【社会】「大人たちの勝者への屈従の姿勢、その化けの皮をひっぺがえしてやりたいという衝動があった」…全学連世代の西部邁さん

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1諸君(もろきみ)φ ★
 ■大人の化けの皮

 「どの時代でも青年が暴れると、それを見た少年は『抵抗の正義』を感じ取って興奮する。僕からみると全共闘世代はちょうど
弟のような世代。僕らが彼らの反体制気分を扇動をしたと考えると、悪いことをしたかもしれない」

 昭和40年代前半の全共闘運動より10年ほど前に起きた全学連運動。そのリーダーとして東大在学中に教養学部自治会
委員長を務め、60年安保を闘った西部邁さん(69)。現在では保守論客として知られるが、当時は「左翼活動家」だった。
その西部さんも中高生時代は、日本共産党の一部などひと世代上の若者たちが行った武装闘争に刺激を受けていたという。

 小学1年生で終戦を迎えた西部さんは戦後教育の「一期生」でもあったが、民主主義やヒューマニズムといった教えを、
幼心にも「きれい事だ」と感じていた。敗戦を境に、まるで手のひらを返したように思想を変え、戦勝国の米国になびく大人たち
の姿が信用できなかったからだ。

 「勝者への屈従の姿勢ですよ。その化けの皮をひっぺがえしてやりたいという衝動があった。だからこそ、反権力行動に刺激
を受けたのでしょう」

 西部さんが東大に入学したのは33年。自ら自治会室のドアをたたき、全学連に飛び込んだ。全学連中央執行委員、都学連
副委員長として活動する中で逮捕、起訴され、7年近い法廷闘争も繰り広げた。

 「ぼくはマルクスなんて何一つ勉強しないでやっていた。もちろん、斜め読みぐらいはしたが、本格的に読んだのは、逮捕された
あと拘置所の中です。そこで資本論を読んでみて、改めてくだらないなと思ったんですよ」
(中略)
 ■団塊ではなく砂山

 西部さんら全学連の象徴的な行動として語られるのが昭和35年6月15日の安保反対をめぐる国会構内への突入だ。デモ隊
と警官隊がもみあいになる中で、東大文学部3年生の樺美智子さん=当時(22)=が死亡、その名前は安保のヒロインとして
刻まれる。西部さんより一つ年上だった彼女は、西部さんが東大入学後に初めて参加したデモで、共産主義の歴史などを語って
くれた人でもあった。

 樺さんが亡くなった日の統一行動には、全国各地で労働者らを含む約580万人が参加し、約11万人もが国会への請願デモ
を行ったという。それは、全共闘が学生中心の闘争だったのに対し、全学連が市民への広がりを持つ運動だったことを示す
一つの数字でもある。

 全共闘の高揚期、大学院生として研究生活に入っていた西部さんは「すでに好意も反発もなかった。野次馬としては、
どんどんやれという感じで見ていた」と話すが、全共闘世代そのものについては批判的だ。

 「彼らは団塊の世代といわれるが、僕は風がふけばすぐ形が変わる『砂山世代』だと思っている。革命を叫んでおきながら、
エコノミックアニマルになったり、市民運動家になったり。雰囲気にあわせて姿かたちを変える世代だと思う。つまり典型的な
『マス(大衆)』なんだよ」

 一時はテレビの討論番組などに出演することが多かった西部さん。ある番組で、司会者から「樺さんは西部さんの恋人だった
そうです」と冷やかされたことがある。西部さんは生放送中にもかかわらず激怒してその場を退席し、スタジオは騒然となった。

 「もし、番組を樺さんのご遺族やその関係者が見ていたらどんな気分になるか。いたたまれなくなってああいう行動にでるしか
なかったのです」

 それもまた、西部さんなりの一つのけじめのつけ方だった。

ソース(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080918/crm0809182140044-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080918/crm0809182140044-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080918/crm0809182140044-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080918/crm0809182140044-n4.htm