国家学会雑誌第121巻」に掲載された。
(
>>2へ続く)
河北新報社
http://www.kahoku.co.jp/news/2008/12/20081209t15023.htm
(
>>1の続き)
服部氏のノートの解読はこれからだが、大村教授によると、「赤松ノート」では吉野が助教授時代に留学
したドイツの記述が多いのに対し、イギリスの事例が多い。20年に発足した国際連盟も講義に取り入れ
られている。
吉野は、民本主義を唱えた16年以降、執筆や講演などで多忙を極めたが、19年度と20年度では講義の
章立てが違っており、講義をおろそかにしなかった吉野の人間性もうかがえる。
今回のノートについて、吉野作造記念館(大崎市古川)の元主任研究員田沢晴子さん(42)=名古屋市=
は「20年9月から21年末にかけて吉野は日記を書いておらず、空白部分を埋める内容が出てくる可能性が
ある。雑誌などでは明らかにしなかった吉野の率直な意見や見解などを知ることができるかもしれない」と
話している。
河北新報社
http://www.kahoku.co.jp/news/2008/12/20081209t15023.htm